一
昭和×年四月二十七日午後八時半……。 下関発上り一二等特急、富士号、二等寝台車の上段の帷をピッタリと鎖して、シャツに猿股一つのまま枕元の豆電燈を灯けた。ノウノウと手足を伸ばした序に、枕元に掛けた紺背広の内ポケットから匕首拵の短刀を取出して仰向になったまま鞘を払ってみた。 切先から元まで八寸八分……一点の曇もない。正宗相伝の銀河に擬う大湾に、火焔鋩子の返りが切先長く垂れて水気が滴るよう……中心に「建武五年。於肥州平戸作之。盛広」と銘打った家伝の宝刀である。近いうちにこの切先が、私の手の内で何人かの血を吸うであろう……と思うと一道の凄気が惻々として身に迫って来る。 私は短刀をピッタリと鞘に納めて、枕元に突込んだ。 電燈を消して静かに眼を閉じてみると、今朝からの出来事が、アリアリと眼の前に浮み上って来る。
今朝……四月二十七日の午前十一時頃の事、雨の音も静かなQ大医学部、大寺内科、第十一号病室の扉を静かに開いて、私の異母弟、友石友次郎が這入って来た。死人のような青い顔をして、私の寝台の前に突立った彼は、私の顔を真正面に見得ないらしく、ガックリと頭を低れた。間もなく長い房々した髪毛の蔭からポタポタと涙を滴らし初めた。 ……妙な奴だ。私は寝台の中から半身を起した。 私とは正反対のスラリとした痩型の弟である。永い間、私の月給に縋って、ついこの頃銀時計の医学士になって、このQ大学のレントゲン室に出勤している者であるが、タッタ一人の骨肉の兄である私の貧乏に遠慮して、今だに背広服を作り得ずに、金釦の学生服のままで勤務している純情の弟……恋愛小説の挿画みたような美青年の癖に、カフェエなんか見向きもしない糞真面目な弟……そいつが何か悪い事でもしたかのように私の前にうなだれてメソメソ泣いているから、おかしい。 私は又、その弟と正反対に小さい時から頑丈な体格で頭が頗る悪い。早稲田文学士の肩書を持ちながら柔道五段の免状を拾っているお蔭で、辛うじてこのQ大の柔道教師の職に喰い下っている武骨者であるが、ツイこの頃軽い胃潰瘍の疑いで、Q大附属のこの病室に入院した。ところが、その胃潰瘍が程なく全快して、出血が止ったので念のために、この胃潰瘍が癌になっているかいないかを調べる目的でX光線にかかって、レントゲン主任の内藤医学士から「異状無し」と宣告されたのでホットして帰って来て寝台に引っくり返ったばかりのところであった。その矢先に突然にレントゲン室から帰って来た弟が、私の枕元に突立ったままメソメソ泣出したのだから、面喰わざるを得ない。 「どうしたんだ一体……」 「兄さんッ。僕は……僕はホントの事を云います」 激情に満ち満ちた声で叫んだ弟はイキナリ私の頸ッ玉に飛付いた。横頬を私の胸にスリ付けてシャクリ上げシャクリ上げ云った。 「……ナ……何だ。何をしたんだ」 「兄さんの生命はモウ……今から二週間と持ちませんッ」 「……ナ……なあんだ。そんな事か……アハハハハ……」 私は咄嗟の間に、わざとらしい豪傑笑いをした。トタンに横腹がザワザワと粟立って、何かしら悲痛な熱いものが、胸先へコミ上げて来るのをグッと嚥み下した。 「フウーン。やっぱり胃癌だったのかい」 弟は私の肩に縋り付いたまま青白い顔を痙攣らせて私を仰いだ。 「……モット……モット恐ろしい物なんです。兄さんの心臓に大きな大動脈瘤が在るんです」 「フーム。大動脈瘤……」
