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木曽義仲論(きそのよしなかろん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-15 15:56:29 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


かくの如くにして、卿相の反感と、院の近臣の陰謀とは、疎胆、雄心の入道相国をして、遂に福原遷都の窮策に出で、僅に其横暴を免れしめたる、烈々たる僧兵の不平と一致したり。しかも、平氏は独り彼等の反抗を招きたるに止らず、今や入道相国の政策の成功は、彼が満幅の得意となり、彼が満幅の得意は彼が空前の栄華となり、彼が空前の栄華は、時人をして「入る日をも招き返さむず勢」と、驚歎せしめたる彼が不臣の狂悖となれり。天下は亦平氏に対して少からざる怨嗟と不安とを、感ぜざる能はざりき。彼が折花攀柳の遊宴を恣にしたるが如き、彼が一豎子の私怨よりして関白基房の輦車を破れるが如き、将彼が赤袴三百の童児をして、飛語巷説を尋ねしめしが如き、平氏が天下に対して其同情を失墜したる亦宜ならずとせず。是に於て平氏政府は、刻々ピサの塔の如く、傾き来れり。
然れ共、平氏が猶其の覆滅を来さざりしは、実に小松内大臣が、円融滑脱なる政治的手腕による所多からずンばあらず。吾人は敢て彼を以て、偉大なる政治家となさざるべし。さはれ彼は、夏日恐るべき乃父清盛を扶けて、冬日親むべき政略をとれり。如何に彼が其直覚的烱眼に於て、入道相国に及ばざるにせよ、如何に彼が組織的頭脳に於て、信西入道に劣る遠きにせよ、如何に一身の安慰を冥々に求めて、公義に尽すこと少きの譏を免れざるにせよ、如何に智足りて意足らず、意足りて手足らず、隔靴掻痒の憂を抱かしむるものあるにせよ、吾人は少くも、彼が大臣たる資格を備へたるを、認めざる能はず。彼は一身を以て、嫉妬に充満したる京師の空気と、烈火の如き入道相国との衝突を融和しつゝも、尚彼の一門の政治的生命を強固ならしめ、上は朝廷と院とに接し、下は野心ある卿相に対し、励精、以て調和一致の働をなさむと欲したり。彼はこれが為に、一国の重臣私門の成敗に任ずべからざるを説いて、謀主成親の死罪を宥めたりき。彼はこれが為に、君臣の大義を叫破して法皇幽屏の暴挙を戒めたりき。彼が世を終る迄は、天下未平氏を去らず。入道相国の如きも、動もすれば暴戻不義の挙を敢てしたりと雖も、猶一門を統率して四海の輿望を負ふに堪へたりし也。彼若し逝かずンば、西海の没落は更に幾年の遅きを加へたるやも亦知るべからず。惜むべし、彼は、治承三年八月三日を以て、溘焉として白玉楼中の人となれり。彼一度逝く、入道相国は恰も放たれたる虎の如し。其狂悖の日に募るに比例して、天下は益※(二の字点、1-2-22)平氏にそむき、一波先づ動いて万波次いで起り、遂に、又救ふ可らざる禍機に陥り了れり。加ふるに、京師に祝融の災あり。※(「飆」の偏と旁が逆、第4水準2-92-41)風地震悪疫亦相次いで起り、庶民堵に安ぜず、大旱地を枯らして、甸服の外、空しく赤土ありて青苗将に尽きなむとす。「平家には、小松の大臣殿こそ心も剛に謀も勝れておはせしが、遂に空しくなり給ひぬ。今は何の憚る所ぞ。御辺一度立つて麾かば天下は風の如く、靡きなむ。」と、勇僧文覚をして、抃舞、蛭ヶ小島の流人を説かしめしは、実に此時にありとなす。平氏政府の命数は、既に眉端に迫れる也。危機実に一髪。
