Qの興奮
「文福茶釜が綱から落ちてこわれたのはどういう事情でしょう。あれは博士が何か器械をつかって茶釜を落としたといううわさもありますがね」 「そのとおり、博士、いやわしは、見物席にまじっていて、Qの運動の自由をうばう特殊電波を茶釜にむけて発射した。そこで茶釜は落ち、こわれてしまったというわけ。わしはあんなあやしげな見世物を、一日も早くなくしてしまわないといけないと思って、思いきってそれをやったのだ」 「あなたが、その場からお逃げになったのはどういうわけです。逃げなければならない理由はないと思いますがね」 「なあに、あの場でわあわあさわがれるのがいやだったからだ。それにわしは――わたしはぼろ服をまとって変装していたのでね。新聞記者にでもつかまれば、いいネタにされてしまうから、こいつは逃げるにかぎると思って逃げたんだ」 博士の説明は、水を流すように、よどみがなかった。 「まあ、それで――茶釜がこわれたので、Qは解放されて、自由に動きまわれるようになったのですね」 「そのとおりだ。それでマネキン人形をつけて、それをあやつるようになったんだが、その途中Qは、じぶんのからだの一部分が欠けていることに気がつき、それを一生けんめいにさがしてあるいた形跡がある。そこにいる蜂矢君のところへも、Qはおしかけたようだ。そうではなかったかね、蜂矢十六先生」 さっきから蜂矢十六は、検事と博士を底辺の二頂点とする等辺三角形の頂点の位置に腰をかけて、からだをかたくして聞いていたが、とつぜん博士に呼びかけられて、はっとわれにかえった。 「ああ、そんなこともありました。博士のおっしゃるとおりです」 博士はまんぞくそうにうなずいた。 「なぜ、Qはここから逃げ出したのでしょうか、ここにいれば一等安全でもあり、おもしろい目にもあえるし、博士からもかわいがられたでしょうに。どうしてでしょうか」 と、長戸検事は、博士が息つくひまもないほど、すぐさま質問の矢をはなった。もうあと一分間ばかりで、約束の時間がきれる。 「それはきみ、すこしちがっているよ。Qはここにおられなくなったんだ。かれは殺人をやって、ひどく興奮したんだ。その殺人は、かれが計画したものではなく、ぐうぜん、若い女を殺してしまったので、かれの興奮は二重になった。そこへ警官がのりこんでくるし、かれはいよいよあわてた、かれは生きものなんだから、そのように興奮したり、あわてたりするのは、あたりまえだ。そうだろう」 「ごもっともなご意見です」 「かれはね、Qとして生命をえて、うれしくてならない。第二研究室の中で、ひとりぴんぴんとびまわっていたのだ。このときわしは二つの失策をしている。一つは、Qがそんなに活動的になっていることを知らなかったんだ。まだまだ、クモがはうぐらいのものだと思っていた。ところが実際は、Qは三次元空間を音よりも早くとびまわることができたんだ」 「なるほどなあ」 「よろしいか。それから二つには、わしはうっかりしていて、かれQがかぎ穴から抜け出せるほど小さくて細長いからだを持っていることを考えずにいたんだ。だから、ある夜、Qはかぎ穴から外に広い空間があることに気がつき、かぎ穴から抜け出したのだ。つぎの室にはわしがいたが、ちょうど文献を読むことに夢中になっていたので、Qはそのうしろを抜けて、戸のすき間から廊下へ抜け出した。わかるだろう」 「ええ、よくわかりますとも」 「それからお三根さんの部屋へはいりこんだ。めずらしい部屋なので、Qはよろこんで踊りまわっていると、お三根が寝床から起きあがった。水を飲みに行くつもりか、かわやへ用があったのか、とにかく起きあがったところへ、Qがとんでいってお三根ののどにさわった。Qのからだはかみそりの刃のようにするどいので、お三根ののどにふれると、さっと頸動脈を切ってしまったのだ。思いがけなく、Qは人間の死ぬところを見て興奮した。そして、朱にそまって死んでいくお三根のまわりを、なおもとびまわったので、お三根のからだのほうぼうを傷つけた。どうだ。わかるかね」 「よくわかります。それだけよくごぞんじだったのに、あなたはなぜはじめに、そのことをわれわれに説明してくださらなかったのですか」 「おお……」 と、博士はうめいた。 「これは最近になって、わしがつけた結論なんだ。事件当時には、わしもあわてていて、なにも判定することができなかったんだ」 博士の話は、なかなか鋭いところをついていた。