スミレ学園
それはスミレ学園の校舎であった。スミレ学園というのは有名な私立学校であって、下は幼稚園から、上は高等学校までの級を持っていた。どの組も人数が少く、先生は多く学費はかなり高価であったが、ここで教育せられた生徒はたいへんりっぱであったから、入学志望者は毎年五六倍もたくさん集った。 灯のついたのは、室内運動館であった。その二階の一室に灯がついたのである。運動をする場所は床から二階までぶっ通しになっているが、その外にすこしばかり小さい部屋が一階と二階についていた。一階は運動具をおさめる室などがあり、二階は図書記録室の外に、宿直室があった。今はこの宿直室は体操の先生である立花カツミ女史が寝泊りしていた。この先生は、列車に乗って遠方から登校するので、翌日も授業のある日は、ここに泊っていく。 春木少年は、自分の学校の先生ではないが、立花先生を見おぼえていた。なにしろ女史は目につく婦人だった。背丈が五尺五寸ぐらいある、すんなりと美しい線でかこまれた身体を持っていた。そしてととのった容貌の持ち主で、ただ先生であるせいか、冷たい感じのする顔であった。春木少年は、東京に住んでいたころ、近所にこの立花先生によく似た婦人があったので、先生の顔はすぐおぼえてしまった。 立花先生のことを、このへんの子供は、タチメンとよんでいた。それは身体が長い銀色の魚タチウオに似ていて、先生は女だからメスで(この町ではメスのことをメンという)つづけていうとタチウオのメン、つまりタチメンという綽名がついたのである。 春木少年は、今ごろなぜ立花先生が起きたのであろうかとふしぎに思った。先生ではなく、他の人が灯をつけたのかとも思った。しかしそのとき先生の顔が窓ぎわにあらわれた。そしてちょっと外を見てから、急いでカーテンをひいた。それだけのことであったが、タチメン先生にちがいなかった。 「そうだ。タチメン先生に、この黄金メダルを預ってもらおう。先生なら、女だけれど、体操の先生だから強いだろうし、秘密をまもって下さいといえば、承知して下さるだろう。そうすれば、ぼくも黄金メダルも安全になるのだ」 春木は、そう考えついた。 彼は、そのつもりになって、そこをでかけようとしたとき、急に事態がかわった。というのは、川向うの牛丸君の家の前でさわぎが起っているのが見えたからだ。どうやら家の人が外へとびだして、救いをもとめているようであった。家の人たちは、今まで家の中で悪者どもにしばられていて、縄をほどくことができなかったのであろう。 「これは、こうしていられない。ぼくもすぐいって、さっき見たことを家の人に教えてあげなくてはならない」 この方が急を要することだった。春木少年は走りだしたがまたもや戻ってきた。彼は、そこに聳えている椋の木の根方を、ありあわせの石のかけらで急いで掘った。 しばらくして、彼が手をとめると、根方には穴が掘れていた。春木少年はポケットをさぐって、黄金メダルと絹ハンカチの燃えのこりをだした。それからそれを鼻紙に包んだ。その包を、穴の中に入れた。それから、土をどんどんかぶせた。そして一番上に弁当箱ほどの丸い石を置き、それからまわりを固く踏みかためた。 「まあ、一時こうしておこう。でないと、牛丸君の家の前までいったとき、もしも悪者が残っていて、ぼくをつかまえでもしたら、大切な宝ものをとられてしまうからなあ」 春木少年は、どこまでも用心ぶかかった。 そうなのである。油断はならないのだ。さっきヘリコプターが牛丸君をつりあげ、そして仲間をひっぱりあげて空へ舞いあがっていったが、あのとき河原に一人だけ残っている者があったではないか。それは誰であるか分らなかったけれど、もちろん悪者の仲間にちがいない。彼はそれからどこへいったか見えなくなってしまったが、いつひょっくり姿を現わすかしれないのだ。あんがい近所の塀のかげにかくれて、牛丸君の家の様子を監視しているのかもしれない。そうだとすると、あそこへ大切な宝ものを持っていくのはやめたがいいのだ――と、春木少年は考えたのである。 黄金メダルは春木少年の身体をはなれたので、彼は身軽になった。彼は崖の小道を、すべるようにかけ下り、牛丸君の家の方へ走っていった。 