平塚・山川・山田三女史に答う(ひらつか・やまかわ・やまださんじょしにこたう)
女史の経済的独立と母性保護問題とについて、平塚雷鳥さんと私との間に端(はし)なくも意見の相異を見たのに対して、平塚さんからは、再び辛辣(しんらつ)な反駁(はんばく)を寄せられ、山川菊栄(やまかわきくえ)さんと山田わか子さんのお二人からは、鄭重(ていちょう)な批評を書いてくださいました。私は何よりも先ず三氏の御厚意に対して十分の感謝を捧げねばなりません。三氏のような豊富な学殖を持たず、三氏のような博詞宏弁を能(よ)くし得ない鈍根な私の書いたものが、偶(たまたま)三氏のお目に触れたというだけでも、私に取ってはかなり嬉しいことであるのに、「唯だ看(み)て過ぎよ」とせずに、わざわざ私のために啓蒙の筆を執って下すったということは真に想いがけない光栄であると感じます。 平塚さんが日本における女流思想家の冠冕(かんべん)であることは、女史の言説や行動に服すると否とにかかわらず、社会が遍(あまね)くこれを認めております。山川、山田二女史に到っては、その出処が平塚さんほどに華々しくなかったために、その卓抜な実力がまだ一般世人の注意を惹(ひ)くだけの機会に達していないのを私は常に遺憾に思っているのです。教育の世界化に由って、女子の学士を出(い)だし、更に女子の博士をも出そうとしている日本に、聡慧篤実な新進女子の次第に殖えて行くべきことは予見されますが、それらの女子の先駆として大きな炬火(たいまつ)を執る一群の星の中に、特に鼎足(ていそく)の形を成しながら光芒の雄偉を競うものはこれらの三女史であると信じます。私は誇張でなく、真実を述べることの正しさにおいていいます。三女史の如きは女流小説家の翹楚(ぎょうそ)である某々女史たちや、婦人理学士の第一着者である某々女史たちと共に、確かに我国婦人界の宝の人であると思います。否、むしろ現在の日本の状態では、生きた新しい国宝と称すべき女史たちであるとさえ思います。私の望むことは、社会がこれらの三女史に対する従来の冷淡な待遇を改めて、出来るだけ三女史のために、その能力を僻(ひが)まず、枉(ま)げず、自由に発揮することの出来る機会を与え、社会もまた出来るだけ三女史の意見に聞いてそれを利用して欲しいと思うことです。三女史の自己主張のためには勿論、社会の幸福に資する人物経済の上からもこれを望まねばなりません。この意味から、たとい私の書いた物は粗末であっても、偶三女史の識見を引出して社会の耳目を集める機縁を一つ殖(ふや)したことについて自ら喜ぼうと思います。 無名氏の手紙は、私が今、三女史の包囲攻撃の中に陥っていることを気附かずにいるかと言って注意されました。如何にも私は自分を論争の十字火の下に暴露して立っていることを認めます。私は論争を好まない者です。また論争に習わない者です。けれども必要のための論争は辞すべきものでないと思っています。三女史に対して捧げている前述のような尊敬は尊敬として、たとい三女史の博詞宏弁を以てしても私の意見の自信を覆(くつが)えさない限り、私はその十字火を凌(しの)いで三女史の前にこの細小の自己を主張せねばなりません。 私は思います。三女史と私とは決して目的においては異っていないのです。女子の解放と完成――それに由って女子が人類のより高くより善い協同生活の構成に参加すること――を目的としている点について、全く同一の方向を取っているのであると信じますが、その出発点と、歩度と、歩む道程とが互に異っているのです。中にも殆ど同じ道程を取っていながら、出発点と歩度とが異っているに過ぎないのでないかと思われるのは山川さんと私との距離だと思います。既に方向を同じくしている以上、三女史も私も互に敵視すべき間柄でなく、私たちは当(まさ)に力(つと)めて、その共通の目的の上に親み合わねばなりません。たとい歩趨(ほすう)の間隔において争うことがあっても、それは同一の目的に早く近づこうとするための競駆であって、互に長短を交換補償する利益こそあれ、恨を遺し疵(きず)を留(とど)むる力争的の行為でないことを、予め茲(ここ)に断って置きます。私たちは因習に拠る頑強な外敵を控えているのです。