帆村の余興
帆村は、検事に礼をいって、卓上に並んでいる茶呑茶碗を一つを[#「茶呑茶碗を一つを」はママ]取上げ、温い番茶を一口啜った。 一座は大寺警部を中心に、トマトの栽培方法について、話に花を咲かせている。 そのとき帆村が、長谷戸検事に声をかけた。 「検事さん、この休憩時間に、僕にすこし訊問をやらせてくれませんか」 帆村は今までにない積極的な申出をした。 「訊問を? 一体誰に訊問をするんですか」 「とりあえず二人あるんです。一人は亡くなった主人の弟の亀之介氏。そのあとが芝山宇平という爺さんですがね」 「亀之介と芝山の二人をね」検事はちょっと首をかしげたが、やがて肯いた。 「いいでしょう。許可します。しかしここで訊問をして下さい」 「はい、承知しました。じゃあ皆さんの御座興に、僕がちょっと余興をやらせてもらいます」 帆村の申出に、一座には顔をしかめる者もあったが、長谷戸検事はすぐ警官を手招きして、亀之介をここへ連れてくるように命じた。 暫くすると、二階の居間を出た亀之介が、のっそりとこの広間へ入って来た。 「何の用ですか」 機嫌はよろしくない。 「お聞きしたいことがある。そこへ掛けて下さい。この帆村が訊きます」 検事は親切に帆村のために段取を整えてやった。亀之介は、椅子をこの前と同じく、窓の傍へ引張っていって腰を下ろした。そしてまだ先刻のままに窓枠のところに載っている灰皿へ、葉巻の灰を指先で叩いて落とした。しかし灰は、まだいくらも先についていなかった。 「簡単なことをお訊ねいたしますが」 と帆村は丁重に口を切った。 「昨夜この邸へお戻りになったとき、玄関の扉を開けてあなたをお入れしたのは、家政婦さんだったそうですね」 「そのとおり」 「家政婦さんはどんな服装をしていましたでしょうか」 「はははは」と亀之介が突然笑った。 「醜態でしたよ。上に錆色のコートを着、裾から太い二本の脚がにゅっと出ていました。そして当人は気がつかないらしいが、後から赤い腰紐が、ぶらんとぶら下って床に垂れているんです」 家政婦の寝呆け姿が目に見えるようであった。他の人々も、帆村の訊問に興味を持って耳を欹てる。喋り手はますます得意になって、 「よく見ればね、小林はコートの下に長襦袢を高くからげて、腰紐で結えていたんですよ。なぜそんなことをしているか。はははは、これが面白いんだ。僕はこの目でちゃんと見てやったですがね、小林の婆さん、年齢甲斐もなく、下に娘のような派手な長襦袢を着ているんですよ。しかもどうやら長襦袢の下はノー……いや、もう他人の話はその位にして置きましょう。恨まれるといやだから。はははは」 聴き手たちは、もっとその上の話を聞きたそうな顔であった。帆村は、それをくそ真面目な顔で、一々肯いていたが、そこでいった。 「なるほど。それからあなたはどうしなすったんですか」 「それから? それから僕は二階へ上って自分の部屋へ入り、ぐっすり寝ましたね」 「ああ、ちょっと。その間になにか、なさったことはありませんか」 「その間にですか? ありませんね、何にも……」 「お忘れになっているんでしょうね、あなたは家政婦に冷い水を大きなコップに一杯持ってくるようにお命じになった」 「ああ、そんなことですか」と、亀之介は歯牙にもかけないような顔をしたが、しかし彼の語調に狼狽の響きがあった。「ひどく酔っていたもんで、咽喉がからからなんです。ですから小林に水を貰って呑んだように思います」 「腰紐がぶら下っていることや、なまめかしい長襦袢のことはよく覚えていらっしゃるのに、水を貰って呑んだことは記憶がぼんやりしているのですね」 「それは皮肉ですか、こっちは正直に話をしているのに……」 「いや、あまり気にしないで下さい。そして家政婦が水を大きなコップに入れてくるまで、どこで待っていましたか?」 