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竹の木戸(たけのきど)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-26 9:03:13 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

        上

 大庭おおば真蔵という会社員は東京郊外に住んで京橋区辺の事務所に通っていたが、電車の停留所まで半里はんみち以上もあるのを、毎朝欠かさずテクテク歩いて運動にはちょうどいと言っていた。温厚おとなしい性質だから会社でも受がかった。
 家族は六十七八になる極く丈夫な老母、二十九になる細君、細君の妹のおきよ七歳ななつになる娘の礼ちゃんこれに五六年前から居るお徳という女中、以上五人に主人あるじの真蔵を加えて都合六人であった。
 細君は病身であるから余り家事に関係しない。台所元の事はおもにお清とお徳がっていて、それを小まめな老母が手伝ていたのである。けても女中のお徳は年こそだ二十三であるが私はおうちに一生奉公をしますという意気込で権力が仲々強い、老母すら時々この女中の言うことを聞かなければならぬ事もあった。我儘わがまま過るとお清から苦情の出る場合もあったが、何しろお徳はお家大事と一生懸命なのだから結極つまりはお徳の勝利かちに帰するのであった。
 生垣いけがき一つ隔てて物置同然の小屋があった。それに植木屋夫婦が暮している。亭主が二十七八で、女房はお徳と同年輩位、そしてこの隣交際となりづきあい女性にょしょう二人は互に負けず劣らず喋舌しゃべり合っていた。
 初め植木屋夫婦が引越して来た時、井戸がないので何卒どうか水を汲ましてくれと大庭家に依頼たのみに来た。大庭の家ではそれは道理もっともなことだと承諾ゆるしてやった。それからかれこれ二月ばかりつと、今度は生垣いけがきを三尺ばかり開放あけさしてくれろ、そうすれば一々御門へ迂廻まわらんでも済むからと頼みに来た。これには大庭家でも大分苦情があった、ことにお徳は盗棒どろぼうの入口をこしらえるようなものだと主張した。が、しかし主人あるじ真蔵の平常かねての優しい心から遂にこれを許すことになった。其方そちらで木戸を丈夫に造り、開閉あけたてを厳重にするという条件であったが、植木屋は其処そこらのやぶから青竹を切って来て、これに杉の葉など交ぜ加えて無細工ぶさいくの木戸を造くって了った。出来上ったのを見てお徳は
「これが木戸だろうか、掛金かけがね何処どこるの。こんな木戸なんか有るも無いも同じことだ」と大声で言った。植木屋の女房のお源は、これを聞きつけ
「それで沢山だ、どうせ私共の力で大工さんの作るような立派な木戸が出来るものか」
 と井戸辺いどばたかまの底を洗いながら言った。
「それじゃア大工さんを頼めば可い」とお徳はお源の言葉がしゃくさわり、植木屋の貧乏なことを知りながら言った。
「頼まれる位なら頼むサ」とお源は軽く言った。
「頼むと来るよ」とお徳は猶一もひとつ皮肉を言った。
 お源は負けぬ気性だから、これにはむっとしたが、大庭家にけるお徳の勢力を知っているから、さからっては損と虫をおさえて
「まアそれで勘弁しておくれよ。出入ではいりするものは重にあたしばかりだから私さえ開閉あけたてに気を附けりゃア大丈夫だよ。どうせ本式の盗棒なら垣根だって御門だって越すから木戸なんか何にもなりゃア仕ないからね」
 と半分折れて出たのでお徳
「そう言えばそうさ。だからお前さんさえ開閉あけたてを厳重に仕ておくれならア安心だが、お前さんも知ってるだろう此里ここはコソコソ泥棒や屑屋くずやの悪いやつ漂行うろうろするから油断も間際すきもなりや仕ない。そら近頃このごろ出来たパン屋の隣に河井さんて軍人さんがあるだろう。彼家あそこじゃア二三日前に買立のあかの大きな金盥かなだらいをちょろりとられたそうだからねえ」
「まアどうして」とお源は水を汲む手を一寸ちょっと休めて振り向いた。
井戸辺いどばたに出ていたのを、女中が屋後うらに干物にったぽっちりられたのだとサ。矢張やっぱり木戸が少しばかしいていたのだとサ」