私は動脈瘤の恐ろしさを知っていた。 俺は黴毒なんかには罹らないとか何とか云って威張っている奴の血液の中にコッソリ居残っている黴毒の地下細胞菌が、ずっと後になって色んな悪戯をはじめる。そいつが心臓の出口の大動脈の附根に引っかかると二年か三年か経つうちにそこいらの血管がブヨブヨに弱くなって来る。本人がチットモ気付かない間にその部分の血管が、心臓から押出される血液の圧力に堪えかねて、少しずつ少しずつゴム風船のように膨れ上り初める。そいつがだんだん大きくなって肋骨の内側をコスり削って咳嗽を連発さしたり、声帯に伝わる神経を圧迫して声を嗄らしたりし初めるのであるが、それでも本人はまだ気付かない事がある。医師も呼吸器病ぐらいに考えて呑気に構えているうちに、とうとうその瘤の頭が紙みたいに薄くなるまで膨れて来て、やがてボカンと破裂する。肋骨の外へパンクして胸を血だらけにして引っくり返る事もあるが、内側へパンクするとそのまま、激烈な腹膜炎を起す。さもなくとも頭の方へ血を送っている管の根本が破れるんだから脳髄が一ペンに参って、卒中よりも迅速に斃れてしまうという世にも恐ろしいのがこの大動脈瘤である。しかも極めて早期に発見されたもので二年。遅く発見されたものだと一二週間の寿命しかないのが今までのレコードである。滅多にない病気ではあるが、発見されたが最後、如何なる名医でも手段の施しようがない。 「……兄さんのは……非常に……ステキに大きいのです。こんな大きいのは見た事がないって内藤先生も云っておられました」 弟は青褪めた顔でオズオズと笑った。両眼に溜まっていた涙がハラハラと両頬を伝わった。 私は熱に浮かされたような気持になった。魂が肉体から離れたような気持で笑い笑い云った。 「アハハハハ。済まん済まん。余計な心配かけて済まん。俺の動脈瘤は満洲直輸入だ。大原大将閣下の護衛で哈爾賓に行った時に、露助の女から貰った病毒に違いないのだよ。アハハハ。自業自得だ。……しかし……よく云ってくれた」 弟はモウ立っている事が出来なくなったらしい。私の頸に一層深く両手を捲付けてオロオロと泣出した。 「馬鹿。泣く奴があるか。見っともない」 私は寝台の枕の下から白い封筒に入れた札束を取出した。念のため数えてみると十円紙幣が七十枚ある。その中から四十枚だけ数えて新聞紙に包んだ。 「いいか。ここに四百円ある。これは俺達が病気した時の用心に貯金しといた金だ。俺の葬式をした残りはお前に遣る。大寺教授と相談してどこかの病院に奉公しろ。……な……わかったか」 弟は私が押付けた紙幣の包みを手にもとらずに大声をあげた。 「いやですいやです。兄さん。死んじゃ厭です。……生きて……生きてて下さい生きてて下さい……」 私はとうとう混乱してしまった。セグリ上げて来る涙を奥歯で噛締めた。静かに弟の両腕を引離して寝台の上に座り直した。 「馬鹿……俺が自殺でもすると思っているのか。馬鹿……俺は一週間でも一時間でもいい、残っている生命を最後の最後の一秒までも大切に使うんだ。それよりも早く大寺先生の処へ行って御礼を云って来い。お蔭で癌じゃない事がわかって、兄貴が喜んでおりますと、そう云って来い。……直ぐに行って来い」 「ハイ……」 弟は柔順にうなずいた。寝台の枕元に掛けたタオルに薬鑵の湯を器用に流しかけて、涙に汚れた顔をゴシゴシと拭い初めた。 「それから何でも冷静にするんだぞ。どんな事があっても騒ぐ事はならんぞ」 「ハイ……」 弟は湯気の立つタオルの中でうなずいた。
弟が出て行くと直ぐに私は大急行で寝巻を脱いで、永年着古した背広服に着かえた。手廻りの品々をバスケットに詰めた。夜具を丸めて大風呂敷に包んだ。その風呂敷の上にピンで名刺を止めて万年筆で小さく書いた。 「俺は行衛を晦ます。死際に一仕事したいからだ。どんな事があっても騒ぐなよ。俺の生命がけの仕事を邪魔するなよ」
大寺教授の自宅に「退院御礼」と書いた菓子箱を置いて博多駅前のポストに学部長宛の辞表を投込んだ私は、間もなく着いた上りの急行列車に風呂敷包を一つ提げて乗込んだ。幸い識合いの者に一人も出会わなかったのでホッとした。敏感な弟も、こうした私の最後の目的ばかりは察し得なかったと見える。 私の最後の目的というのは一つの復讐であった。 私には義理の伯父が一人ある。名前を云ったら知っている人もあるだろう。須婆田車六といって日印協会の理事だ。