息せき切って、牛丸君の家の前へいってみると、はたしてそのとおりだった。牛丸君のお父さんやお母さんが気が変になったようになってさわいでいた。近所の人々も、だんだん集ってきた。そのうちにエンジンの音がして、警官隊が自動車にのって、のりつけた。 牛丸君のお父さんの話によると、四名の怪漢がはいってきて、ピストルでおどかしたそうである。強盗と同じだ。そして牛丸君をひっとらえると、ちょっと用があるからきてくれ、生命には別条ないから心配いらない、しかしいうことをきかないと痛い目にあうぞ、といって、牛丸君を外へつれだしたという。家の人はピストルでおどしつけられ、縄でぐるぐる巻きにされていたので、牛丸君を助けることができなかったということだ。 それから先のことは、春木少年がお稲荷さんの崖の上から月明かりに見ていたとおりだった。 「警察はもっと早くきてくれないと、だめだなあ」 と、近所の人がいった。 「そうだ、そうだ。それに自動車ぐらいもってきたんじゃだめだ。相手は飛行機を使って誘拐するんだから、警察もすぐ飛行機で追っかけないと、いつまでたっても、相手をつかまえることができない」別の人が、そういった。 全くそのとおりであった。しかし警察の方では、そんなにきびきびやれない事情があるようであった。 春木少年は、牛丸君の両親に、お見舞だけをいって、さよならをした。この間のカンヌキ山のぼりのことをいわれるかと思ったが、両親ともそのことについてはなにもいいださなかった。それよりも一刻も早く息子を取りかえしてもらいたいと警察の人にすがることに一生けんめいだったのである。
ひげ面男の登場
崖の上のお稲荷さんでは、春木少年が黄金メダルを埋めていってしまった後、おかしなことが起った。 それは、お稲荷さんの荒れはてた祠の中から、一人の人物が、のっそりとでてきたのである。 その人物は、まず両手をうんとのばして、 「あッ、あッ、ああーッ」と大あくびをした。 月に照らしだされたところでは、彼の顔は無精ひげでおおわれ、頭もばさばさ、身体の上にはたくさん着ていたが、ズボンもジャケツも外套もみんなひどいもので、破れ穴は数えられないほど多いし、ほころびたところはそのままで、ぼろが下っていた。外套にはボタンがないと見え、上から縄でバンドのようにしばりつけてあった。放浪者であった。 「さっきから見ていりゃ、あの小僧め、へんなまねをしやがったぜ。いったい、あの木の根元に何を埋めたのか、ちょっくら見てやろう。食えるものなら、さっそくごちそうになるぜ」空腹を感じていると見え、そのひげの男は舌なめずりをして、下へ下りてきた。そしてのっそり、崖の上の椋の木のところまでいった。 彼はすぐ埋めてある場所を発見した。そうでもあろう、春木少年が踏みつけていったすぐあとのことだから、気をつけて探せば、すぐ目にとまる。 「ははあ。この石が目印ってわけか」ひげ面男は石をけとばすと、そこへしゃがみ、両手を使って土をかきだした。間もなく彼は目的物をつかんで立ち上った。 「なあんだ、これは……」彼はあてが外れたという顔つきで、紙包を開いて中を見たが、よく正体が分らないので、それを持ったまま、祠の方へひきかえしていった。 祠の傾いた屋根をくぐり、格子の中へはいると、御神体をまつった前に、三畳敷きぐらいの板の間があり、そこに破れむしろが敷いてあった。そこがこのひげ面男――姉川五郎の寝室であった。 彼は、むしろの上にごろんと寝ると、隅っこのところへ手をのばして、ごそごそやっていたが、やがてその手が、船で使う角灯をつかんできた。彼はマッチをすって、それに火をつけた。この場所にはもったいないほどの明かりがついた。その下で、彼は紙包を開いた。 すると、絹の焼け布片がでてきた。彼はそれを無造作にひらいた。こんどは黄金メダルがでてきた。ぴかぴか光るので彼はびっくりした。それを掌にのせて、いくども裏表をひっくりかえして、見入った。 絹の焼け布片の方は、紙と共にこの男の手をはなれ、折から吹きこんできた風のため、ひらひらと遠くへころがっていった。もしもこの光景を戸倉老人や春木少年が見ていたとしたら、おどろいて後をおっかけたことであろう。 