天下の大勢が、かくの如く革命の気運に向ひつゝありしに際し、諸国の源氏は如何なる状態の下にありし乎。願くは吾人をして、語らしめよ。嘗て、東山東海北陸の三道にわたり、平氏と相並んで、鹿を中原に争ひたる源氏も、時利あらず、平治の乱以来逆賊の汚名を負ひて、空しく東国の莽蒼に雌伏したり。然りと雖も八幡公義家が、馬を朔北の曠野に立て、乱鴻を仰いで長駆、安賊を鏖殺したる、当年の意気豈悉消沈し去らむ哉。革命の激流一度動かば、先平氏政府に向つて三尖の長箭を飛ばさむと欲するもの、源氏を措いて又何人かある。是平氏政府自身が恒に戒心したる所にあらずや。
然り、源氏は真に平氏の好敵手たるに恥ぢず。彼は平氏に対する勁敵中の勁敵也。頼義義家が前九後三の禍乱を鎮めしより以来、東国は其半独立の政治的天地となり、武門の棟梁は、其因襲的の尊称となれり。しかも平氏は、平氏自身の立脚地が西国にあるを知りしを以て、敢て其得意なる破壊的政策を東国に振はず。(恐らくは是最も賢き、最も時機に適したる政策なりしならむ)勇夫と悍馬とに富める、茫々たる東国の山川は、依然として、源氏の掌中に存したり。約言すれば、保元平治以前の源氏と保元平治以後の源氏とは其東国に有せる勢力に於て殆ど何等の逕庭をも有せざりし也。
然りと雖も、彼等の勢力は未だ以て中原を動かすに足らざりき。駿河以東十余ヶ国の山野は、野州の双虎と称せられたる小山足利の両雄、白河の御館と尊まれたる越後の城氏、慓悍、梟勁を以て知られたる甲斐源氏の一党、はた、下総に竜蟠せる千葉氏の如き、幾多の豪族を其中に擁したりと雖も、覇を天下に称ふるものは、僅に、所謂、周東、周西、伊南、伊北、庁南、庁北の健児を糾合して八州に雄視する、上総の覇王上総介氏と、十七万騎の貫主、北奥の蒼竜、雄名海内を風摩せる藤原秀衡との両氏あるのみ。而して、此双傑の勢力を以てするも、猶、後顧の憂なくして西上の旗を翻すは、到底不可能の事となさざる可らず。何となれば彼等は、猶個々の小勢力なりしを以て、しかも互に相掣肘しつゝありしを以て也。遮莫、彼等は過飽和の溶液也。一度之に振動を与へむ乎、液体は忽に固体を析出する也。一度革命の気運にして動かむ乎、彼等は直に剣を按じて蹶起するを辞せざる也。彼等豈恐れざる可からざらむや。然れども彼等は、未平氏に対して比較的従順なる態度を有したりき。請ふ彼等を以て、妄に生を狗鼠の間に偸むものとなす勿れ。彼等が平氏に対して温和なりしは、唯平氏が彼等に対して温和なりしが為のみ。嘗て、吾人の論ぜしが如く、平氏の立脚地は西国にあり。平氏にして、相印を帯びて天下に臨まむと欲せば、西国の経営は、其最も重要なる手段の一たらずンばあらず。さればこそ、入道相国の烱眼は、瀬戸内海の海権を収めて、四国九州の勢力を福原に集中するの急務なるを察せしなれ。西南二十一国が平氏の守介を有したる豈此間の消息を洩したるものにあらずや。既に平氏にして西国の経営に尽瘁す。東国をして単に現状を維持せしめむとしたるが如き、亦怪しむに足らざる也。而して、自由を愛する東国の武士は此寛大なる政策に謳歌したり。謳歌せざる迄も悦服したり。悦服せざる迄も甘受したり。彼等は実に此優遇に安じて二十年を過ぎたりし也。
然れ共今や平氏は完く其成功に沈酔したり。而して平氏の酔態は、平氏自身をして天下の怨府たらしめしが如く、亦東国の武士をして少からざる不快を抱かしめたり。嘗て、馬を彼等と並べて、銀兜緋甲、王城を守れる平門の豎子が、今は一門の栄華を誇りて却て彼等に加ふるに痴人猶汲夜塘水の嘲侮を以てするを見る、彼等の心にして焉ぞ平なるを得むや。切言すれば、彼等は、漸に其門閥の貴き意義を失はむとするを感じたり。嗚呼、「弓矢とる身のかりにも名こそ惜しく候へ」と叫破せる彼等にして、焉ぞ此侮蔑に甘ずるを得むや。加ふるに大番によりて京師に往来したる多くの豪族は、京師に横溢せる、危険なる反平氏の空気を、冥黙の間に彼等の胸奥に鼓吹したり。而して、平氏が法皇幽屏の暴挙を敢てすると共に、久しく欝積したる彼等の不快は、一朝にして勃々たる憤激となれり。
