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妖術(ようじゅつ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-23 10:54:53 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



       二

 誰も知った通り、この三丁目、中橋なかばしなどは、とおりの中でもあい宿しゅくで、電車の出入ではいりが余り混雑せぬ。
 まった時、二人三人はほかにも降りたのがあったろう。けれども、女に気を取られてそれにはちっとも気がつかぬ。
 乗ったのは、どの口からも一帆一人。
 入るともう、直ぐにぐいと出る。
 ト前の硝子戸がらすどを外から開けて、その女が、何と!
 姿見から影を抜出ぬけだしたような風情で、引返して、車内へ入って来たろうではないか。
 そして、ぱっちりした、うるみのある、涼しい目を、心持俯目ふしめながら、大きく※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みひらいて、こっちに立った一帆の顔を、向うからじっと見た。
 見た、と思うと、今立ったもとの席が、それなり空いていたらしい。そこへ入って、ごたごたした乗客の中へ島田が隠れた。
 その女は、丈長たけなが掛けて、銀の平打のうしろざし、それしゃ生粋きっすいと見える服装みなりには似ない、お邸好やしきごのみの、鬢水びんみずもたらたらと漆のようにつややかな高島田で、ひどくそれが目に着いたので、くすんだお召縮緬めしちりめんも、なぜか紫の俤立おもかげだつ。
 いた処が一ツあったが、女の坐ったのと同一側おんなじがわで、一帆はちとあわただしいまで、急いで腰を落したが。
 胸、肩を揃えて、ひしと詰込んだ一列の乗客のりてに隠れて、内証で前へ乗出しても、もう女の爪先つまさきも見えなかったが、一目見られたひとみの力は、刻み込まれたか、と鮮麗あざやかに胸に描かれて、白木屋の店頭みせさきに、つつじが急流に燃ゆるような友染ゆうぜん長襦袢ながじゅばんのかかったのも、その女が向うへ飛んで、さかさにまた硝子越がらすごしに、扱帯しごきを解いた乱姿みだれすがたで、こちらを差覗さしのぞいているかと疑う。
 やがて、心着くと標示しるし萌黄もえぎで、この電車は浅草行。
 一帆がその住居すまいへ志すには、上野へ乗って、須田町あたりで乗換えなければならなかったに、つい本町の角をあれなり曲って、浅草橋へ出ても、まだうかうか。
 もっとも、わざととはなしに、一帳場ひとちょうばごとに気をけたが、女の下りた様子はない。
 で、そこまでくと、途中は厩橋うまやばし蔵前くらまえでも、駒形こまがたでも下りないで、きっと雷門まで、一緒にくように信じられた。
 何だろう、髪のかかりが芸者でない。が、つまはずれが堅気かたぎと見えぬ。――何だろう。
 とそんな事。……中に人の数をはさんだばかり、つい同じ車に居るものを、一年ひととせ、半年、立続けに、こんがらかった苦労でもした中のように種々いろいろな事を思う。また雲が濃く、大空に乱れ流れて、硝子窓がらすまどの薄暗くなって来たのさえ、しかとは心着かぬ。
 が、蔵前を通る、あの名代なだいの大煙突から、黒い山のように吹出す煙が、渦巻きかかって電車に崩るるか、と思うまですさまじく暗くなった。
 頸許えりもとがふと気になると、尾をいて、ばらばらと玉が走る。窓の硝子をすかして、しずくのその、ひやりと冷たく身に染むのを知っても、雨とは思わぬほど、実際うわの空でいたのであった。
 さあ、浅草へくと、雷門が、鳴出したほどなその騒動さわぎ
 どさどさぶちまけるように雪崩なだれて総立ちに電車を出る、乗合のりあいのあわただしさより、仲見世なかみせは、どっと音のするばかり、一面の薄墨へ、色を飛ばした男女なんにょの姿。
 風立つ中をむらがって、さっと大幅に境内から、広小路へ散りかかる。
 きちがい日和びより俄雨にわかあめに、風より群集が狂うのである。
 その紛れに、女の姿は見えなくなった。
 電車の内はからりとして、水に沈んだ硝子函がらすばこ、車掌と運転手は雨にあたかも潜水夫の風情に見えて、つかちりも留めず、――外の人の混雑は、しゃちに追われたような中に。――
 一帆は誰よりもおくれて下りた。もう一人も残らないから、女も出たには違いない。

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