夫、天下は平氏の天下にあらず、天下は天下の天下也。平門の犬羊、いづれの日にか、其跳梁を止めむとする。 嗚呼、誰か天火を革命の聖壇に燃やして、長夜の闇を破るものぞ、誰か革命の角笛を吹いて、黒甜郷裡の逸眠を破るものぞ。果然、老樹は仆れたり。平等院頭、翩々として、ひるがへる白旗を見ずや。 然り、革命の風雲は、細心、廉悍の老将、源三位頼政の手によつて、飛ばされたり。 彼は、源摂津守頼光の玄孫、源氏一流の嫡流なりき。然れども、平治以降、彼は、平氏を扶けたるの多きを以て、対平氏関係の甚、円満なりしを以て、平氏が比較的彼を優遇したるを以て、平氏を外にしては、武臣として、未其比を見ざる、三位の高位を得たり。若し彼にして平和を愛せしめしならば、或は栄華を平氏と共にして、温なる昇平の新夢に沈睡したるやも亦知るべからず。さはれ、老驥櫪に伏す。志は千里にあり。彼は滔々たる天下と共に、太平の余沢に謳歌せむには、余りに不覊なる豪骨を有したりき。彼は、群を離れたる鴻雁なれども、猶万里の扶揺を待つて、双翼を碧落に振はむとするの壮心を有す。彼は平門の 袴子が、富の快楽に沈酔して、七香の車、鸚鵡の杯、揚々として、芳槿一朝の豪華を誇りつゝありしに際し、其烱眼を早くも天下の大勢に注ぎたり。而して、彼は既に、平門の惰眠を破る暁鐘の声を耳にしたり。彼は思へり、「平家は、栄華身に余り、積悪年久しく、運命末に望めり」と。彼は思へり、「上は天の意に応じ、下は地の利を得たり、義兵を挙げ逆臣を討ち、法皇の叡慮を慰め奉らむ」と。彼は思へり、「六孫王の苗裔、源氏の家子郎等を、駈具せば天が下何ものをか恐るべき」と。胸中の成竹既に定まる。彼は是に於て、其袖下に隠れて大義を天下に唱ふべき名門を求めたり。而して彼の擁立したるは、実に後白河法皇の第二の皇子、賢明人に超え給へる、而して未親王の宣下をも受け給はざる、高倉宮以仁王なりき。見よ。彼の烱眼は此点に於ても、事機を見るに過たざりしにあらずや。彼は近く平治の乱に於て主上上皇の去就が、よく源平両氏の命運を制したるを見たり。彼は、朝家を挾ンで天下に号令するの、天下をして背く能はざらしむる所以なるを見たり。 而して彼は、宣旨院宣、共に平氏の手中に存するの時に於て、九重雲深く濛として、日月を仰ぐ能はざるの時に於て、革命の壮図を鼓舞せしむるに足るは、唯、竹園の令旨のみなるを見たり。然り、最も天下の同情を有する竹園の令旨のみなるを見たり。彼が以仁王を擁立したる所以は、実に職として是に存す。かくの如くにして彼の陰謀は、歩一歩より実際の活動に近き来れり。而して治承四年五月、革命の旗は遂に、皓首の彼と長袖の宮との手によつて、飜されたり。天下焉ぞ雲破れて青天を見るの感なきを得むや。 然れ共、彼、事を南都に挙げむとして得ず、平軍是を宇治橋に要し、宇治川を隔てて大に戦ふ。剣戟相交ること一日。平軍既に鞭を宇治川に投じ流を断つて、源軍に迫る。是に於て革命軍の旗幟頻に乱れ、源軍討たるゝ者数を知らず。驍悍を以て天下に知られたる渡辺党亦算を乱して仆れ、赤旗平等院を囲むこと竹囲の如し。弓既に折れ箭既に尽く、英風一世を掩へる源三位も遂に其一族と共に自刃して亡び、高倉宮亦南都に走らむとして途に流矢に中りて薨じ給ひぬ。かくして革命軍の急先鋒は、空しく敗滅の恥を蒙り了れり。 さもあらばあれ、こは一時の敗北にして、永遠の勝利なりき。寿永元暦の革命は、彼によつて其導火線を点ぜられたり。彼は、荒鶏の暁に先だちて暁を報ずるが如く、哀蝉の秋に先だちて秋を報ずるが如く、革命に先だちて革命を報じたり。あらず、革命に先だちて革命の風雲を動かしたり。彼は、ルーテルたらざるもヨハネスフツス也。項羽たらざるも陳勝呉広也。彼の播きたる種子は小なれども、参天の巨樹は、此中より生じ来れり。彼は、彼自身を犠牲として、天下の源氏を激励したり。彼は活ける模範となりて天下の源氏を蹶起せしめたり。然り彼は一門の子弟に彼の如くなせと教へたり、而して為せり。此時に於ては、懦夫も猶立つべし。況や、氏神と伝説とを同うせる、雲の如き天下の源氏にして、何ぞ徒然として止まむや。 「花をのみまつらむ人に山里の、雪間の草の春を見せばや。」残雪の間に萌え出でたる嫩草の緑は、既に春の来れるを報じたり。柏木義兼は近江に立ち、別当湛増は紀伊に立ち、源兵衛佐は伊豆に立ち、木曾冠者は信濃に立てり。今や平家十年の栄華の夢の醒むべき時は漸に来りし也。
二 革命軍