「何じゃ、これは」三日月型の黄金メダルは、姉川の掌の上でさんざん宙がえりをやったが、その正体はこのひげ面男に理解されなかったようである。 「ぴかぴかしているが、これは鍍金だよ。それに半分にかけていちゃ、売れやしない。ああ、くたびれもうけか。損をしたよ」 ひげ面男は、黄金メダルを腹立たしそうにむしろの上に放りだすと、角灯をぱっと吹き消した。そしてごろんと横になった。しばらくすると、大きないびきが聞えてきた。空腹をおさえて、ひげ面先生は睡ってしまったのである。 それから数時間たって、夜が明けた。 ひげ面男の姉川五郎は、早起きだった。もっとも朝日が第一番に祠の破れ目から彼の顔にさしこむので、まぶしくて寝ていられなかった。 彼は、むしろの上に起きあがって、たてつづけて大あくびを三つ四つやって、ぼりぼり身体をかいた。それから何ということなくあたりを見まわした。すると、ぴかりと光ったものが、彼の充血した眼を射た。 「何? ああ、昨夜の屑がねか。おどかしやがる」 彼はひとりごとをいって手を延ばすと、むしろの上から黄金メダルをひろいあげた。そして朝日の下で、また裏表をいくどもひっくりかえして見た。 「鍍金にしてはできがいいわい。まさか、本ものの金じゃなかろうね。おい屑がねの大将、おどかしっこなしだよ。おれはこう見えても心臓がよわい方だからね」 彼は黄金メダルを手にして、左右をふりかえった。角灯が目にはいった。それを引きよせ、その角のところで、黄金メダルを傷つけた。メダルは楽に溝がきざみこまれ、下から新しい肌がでてきた。それを姉川五郎は、陽にかざして目を大きくむいて見すえた。 「おやおや。中まで金鍍金がしてあるぞ。えらくていねいな仕上げだ。……待て、待て。これは、本ものの金かもしれんぞ。そんなら大したものだ。叩き売っても、一カ月ぐらいの飲み料ははいるだろう。善は急げだ。さっそくでかけよう」 姉川は、黄金メダルをポケットの中へねじこんだ。それから彼は、腰縄をといて、外套をぽんと脱いだ。それから手を天井の方へ延ばして、天井裏をごそごそやって、そこに隠してあった上衣をとりだして、それをジャケツの上に着た。それからもう一度天井裏へ手をやると、帽子をだしてきた。それをぼさぼさ頭にのせたところを見ると、型はくずれているが、船乗りの帽子だった。それから彼は、賽銭箱の中から破れ靴をだして足につっかけズボンをひとゆすり、ゆすりあげてから、悠々と石段を下りていった。 こんな一大事が発生しているとは知らず、春木少年は八時ごろにお稲荷さんへのぼってきた。 昨夜、宝ものを椋の木の根方に埋めたが、埋め方がうまかったかどうか、それを検分するために、彼は朝早く崖をのぼってやってきたのである。 「ああッ!」彼の目は、すぐさま、異常を発見した。椋の木の根方はむざんに掘りかえされてある。春木少年は青くなって、そこへとんでいった。 「やられた」土の上に膝をついて、掘りかえされた穴の中を探ってみたが、昨夜彼が埋めたものは、影も形もなかった。そばを見れば目印においた丸石が放りだしてある。彼はがっかりした。そこに尻餅をついたまま、しばらくは起きあがる力さえなかった。 (失敗った。やっぱり、机の奥にしまっておけばよかったんだ。あわててもちだしたり、うっかりこんなところへ埋めたり、とんでもないことをしてしまった。せっかく戸倉老人が呉れたのに、おしいことをした。……しかし誰がここから掘りだして持っていったのだろうか) 春木少年は、大がっかりの底から、ようやく気をとり直して立ち上った。 (なんとか取返したいものだ。まだ、絶望するのは早かろう) 少年は、推理の糸口をつかみ、それからその糸を犯人のところまでたぐっていくために、境内をぶらぶらと歩きだしたが、そのとき生々しい足跡が祠の前からこっちへついているのを発見し、 「これかもしれない」 と、緊張した。彼は祠の中をのぞきこんだ。 その結果、彼は姉川五郎の寝室があるのを見つけた。 「ぼくはうっかりしていた。ここにいた男に見られちまったんだよ」くやし涙が、春木少年の頬をぬらした。いくらくやんでも諦めきれない失敗だった。 もしや祠の中のどこかに黄金メダルをかくしていないであろうかと思い、彼は祠の中へはいあがって、念入りにしらべた。