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木曽義仲論(きそのよしなかろん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-15 15:56:29 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


かくして此絶大の風雲児が不世出の英魂は、倏忽として天に帰れり。嗚呼青山誰が為にか悠々たる、江水誰が為にか汪々たる。彼の来るや疾風の如く、彼の逝くや朝露の如し。止ぬるかな、止ぬるかな、革命の健児一たび逝きて、遂に豎子をして英雄の名を成さしむるや、今や七百星霜一夢の間に去りて、義仲寺畔の孤墳、蕭然として独り落暉に対す。知らず、青苔墓下風雲の児、今はた何の処にか目さめむとしつつある。

彼は遂に時勢の児也。欝勃たる革命的精神が、其最も高潮に達したる時代の大なる権化也。破壊的政策は彼が畢生の経綸にして、直情径行は彼が一代の性行なりき。而して同時に又彼は暴虎馮河死して悔いざるの破壊的手腕を有したりき。彼は幽微を聴くの聡と未前を観るの明とに於ては入道相国に譲り、所謂佚道を以て民を使ふ、労すと雖も怨みず、生道を以て民を殺す、死すと雖も怨みざる、治国平天下の打算的手腕に於ては源兵衛佐に譲る。而して彼が寿永革命史上に一頭地を抽く所以のものは、要するに彼は飽く迄も破壊的に無意義なる繩墨と習慣とを蹂躙して顧みざるが故にあらずや。
彼は真に革命の健児也。彼は極めて大胆にして、しかも極めて性急也。彼は手を袖にして春風落花に対するが如く、悠長なる能はず。青山に対して大勢を指算するが如く幽閑なる能はず。炎々たる青雲の念と、勃々たる覇気とは常に火の如く胸腔を炙る。彼は多くの場合に於て他人の喧嘩を買ふを辞せず。如何なる場合に於ても膝をつき頭をたれて哀を請ふ事をなさず。而して彼は世路の曲線的なるにも関らず、常に直線的に急歩せずンば止まず。彼は衝突を辞せざるのみならず、又衝突を以て彼の大なる使命としたり。彼が猫間中納言を辱めたる、平知康を愚弄したる、法住寺殿に弓をひきたる、皆彼が此直線的の行動に拠る所なくンばあらず。水戸の史家が彼を反臣伝中の一人たらしめしが如き、此間の心事を知らざるもの、吾人遂に其余りに近眼なるに失笑せざる能はざる也。彼は身を愛惜せず、彼は燎原の火の如し。彼は己を遮るすべてを焼かずンば止まざる也。すべてを焼かずンば止まざるのみならず、彼自身をも焼かずンば止まざる也。彼が法皇のクーデターを聞くや、彼は「北国の雪をはらうて京へ上りしより一度も敵に後を見せず、仮令十善の君にましますとも甲を脱ぎ弓の弦をはづして降人にはえこそまゐるまじけれ」と絶叫したり。若し兵衛佐頼朝をして此際に処せしめむ乎。彼は如何なる死地に陥るも、法住寺殿の変はなさざりしならむ。頼朝は行はるゝ事の外は行ふことを欲せず。彼は、其実行に関らず、唯其期する所を行はむと欲せし也。是豈彼が一身を顧みざるの所以、彼が革命の使命を帯びたる健児たるの所以、而して頼朝が甘じて反臣伝に録せらるゝをなさざりし所以にあらずや。
彼は彼自身、彼を信ずる事厚かりき。彼は、其信ずる所の前には、天下口を斉うして之に反するも、猶自若として恐れざりき。所謂自反して縮んば千万人と雖も、我往かむの気象は欝勃として彼の胸中に存したりき。さればこそ彼は四郎兼平の諫をも用ひず、法住寺殿に火を放つの暴行を敢てせしなれ。彼の法皇に平ならざるや、彼は「たとへば都の守護してあらむずるものが馬一疋づつ飼ひて乗らざるべきか、幾らともある田ども刈らせて秣にせむをあながちに法皇の咎め給ふべきやうやある」と憤激したり。彼は彼が旗下幾万の北国健児が、京洛に行へる狼藉を寧ろ当然の事と信じたり。
而して此所信の前には怫然として、其不平を法皇に迄及ぼすを憚らざりき。請ふ彼が再次いで鳴らしたる怨言を聞け。「冠者ばらどもが、西山東山の片ほとりにつきて時々入取せむは何かは苦しかるべき。大臣以下、官々の御所へも参らばこそ僻事ならめ」彼は、彼に対するクーデターの理由をかゝる見地を以て判断したり。而して、彼に一点の罪なきを信じたり。既に青天白日、何等の不忠なきを信ず、彼が刀戟介馬法住寺殿を囲みて法皇を驚かせまゐらせたる、豈偶然ならずとせむや。
