四
「トそこに高髷に結った、瓜核顔で品のいい、何とも云えないほど口許の優い、目の清い、眉の美しい、十八九の振袖が、裾を曳いて、嫋娜と中腰に立って、左の手を膝の処へ置いて、右の手で、筆を持った小児の手を持添えて、その小児の顔を、上から俯目に覗込むようにして、莞爾していると、小児は行儀よく机に向って、草紙に手習のところなんだがね。 今でも、その絵が目に着いている。衣服の縞柄も真にしなやかに、よくその膚合に叶ったという工合で。小児の背中に、その膝についた手の仕切がなかったら、膚へさぞ移香もするだろうと思うように、ふっくりとなだらかに褄を捌いて、こう引廻した裾が、小児を庇ったように、しんせつに情が籠っていたんだよ。 大袈裟に聞えようけれども。 私は、その絵が大好きで、開けちゃ、見い見いしたもんだから、百人一首を持出して、さっと開ると、またいつでもそこが出る。 この※[#「姉」の正字、「女+のつくり」、295-4]さんは誰だい?と聞くと阿母が、それはお向うの※[#「姉」の正字、「女+のつくり」、295-4]さんだよ、と言い言いしたんだ。 そのお向うの※[#「姉」の正字、「女+のつくり」、295-6]さんというのに、……お前さんが肖ているんだがね――まあ、お聞きよ。」 「はあ、」 とった目がうつくしく、その俤が映りそう。 「お向うというのは、前に土蔵が二戸前。格子戸に並んでいた大家でね。私の家なんぞとは、すっかり暮向きが違う上に、金貸だそうだったよ。何となく近所との隔てがあったし、余り人づきあいをしないといった風で。出入も余計なし、なおさら奥行が深くって、裏はどこの国まで続いているんだか、小児心には知れないほどだったから、ついぞ遊びに行った事もなければ、時々、門口じゃ、その※[#「姉」の正字、「女+のつくり」、295-14]さんというのの母親に口を利かれる事があっても、こっちは含羞で遁げ出したように覚えている。 だから、そのお嬢さんなんざ、年紀も違うし、一所に遊んだ事はもちろんなし、また内気な人だったとみえて、余り戸外へなんか出た事のない人でね、堅く言えば深閨に何とかだ。秘蔵娘さね。 そこで、軽々しく顔が見られないだけに、二度なり、三度なり見た事のあるのが、余計に心に残っているんで。その女用文章の中の挿画が真物だか、真物が絵なんだか分らないくらいだった。 しかしどっちにしろ、顔容は判然今も覚えている。一日、その母親の手から、娘が、お前さんに、と云って、縮緬の寄切で拵えた、迷子札につける腰巾着を一個くれたんです。そのとき格子戸の傍の、出窓の簾の中に、ほの白いものが見えたよ。紅の色も。 蝙蝠を引払いていた棹を抛り出して、内へ飛込んだ、その嬉しさッたらなかった。夜も抱いて寝て、あけるとその百人一首の絵の机の上へのっけたり、立っている娘の胸の処へ置いたり、胸へのせると裾までかくれたよ。 惜い事をした。その巾着は、私が東京へ行っていた時分に、故郷の家が近火に焼けた時、その百人一首も一所に焼けたよ。」 「まあ……」 とはかなそうに、お君の顔色が寂しかった。 「迷子札は、金だから残ったがね、その火事で、向うの家も焼けたんだ。今度通ってみたが、町はもう昔の俤もない。煉瓦造りなんぞ建って開けたようだけれど、大きな樹がなくなって、山がすぐ露出しに見えるから、かえって田舎になった気がする、富士の裾野に煙突があるように。 向うの家も、どこへ行きなすったかね、」 と調子が沈んで、少し、しめやかになって、 「もちろんその娘さんは、私がまだ十ウにならない内に亡くなったんだ。―― 産後だと言います……」 「お産をなすって?」 と俯目でいた目をいたが、それがどうやらうるんでいたので。 謙造はじっと見て、傾きながら、 「一人娘で養子をしたんだね、いや、その時は賑かだッけ。」 と陽気な声。
五