だが、そんなものはあろうはずがなかった。ただ、彼は祠の破れ穴のところに、絹の焼け布片がひっかかっているのを発見し、声をあげてよろこんだ。 黄金メダルとこれとの両方を失ったかと思ったが、焼け布片だけでも自分の手にもどってくれたことは、不幸中の幸であると思った。この上は、この焼け布片は大切に保管し、二度とこんなことにならないようにしなくてはならないと思った。姉川五郎は、黄金メダルを握って、どこへいったのであろうか。 二つに割れている黄金メダルの一つは、こうして春木少年の手からはなれてしまった。もう一つは、六天山塞の頭目四馬剣尺の手から猫女の手へ移った。このあと、この二つの貴重なる黄金メダルは、いかなる道を動いていくのであろうか。メダルの二つの破片がいっしょになるのは何時のことか。 それにしても、この黄金メダルに秘められたる謎はどういうことであろうか。事件はいよいよ本舞台へのぼっていく。
少年探偵なげく
まったく春木少年は、がっかりしてしまった。 もうなにをするのも、いやであった。自分のすることは何一つうまくいかないことが分った。彼はすっかりくさってしまった。 瀕死の戸倉老人が、いのちをかけて、かれ春木少年にゆずってくれた大切な黄金メダルの半ぺら! あれが、今ではもう彼の手にないのだ。 (お稲荷さまだから、どろぼうから守ってくれると思っていたのに……) 境内の木の根元に、うずめたのが運のつきであった。誰かがさっそく掘りだして持っていってしまった。 (きっと、あの祠に寝起している男にちがいない) 春木少年は、あれからいくどもお稲荷さんの崖にのぼって、裏手からそっと祠をのぞいた。だが、いつ見ても、破れござが敷きっぱなしになっているだけで、主人公の姿は見えなかった。 春木は、がっかりしたが、いくどでもくりかえしあそこへいってみる決心だった。 黄金メダルを盗まれたことも、くやしくてならない大事件だったが、それよりも町中にひびきわたった大事件は、牛丸平太郎少年がヘリコプターにさらわれたことだった。 なにしろ、そのさらわれ方が、あまりに人もなげな大胆なふるまいで、親たちも近所の者も手のくだしようがなく、あれよあれよと見ている目の前で、ヘリコプターへ吊りあげられ、そのまま空へさらわれてしまったのだ。 警官隊の来ようもおそかった。またたとえ間にあったとしても、やはりどうしようもなかったにちがいない。飛行機を持っていない警官隊は、どうしようもない。 牛丸平太郎は、みんなにかわいがられていた少年だから、この誘拐事件の反響も大きかった。ことに、その前に春木君が山の中で、行方不明になった事件のとき、牛丸君が誰より早くこれを知らせたことで、牛丸少年を知っている人は多かった。 春木としても、一番仲よしの友だちを、そんなひどい目にされたので、くやしくてならなかった。それで、ぜひ捜査隊の中へ加えて下さいと、先生にまでとどけておいたほどである。 「ああ、そうか。それはいいね。この前は、牛丸君が春木君の遭難を知らせた。こんどはその恩がえしで、春木君が牛丸君を探しにいくというわけだね。まことにいいことだ」 と、受持の主任金谷先生は、ほめてくれた。 「先生。牛丸君は、なぜさらわれていったのでしょうか」 その時春木は、先生にたずねた。 「それがどうも分らないんだ。牛丸君の家は旧家だから、金がうんとあると思われたのかもしれないな。そんなら、あとになって、きっと脅迫状がくるよ」 「脅迫状ですか」 「うん。牛丸平太郎少年の生命を助けたいと思うなら、何月何日にどこそこへ、金百万円を持ってこい――などと書いてある脅迫状さ。しかしほんとは牛丸君の家は貧乏しているので、そんな大金はないよ。もしそう思っているのなら、賊の思いちがいさ」 金谷先生は、牛丸君の家の内部のことをよく知っているらしかった。 「それじゃあ、なぜ牛丸君は、さらわれたんでしょうね」 「分らないね。牛丸君は、君のようにとび切り美少年だというわけでもないし……そうだ、君は何か心あたりでもあるんじゃないか。あるのならいってみなさい」 と、金谷先生は春木の顔をじっと見つめた。 そのとき春木は、例の生駒の滝の事件のことをいってみようかと思った。