その伯父は目下奇術師で、朝野の紳士を散々飜弄した揚句、行衛を晦ましている毒婦、雲月斎玉兎女史とくっ付き合って、目下、銀座のどこかで素晴らしい人肉売買をやっている事を私はチャント知っている。しかも巨万の富を貯えて印度貿易に関する限り非常な潜勢力を有し、非常時の内治、外交の裡面に重大な暗躍を試みているらしい事も、私が嘗て東京で、暴力団の用心棒をやっていた関係からチャンと睨んでいる。 伯父はそうした異国趣味のエロ商売で、日本に亡命して来る印度の志士や、潜入して来る各国のスパイ連を片端から軟化させているという噂だ。 私の知っている事実は、そればかりでない。 その位な伯父、須婆田車六のそうした財産は、私の父親を殺して奪い取ったものである事も、私はチャンと察しているのだ。 私の父親は日露戦争当時から、日本の軍事探偵となって、満洲西比利亜方面を跋渉しているうちに、松花江の沿岸で、素晴らしい金鉱を幾個所となく発見していた。しかし沈着な父は、それを誰にも話さずにいたが、日露戦役後、私の実母が、積る苦労のために病死すると、父は親友の須婆田車六の実姉で、須婆田弓子という若い美しい未亡人を後妻に貰った。 それは私が子供心にも美しいと思った位であったから余程美しい評判の婦人であったろうと思う。親類たちは妙にこの婦人を白い眼で見て、「あんまり年を老ってから美しい奥さんを持つと決していいことはない」などとまだ子供の私に云い聞かせていた位であったが、義母の弓子は、この上もなく私を可愛がって実の母以上につくしてくれたので、私はむしろそんな親類に反感を持って義母になついていたものであった。ところが世間の噂というものが妙に適中するものであるように、こうして親類たちの中傷の言葉が不思議にも讖をなしたのであった。要するに私たちの若い母親が余りにも美しすぎたせいであったから。 この義母の弓子が今の弟、友次郎を生むと間もなく、父がその若い母を愛する余りに、その金鉱の事を何気なく打明けた。近いうちに軍事探偵を廃業して、ここに砂金を採りに行くのだと云って、満洲の地図に赤い印を附けてみせたものである。これがそもそもの間違いの初まりであった。 私たちの愚かな母親弓子は当時哈爾賓の英国商人の処に奉公していた伯父に、その事を通信したらしい。伯父は直ぐに帰って来て母親からその地図を捲き上げると、哈爾賓に引返して、私の父が軍事探偵である事をG・P・Uに密告したに違いないのだ。 間もなく砂金採掘の用意をして渡満した父は、哈爾賓の市外で、露人に誘拐されて満洲里に連れて行かれる途中、列車の中で射殺されて鉄橋の下に投棄てられていたという事実が報道されている。しかもこの報道を聞いた母の弓子は流産をした上に発狂して、何も喰わずに飢死してしまった。 抜目のない伯父は妹の弓子に一万円の生命保険をかけておいたので、その金も自分のものとしてしまった。そうして私たち兄弟に、僅か千円ばかりの葬式の費用を投与えたきり、砂金の採掘権を支那人に売渡して、印度に行ってしまった。 私の母親弓子が発狂した時に口走った事実を綜合すると、そうした伯父の非道な所業は全部事実と思われるばかりでない。伯父がズット以前から雲月斎玉兎女史の隠れたる後援者であった関係から、この残忍悪辣な工作は二人の共謀の仕事と疑えば疑えたのであるが、その当時、弟はまだ幼稚かったし、感付いていたのは私一人だったから証拠らしいものは何一つ残っていない。だから私は今日まで……否死ぬまで弟には打明けまいと決心していたのだ。 しかし私の生命がアト二週間しかないとなると、すこし話が違って来る。卑怯な云い草のようであるが、伯父の過去の罪を清算してやって、私の弟を一躍巨万の富豪にしてやる冒険が、必ずしも冒険でなくなって来るのだ。
私はいつの間にか眠ってしまったらしい。 翌る日は久し振り汽車に乗ったせいか、無暗に腹が減った。ボーイに笑われる覚悟で三度目に食堂に入っていると間もなく左手に富士山が見えた。多分今生の見納めであろう富士山が……。