「二階へ上る階段の下です」 「お待ちになっている間、そこからどこへも動かれなかったんですか、例えば小林の後を追いかけて勝手元へ行ってみるとか、或いは又、小林の部屋へ入ってみるとか、そんなことはなかったですか」 「失敬なことをいい給うな。僕が――この邸の主人の弟が、なんであんな婆さんの後を追うんです。僕は色情狂ではない…………」 「いや、よく分りました。これで伺いたいことはすみました。どうぞお引取り下さい」 亀之介はなおもぷりぷり憤慨して、帆村を睨みつけていたが、やがて火の消えた葉巻煙草をぽんと絨毯の上に叩きつけると、すたすたと部屋を出ていった。監視の警官が、あわててその後を追いかけた。 「いかがです、余興の第一幕は……」帆村はにやりと笑って一座へ軽く会釈した。「もうすこし御辛抱を願って、第二幕を開くことにいたします。じゃあどうぞ、下男の芝山宇平をここへお連れ下さい」
宇平の苦悶
「帆村君がつっつくと、あの家政婦はだんだん色っぽくなって来るじゃないか。あれと亀之介と、これまでに何かあったんじゃないか」 長谷戸検事が大寺警部を見て笑った。 「まさか、そうじゃないでしょう。亀之介は女に不自由するような人じゃないですからね」 警部は、首を振った。 「しかし、あの兄にしてこの弟あり、ではないかねえ」 「兄は三津子のような若い美人を相手にしています、弟だって三津子ぐらいのところならいいでしょうが、まさかあの大年増の尻を追うことはないでしょう」 「まあ、もうすこし帆村君の演出を拝見していよう」 「そんなことよりも、ピストルの方を早く片づけたいものですがねえ」 「だから、今土居三津子がここへ来るじゃないか」 そこへ芝山宇平が巡査に連れられておずおずと入って来た。そして亀之介がさっきまで座っていた椅子に腰を下ろした。 「へえ、何の御用でがすか」 ぺこんと頭を下げる。五十歳をちょっと過ぎたというが、五分ぐらいに刈った短い頭髪が、額の両側のところですこし薄くなっている。血色のいい顔、大きな体の持主だ。 「これは特別に君の耳に入れて置くんですがねえ」と帆村が手帳を拡げて、仔細あり気に芝山の顔を見た。 「実は、ピストルが見つかったんです、一発だけ撃ってあるピストルがねえ」 「はあ。わしはピストルは見たこともねえでがす」 「いや、君のことじゃない。……そのピストルが隠してあったところが、ちょっと問題なんだがねえ。はっきりいうと、それは家政婦の小林さんの部屋なんだ」 「えっ、……」 明らかに芝山は衝動を受けた様子。 「小林さんの部屋を入って右手に二畳の間がある。そこに茶箪笥があって、その上に花活が載っている。花は活けてない。水も殆んど入っていない。その花活の中に問題のピストルが、銃口を下にして隠してあったんだ。いいですか」 「へえへえ」 芝山の眼は落着を失った。 「さあ、そこであなたに特に知らせて置くわけだが、そのピストルは小林さんが使って主人を撃ち殺し、そのあとで自分の部屋の花活の中に隠した――という嫌疑が小林さんに懸っているんだ」 「それは人違いです。おトメさんはそんな大それたことをするような女じゃあない」 芝山は躍気になって否定した。 「だが、小林さんには、その嫌疑を否定する証拠がないんだ。つまり、自分がそのピストルを使わなかったことを証明することが出来ないんだ。また自分がピストルをその夜花活に隠さなかったことも証明できない。小林さんは今、あっちの部屋で気が変になったようになっている」 「残酷だ。おトメさんは人殺しをするような女じゃないです。そんな調べは間違っている」 「だがねえ宇平さん。そうでないという証拠が出て来ないのだよ。或いは小林さんの不運かも知れないが、証拠がないことには、小林さんは殺人容疑者として引かれることになるがね」 「それじゃ天道さまというものがありませんよ。