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ゴールデン・バット事件(ゴールデン・バットじけん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-24 16:14:20 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     5


 外へ出ると、もう街はとっぷり暮れていた。こころよい微風が、どこからともなく追駈けてきて、あごのあたりをくすぐるように撫でていった。
 私たちは橋の上に来た。その橋を渡れば、すぐカフェ・ゴールデンバットの入口があった。
 このとき帆村は、ツカツカと橋の欄干らんかんの方へ近づいていった。そこで彼はポケットを探っているようであったが、キャラメルのはこ二つ位の大きさの白い紙包みをとり出した。どうするのかと見ていると、ッという間もなく、その紙包みは帆村の手を離れて、川の水面に落ちていった。帆村はパタパタと両方のてのひらを打ち合わせて、なにかをしきりに払っていた。
 その夜のカフェ・ゴールデン・バットはよいの口だというのに、もう大入満員だった。私達はやっと片隅に小さい卓子テーブルを見付けることが出来た。
「ああら、いらっしゃい」
 そういって通りすぎたのは、チェリーだった。カクテルの盃を高くささげて、急ぎ足に通りすぎた。背後うしろから眺めるとワン・ピースが、はちきれそうにひきしまって、彼女の肉体があらわにいて見えそうだった。
「ありゃチェリーさんだネ」
「うん」
「暫く見ない間に、大変肉づきが発達したじゃないか。まるで別人のようだ」
「そうだネ」私は或ることを思い浮かべて、胸の締めつけられるのを覚えた。
「まあ、いらっしゃいませ」そこへ君江がやって来た。「先刻さっきはどうも……」
 君江が帆村にそういって挨拶をした。オヤオヤと思って私は帆村の顔を見た。
「む――」帆村は白っぱくれて、ホープの煙幕えんまくの蔭に隠れていた。
 注文をきいて、君江が向うへゆくのを待ちかねて私は口を切った。
「今のはどういう訳なんだ、『先刻はどうも』というのは」
 帆村はニヤリと笑って、灰皿に短くなったホープを突きこんだ。
「君は覚えているだろう」と彼は声をとして云った。「あのきんという惨死ざんし青年が或る中毒にかかっていたことを」
「ひどいモルヒネ中毒だというんだろう」
「そうだ。屍体解剖の結果、それは十分に証明されたが、しかしあのモルヒネ中毒は彼の直接死因でないことが証明された」
 帆村は、そこで又一本のホープをつまみあげた。
「ところが、あの金が如何なる手段でモヒを用いていたか、それについては一向解らなかったのだ。僕はそれを解くのに大分苦心をして、とうとう神戸へ出掛けるようなことになったのだ。しかし僕はついにその手段を見つけることが出来た。発見のヒントは、金の部屋を探したときにつかんだものだった。それは灰皿の内容物からだった」
「うむ」
「あのとき、君も知っているだろうが、灰皿の中には、燐寸マッチの燃え屑と、煙草の灰ばかりがあって、煙草の吸殻が一つも見当らなかったことを。あれが最初のヒントなのだ。およそ吸殻すいがらのない吸い方をするということは、普通の吸い方ではない。それは愛煙家のうちでも、最も特異な吸い方なのだ。火のついた巻煙草がだんだんと短くなってお仕舞いになるとやにくさくなる。これは決して美味おいしいところではない。それを大事に最後まで吸いつくすところに、僕は疑問をはさんだのだ。――そこで僕は、或る一つの仮定を置いた。仮定を置いただけでは十分ではない。僕はその仮定を確めるために、神戸の波止場はとば仲仕なかしを働きながら、不思議な秘密の楽しみをもっている人達の中を探しまわったのだ。そして遂に私の仮定が、或る程度まで正鵠せいこくを射ていることを確めた。しかしその上で、なお実際的証人を得る必要があったのだ。それで僕は急遽きゅうきょ東京へ引返した。そして第一番に逢って話をしたのがあの君江なのだ」
 帆村はそこでまたホープをうまそうにった。
「君江というと、彼女は金の情婦じょうふとして有名だった時代がある。私は一本くぎをさして置いた上でたずねてみた。『君はあのうまい煙草の作り方を、死んだ金から教わったのだろう』と」