思いがけない殺人に、みずから興奮してあわてたQは、お三根の部屋でうろうろしているうちに、すっかり疲れてふとんのすそに眠ってしまったところを、川内警部がぎゅうと踏みつけたので、Qはおどろいて目をさまし、とびあがった。そのときかみそりのように鋭いQが、警部の左の足首にさわったので、さっと斬ってしまったのだ。 Qはいよいよおどろき、戸口から廊下へとび出し、もとの研究室へひきかえした。そのとき田口警官が、廊下をこっちへやってくるのとすれちがった。すれちがうとたんに、Qは田口の右ほおにさわって斬ってしまった。 そこでQはますますあわて、その建物から外へとびだした。そうして人に拾われるようなことになったのだ。 と、博士は見ていたように、話をしたのである。 その話の間に、約束の時間は過ぎてしまった。だが博士は、それに気がつかないのか、しゃべりつづけた。興奮の色さえ見せて、かたりつづけたのであった。
大団円
「おどろきました、感じいりました」 と、長戸検事は厳粛な顔になっていった。 「あなたはどうしてそこまで、おわかりになったのでしょう。Qをお作りになったのは、あなたであるにしても、Qの行動をそこまでくわしく知る方法とか器械があるのでしょうか」 博士は、はっとしたようすだった。きゅうにふきげんになった。そして腕時計を見た。 「おお、もう約束の十五分間は過ぎている。会見は終りにします。これ以上、なにもしゃべれません。さあみなさん、出ていってもらいましょう。はじめからの約束ですから」 だんだんと語勢を強くして、博士は手をあげ、戸口を指した。 「わたしのいまの質問は、いちばん重要なものですから、きょうの会見のさいごに、それだけはお答えください」 検事は、くいさがる。 「おたがいに約束は守りましょう。さあ、いそいで帰ってください」 と、博士は、ますますこわい顔つきになって、検事をにらみすえた。 「まあ、もうしばらく待ってください。博士、もしあなたがこの答えをなさらないと、あなたは不利な立場におかれますが、かまいませんか」 「答えることはしない。何者といえども、わしの仕事をじゃますることをゆるさない。じゃまをする者があれば、わしは実力を持って容赦なくその者を、外へたたき出すばかりだ」 博士の全身に、気味のわるい身ぶるいが起こった。 蜂矢十六は、このとき検事のうしろに、ぴたりと寄りそって、なにごとかを検事に耳うちした。それを聞くと検事は夢からさめたような顔になって、うなずいた。検事は、博士に向かって、ていねいに頭をさげた。 「たいへん失礼をしました。おゆるしください。それでは、わたしどもはこれでおいとまいたします。また明日、五分間ほどわれわれに会っていただきたいと思いますが、いかがですか」 「ばかな。もう二度ときみたちの顔を見たくない。早く出ていくんだ」 「ああ、たった五分間です。それも博士のご都合のよろしい時刻をいっていただきます」 「いやだ。帰りたまえ」 「すると明日はご都合がわるいのですかな。どこかお出かけになりますか」 「よけいなことを聞くな」 「では、明後日にどうぞお願いします」 「じゃ、明日会うことにしよう。午後二時から五分間、時刻と面会時間は厳守だ」 とつぜん博士が態度をかえて、いったんことわった明日の会見を約束した。検事はほっとした。 博士もなんとなくなごやかな顔にもどった。 「では、失礼しましょうや、長戸さん」 蜂矢がうながした。博士に一礼すると、カバンを抱えるようにして、戸口から外へでた。 さて、その翌日のことだったが、きのうとおなじ顔ぶれの長戸検事一行が、針目博士邸へ向かった。もちろんその中に蜂矢探偵もまじっていた。その蜂矢は、いつになく元気がなかった。 「おい、蜂矢君。どうしたんだ。元気をだすという約束だったじゃないか」 気になるとみえ、長戸検事は蜂矢のそばへ行って肩を抱えた。 蜂矢は苦笑した。 「どうもきょうは調子が出ないのです。ぼくだけ抜けさせてもらえませんか」 「それは困るね。ここまでいっしょにきたのに、いまきみに抜けられては、おおいに困るよ」 と、検事はいって、蜂矢の顔をのぞきこんだが、蜂矢はほんとうにすぐれない顔色をしているので、検事はきゅうに心配になって、 「うむ、蜂矢君。抜けていいよ。早く帰って寝たまえ。あとから医務官を君の家へさし向けてあげる」 といって、蜂矢が一行とはなれることをゆるした。そこで蜂矢はとちゅうからひきかえした。 ところが、検事一行が博士の門の手前、百メートルばかりのところまで近づいたとき、 「おーい、おーい」 と後から呼ぶ者があった。