頼政によりて刺戟を与へられ、更に以仁王の令旨によりて挙兵の辞を与へられたる革命軍は、百川の旭の出づる方に向つて走るが如く、刻一刻により、平氏政府に迫り来れり、而して此焦眉の趨勢は遂に、平氏政府に於て福原の遷都を喚起せしめたり。請ふ吾人をして福原の遷都を語らしめよ。何となれば此一挙は、入道相国が政治家としての長所と短所とを、最も遺憾なく現したれば也。 彼は、一花開いて天下の春を知るの、直覚的烱眼を有したりき。而して又彼が政治家としての長所は、実に唯此大所を見るの明に存したりき。吾人は、彼が西海を以て其政治的地盤としたるに於て、彼の家人をして諸国の地頭たらしめしに於て、海外貿易の鼓吹に於て、音戸の瀬戸の開鑿に於て、経ヶ島の築港に於て、彼が識見の宏遠なるを見る、未嘗て源兵衛佐の卓識を以てするも武門政治の創業者としては遂に彼の足跡を踏みたるに過ぎざるを思はずンばあらず。(固より彼は多くの点に於て、頼朝の百尺竿頭更に及ぶべからざるものありと雖も)見よ、彼は瀬戸内海の海権に留意し、其咽喉たる福原を以て政権の中心とするの得策なるを知れり。彼は南都北嶺の恐るべき勢力たるを看取し、若し、彼等にして一度相応呼して立たば、京都は其包囲に陥らざるべからざるを知れり。而して彼が此胸中の画策は、源三位の乱によりて、反平氏の潮流の滔々として止るべからざるを知ると共に、直に彼をして福原遷都の英断に出でしめたり。彼が治承四年六月三日、宇治橋の戦ありて後僅に数日にして、此一挙を敢てしたる、是豈彼が烱眼の甚だ明、甚だ敏、甚だ弘なるを表すものにあらずや。福原の遷都はかくの如く彼が急進主義の経綸によつて行はれたり。然れども彼は此大計を行ふに於て、余りに急激にして、且余りに強靭なりき。約言すれば、福原の遷都は彼が長所によつて行はれ、彼が短所によつて、破れたりき。 彼は、より無学にして、しかも、より放恣なる王安石也。彼は常に一の極端より他の極端に走りたりき。彼は今日計を定めて、明日其効を見るべしと信じたりき。詳言すれば彼は理論と事実との間に、幾多の商量すべく、打算すべく、加減すべき摩擦あるを知らざりき。而して又彼は、彼が信ずる所を行はむが為には、直線的の突進を敢てするの執拗を有したりき。彼の眼中には事情の難易なく、形勢の可否なく、輿論の軽重なく、唯彼の応に行はざる可からざる目的と之を行ふべき一条の径路とを存せしのみ。王安石は云へり、「人の臣子となりては、当に四海九州の怨を避くべからず」と。彼をして答へしめば、将に云ふべし、「一門の栄華を計りては、天下の怨を避くべからず」と。然れども彼の刈りたるは、僅に彼の蒔きたるものの半ばに過ぎざりき。彼は其目的を行はむには、余りに其手段を選ばざりき。余りに輿論を重んぜざりき、余りに、単刀直入にすぎたりき。彼は、疲馬に鞭ちて、百尺の断崖を越えむと試みたり。而して、越え得べしと信じたりき。是豈、却て疲馬を死せしむるものたらざるなきを得むや。 彼が遷都の壮挙を敢てするや、彼は、桓武以来、四百年の歴史を顧みざりき。彼は「おたぎの里のあれやはてなむ」の哀歌に耳を傾けざりき。一世の輿論に風馬牛なる、かくの如くにして猶遷都の大略を行はむと欲す、豈夫得べけむや。果然、新都の老若は声を斉うして、旧都に還らむことを求めたり。而して彼の動かすべからざる自信も是に至つて、聊か 傾せざる能はざりき。彼は始めて、旧都の規模に従つて福原の新都を経営するの、多大の財力を費さざる可からざるを見たり。而して此財力を得むと欲せば、遷都の不平よりも更に大なる不平を蒙らざる可からざるを見たり。しかも頭を回らして東国を望めば、蛭ヶ小島の狡児、兵衛佐頼朝は二十万の源軍を率ゐて、既に足柄の嶮を越え、旌旗剣戟岳南の原野を掩ひて、長駆西上の日将に近きにあらむとす。彼の胸中にして、自ら安ずる能はざりしや、知るべきのみ。加ふるに嫡孫維盛の恥づべき敗軍(治承四年十月)は、東国の風雲益 急にして、革命の気運既に熟せるを報じたるに於てをや。是に於て、彼は福原に退嬰するの平氏をして、天下の怨府たらしむる所以なるを見、一歩を退くの東国の源氏をして、遠馭長駕の機を得しむるを見、遂に策を決して、旧都に還れり。嗚呼、彼が遷都の英断も、かくの如くにして、空しく失敗に陥り了りぬ。 今や、平氏の危機は目睫の間に迫り来れり。維盛の征東軍、未一矢を交へざるに空しく富士川の水禽に驚いて走りしより、近江源氏、先響の如く応じて立ち、別当湛増亦紀伊に興り、短兵疾駆、荘園を焼掠する、数を知らず。園城寺の緇衣軍、南都の円頂賊、次いで動く事、雲の如く、将に、旗鼓堂々として、平氏政府を劫さむとす。是豈、烈火の如き入道相国が、よく坐視するに堪ふる所ならむや。然り、彼は旧都に帰ると共に、直に天下を対手として、赤手をふるひて大挑戦を試みたり。彼が軌道以外の彗星的運動は、実に是に至つて其極点に達したりき。如何に彼が破壊的政策にして、果鋭峻酷なりしかは、左に掲ぐる冷なる日暦之を証して余りあるにあらずや。
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