あのときからヘリコプターにねらわれているのではなかろうかといい出したかった。しかし春木は、それをいったら、あの黄金メダルのことまでうちあけてしまいたくなるだろうと思った。その黄金メダルは、今はもう彼の手もとにないのだ。すべてあれからあやしい糸がひいているように思う。それなら、ここで先生にうちあけてしまった方がいいのではないか。 だが、春木は、ついに、それをいいださずにしまった。 そのわけは、彼が口をひらこうとしたとき、そばを立花カツミ先生が通りかかったためである。この女の先生はスミレ学園につとめているが、方々の学校へもよく来る。そして体操の話をしたり、あたらしい体操や運動競技を教えていくのだ。 「やあ、立花さん」と、金谷先生が声をかけた。 「おや、金谷先生。こんなところにいらしたんですか」 と、立花先生は、そばへ寄ってきた。春木は、おじぎをして、二人の先生の前を離れた。そういうわけで、彼は黄金メダルまでの話をいいそびれてしまったのだ。 このとき春木には聞えなかったけれど、神さまは口のあたりに軽い笑いをおうかべになり、悪魔はちょッと舌打ちをしたのであった。なぜだろう。
絹のハンカチの文句
その夜にも二回、その次の日の朝にも三回、春木少年はお稲荷さんの祠を偵察した。 だが、彼が見たいと思った浮浪者の姿を見ることはできなかった。その浮浪者は、その夜はとうとうこの祠の中の寝床へはかえってこなかったのである。 (なぜ、帰ってこないのだろうか。ひょっとしたら、あの黄金メダルを売りにいって、お金がはいったから、帰ってこなかったのではあるまいか) 春木少年の推理はするどく、かの姉川五郎の気持をある程度まで、ぴったりあてた。 困った。売ったのなら、その売った先をいそいで探さないと手おくれになる。といって、それを聞くには浮浪者が帰ってこないと、聞くわけにいかない。彼はまたもや昨日の失敗がくやまれてくるのだった。 (ぐずぐずしていると、ますます工合が悪くなる!) 少年にも、そのことがはっきり分った。 「そうだ。ぼくは、なんというバカ者だったろう。盗まれるなら、あの黄金メダルに彫りつけてあった暗号文みたいなものを、べつの紙にうつしとっておけばよかったんだ」 ああ、そう気がつくのが、おそかった。 黄金メダルは、もう春木少年の手にはないのだ。まったく注意が足りなかった。人に見せまい、大切に大切にしようと思って、黄金メダルの暗号文もよく見ないで、しまっておいたのだ。 「ハンカチがある。あれにも字が書いてあった。そうだ、あのハンカチも、いつ盗まれるか知れない。今のうちに、文句をうつしておこう」春木は、やっと今になって、本道へもどった。しかし彼は、本道へもどるまでに、二度も大失敗をくりかえしている。 少年は、その夜、例の焼けのこりの絹ハンカチを灯の下にひろげてみた。 ざんねんにも、四分の一か五分の一ほどしか残っていない。 が、それでもこれは重大なる手がかりなのだ。 さて、読みかかったが、絹ハンカチに書かれてある文字は、細い毛筆で、達者にくずしてあるため、判読するのがなかなかむずかしかった。 しかし少年は、その困難を越え、字引をくりかえし調べて、どうやらこうやら一応はその文字を拾い読むことができた。 いったい、どのような文句が、そこに書きつづられていたであろうか。 十四行だけ残っていた。しかしその一行とて、行の終りまで完全に出ているわけでない。しかし行の頭のところは、みなでている。それは、次のような文字の羅列であった。
ヘザ……………………………… たる……………………………… 二つ合…………………………… 蔵する宝………………………… の開き方を知…………………… り。オクタンとヘ……………… しため協力せず………………… する黄金メダルの……………… のと暗殺者を送………………… 斃れ黄金メダルは暗…………… り、それより行方不明………… ここにある一片はオ…………… せし一片にして余は地中……… おいてこれを手に入れたる……
