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遺書に就いて(かきおきについて)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-26 8:36:17 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 6

 法廷に於て葛飾は有罪と決定した。
 彼は併しあくまで犯行を否定した。
『当夜、私は非常に亢奮して家を飛び出ましたが、街へは行かずに近所の沼の辺や林の中を夜風に吹かれながら矢鱈に歩き廻っていました。そして可なり長いことそうやっている中に漸く落ち着きを取り戻して来て、それに段々寒気が辛くなったりするので、家の方へ引っ帰しました。ところが、門口のところで街から帰って来た小野とばったり出会いました。小野はひどく自暴酒(やけざけ)でも仰ったと見えて強か酔っぱらっていましたが、私の顔を見るといきなり私の胸に取り縋って泣き出したのです『――勘弁しておくれよ、勘弁しておくれよ――長い間俺の面倒を見てくれた君だもの、俺の気質ならよく心得ている筈じゃないか。……俺みたいなだらしのない意気地なしを、君は二人と知っちゃいまい……美代子さんだって、君があんまり素気なくしてちっとも一緒にいて可愛がってやらないから、それに今迄不仕合せに暮していたもんだから、つい頼りなくなっちまったんだ。……怒らないでくれ。……君から憎まれたら僕は本当に立つ瀬がないんだ……と彼は私をかき口説くのでした。私は腹立しさのあまり、彼の腕をふりもぎりながら、力まかせに顎のあたりを殴りつけました。すると彼ははずみを喰って蹌踉(よろめ)くとたあいもなく尻もちをつきましたが、その時私のインヴァネスの羽を掴んで破ってしまったのです。――併し、リボンの方は何時の間に失ったのやら少しも気がつきませんでした。美代子と揉み合ったために落としたものか、或はその折解けかかっていたのが小野に絡みつかれている間に、あんな薄いヘラヘラしたものですからうまい工合に彼の外套のふところか何かへ紛れ込んだものか、どっちともはっきりしたことは思い当りません。私は直に踵をかえして表通りに出ると、通りがかりのタクシイを呼び止めて、それで街のヨロピン酒場へ参りました。そして一時近く迄一人で飲んで、それから八木の家へ泊りに行ったことは先に申し上げた通りです。
『そんな嘘を吐く気になった最初の理由は、勿論自分たちの醜い三角関係を秘密のままにして置きたかったからで――寛容や友誼の故よりも、むしろ世間に対して私自身の面目を失い度くなかったからです。……併し、直ぐに美代子はその秘密を検視官の前で打ち明けてしまいました。そして、美代子の支那小説云々の話は、ひょっとしてこれは美代子が殺したのではあるまいかと云う疑を私に起させました。何故と云って、その本を読んで聞かせてやったのは小野自身だったのですから。ところが果してピストルに彼女の指紋が発見されました。私はそこで警戒する気になったのです。たといどんな理由にもせよ、共犯の疑なぞかけられて巻き込まれたりしては大変だと考えました。しかも当夜の自分の行動を正直に申し立てるのはこの上もなく不利益であることを感じたので、私はあらかじめ現場不在証明を考えて置いた次第です。……』
 こう云う葛飾の弁明には『偽を申し立てた要心深さ――若しくは、臆病さ』に就いて裁判官を納得させるのに充分なものがなかったらしい。
 ピストルに犯人が指紋をのこさなかったのも、その位に要心深い人間であってみれば当然である――と役人は述べた。
 そして葛飾は幾年かの懲役を云い渡された。

 7

 美代子はたった一人取りのこされて、その広い淋し過ぎる家で、蒼ざめた不吉な追憶と一緒に暮さなければならなかった。
 葛飾の罪が決定してから一月も経った頃、美代子はやはり画室の中で縊れて死んだ。
 今度は――遺書があった。裁判官へ宛ててある。
『……小野潤平を殺したのは私でございます。
 あの晩、小野は酔って帰って来まして、私に一緒に逃げてくれと申しました。そして私がそれをはねつけますと、いきなりポケットからピストルを出して、自分の頭を狙ってみせました。私は吃驚してその手に飛びついて、ピストルを※ぎ取ろうとしました。ところが、私はあやまって引金に指をかけてしまったのでございます……』
『私は恐しい人殺しの罪を免れるために、ピストルを小野さんの手に握らせました。その時、若しこれがうまくゆけば、葛飾の愛を取り返せるかも知れない――また万一他殺と露見するようなことがあっても、疑われるのは結局葛飾だとも考えました。
『あの黒いリボンのネクタイのことは偽でございます。私が葛飾の胸からむしりとったのを、そんな風に仕組んだまでに過ぎません……』
 葛飾は無実と云うことになって放免された。

 8

 さて話はこれでおしまいであるが――
 作者はここで小野潤平の死が本当の自殺であった場合を考えてみ度い。
 小野は酔っぱらって帰って来ると門口で葛飾と出会ったのでめそめそと泣いて詫び[#底本では「詑び」と誤植]た。するとそれが却って葛飾の気を悪くして、殴り倒された。
 小野は画室に入ってからもだらしなく泣き続けていたに違いない。
 卑屈な禀性(うまれつき)や、すたれた才能や、いかさま生活や……いろんな自己嫌悪がむらがって来る。そこで覚束ない酔っぱらいの気持に唆かされて自殺しようかと思う。葛飾の箪笥の抽斗からピストルを出して来ると、悲劇役者のような恰好にそれを顳※にあてがう。はっきりした自殺の意識なぞは要らなかったのだ。
 そして、その次にたあいもなく引金をひいてしまう。――恰度十一時で、教会堂の鐘の響のような時計の音が一入(ひとしお)効果を添えたことであろう。
 遺書は――認めている程の余裕があったならば、自殺しなかったかも知れないのである。
 翌朝、美代子が死体を発見して、投げ出されているピストルを見て、黒いリボンでもあれば尚更のこと、葛飾に殺されたものと思い込む。そして葛飾を庇うためにピストルを死人の手に握らせる。
 だが彼女は、意外にもその疑が自分の上にかかって来てのっぴきならなくなった時に、あくまでも葛飾を庇いきる程の勇気もなかった。
 しかも結局、二人の男の一生を自分故に台なしにしてしまった自責の念と果無さとに堪えかねて、せめてもの罪滅しにと、偽の遺書を遺して死んだのである。心の中では矢張り葛飾を有罪と信じながら――
 そして葛飾は美代子のその哀れな志も空に、彼女こそ真の犯人であると考えている。



底本:「アンドロギュノスの裔」薔薇十字社
   1970(昭和45)年9月1日初版発行
初出:「新青年」1929年5月
入力:森下祐行
校正:もりみつじゅんじ
ファイル作成:もりみつじゅんじ
2001年10月30日公開
2002年1月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

・本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

血の流れている右の顳※(こめかみ)には
顳※に一発射ち込んで、
ピストルを出して顳※に当てて見せる。
悲劇役者のような恰好にそれを顳※にあてがう。

第3水準1-94-6
皮膚が切れて血が※んでいる。

第4水準2-78-61
僕のネクタイを※りとったので、

第4水準2-78-12
ピストルを※ぎ取ろうとしました。

第3水準1-84-80

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