しかも、天下の風雲は日に日に急にして、革命的気運は、将に暗潮の如く湧き来らむとす。是に於て、彼等の野心は、漸に動き来れり。野心は如何なる場合に於ても人をして、其力量以上の事業をなさしめずンばやまず。泰山を挾みて北海を越えしむるものは野心也。精衛をして滄溟を埋めしむるものは野心也。所謂天民の秀傑なる、智勇弁力ある彼等が、大勢の将に変ぜむとするを見て、抑ふべからざる野心を生じ来れる、固より宜なり。既に彼等にして、其最大の活動力たる、野心と相擁す、彼等が天荒を破つて、革命の明光を、捧げ来る日の、近かるべきや知るべきのみ。啻に野心に止らず、平氏の暴逆は、又彼等をして、二十周星の久しきに及びて、殆ど忘れられたる源氏の盛世を、想起せしめたり。彼等は彼等が、旌旗百万、昂然として天下に大踏したる、彼等が得意の時代を追憶したり。
而して、顧みて、平氏の跳梁を見、源氏の空しく蓬蒿の下に蟄伏したるを見る、彼等が懐旧の涙は、滴々、彼等が雄心を刺戟したり。彼等はかくの如くにして、彼等の登竜門が今や目前に開かれたるを感じたり。彼等は其伝家丈八の緑沈槍を、ふるふべき時節の到来したるを覚りたり。治承四年、長田入道が、惶懼、書を平忠清に飛ばして、東国将に事あらむとするを告げたるが如き、革命の曙光が、既に紅を東天に潮したるを表すものにあらずや。今や熱烈なる東国武士の憤激と、彼等が胸腔に満々たる野心と、復古的、革命的の思想を鼓吹すべき、懐旧の涙とは、自ら一致したり。若し一人にしてかくの如くンば一人を挙げて動く也。天下にしてかくの如くンば、天下を挙げて動く也。動乱の気運、漸に天下を動かすと共に、社会の最も健全なる部分――平氏政府の厄介物たる、幾十の卿相、幾百の院の近臣、幾千の山法師、はた幾万の東国武士の眼中には、既に平氏政府の存在を失ひたり。彼等の脳裡には、入道相国も一具の骸骨のみ。平門の画眉涅歯も唯是瓦鶏土犬のみ。西八条の碧瓦丹檐も、亦丘山池沢のみ。要言すれば、社会の直覚的本能は、既に平氏政府の亡滅を認めたり。反言すれば、精神的革命は既に冥黙の中に、成就せられたり。夫、燈は油なければ、即ち滅し、魚は水なければ、即ち死す。天下の人心を失ひたる平氏政府が、日一日より、没落の悲運に近づきたる、豈、宜ならずとせむや。然り、桑樹に対して太息する玄徳、青山を望ンで黙測する孔明、玉璽を擁して疾呼する孫堅、蒼天を仰いで苦笑する孟徳、蛇矛を按じて踊躍する翼徳、彼等の時代は漸に来りし也。之を譬ふれば、当時の社会状態は、恰も蝕みたる老樹の如し。其仆るゝや、日を数へて待つべきのみ。天下動乱の機は、既に熟したる也。
「外よりは手もつけられぬ要害を中より破る栗のいがかな。」しかも平氏が堂上の卿相四十三人を陟罰して、後白河法皇を鳥羽殿に幽し奉り、新院に迫りて其外孫たる三歳の皇子を冊立せし横暴は、更に、其亡滅の日をして早からしめたり。是に於て、小松内大臣の薨去によりて我事成れりと抃舞したる、十のマラー、百のロベスピエールは、平氏政府の命数の既に目睫に迫れるを見ると共に、剣を撫し手に唾して、蹶起したり。

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