「なに、うまい煙草というと?」
「そうなのだ。うまい煙草のことをかれて彼女はハッと顔色をかえたが、もう仕方がないのだ。先にさして置いた私の釘は、どうしても彼女の告白を期待していいことになっていたのだ。『ええ、そうですわ』とついに君江は答えた。そこで私は云った。『煙草にあの白い粉薬こなぐすりを載せて火をける。それでいいのだろう』君江は黙ってうなずいた」
「そりゃ、どういうわけだい」
「なーに、これはあの劇薬げきやくを煙草にませて喫う方法なのだよ。鴉片あへん中毒者はモヒ剤だけを吸うが、われわれの場合は、ほんの僅かのモヒ剤を煙草にぜて吸うのだよ」
「その方法は?」
「それはくわしく云うことをはばかるがネ、とにかくその薬の入った巻煙草――あの場合ではゴールデン・バットだが、そのバットの切口きりぐちのところは、一度火をけて直ぐ消したようになっているのだ。金のやつは、こうした仕掛けのある煙草を吸っていた」
「そりゃ、うまいのだろうか」
「モルヒネ剤特有の蠱惑こわくにみちた快味かいみがあるというわけさ。ところが金という男は頭がよかったと見えて、それを自分だけに止めず、ゴールデン・バットの女たちにひそかに喫わせたのだ。女たちは、真逆まさかそんな仕掛けのある煙草とは知らず、つい喫ってしまったが、大変いい気持になれた。それでうかうか何本も貰って喫っているうちに、とうとうモヒ中毒にかかってしまった。さアそうなると、今度はどうしてもまなければ苦しくてならない。仕舞しまいには、あの仕掛けのある煙草のことを感づいたのだろうが、そのときはどうにもならないところへ達していた。女たちは金に殺到さっとうして、そのゴールデン・バットを強要した。金としては思うつぼだったろう。バット一本の懸け引きで、気に入った女たちを自由に奔弄ほんろうしていったのだ」
「そうだったか――」私は深い嘆息たんそくと共に、あの死んだ金が素晴らしくもてていた其の頃の情景をハッキリ思い出した。
「これは君江から、すっかりいてしまったことなのだよ。君江が一時、狂暴になったことがあったネ。あれは金が寵愛ちょうあいをチェリーに移し始めた頃だったんだ。君江はそれを愚図愚図ぐずぐず云ったものだから、金はおこって、それじゃお前には今までのように薬をやらないぞといって、薬の制限で君江を黙らせようとしたのだ。君江は他の女よりすこし分量を多く貰っていた。それは金が彼女を強烈に興奮させて置いて、自分の慾情をそそろうとしたためだった。ところがその分量を減らされたために、君江はああして金に喰ってかかったのだ」
「ああ、するともしや……」と私は口に出しかけたが、気をかえて、「一体あのモヒ剤はどこから金が手に入れていたのかい」
「それが問題だったが、これも神戸で調べあげた。あれは某方面から密輸入をしたヘロインだったんだ。金はそれを手に入れたときに、あの用い方も一緒に教わったものらしい」
「では、相当貯蔵していたんだネ。でも金の部屋から、そんなものが出て来た話を聞かなかったじゃないか」
「そうだ。そこに面白い問題があるんだよ」と帆村はいかにも愉快そうに微笑ほほえんだ。「いまにだんだん判ってくるから」
 そこへ君江がビールをはこんできた。
「どうも済みません。今夜は御覧のとおりの大入おおいりで、うまく廻らないんですよ。まあどうでしょう。こんなに忙しいことは、このゴールデン・バットが出来て初めてのことなのよ」そういって君江は、白い指を※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみにあてた。
「君たちのサービスが良すぎるせいだろう」と帆村は揶揄からかった。
「どうですか――」と、君江はビール壜をとりあげて、帆村の洋盃コップに白い泡をぎこんだ。
 丁度ちょうどそのとき、入口に置いた棕櫚しゅろの葉蔭から、一人の男がこっちをのぞいたように思った。チラと見たばかりで誰とも最初は思い出せなかったが、そのうち君江のところへ来た初顔の女が、
「オーさんよ」
 と小さい声で云ったのが聞えた。それで丘田医師が、このゴールデン・バットへりこんで来たことに気がついた。

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