「まア、真実ほんとに油断がならないね。大丈夫私は気を附けるが、お徳さんもられそうなものは少時ちょっとでも戸外そと放棄うっちゃって置かんようになさいよ」
あたしはまアそんなことは仕ない積りだが、それでも、ツイ忘れることが有るからね、お前さんも屑屋なんかに気を附けておくれよ。木戸から入るにゃ是非お前さんうちの前を通るのだからね」
「ええ気を附けるともね。られる日にゃまき一本だって炭一片ひときれだって馬鹿々々しいからね」
「そうだとも。炭一片とお言いだけれど、どうだろうこの頃の炭の高価たかいことは。一俵八十五銭の佐倉さくらがあれだよ」とお徳は井戸から台所口へ続く軒下に並べてある炭俵のひとつを指して、「幾干いくらはいってるものかね。ほんとに一片何銭にくだろう。まるでおかね涼炉しちりんで燃しているようなものサ。土竈どがまだって堅炭かたずみだってみんな去年の倍と言っても可い位だからね」とお徳は嘆息ためいきまじりに「真実ほんとにやりきれや仕ない」
「それに御宅は御人数ごにんずも多いんだから入用いることも入用サね。あたしのとこなんか二人きりだから幾干いくら入用いりゃア仕ない。それでも三銭五銭と計量炭はかりずみを毎日のように買うんだからね、全くやりきれや仕ない」
「全く骨だね」とお徳は優しく言った。
 以上炭のうわさまで来ると二人は最初の木戸の事は最早もう口に出さないで何時いつしか元のお徳お源に立還たちかえぺちゃくちゃと仲善く喋舌しゃべり合っていたところはらちも無い。
 十一月の末だから日は短いさかりで、主人真蔵が会社から帰ったのは最早暮れがかりであった。木戸が出来たと聞いて洋服のまま下駄を突掛け勝手元の庭へ廻わり、暫時しばらくは木戸を見てただ微笑していたが、お徳がそばから
旦那様だんなさま大変な木戸で、御座いましょう」と言ったので
「これは植木屋さんがこしらえたのか」
「そうで御座います」
「随分妙な木戸だが、しかし植木屋さんにしちゃア良く出来てる」と手を掛けて揺振ゆすぶってみて
「案外丈夫そうだ。まアこれでもい、無いよりかましだろう。その内大工を頼んで本当に作らすことに仕よう」と言って「竹でこしらえても木戸は木戸だ、ハ、ハハハハ」と笑いながら屋内うちへ入った。
 お源はこれを自分のうちで聞いていて、くすくすとひとりで笑いながら、「真実ほんとく物の解る旦那だよ。第一あんな心持の優い人ったらめったに有りや仕ない。彼家あそこじゃ奥様おくさんも好いかただし御隠居様も小まめちょこまかなさるが人柄ひとは極く好い方だし、お清さんは出戻りだけに何処どこ執拗ひねくれてるが、然し気質きだては優しい方だし」と思いつづけて来てハタとお徳の今日昼間の皮肉を回想おもいだして「水の世話にさえならなきゃ如彼あんな奴に口なんかかしや仕ないんだけど、房州の田舎者奴いなかものめが、可愛がって頂だきゃ可い気になりゃアがってどうだろうあの図々ずうずうしい案梅あんばいは」とお徳の先刻さっきの言葉を思い出し、「大変な木戸でしょうだって、あれで難癖を附ける積りが合憎あいにくと旦那がお取上に相成らんから可い気味だ。愚態ざまア見やアがれだ」と又つと気を変えて「だけど感心と言えば感心だよ。容色きりょうも悪くはなし年だって私とおんなじなら未だいくらだって嫁にいかれるのに、ああやって一生懸命に奉公しているんだからね。全く普通なみものにゃ真似まねが出来ないよ。それに恐しい正直者しょうじきもんだから大庭さんでも彼女あれに任かして置きゃ間違まちがえはないサ……」
 こんな事を思いながらお源は洋燈ランプ点火つけて、火鉢ひばちに炭を注ごうとして炭が一片ひときれもないのに気が着き、舌鼓したうちをして古ぼけた薬鑵やかんに手をさわってみたが湯はめていないので安心して「お湯の熱いうちに早く帰って来れば可い。然し今日もしか前借して来てくれないと今夜も明日も火なしだ。火ぐらい木葉こっぱを拾って来ても間に合うが、明日あした食うお米が有りや仕ない」と今度は舌鼓のかわりに力のない嘆息ためいきもらした。頭髪かみを乱して、のない顔をして、薄暗い洋燈の陰にしょんぼり坐っているこの時のお源の姿は随分あわれな様であった。
 其所そこのっそり帰って来たのが亭主の磯吉である。お源は単直いきなり前借の金のことをいた。磯は黙って腹掛から財布を出してお源に渡した。お源は中をあらためて
「たった二円」
「ああ」
