海野十三全集 第13巻 少年探偵長 |
三一書房 |
1992(平成4)年2月29日 |
1992(平成4)年2月29日第1版第1刷 |
1992(平成4)年2月29日第1版第1刷 |
怪事件の第一ページ
まさか、その日、この大事件の第一ページであるとは春木少年は知らなかった。あとからいろいろ思い出してみると、その日は、運命の大きな力が、春木清をぐんぐんそこへひっぱりこんだとも思われる。 ふしぎな偶然の出来事が、ふしぎにいくつも重なって起ったような感じだが、それもみんな、清少年の運命であったにちがいないのだ。 奇々怪々なるその大事件は、第一ページにあたるその日において、ほんのちょっぴり、その切口を見せただけであった。もし春木少年が、そのときにこの事件の大きさ、深さ、ものすごさ、おそろしさを半分ぐらいでも見とおすことができたなら、彼はこの事件に関係することをあきらめたであろう。それほどこの事件は、大じかけの恐怖事件であって、とても少年の身では歯がたたないばかりか、大危険にまきこまれることは分りきっていたのである。 まあ、前おきのことばは、このくらいにしておいて春木少年がその事件の第一ページの上に、どういう工合にして、足を踏みこんだか、それについて語ろう。 その日、春木少年は、この間から学校で仲よしになった同級生の牛丸平太郎という身体の大きな少年といっしょに、日曜を利用した山登りをやっていたのである。その山登りというのは、芝原水源地の奥にあるカンヌキ山の頂上まで登ることであった。 春木少年が、この町へ来たのは、ほんの一カ月ほど前のことであった。その前、彼は東京にいた。この町は関西の港町だ。 くわしいことは、いずれ後でのべる時があるから、ここには説明しないが、春木少年は、家の事情によって、とつぜんこの港町の伯母さんの家へあずけられたのであった。そして清は、近くの雪見中学校へ転校入学したのだった。彼は三年生だった。 一時はずいぶんさびしい思いもしたが、清はこの頃ではすっかりなれてしまった。そして学校にも牛丸君のような愉快な友だちができるし、それから又港町のうしろにつらなっている連山の奥ふかく遊びにいく楽しみを発見して、ひまがあれば山の中を歩きまわった。 その日、清は、牛丸の平ちゃんと連立って、おひるごろカンヌキ山の頂上にたどりついた。そこで弁当をたべ、それからそこらにある荒れ寺の境内でさんざん遊び、それから午後三時ごろになって、二人は帰途についた。 秋の日は、六時頃にはもうとっぷり暮れるので、午後三時に頂上を出ると、麓へ出て町へはいるときは、町にも港にも灯がいっぱいついているはず、すこし山の上で遊びすぎておそくなった。 そこで二人は、競走をして、山を下りることにした。 カンヌキ山を下りて、芝原水源地に近くなったところに、渓流にうつくしい滝がかっているところがある。この滝の名は、イコマの滝というんだそうだ。文字はたぶん生駒の滝と書くのであろう。 カンヌキ山から出ている下り道が二つあった。東道と西道だ。この二つの道は、生駒の滝のすこし手前で出会い、いっしょになる。そこで春木少年と牛丸少年は、べつべつの道をとってどっちが早く生駒の滝につくか、その滝の前で出会う約束で、競走をはじめたのだった。 「ぼくは、だんぜん東道の方が早いと思うね。ぼくは東道ときめた」牛丸少年はそういった。 「そうかなあ。じゃあ、ぼくは西道をかけ下りて、君より早く、滝の前についてみせる」 春木少年は、牛丸が東道をえらんだものだから、やむなく西道を下りることにしたのだった。この決定が、春木少年を例の事件にぶつからせることになった。もしこの時反対に、牛丸少年が西道をえらんだら、牛丸の方が怪事件にぶつかったことであろう。 二人は、一チ二イ三ンで、左右へ別れて、山を下りはじめた。 秋の日は、まだかんかん照っていた。しかしだいぶん低くなっていた。 春木少年の方は、口笛を吹きながら、手製の杖をふりまわしつつ、どんどん山を下りていった。すこし心細くないでもなかったが、ときどき山の端からはるか下界の海や町が見えるので、そのたびに彼は元気をとりもどした。 二時間ばかり後に、彼はついに生駒の滝の音が聞える近くにまで来た。 「さあ、ぼくの方が早いか。それとも牛丸君が勝ったか。なにしろ牛丸君は、この土地に生れた少年だから、山の勝手はよく知っている。だから、ぼくはかなわないや」 春木の方は、そういうわけで自信がなかった。 ところが、実際は春木の方が、ずっと先についたのであった。 牛丸少年の方は、途中で手間どっていた。というのは、東道では、途中で丸木橋が落ちていて、そのため彼は大まわりしなくてはならなかった。本当は、東道の方が近道だったのだけれど、思いがけない道路事故のため、牛丸は春木清よりも、三十分もおくれて現場につくことになったのだ。 そして三十分もおくれたことが、二人の少年の運命の上に、たいへんなちがいをもたらした。それは一体どういうことであったか。春木少年は、何事も知らず、生駒の滝の前へついて、 「しめた。ぼくの勝だ。牛丸君は、まだついていないじゃないか」 と、ひとりごとをいって、あたりを見まわした。滝は、大太鼓をたくさん一どきにならすように、どうどうとひびきをあげて落ちている。春木は帽子をぬいで、汗をぬぐった。紅葉や楓がうつくしい。 「おやッ」少年は目をみはった。 滝をすこし行きすぎた道の上に、誰か倒れているのであった。黒い洋服を着た男であった。 (どうしたのだろう) 様子がへんなので、清はおそるおそる、そのそばに近づいた。すると、いやなものが目にはいった。うつむいて倒れているその洋服男のかたく握りしめた両手が、まっ赤であった。血だ。血だ。 「死んでいるのか?」 少年が、青くなって、再び瞳をこらしたときに、洋服男の血まみれの手が少し動いて、土をひっかいた。