彼は、如上の性行を有す、是真に天成の革命家也。軽浮にして軽悍なる九郎義経の如き、老猾にして奸雄なる蔵人行家の如き、或は以て革命の健児が楯戟の用をなす事あるべし。然れども其楯戟を使ふべき革命軍の将星に至りては、必ず真率なる殉道的赤誠の磅薄として懐裡に盈つるものなくンばあらず。然り、狂暴、驕悍のロベスピエールを以てする尚一片烈々たる殉道的赤誠を有せし也。
彼は唯一の赤誠を有す。一世を空うするの覇気となり、行路の人に忍びざるの熱情となる、其本は一にして其末は万也。夫大川の源を発す、其源は渓間の小流のみ。彼が彼たる所以、唯此一点の霊火を以て全心を把持する故たらずとせむや。彼は赤誠の人也、彼は熱情の人也、願くは頼朝の彼と戦を交へむとしたるに際し、彼が頼朝に答へたる言を聞け。「公は源家の嫡流也。我は僅に一門の末流に連り、驥尾に附して平民を図らむと欲するのみ。公今干戈を動かさむとす、一門相攻伐するが如き、是源氏の不幸にして、しかも平氏をして愈※(二の字点、1-2-22)虚に乗ぜしむるもの也。我深く憂慮に堪へず。」と。何ぞ其言の肝胆を披瀝して、しかも察々として潔きや。辞を低うして一門の為に図つて忠なる、斯くの如し。啻に辞を低うするに止らず、一片稜々の意気止むべからずして愛子を頼朝の手に委したるが如き、赤誠の人を撼す、真に銀河の九天より落つるが如き概あり。
再云ふ彼は真に熱情の人也。実盛の北陸に死するや、彼其首級を抱いて※(「沙」の「少」に代えて「玄」、第3水準1-86-62)然として泣けり。水島の戦に瀬尾主従の健闘して仆るゝや、彼「あつぱれ強者や。助けて見て。」と歎きたりき。陣頭剣を交ふる敵を見る尚かくの如し。彼が士卒に対して厚かりしや知るべきのみ。彼が旗下は彼が為に「死且不辞」の感激を有したりき。彼敢て人を容るゝこと光風の如き襟懐あるにあらず。敢て又、人を服せしむる麒麟の群獣に臨むが如き徳望あるにあらず。彼の群下に対する、唯意気相傾け、痛涙相流るゝところ、烈々たる熱情の直に人をして知遇の感あらしむるによるのみ。彼が旗下の桃李寥々たりしにも関らず、四郎兼平の如き、次郎兼光の如き、はた大弥太行親の如き、一死を以て彼に報じたる、是を源頼朝が源九郎を赤族し、蒲冠者を誅戮し、蔵人行家を追殺し、彼等をして高鳥尽きて良弓納めらるゝの思をなさしめたるに比すれば、其差何ぞ独り天淵のみならむや。三たび云ふ、彼は真に熱情の人也。彼が将として成功し、相として失敗したる、亦職として之に因らずンばあらず。百難を排して一世を平にし、千紛を除いて大計を定む、唯大なる手の人たるを要す。片雲を仰いで風雪を知り、巷語を耳にして大勢を算す、唯大なる眼の人たるを要す。相印を帯びて天下に臨む、或は一滴の涙なきも可也。李林甫の半夜高堂に黙思するや、明日必殺ありしと云ふが如き、豈此間の消息を洩すものにあらずや。然りと雖も、三軍を率ゐて逐鹿を事とす、眼の人たらざるも或は可、手の人たらざるも亦或は可、唯若し涙の人たらざるに至つては、断じて将帥の器を以てゆるす可からず、以て大樹の任に堪ふ可からず。彼は此点に於て、好個の将軍たるに愧ぢざりき。而して彼に帰服せる七州の健児は、彼の涙によりて激励せられ鼓吹せられ、よく赤幟幾万の大軍を撃破したり。しかも彼の京師に入るや、彼は其甲冑を脱して、長裾を曳かざる可からざるの位置に立ちたりき。彼は冷眼と敏腕とを要するの位置に立ちたりき。彼は唱難鼓義の位置より一転して撥乱反正の位置に立ちたりき。約言すれば彼は其得意の位置よりして、其不得意の位置に立ちたりき。然れども彼は天下を料理するには、余りに温なる涙を有したりき。彼は一世を籠罩するには、寧ろ余りに血性に過ぎたりき。彼は到底、袍衣大冠して廟廊の上に周旋するの材にあらず、其政治家として失敗したる亦宜ならずとせむや。寿永革命史中、経世的手腕ある建設的革命家としての標式は、吾人之を独り源兵衛佐頼朝に見る。彼が朝家に処し、平氏に処し、諸国の豪族に処し、南都北嶺に処し、守護地頭の設置に処し、鎌倉幕府の建設に処するを見る、飽く迄も打算的に飽く迄も組織的に、天下の事を断ずる、誠に快刀を以て乱麻をたつの概ありしものの如し。頼朝は殆ど予期と実行と一致したり。順潮にあらずンば軽舟を浮べざりき。然れども義仲は成敗利鈍を顧みざりき、利害得失を計らざりき。彼は塗墻に馬を乗り懸くるをも辞せざりき。かくして彼は相として敗れたり。而して彼が一方に於て相たるの器にあらざると共に、他方に於て将たるの材を具へたるは、則ち義仲の義仲たる所以、彼が革命の健児中の革命の健児たる所以にあらずや。