「二円ばかし仕方が無いじゃアないか。どうせ前借するんだもの五円も借りて来れば可いのに」
「だって貸さなきゃ仕方がない」
「それゃそうだけど能く頼めば親方だって五円位貸してくれそうなものだ。これを御覧」とお源は空虚からっぽ炭籠すみとりを見せて「炭だってこれだろう。今夜お米を買ったら幾干いくらも残りや仕ない。……」
 磯は黙って煙草をふかしていたが、煙管きせるをポンと強くはたいて、ぜんを引寄せ手盛てもりで飯を食い初めた。ただ白湯さゆぶっかけてザクザク流し込むのだが、それが如何いかにも美味うまそうであった。
 お源は亭主のこの所為しょさに気をのまれて黙って見ていたが山盛五六杯食って、未だめそうもないのであきれもし、可笑おかしくもなり
「お前さんそんなにおなかいたの」
 磯は更に一椀いっぱいけながら「おれは今日半食おやつを食わないのだ」
「どうして」
「今日彼時あれからったら親方がいやな顔をしてこの多忙いそがしい中を何で遅く来ると小言こごとを言ったから、実はこれこれだって木戸の一件を話すと、そんな事は手前てめえの勝手だって言やアがる、糞忌々くそいまいましいからそれからグングン仕事に掛って二時過ぎになるとお茶飯やつが出たが、俺は見向みむきも仕ないんだ。お女中が来て今日はお美味いし海苔巻のりまきだから早やく来て食べろと言ったが当頭とうとう俺は往かないで仕事を仕続けてやったのだ。そんなこんなで前借のこと親方に言い出すのは全くいやだったけど、言わないじゃおられんから帰りがけに五円貸してくれろと言うと、へん仕事は怠けて前借か、俺も手前てめえの図々しいのにはかなわんよ、そらこれでかろうって二円出してこしたのだ。仕方が無いじゃアないか」と磯は腹のいた訳と二円ほか前借が出来なかった理由わけを一遍に話してしまった。そして話しおわったころやっはしを置いた。
 全体磯吉は無口の男で又た口のきようも下手へただがどうかすると啖火交たんかまじりで今のように威勢の可い物の言いぶりをすることもある、お源にはこれがすこぶうれしかったのである。然しお源には連添つれそってから足掛三年にもなるが未だ磯吉は怠惰者なまけものだか働人はたらきにんだか判断が着かんのである。東京女の気まぐれ者にはそれですんでゆくので、三日も四日も仕事を休む、どうかすると十日も休む、けれどサアとなれば人三倍も働くのがうちの磯さんだと心得ている、だからサアとなれば困りや仕ないと信じている。然し何処どこまで行ったらその「サア」だかそんなことはお源も考えたことはない。又たお源は磯さんはイザとなれば随分人の出来ない思きった大胆なことをする男だとたのもしがっている。けれどそうばかし思えんこともある。その実案外意久地いくじのない男かしらと思う場合もあるが、それは一文なしになって困りぬいた時などで、そう思うとなさけなくなるからなるべくそれは自分で打消していたのである。
 実際磯吉は所謂いわゆる「解らん男」で、大庭の女連おんなれんは何となく薄気味うすきび悪く思っていた。だからお徳までが磯にははばかる風がある。これがお源には言うに言われない得意なので、お徳がこの風を見せた時、お清が磯に丁寧な言葉を使った時などうれしさが込上げて来るのであった。
 それで結極のべつ貧乏の仕飽しあきをして、働き盛りでありながら世帯らしい世帯も持たず、何時いつも物置か古倉のすみこのような所ばかりに住んでいる、従ってお源も何時しか植木屋の女房連かかあれんから解らん女だ、つまり馬鹿だとせられていたのだ。
 磯吉の食事めしが済むとお源はざるを持て駈出かけだして出たが、やがて量炭はかりずみを買て来て、火を起しながら今日お徳と木戸のことで言いあったこと、旦那が木戸を見て言った言葉などをべらべら喋舌しゃべって聞かしたが、磯は「そうか」とも言わなかった。
 そのうち磯が眠そうに大欠伸おおあくびをしたので、お源は垢染あかじみ煎餅布団せんべいぶとんを一枚敷いて一枚けて二人一緒に一個身体ひとつからだのようになって首を縮めて寝て了った。壁の隙間すきまや床下から寒い夜風が吹きこむので二人は手足も縮められるだけ縮めているが、それでも磯の背部せなかは半分外に露出はみだしていた。

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