おトメさんが人殺しをしないということは、わしが証人に立ちます」 「どういうことをいって証人に立ちます」 「日頃からよく交際っているが、決してそんな大それたことをする女じゃないと――」 「それだけでは役に立たない。もっとはっきりと証拠をあなたが出さないと駄目ですよ。例えばね、小林さんが部屋を出ていった留守に、或る男が入って来て、そっと上にあがり、花活の中にピストルを入れて、それからまたそっと出て行った。それをあなたがちゃんと見ていた――という風な証言が要るんだ」 「ははァ……」 「或いは又、あの晩、この邸へ来て主人を訪ねた土居三津子という若い女の客が、主人に送られて玄関から出て行った時刻――それは多分正十一時頃らしいが、小林さんがそのすこし前から始まって午前零時半頃までのこの一時間半[#「一時間半」は底本では「一時半」]ばかりの間、決して主人のところへ行って彼を殺さなかったという証明が出来てもいいんです。これにもいろいろの場合があるが、例えばですね、その一時間半に亙って、小林さんは自分の部屋から一歩も外へ出なかったということを、あなたが証明出来るなら、小林さんは晴天白日の身の上になれるんです。どうですか芝山さん」 帆村のこの言葉は、芝山宇平を痛烈に突き刺したようであった。芝山は、いきなり腕を前に振ると、頭を両腕の中に抱えて俯伏した。そしてなかなか顔をあげなかった。 このとき一座の視線は、この芝山と帆村とに集っていた。 やや暫く経って、芝山は顔をあげた。真赤な顔をしていた。 「どうか、おトメさんに会わせて下さい」 彼は切ない声でいった。 「小林さんは重大なる容疑者になっているから、今君を会わせることは出来ないですよ」 「そうですか」力なく彼は肯いた。 「じゃあもう仕様がない。何もかも申上げます。実はわしは昨夜十一時から今朝まで、おトメさんの部屋にいました。だからおトメさんが、今あなたが仰有った十一時から一時間半は、あの部屋から一寸も出たことがないのです。つまり、おトメさんの部屋で、わしがおトメさんの横に寝ていましたから……」 芝山は遂にたいへんな[#「たいへんな」は底本では「たいへん」]ことを告白した。
意外又意外
「すると、君は昨日夕方自宅へ帰って自宅に朝まで寝ていたというのは一体どうしたんですか」 と、帆村は冷然として芝山に訊問を続ける。 「あれはわしが家内にそういって、嘘をいわせたんです。でないと、わしは御主人殺しの関係者と睨まれて、うちはたいへんなことになるから、わしは自宅に居たことにするんだぞと家内を説き伏せたわけです」 「それを妻君にいったのはいつですか」 「今朝のことです。旦那様がいけないと分ってから後で、ちょっと家へ帰って参ったんです」 芝山の言葉つきが、始めは爺むさくそして要点の話になるとすっかりすっきりした言葉になることを、帆村は興深く聞きとめていた。それは兎に角、これで芝山宇平と小林トメとの秘密な情交関係が分ってしまった。芝山は小林を救うために、小林のアリバイを証明しなければならなくなったのだ。そのために五十男は全身びっしょり汗をかいて告白をしたが、小林トメはまだそんな秘事が洩れたとは知らないで居る。それと分ったときに、この家政婦は一体どんな顔をすることであろうか。 「君は、花活にピストルを入れに来た人間を見なかったのですか」 帆村は、さっきもちょっと口にしたことを表立った問題として訊いた。 「いいえ、見ませんでした」 芝山は否定した。 「君は、亀之介氏が帰って来たのを知っていますか」 「はい、存じて居ります」 「亀之介氏は、階段の下で、小林さんに冷い水を大きなコップに入れて持って来いと命じたが、その声を聞かなかったですか」 「はい、確かに聞きました。