それに対して常に一致して当る所の用意を持っておらねばなりません。 私の与えられた紙数に制限があります。私は出来るだけ簡略にして言いたいだけの事をこの制限の中に書き並べて行こうと思います。 私が女子の経済的独立を主張しているのは、古(いにしえ)の希臘(ギリシャ)の哲人が「人は理想的に生活する前に先ず現実的に生活することを要す」といい、現代伊太利(イタリヤ)の哲学者クロオツェが「道徳性は具体なるものの中に生き、功利に生きている……従って経済的形式と道徳的形式とは全く分離的にこれを区別することは宜しくない」といった意味で主張しているのです。経済が「社会を構成する凡(すべ)ての階級にその精神上の発達の物質的基礎を充実せしむるを以て最重の職分とするもの」(福田博士)であり、「人間に、他のより高き発達、より貴き活動を得せしめんがために必要なる物質的基礎を均等に与えているや否やを意味するもの」(マアシャル氏)であり、「経済とは、つまり物質的外界に向けられたる人間の行為にして、人間の欲望の充足に応ずる物質的条件を作ることを目的とするものの総体」(米田庄太郎(よねだしょうたろう)氏)であり、「余は人間に向って外部より福を齎(もたら)す物体を総称してこれを富といわんと欲す。……人間の体及び心の健全なる発達を助長し、依(よ)って以て、直接間接に人間をば道徳的に向上せしむるの作用を為す者は、凡てこれを富という。この意味の富の充実を計るもの」(河上博士)である以上、女子に限らず、経済的独立が何人にも必要であることは天日(てんじつ)を指すのと等しく明かな事実です。 なぜにこれを特に女子に向って高調する必要があるかということは、既に私においては、この八、九年間に度々繰返して述べている所ですから、今は自説を述べる代りに、今春長谷川天渓(はせがわてんけい)さんが同じ問題について述べられた一文の中から「自己と現実の世界が何らかの関係を保つようになれば、そこに経済問題が生じて来る。私は現在の婦人界がこの方面を閑却してはいないかと思う。経済上の独立ということは詰らぬ問題のようであるが、現実の世界が経済的に組織されてある間は、これを重要視しなければならぬ。今の婦人界の大部分は自己の解放を欲しつつあるか、あるいは解放の喜悦を味いつつあるか、このいずれかであって、まだ経済上の問題に及ぶことが稀薄である。……何に拠りて生きるか。生活の基礎をどの方面に置くか。真に生きているような心を以て朝を迎えるにはどうしなければならぬか。これらは男女両性に共通の問題であるが、解放されたる今日の女性、いわゆる醒(さ)めたる女性に取りては、それが一層痛切に感じられなければならぬはずだ。……そこで生の悦びを味うことから転じて、生活の基礎を精神的に、また経済的に確実にする思索に入らねばならぬ」という数節を引用して置きます。なおこれについては一条忠衛氏の「男女道徳論」にも詳しい主張があり、米田庄太郎氏の「現代の結婚」という論文や、山脇玄(やまわきげん)博士のいくつかの論文にも適切な解説があります。 私は今更唯物主義に由って経済一元論などを唱えるのでなく、以上のような相対的の意味で経済的独立を主張しているのです。山田さんがこれを誤解して、人間の絶対の独立を経済的手段に由って私が企画しているかの如く攻撃せられたのは、的なきに矢を放たれたものかと思います。 その上、山田さんは、人間が果して精神的にも経済的にも独立することの出来るものであろうかといって、経済的独立の思想及び行為を冷笑し、「独立という美くしそうな言葉に魅せられ」とか「独立などという空想に迷わされ」とかいっておられるようですが、これは思いがけない奇論だと思います。山田さんほどの人がまさか「独立」と「孤立」との意味を混淆(こんこう)されることもないでしょう。人類共同の生活と個人独立の生活とが矛盾すべきものでないことは、「人間はそれ自身を目的として存在する者」として人格の絶対尊貴を教えたカントの哲学に聴いても、「修身」を本として「治国平天下」に拡充し、「人を措いて天を思わば万物の情を失う」(『荀子(じゅんし)』)といい、「人を治むる所以(ゆえん)を知るは天下国家を治むる所以を知るなり」(『中庸』)と説いた支那の昔の哲人たちに聴いても明白な道理だと思います。 