「土蔵がずッしりとあるだけに、いつも火の気のないような、しんとした、大きな音じゃ釜も洗わないといった家が、夜になると、何となく灯がさして、三味線太鼓の音がする。時々どっと山颪に誘われて、物凄いような多人数の笑声がするね。 何ッて、母親の懐で寝ながら聞くと、これは笑っているばかり。父親が店から声をかけて、魔物が騒ぐんだ、恐いぞ、と云うから、乳へ顔を押着けて息を殺して寝たっけが。 三晩ばかり続いたよ。田地田畠持込で養子が来たんです。 その養子というのは、日にやけた色の赤黒い、巌乗づくりの小造な男だっけ。何だか目の光る、ちときょときょとする、性急な人さ。 性急なことをよく覚えている訳は、桃を上げるから一所においで。※[#「姉」の正字、「女+のつくり」、299-2]さんが、そう云った、坊を連れて行けというからと、私を誘ってくれたんだ。 例の巾着をつけて、いそいそ手を曳かれて連れられたんだが、髪を綺麗に分けて、帽子を冠らないで、確かその頃流行ったらしい。手甲見たような、腕へだけ嵌まる毛糸で編んだ、萌黄の手袋を嵌めて、赤い襯衣を着て、例の目を光らしていたのさ。私はその娘さんが、あとから来るのだろう、来るのだろうと、見返り見返りしながら手を曳かれて行ったが、なかなか路は遠かった。 途中で負ってくれたりなんぞして、何でも町尽へ出て、寂い処を通って、しばらくすると、大きな榎の下に、清水が湧いていて、そこで冷い水を飲んだ気がする。清水には柵が結ってあってね、昼間だったから、点けちゃなかったが、床几の上に、何とか書いた行燈の出ていたのを覚えている。 そこでひとしきり、人通りがあって、もうちと行くと、またひっそりして、やがて大きな桑畠へ入って、あの熟した桑の実を取って食べながら通ると、ニ三人葉を摘んでいた、田舎の婦人があって、養子を見ると、慌てて襷をはずして、お辞儀をしたがね、そこが養子の実家だった。 地続きの桃畠へ入ると、さあ、たくさん取れ、今じゃ、※[#「姉」の正字、「女+のつくり」、300-2]さんのものになったんだから、いつでも来るがいい。まだ、瓜もある、西瓜も出来る、と嬉しがらせて、どうだ。坊は家の児にならんか、※[#「姉」の正字、「女+のつくり」、300-4]さんがいい児にするぜ。 厭か、爺婆が居るから。……そうだろう。あんな奴は、今におれがたたき殺してやろう、と恐ろしく意気込んで、飛上って、高い枝の桃の実を引もぎって一個くれたんだ。 帰途は、その清水の処あたりで、もう日が暮れた。婆がやかましいから急ごう、と云うと、髪をばらりと振って、私の手をむずと取って駆出したんだが、引立てた腕がげるように痛む、足も宙で息が詰った。養子は、と見ると、目が血走っていようじゃないか。 泣出したもんだから、横抱にして飛んで帰ったがね。私は何だか顔はあかし、天狗にさらわれて行ったような気がした。袂に入れた桃の実は途中で振落して一つもない。 そりゃいいが、半年経たない内にその男は離縁になった。 だんだん気が荒くなって、※[#「姉」の正字、「女+のつくり」、301-1]さんのたぶさを掴んで打った、とかで、田地は取上げ、という評判でね、風の便りに聞くと、その養子は気が違ってしまったそうだよ。 その後、晩方の事だった。私はまた例の百人一首を持出して、おなじ処を開けて腹這いで見ていた。その絵を見る時は、きっと、この※[#「姉」の正字、「女+のつくり」、301-5]さんは誰? と云って聞くのがお極りのようだったがね。また尋ねようと思って、阿母は、と見ると、秋の暮方の事だっけ。ずっと病気で寝ていたのが、ちと心持がよかったか、床を出て、二階の臂かけ窓に袖をかけて、じっと戸外を見てうっとり見惚れたような様子だから、遠慮をして、黙って見ていると、どうしたか、ぐッと肩を落して、はらはらと涙を落した。 どうしたの? と飛ついて、鬢の毛のほつれた処へ、私の頬がくっついた時、と見ると向うの軒下に、薄く青い袖をかさねて、しょんぼりと立って、暗くなった山の方を見ていたのがその人で、」 と謙造は面を背けて、硝子窓。そのおなじ山が透かして見える。日は傾いたのである。
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