重傷の老人
「あ、あの人は生きているんだ」春木少年は叫んだ。 叫ぶと、そのあとは、おそろしさも何も忘れて、血染めの洋服男のそばにかけより、膝をついて、 「もしもし。しっかりなさい。どうしたのですか。どこをやられたのですか」と、呼びかけた。 そのとき少年は、この血染めの人が、かなりの老人であることを知った。顔に、髭がぼうぼうとはえ、黒い鳥打帽子がぬげていてむき出しになっている頭髪は、白毛ぞめがしてあって、一見黒いが、その根本のところはまっ白な白毛であった。鳥打帽子がぬげているそばには、茶色のガラスのはまった眼鏡が落ちていた。 老人は、苦しそうに顔をあげて、春木の方へ顔をねじ向けた。が、一目春木を見ただけで、がっくりと顔を地面に落とした。全身の力をあつめて、自分に声をかけた者が何者であるかをたしかめたという風であった。 老人は、うんうん呻りはじめた。 「しっかりして下さい。傷はどこですか」 と、春木はつづいて叫びながら老人を抱きおこした。 分った。老人の胸はまっ赤であった。地面におびただしく血が流れていた。傷は、弾丸によるものだった。左の頸のつけ根のところから弾丸がはいって、右の肺の上部を射ぬき、わきの下にぬけている重傷であったが、春木少年には、そこまではっきり見分ける力はなかった。しかし傷口があることは彼にもよく見えたので、そこを早くしばってあげなくてはならないと思った。 しばるものがない。繃帯があればいいんだが、そんなものは持合わせがない。 どうしようか。そうだ。こうなれば服の下に着ているシャツと、それから手拭とを利用するほかない。春木少年は実行家だったから、そう決心するとまず老人を元のようにねかし、それから急いで服をぬぎすて、縞のシャツをぬぐと、それをベリベリと破って長いきれをこしらえ、端と端とつなぎあわせた。手拭もひきさいて、それにつないだ。 「これでよし。さあ出来た。おじさん、しっかりなさい。傷口に仮りの繃帯をしてあげますからね」 そういって春木は、再び老人を抱きおこして、上向きにした。 老人は口から、赤いものをはき出した。胸をやられているからなのだ。少年は、絶望の心をおさえ、老人をしきりにはげましながら、傷口をぐるぐる巻いてやった。 その間に、老人は苦しそうにあえぎながら、目をあけたり、しめたりしていたが、少年がしてくれた傷の手当がすんで、しずかに地面にねかされたとき、 「あ、ありがとう。か、神の御子よ……」 と、しわがれた聞きとれないほどの声で、春木少年に感謝した。そのとき老人ののどが、ごろごろと鳴って、口から赤い泡立ったものがだらだらと流れだした。 「ものをいっては、だめです。おじさんは、胸に傷をしているのですからね」老人は、かすかにうなずいた。 「さあ、これからどうしたらいいか。ぼく、山を下りて、誰かを呼んで来ますから、苦しいでしょうが、しばらくがまんしていて下さい」 そういって春木は、老人のそばから立ち上って、ふもとへ走ろうとしたが、そのとき、老人が一声高く叫んだ。 「お待ち」 「えッ」 「そばへ来てください」 「なんですか。そんなに口をきくと、また血が出ますよ」 春木は、老人のそばへ膝をついた。 「もう、もう、わしはだめだ。あんたの親切にお礼をしたいから、ぜひ受けて下さい。今、そのお礼の品物を出すから、ちょっと、横を向いて下され」 「お礼なんて、ぼくは、いいですよ。大したことはしないんだから」 「いや、わしはお礼をせずにはいられない。それにこのまま、わしが死んでしまえば、莫大なる富の所在を解く者がいなくなる。ぜひあんたにゆずりたい。あんたは、何という名前かの」 老人は、苦しそうにあえぎ、赤い泡をふき出しながら、少年に話しかける。その事柄は、真か偽かはっきりしないが、とにかく重大なことだ。 「ぼくは、春木清というのです」 「ハルキ・キヨシ。いい名前だな。ハルキ・キヨシ君に、わしは、わしの生命の次に大切にしていたものをゆずる。キヨシ君。すまんがわしをもう一度、うつ向けにしておくれ」 春木少年は、老人のいうとおりにした。 「キヨシ君。わしがいいというまで、ちょっと横を向いていておくれ」 老人は、へんなことをいった。しかし少年は、いわれるとおりにした。 老人は、ふるえる手を、自分の目のところへ持っていった。それから彼は、指先で右の目のところをもんでいた。そのうちに、老人の指先には、白い球がつまみあげられていた。卵大ではあるが、卵ではなく、一方に黒い斑点がついていた。 義眼であった。老人の右の目にはいっていた入れ目であった。 「さ。これをキヨシ君に進呈する」 老人は、気味のわるい贈物を、春木少年の方へさしだした。 なんということであろう。老人は気が変になったのであろうか。 春木少年は、まさか義眼とも思わず、それを卵か石かと思って受取った。
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >> 尾页
|