富士が嶺は吾が思ふ国に生り出でて
吾が思ふごと高く清らなる
コンナ和歌が私の唇から辷り出た。他人の歌を暗記していたのか、私が初めて詠んだのかわからない。それ程スラスラと私の頭から辷り出た。辞世というものはコンナ風にして出来るものかも知れないと思うと思わず胸がドキンドキンとした。富士山は日本の大動脈瘤じゃないか知らん……といったような怪奇な聯想も浮かんだがコイツはどうしても歌にならなかった。
東京駅で降りて築地の八方館という小さな宿屋に風呂敷包とバスケットを投込むと直ぐに理髪店に行った。頭を真中からテカテカに分けて、モミアゲを短かくして、鼻の下の無精鬚をチョッピリ剃り残すとスッカリ人相が変ってしまった。それから夕方になるのを待ちかねて銀座に出て、ズラリと並んでいるカフェエや酒場を新橋の方からなし崩しに漁り初めた。絶縁同様になっている伯父の行衛を探すにはこの方法以外に方法はない……日印協会に問合わせたり、区役所を調べてまわったり、古馴染の右傾団体から手をまわしたりして万一感付かれたらカタナシになる。電話帳に本名を出しとくような狐狸とは段違いの怪物だからウッカリした事は出来ないと思ったからだ。 私は何とかして不意打に伯父に会わねばならぬ。ズバリと度胆を抜いて頭ゴナシの短時間に退引ならぬところへ逐い詰めてしまわねばならぬ。 カフェ探訪の最初の晩は大馬力をかけて廻ったので十四五軒程片付いたが、それでも左側の軒並二町とは片付いてはいなかった。 しかし私は屁古垂れなかった。よっぽど私立探偵に頼もうかと思ったが、この問題は絶対に他人に嗅がしてはいけないと思ったので、どこまでも自分自身に調べて行った。 そのうちに金はまだイクラカ残っているがカンジン・カナメの二週間の日限が切れそうになって来た。伯父の経営する店を発見しない中に私の心臓がパンクしてしまえばソレッキリである。Q大の十一号病室で弟に残りの三百円を呉れてしまって自殺した方がまだしも有意義だった……という事になる。 二週間がアト一日となった五月十一日は折角晴れ続いていた天気が引っくり返って、朝から梅雨のような雨がシトシトと降っていた。 何も私の大動脈瘤の寿命が四月二十七日からキッカリ二週間と、科学的に測定されている訳ではなかったけれども、起上ってみると妙に左の肋骨の下が、ドキドキドキと重苦しく突張り返って来るような気がした。 私は見違えるほど痩せ衰えた自分の顔を洗面所の鏡の中に覗いてみた。心臓を警戒して久しく湯に這入らなかったせいか皮膚が鉛色にドス黒くなって睡眠不足の白眼が真鍮色に光っている。何となく死相を帯びているモノスゴサは、さながらにお能の幽霊の仮面だ。自分でも気になったので、安全剃刀で叮嚀に剃って、女中からクリームとパウダを貰ってタタキ付けた。午後になると、自分の心が自分の心でないような奇妙な気持で、依然として青々と降り続ける小雨の中をフラフラと銀座に出た。 私の仕事の範囲はもう残り少なになって来た。 京橋際に近いとある洋品店と額縁屋の間に在る狭い横路地の前を通ると、その奥に何か在りそうな気がしたので、肩を横にして一町ばかり進入してみた。 私は間もなく漆喰でタタキ固めた三間四方ばかりの空地に出た。 正面の頑丈な木の扉に、小児の頭ぐらいの真鍮鋲を一面に打ち並べた倉庫のような石造洋館が立塞がっている。残りの三方は巨大なコンクリート建築の一端で正方形に囲まれている。そのビルデングの背中に高く高く突上げられた十坪ほどの灰色の平面から薄光りする雨がスイスイスイと無限に落ちて来る。 「イラッシャアイ……」 耳の傍で突然に奇妙な声がしたので私はビックリした。 私の眼の前……空地のマン中に、天から降ったような巨大な印度人が突立っている。 私は一歩退いた。眼を丸くしてその印度人を見上げた。
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