彼は野性の児也。彼の衣冠束帯するや、天下為に嗤笑したり。彼が弓箭を帯して禁闕を守るや、時人は「色白うみめはよい男にてありけれど、起居振舞の無骨さ、物云ひたる言葉つきの片口なる事限りなし」と嘲侮したり。葡萄美酒夜光杯、珊瑚の鞭を揮つて青草をふみしキヤバリオルの眼よりして、此木曾山間のラウンドヘツドを見る、彼等が義仲を「袖のかゝり、指貫のりんに至るまでかたくななることかぎりなし」と罵りたる、寧ろ当然の事のみ。しかも彼は誠に野性の心を有したりき。彼は常に自ら顧て疚しき所あらざりき。彼は自ら甘ぜむが為には如何なる事をも忌避するものにはあらざりき。彼は不臣の暴行を敢てしたり。然れども、彼が自我の流露に任せて得むと欲するを得、為さむと欲するを為せる、公々然として其間何等の粉黛の存するを許さざりき。彼は小児の心を持てる大人也。怒れば叫び、悲めば泣く、彼は実に善を知らざると共に悪をも亦知らざりし也。然り彼は飽く迄も木曾山間の野人也。同時に当代の道義を超越したる唯一個の巨人也。
猫間黄門の彼を訪ふや、彼左右を顧て「猫は人に対面するか」と尋ねたりき。彼は鼓判官知康の院宣を持して来れるに問ひて「わどのを鼓判官と云ふは、万の人に打たれたうたか、張られたうたか」と云ひたりき。彼の牛車に乗ずるや、「いかで車ならむからに、何条素通りをばすべき」とて車の後より下りたりき。何ぞ其無邪気にして児戯に類するや。彼は「田舎合子の、きはめて大に、くぼかりけるに飯うづたかくよそひて、御菜三種して平茸の汁にて」猫間黄門にすゝめたり。而して黄門の之を食せざるを見るや、「猫殿は小食にておはすよ、聞ゆる猫おろしし給ひたり、掻き給へ/\や」と叫びたりき。何ぞ其頑童の号叫するが如くなる。
かくの如く彼の一言一動は悉、無作法也。而して彼は是が為に、天下の嘲罵を蒙りたり。然りと雖も、彼は唯、直情径行、行雲の如く流水の如く欲するがまゝに動けるのみ。其間、慕ふべき情熱あり、掩ふ可からざる真率あり。換言すれば彼は唯、当代のキヤバリオルが、其玉杯緑酒と共に重じたる無意味なる礼儀三千を縦横に、蹂躙し去りたるに過ぎざる也。彼は荒くれ男なれ共あどけなき優しき荒くれ男なりき。彼は所詮野性の児也。区々たる繩墨、彼に於て何するものぞ。彼は自由の寵児也。彼は情熱の愛児也。而して彼は革命の健児也。彼は、群雄を駕御し長策をふるつて天下を治むるの隆準公にあらず。敵軍を叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)し、隻剣をかざして堅陣を突破するの重瞳将軍也。彼は国家経綸の大綱を提げ、蒼生をして衆星の北斗に拱ふが如くならしむるカブールが大略あるにあらず。辣快、雄敏、鬻拳の兵諫を敢てして顧みざる、石火の如きマヂニーの侠骨あるのみ。彼は寿永革命の大勢より生れ、其大勢を鼓吹したり。あらず其大勢に乗じたり。彼は革命の鼓舞者にあらず、革命の先動者也。彼の粟津に敗死するや、年僅に三十一歳。而して其天下に馳鶩したるは木曾の挙兵より粟津の亡滅に至る、誠に四年の短日月のみ。彼の社会的生命はかくの如く短少也。しかも彼は其炎々たる革命的精神と不屈不絆の野快とを以て、個性の自由を求め、新時代の光明を求め、人生に与ふるに新なる意義と新なる光栄とを以てしたり。彼の一生は失敗の一生也。彼の歴史は蹉跌の歴史也。彼の一代は薄幸の一代也。然れども彼の生涯は男らしき生涯也
彼の一生は短かけれども彼の教訓は長かりき。彼の燃したる革命の聖壇の霊火は煌々として消ゆることなけむ。彼の鳴らしたる革命の角笛の響は嚠々として止むことなけむ。彼逝くと雖も彼逝かず。彼が革命の健児たるの真骨頭は、千載の後猶残れる也。かくして粟津原頭の窮死、何の憾む所ぞ。春風秋雨七百歳、今や、聖朝の徳沢一代に光被し、新興の気運隆々として虹霓の如く、昇平の気象将に天地に満ちむとす。蒼生鼓腹して治を楽む、また一の義仲をして革命の暁鐘をならさしむるの機なきは、昭代の幸也。

(明治四十三年二月)




 



底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月30日公開
2004年2月26日修正
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