わしはおトメさんの蒲団の中にいながら、外の方に聞き耳を立てていましたから、それを確かに聞いたです。そしてそのあとおトメさんが勝手元の方へ行った様子ですから、これはあぶないぞと思いました」 「なるほど。それで……」 「それでわしは、すぐ蒲団から出るとわしの枕を抱えて、押入れの中に逃げこみました。そして蚊帳を頭から引被って、外の様子に聞耳を立てていました」 「すると、どうしました」 「すると、誰かが戸を開いて、部屋へ入って来た様子です。それはおトメさんではない。おトメさんなら、すぐわしを呼ぶ筈です。何しろ蒲団の中にわしの姿がないんですからなあ。……ところが、入って来た者は、何にも声をかけないのです。しばらく部屋の中を歩き廻っているらしかったが、そのうちがちゃんと音がしました。瀬戸物の音です。瀬戸物に何かあたる音でしたがなあ、確かに聞いたのですよ」 「どの辺りにその音がしましたか。花活のある辺りではなかったでしょうか」 「そうかもしれません。いや、確かにその方角でした。……それから間もなくその人は部屋を出ていきました」 「結局その謎の人物は何分ぐらい部屋にいたことになりますか」 「さあ、どの位でしょう。気の咎めるわしにはずいぶん永い時間のように感じましたが、本当は三十秒か四十秒か、とにかく一分とかからなかったと思います」 「その者が部屋を出て行く時、君はその者の顔か姿を見なかったのですか」 「いいえ、どうしまして。わしはもう小さくなっていました。それからしばらくして、外に――階段の下あたりに、おトメさんの声がしました。それから暫くたって、今度はおトメさんが本当に部屋に入って来たらしく、入口に錠を下ろし、それから上へ上ってから、『おやお前さん、どこへ隠れてんのさ』といいました。そこでわしは、枕を抱えて押入れから出ました。おトメさんはおかしそうに笑っていました」 「もうよろしい、そのへんで……」 と、帆村は芝山の陳述を押し止めた。そして一先ず元の部屋へ引取らせた。 芝山が退場すると、長谷戸検事以下の全員が帆村探偵の方を向いて、破顔爆笑した。芝山に小林との情事をぶちまけさせたのが、面白かったのであろう。帆村はわざとしかつめらしい顔で一同の方にお辞儀をした。 そして口上を述べた。 「今ごらんに入れたのが第二幕でございました」 検事がにこにこ顔で、軽く拍手した。検事の屈託のない人柄を、帆村は以前から尊敬していたので、もう一つお辞儀をした。 「帆村君の見せてくれるものは、これで終ったのかね」 と大寺警部が聞いた。警部もいつになく弛んだ顔をしている。 すると帆村が、警部の方へ向いていった。 「いや、まだ第三幕以下がございます。しかし第三幕は、僕が出しません。そのうちに他の人が、その幕を揚げてくれる筈でございます。暫くどうぞお待ち下さい」 そういっているとき、奥から警官が急いで入って来た。 「只今、裁判医の古堀博士からお電話でございまして、旗田鶴彌の解剖は終りましたそうで……」それから警官はメモの紙片の上を見ながら「旗田鶴彌の死亡時間は午後十一時三十分前後で死因はピストルの弾丸ではなくて、心臓麻痺だそうです。詳しいことは、明日報告するといわれました。おわり」 旗田鶴彌の死因は、ピストルの弾丸ではなくて、心臓麻痺だ――と古堀裁判医がいったというのだ。 「そ、そんなことがあるものか」 と、大寺警部は腹立たしげに叫んだ。 「ふしぎだ、ふしぎだ」 と、長谷戸検事も俄かに信じかねている様子だった。他の係官も、事の意外に呆然としている。只、帆村荘六だけが、にやりと笑って、シガレット・ケースを出して、しずかに指先にその一本を抜きながら、 「第三幕です。これが第三幕です」 と、呟くようにいった。
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