「なんだろう。さっぱり意味が分らない」 春木少年は、ざんねんであった。 もしも生駒の滝のたき火で、こんなに焼いてしまわなかったら、一つの完成した文章が読めて、今頃は重大な発見に小おどりしているだろうに。 「いや、未練がましいことは、もういうまい。この焼けのこりの文句から、全体の文章が持っている重大な意味を引出してみせる」 彼は興奮した。くりかえし、この切れ切れの文句を口の中で読みかえした。彼は、考えて考えぬいた。頭が火のようにあつくなった。 そのうちに、彼は、一つのヒントをつかんだように思った。 「この黄金メダルの半ぺらを一つずつ持っていた人間が二人ある。ひとりをオクタンといい、もうひとりをヘザ……というのだ」 オクタンにヘザ何とかであるが、ヘザの方は名前の全部が分っていない。とにかく、この二人が黄金メダルを半ぺらずつ持っていたとしてこの文句を読むと、意味が通るのであった。 これに勢いを得て、少年探偵はさらに推理をすすめた。 すると、第二のヒントが見つかった。 「あの黄金メダルを二つ合わせると、宝のあるところの開き方を知ることができるようになっているんだ」 第三行と第四行と第五行とから、これだけの意味が拾えたように思った。 もしこれが当っているなら、黄金メダルの二個の半ぺらを手に入れた上で、二つを合わしてみなくてはならないのだ。メダルの裏にきざみこんである暗号文字のようなものが、二つ合わせて読むと、完全な意味を持つようになって、宝庫の開き方を知らせてくれるらしい。 少年探偵は、いよいよ勢いづいて、その先を解析した。 第六行から第十一行までは、大して重要なことではないらしいが、そこに書かれてある意味は、 ――黄金メダルの半ぺらずつを持ったオクタンとヘザ某とは、仲がわるくて助け合わず、相手の持つ半ぺらを奪おうとして、暗殺者を送った。その結果、両人のうちの誰かが死んだ。そして半ぺらは行方不明となった―― というのではなかろうか。 「いや、それでは、両人のうちの誰かが相手に暗殺者を向けて斃し、そして黄金メダルの半ぺらを奪ったものなら、その半ぺらはその者の所有となり、行方不明になるはずがない。これは意味が通じない。考えなおしだ」 いろいろと考え直したが、もうすこしで分りそうでいて、どうもうまい答がでなかった。少年探偵は、しゃくにさわってならなかったが、そのときはもうそれ以上に頭がはたらかなかった。 それから最後の三行から、次のことを推理した。 ――この一片、すなわち、戸倉老人の持っていた半ぺらは、オクタンが持っていた半ぺらであって、自分、すなわち、戸倉老人は、これを地中から掘りだしたものである―― どうやら、これだけのことが分った。 オクタンとヘザ某とは、いったい何者であるか、それが分らない。これは文章のはじめの方に、説明があったのだろう。そこのところが焼けてしまったために、とつぜんオクタンとヘザ某の名がでてきて、彼らが何者であるのか、その関係や、二人の時代が分らないのである。 後日になって明らかになったことだが、このように解釈した春木少年の推理は、原文の意味の七分どおり正しく解いているのであった。少年探偵としては、及第点であった。 このとき以来、彼は、右の解釈を基として、その後の活動をすることにしたのであるが、実はもう一つ、彼が考えたことがあった。それは、 ――ヘザ某は、オクタンの放った暗殺者のために殺され、ヘザの持っていた黄金メダルの半ぺらは行方不明となった。オクタンは自分の持っている半ぺらをたよりに、宝探しをこころみたが、うまくいかなかった。そして彼は、残念に思いながら死んでしまった。だから、世界的大宝物は、まだ発見されずにもとのところに保存されている―― まず、こんな風に推定したのだった。 だから、オクタンは、とても悪い奴。ヘザ某は気の毒な人。そしてヘザ某の遺族か部下は、オクタンを恨んでいるが、彼らの手には、オクタンには奪われないで助かった黄金メダルの半ぺらがある。扇形をしたその半ぺらを持っている者があったら、それはヘザ某の遺族か部下に関係ある者だ――と春木少年は思った。 このことが正しいかどうか、読者諸君には興味が深いであろう。なぜなれば、諸君は春木少年のまだ知らない事実――四馬剣尺や猫女のことなどを知っているのだから。
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