近頃有島武郎(ありしまたけお)さんは「世界の内在的価値は人に由って創造される。……どれほど素朴な自己であっても、自己がある以上は、世界はその人の手に由って新たに創造されているのだ。……自己のない所に世界はない。民衆の意識に共通して少しの出入もない世界は一つもない。世界を創造するものは単位であり、同時に綜和であるものは自己だ」といわれました。また近頃中島徳蔵(なかじまとくぞう)氏は「今度の戦争について、国家のためか、主権者のためか、と問うなら、彼ら欧米人は一斉に――恐らく独逸(ドイツ)を除いては――「否、人民のため、自己自身のため」と答えるに躊躇(ちゅうちょ)しないであろう。ウィルソンに柔順に服従することは普通の常識的言明で、実は自我が創造し是認した権威に自我が服従するに外ならぬ。服従とは一種の自由である、自我主張である」と言われました。こういう差別の内に平等を抱き、部分の中に全体を含むそれ自身の発展作用を人生だとすれば、人間は共同生活に浸りながら個人の絶対独立を実現することが出来るのです。相対的な経済的独立は、要するに悠久な人間生活の過程に姑(しばら)くその絶対独立の一つの因素となるに過ぎません。 しかし山田さんの奇抜な独立否定説が必ずしも確信を持って述べられていない証拠には、山田さんは同じ文章の中で「私たちは……他人から独立を輔佐(ほさ)され、いわゆるもちつ、もたれつして生きて行くものだと思います」といい、「精神上の独立を保ちながら充分なる収入を得ている人もありましょう」といっておられるのを見受けます。議論としては一貫しませんが、とにかく一方に補佐される独立や、立派な精神上の独立やの存在することは認めておられるのです。 平塚さんと山川さんとは決して独立の否定などはされないのですが、前者は私と方法を異にして「母性の保護こそ女子の経済的独立を完全に実現する唯一の道」であると主張され、後者は平塚さんの母性保護も私のいう意味の経済的独立も、現実の問題としては「共に結構であり、両者は然(しか)く両立すべからざる性質のものでなくて、むしろ双方共に行われた方が現在の社会において婦人の地位を多少安固(あんこ)にするものだと考える」と穏健な仲裁的意見を述べられると同時に、しかしながら、現在の経済関係という禍の大本に斧鉞(ふえつ)を下そうとしない点においては両者とも「不徹底な弥縫策(びほうさく)」であるといって女史自ら一段高い地歩を占めたと思われるらしい立場から非難されております。 平塚さんに対しては後にいうとして、私は山川さんに申上げて置きます。私は人間の独立に経済的因素が絶対の必要だとは考えず、あくまでも相対的の必要であると思っています。その必要も人間の進化が精神的に高まって行くに従って減少して行かねばならぬ性質のものです。人間が真の福祉に生きる理想生活の実現される時は経済的労働から解放された時であろうと思います。この意味において、私は資本主義的経済関係に束縛されている現在の低級な人類生活を、更に層一層より善き理想的秩序の中へ進化させようとする共通の目的において一致した凡ての新思想と凡ての新主義に味方する者です。山川さんがこれを反対に忖度(そんたく)して、私の議論が専ら資本主義の勃興(ぼっこう)に伴う社会的変化を顧慮し、その範囲において「かかる難境を無難に漕(こ)ぎ抜けるにはどうしたら好いかという問題を中心としている」といわれたのは、それは花の日会や救世軍などの慈善運動に奔走する婦人たちにこそ適評となるでしょうが、私に対しては「否」という外はありません。 しかし千里の路も一歩から初めます。人間生活は長足の進歩をしたとはいえ、高遠な理想生活の全階段からいえば、まだ物質的条件が優勢な位地を占め、主客顛倒(てんとう)して、財貨の多少が精神生活の上にかえって支配権を持つほどの低級な階段にある以上、私たちはこの眼前の事実を無視する訳に行かず、それが必要である限り、一方に経済生活を充実させることに由って精神生活を維持し、向上し、現在の社会状態に身を置きながら、それと反対の高遠な理想生活の方へ自己の全生活を照準し、現在の境遇と実力との可能な範囲において、社会状態を手近なるより善き秩序の下に次第に征服し、改造して前進することが唯一にして且つ聡明な仕方だと思います。