一同が振り返ってみると、いがいにも蜂矢が追いかけてくるのだった。 「どうした、蜂矢君」 蜂矢は息を切って、さっきかれひとりが抜けようとしたことをわびた。そしてかれのせつなる願いとして、午後二時五分過ぎまでは、ぜったいに博士邸に、はいらないことにしてくれといった。検事はおどろいて、その理由の説明を蜂矢にもとめた。 「なにも聞かないで、二時五分まで待ってください。なんにもなかったら、そのときはぼくはあなたがたにあやまってわけを話します」 検事は、蜂矢を笑おうとしたが、思いとどまった。そして部下たちとともに、博士邸の門から三十メートルほど手前の空地にはいって、休憩をとった。 おそるべき事件が、午後二時を数秒まわったときに発生した。 それは第二の爆発事件だった。天地のくずれるばかりの音がして、博士邸からはものすごい火柱が立った。もし一行が、博士に約束したとおり、その時刻、博士の研究室にはいっていたとしたら、どうであろう。長戸検事以下の警官たちも蜂矢十六も、一瞬にして貴重な生命をうばい去られたことだろう。 いったい何故に第二の爆発が起こったのであろうか。それは前回のものよりもはるかに強烈なるものであって、博士邸をまったく粉砕してしまったのをみても、そのはげしさがわかる。事件後焼跡に立った一同は、カッパのような顔色にならない者はなかった。 ふしぎにも針目博士はすがたをあらわさなかった(いや、その後も博士は引き続いて、すがたをあらわさないのだ)。前日より、いささか考えるところがあって、ひそかにこの邸のまわりに私服警官数名を配置し、博士の行動を監視させておいた。ところが、かれら監視当直の者の話では博士はずっと邸内にとどまっていたらしく、けっして外出しなかったそうである。 「蜂矢君。きみはどうしてこんどの爆発を予知したのかね」 検事は、うしろをふりかえって、生命を拾うきっかけを作ってくれた探偵にたずねた。 「わかりませんねえ。ただ、さっきはきゅうに気持が悪くなったんです。いまはなんともありません。これは一種の第六感ではないでしょうか」 「きみの第六感だとね。なるほど、そうかもしれない」 いつもならまっこうから、ひやかす長戸検事が、笑いもせず、そういってうなずいた。 「とにかくきみもぼくも、きのう博士をうさんくさい人物とにらんでいたことは、意見一致のようだね。そうだろう」 「そうです。かれこそ、怪金属Qにちがいありません。Qは、ほくが気絶している間に、本当の針目博士を殺し、そして博士の頭を切り開いて、じぶんがその中へはいりこみ、あとをたくみに電気縫合器かなにかで縫いつけ、ぼくが気がついたときにはすっかり、針目博士にばけていたのにちがいありません」 「そうだ。そうでなくては、われわれを呼びよせて、みな殺しにする必要はなかったはずだ。もし本当の博士だったとしたらね」 「本当の博士なら『わし』などとはいわず『わたし』というはずです。それから話のあいだに、博士であることをわすれて、Qが話しているような失策を二度か三度やりましたね」 「そうだった。そんなことから、Qはぼくたちを生かしておけないと考え、きゅうにきょうの午後二時かっきり、時刻厳守で会うなんていいだしたのだろう。どこまでわるがしこい奴だろう」 このとおり長戸検事と蜂矢探偵の意見はあったようだが、はたしうる一点はそのとおりかどうか、いま、にわかにはっきり断言はできない。 もしも万一、ふたりの説がほんとうで、怪金属Qが第二の爆発をのがれて、生命をまっとうしているとしたら、そのうちにきっと奇妙な事件がおこり、新聞やラジオの大きなニュースとして報道されるだろう。諸君は、それに細心の注意をはらっていなくてはならない。これは常識をこえたあやしい出来事だと思うものにぶつかったら、なにをおいても、検察当局へ急報するのが諸君の義務であると思う。 Qは、人間よりもすぐれた思考力と、そして惨酷な心とを持っているので、もしかれが生きていたなら、こんどはじめる仕事は、われわれの想像をこえた驚天動地の大事件であろうと思う。 ただに日本国内だけの出来事に注意するだけでなく、広く全世界、いや宇宙いっぱいにも注意力を向けていなくてはならない。 大魔力を持った人造生命の主人公Qこそ、小さい日本だけを舞台にして満足しているような、そんな小さなものではないのだから。
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