奇妙な錠前
「昨夜の九時五分に、君は主人の居間へ夜食を持って行った、と君はいった。それから今朝になって主人の死が発見されるまで、君はどうしていたか」 長谷戸検事の訊問が、家政婦小林トメに再び向けられた。 「はい」 小林トメは返事をしただけで、下を向いて後を続けない。 「どうしたんだ、昨夜の九時五分以後は……」 「はい。私は自分の部屋へ引取りまして、そして睡りましてございます。あのウ……」 家政婦は途中でいい淀んだ。 「隠さないで、はっきりいわなきゃいけないね。たとえ誰に迷惑が懸りそうなことであっても」 「はい」家政婦は検事の言葉にぴくりと肩を動かしてから「あのウ、旦那様の弟御さまの亀之介さまが二時にお帰りになりまして、玄関のベルをお押しになりました。そのときだけ私は起き出しまして、亀之介さまを家へお入れいたしました。その後は又寝床に入りまして朝までぐっすり寝込みましてございます」 「それから……」 「それから朝になりまして、五時半に起きましていつものように朝食の用意にかかりましてございます。すると誰か入って来まして声を私にかけた者がございます。見ますと、それが……それが例の娘さんなのでございました」 「ふん、土居三津子だったのか」 「はい」 「それは何時かね」 「六時過ぎだと思いますが、正確には憶えて居りません」 「土居三津子は、君に何といったか」 「昨夜ハンドバグを御主人の部屋に置き忘れて帰ったので、それを返してもらいたいと仰有いました」 「土居三津子がはっきりそういったのだね、昨夜主人に会ったことも、自分が主人の居間へ通ったことも認めたんだね」 「さようでございます」 「で、君はどういったのか」 「それはお気の毒ですが、旦那さまは只今おやすみ中ですから、お目覚めになるまでお待ちになって下さいと申上げました」 「ふむ。すると……」 「すると娘さんは、すぐ戻して欲しいのだが、鍵で扉をあけて居間へ入れてくれといいました。もちろん私はそれを断りました。居間の扉を開く鍵は私が持って居りませんので」 「娘はどうしたかね」 「では仕方がないから、御主人がお起きになるまで待たせて下さいといいました。私はそれではどうぞ御随意にと申して、あとは私の仕事にかかりました」 「それから……」 「それから……そのうちに芝山宇平さん――爺やさんです――芝山が出て来る、お手伝いのお末さんが出て来るで、賑やかになりましたが、そのうちに爺やさんが、どうも旦那さまの居間がおかしいぞということになり、それから……」 「ちょっと待った、それからのことは大寺警部に話したとおりだろうから、よろしい。ところで、ちょっと腑に落ちないことがあるんだ、小林さん」 検事はそういって、家政婦の顔をじっと見詰めた。家政婦はこのとき不用意に検事と視線を合わせたが、慌てて目を下に伏せた。 「例の娘が、昨夜この邸へ来たことを自分で告白しているが、君はそのことについて何にも述べていないね。つまり何時来て、何時帰ったとかいうことを述べていないじゃないか。これはどうしたのかね」 検事からそういわれたとき、家政婦の面が急に和らいだ。 「それは私が全く存じないことでございました。娘さんが、昨夜来たと仰有ったので、始めて知りましたようなわけで……何しろ私が玄関の錠を外しませんでも、その娘さんは玄関を開けて入って来る方法をご存じなんでございます、現に今朝も私の傍へ来て愕ろかせましたが、そのときも娘さんは同じ方法で勝手に入って来たんでございますよ」 家政婦は意外なことをべらべらと喋った。 「それは一体どういうわけだい」 と、検事もこれには目をぱちくりとやった。 「さあ、私は少しも存じませんでございます。そのことは旦那さまにお聞き下さるか、その娘さんが正直に申すようならその娘さんにお聞きになれば分ると思います」 そういった家政婦の表情には、意味ありげな笑いさえ浮んでいた。彼女が始めて見せる笑いの表情だった。 検事は大きく目玉を動かして、大寺警部の方を見た。警部はさっきから退屈げに煙草をふかし続けていたわけであるが、このとき椅子の上に腰を揺り直して、 「検事さん。土居三津子は昨夜九時三十分頃この邸へ来て、そして十一時にこの邸を出ていったと申立てています。この間、実に一時間半です。そこに冷くなっていた先生も仲々大した手際ですよ」 といった。 「ふうん、十一時に帰ったというんだね」 検事は家政婦の方へ向いて「ねえ小林君。その娘は、十一時にこの邸を出ていったそうだが、そのとき娘は一旦外へ出てから扉に鍵をかけることが出来るのかね」 「いいえ、それは出来ませんです。……私ははっきりしたことを存じませんですけれど」 「だが、君はそれだけ知っているじゃないか、外から玄関を明ける方法のあること、内から外へ出るときは内側から錠を下ろさねばならないこと。それだけ知っているんなら、その方法を知らない筈はない」 「いいえ、私は誓って申します。そんなからくりは存じません」 「じゃあ、さっきいったことを知っているのは、どうしたわけだ」 「はい、それは……」家政婦は苦しそうに目を瞬いて「実は、私が旦那様に内緒で、奥から隙見して居りますと、ちゃんと外から女が入って参りますし、またその女が帰るときは旦那様が玄関までお送りになって錠を開いて女をお出しになり、それから旦那様が錠をおかけになりました。一度私は、女が旦那様の居間へ入りました直後に、玄関の扉の把手に手をかけて、開くかどうか験してみましてございますが、それは駄目でございました。開きませんでございました、はい」 「おいおトメさん。じゃあお前は、あの土居三津子がこの邸へ入って来るところも、出て行くところも見て知っていたんだな」 と、大寺警部が立腹して怒鳴った。 「いいえ、いいえ。私が見ましたのは昨夜のことではなく、あの娘さんのことではございません。もっと前のこと、そして外の女のことでございました。昨夜のことは全く存じません」 家政婦は小さくなって激しく弁解した。 すると検事が、また口を開いた。 「玄関の扉にそういう仕掛があるとしたら、主人の弟の亀之介は、いつでも外から自分で扉を開いて邸の中へ入って来られるわけだね。そうじゃあないか」 「いえいえ、旦那様は弟御さまに、そんな秘密な扉のあけ方をお教えになっていませんのでございます。というのは、旦那様は弟御さまを……」 と、そこまでいったとき、突然そこへ大声をあげて入って来た姿のいい紳士があった。 「やあお呼び下っていたのに、とんだ失礼を。すっかり寝坊をしてしまって、何から何まで申訳ないことばかり……僕が亀之介です。小林にはどうも評判のよろしくない人物です。どうぞよろしく」 彼はそういって、検事の前まで割りこんでいって、 「ああ、私はここで煙草を吸っていて、さしつかえありませんでしょうか」 と、葉巻をきざな恰好で指で摘んで、検察官たちをぐるぐるっと見渡したものである。
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