現代の倫理学、経済学、法律学、社会学、美学、政治学の凡てが、この意味の生活改造を私たちに暗示しないものはありません。 私は山川さんの立場とせらるる社会主義とても、それが物質的社会主義の範囲にある間は、決して絶対最高の理想生活に応じるために設けられる絶対最高の社会的秩序ではなくて、物質的条件の必要な現代生活を眼中に置いて、資本主義的精神と金銭万能主義との不法に優勢である社会状態の中に住みながら、それを幾段か高い、よりよき秩序に拠って改造しようとするに外ならないと思います。 私は「より善き秩序」のいくつも提供されることを望みます。私が前に、共通の目的において一致した新思想と新主義との凡てに対する味方であると述べたのはこの意味です。そうして、カントのいわゆる「各人に属する、天賦の、唯一の権利」である自由独立の生存を危険にする限り、資本主義の排斥されねばならぬことは、今日において明白な問題ですから、これに代る正当な経済生活の新しい秩序を要求することは、無産階級にある私たちに取って一層痛切なものがあります。しかし米田庄太郎氏がいわれたように、人類は盲目的に新しい社会的秩序を贈られてはなりません。「これを受くるためには、人類は大に奮闘しなければならぬ。つまり、目的意識的に新しい社会的秩序を造るべく努力せねばならぬ」と思います。 山川さんは、私の文中に「経済的に独立する自覚と努力とさえあれば」といい、「富の分配を公平にする制度さえ人間が作れば」といったのに対して、この二句の間に矛盾のあることを指摘されましたが、私のいうのは、そういう自覚と努力とが各人自身に必要である人間が個人主義的に動き出せば、個人主義の徹底である共同責任主義へ向わずには置かず、そういう精神的にも経済的にも独立的意志の堅実な個人が集って団体生活を理想的に整頓しようとするなら、経済的には富の分配を公平にする制度が相互一致の中に実現されるに違いないという意味であったのです。矛盾はないと思います。 山川さんは「そういう制度が作られていない現代においては、個人の自覚と努力だけで貧困を免れることは出来ない」といわれましたが、制度は個人の多数が意識的に作るのです。制度が先にあっても宜しいが、個人が多数に目覚めて、その制度を我物として活かすのでなくては、制度も猫に小判ですから、私は先ず個人の自覚と努力とを特にそれの乏しい婦人の側に促しているのです。勿論大多数の人間がその気にならない限り、制度があっても大多数の人間が完全に貧困を免れることは出来ませんが、一人でも早く気が附いて努力すれば、その人は或程度までの経済的独立が得られるものだと信じます。不完全な独立であるにしても、在来のように女子が男子に寄食して遊民と奴隷との位地に堕落していたのに比ぶれば、既に内面的に独立生活の中にあるものです。「道を問うは既に道に入るなり」という意味において、確かにこのようにいうことが出来ると思います。 経済的独立ということを具体的にいえば、人間が心的に体的に、いずれかの労働に由って自ら物質的の生活を充たして行くことです。「今日の社会にあっては、その種類の何たるを問わず、遊手坐食はいずれの方面より観察するも断じて許さざる所である。……労働を重んずると賤(さげす)むとが新旧世界を分画する最も著明な境界線である」(滝本博士)という思想に何人(なんぴと)も異論はないと思います。 しかるに三女史とも共通の、もしくは個別的の種々の理由から、積極的もしくは消極的に女子の労働生活に反対されました。平塚、山田の二女史はこれを「詩人の空想だ」という風にまでいわれました。詩人の空想というものが、そのように安価にかつ悪い意味にのみ用いることの出来ないものであり、現実と離れた空想というものもないこと位は「美学」の一冊でも読んだ人たちには自明の事だと思いますが、姑(しばら)く二女史の常識的発言のままに従って置くとして、私は茲(ここ)に三女史に対してお答えします。
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