何はともあれ善は急げ。二人がこうして揃った上は便々と三月十五日を待つ迄もない……というので、二人は顔を揃えて島原の松本楼に押し上り、芸妓末社を総上げにして威勢を張り、サテ満月を出せと註文をすると、慌てて茶代の礼を云いに来た亭主が、妙な顔をして二人を別の離座敷に案内した。そこで薄茶を出した亭主の涙ながらの話を聞いているうちに、二人は開いた口が塞がらなくなったのであった。 満月は、モウこの世に居ないのであった。 「お聞き下されませ去年の春。あの花見の道中の道すがら満月が、昔なじみのお二方様に、勿体ない事を申上げて、お恥かしめ申上ました事は、いつ、誰の口からともなく忽ちの中に京、大阪中の大評判になりましたもので……。 ……ところがその評判につれて、お二人様のお姿が、京、大阪界隈にフッツリと見えなくなりますると、御老人の気弱さからでも御座りましょうか。金丸大尽様が何とのう御周章になりまして、お二人様から、どのように満月が怨まれていようやら知れぬ。満月と自分の身体に万一の事がないうちにと仰言るような仔細で、こちらからお願い申上げまする通りのお金を積んで、満月ことを御身請なされまして、嵯峨野の奥の御邸を御造作なされ変えて、お城のように締りの厳重な一廓を構え、その中に美事な別荘好みのお家敷を作り、水を引き、草木を植えて、満月をお住まわせになりました。 ……それは見事なお構えで御座いました。お客にお出でになりましたお江戸の学者、鼻曲山人様も、お筆に残しておいでになりまする。私どもが御機嫌伺いに参りましても根府川の飛石伝い、三尺の沓脱は徳山花崗の縮緬タタキ、黒縁に綾骨の障子。音もなく開きますれば青々とした三畳敷。五分縁の南京更紗。引ずり小手の砂壁。楠の天井。一間二枚の襖は銀泥に武蔵野の唐紙。楽焼の引手。これを開きますると八畳のお座敷は南向のまわり縁。紅カリンの床板、黒柿の落し掛。南天の柱なぞ、眼を驚かす風流好み。京中を探しましても、これ程のお座敷はよも御座いますまい。満月どのの満足もいかばかりかと存じておりましたが、満つれば欠くる世の習いとか。月にむら雲。花に嵐の比喩も古めかしい事ながら、さて只今と相成りましては痛わしゅうて、情のうて涙がこぼれまする事ばかり……。 何をお隠し申しましょう。満月ことはまだ手前の処で勤めに出ておりまする最中から、重い胸の疾患に罹っておりましたので、いずれに致しましても長い生命ではなかったので御座いまする。されば金丸大尽様からの御身請の御話が御座りました時にも、手前の方から商売気を離れまして、この事を残らず大尽様にお打明け致しまして、かかり付けのお医者様順庵様までも御同席願いました上で、かような不治の疾患の者を御身請なぞとは勿体ない。満月ことを左程御贔負に思召し賜わりまするならば、せめて寮へ下げて養生致させまする御薬代なりと賜わりましたならば、当人の身に取り、私どもに取りまして何よりの仕合わせに御座りまする。所詮、行末の計られませぬ病人を、まんろくな者と申しくるめて御引取願いましては商売冥利に尽きますると平に御宥免を願いましたが、流石に長者様とも呼ばるる御方様の御腹中は又格別なもので、さては又あれが御老人の一徹とでも申上るもので御座いましょうか、いやいやそれは要らざる斟酌。楼主の心入れは重々忝ないが、さればというてこのまま手を引いてしもうてはこっちの心が一つも届かぬ。商売は商売。人情は人情じゃ。皿茶碗の疵物ならば、疵のわかり次第棄てても仕舞おうが、生きた人間の病気は、そのようなものと同列には考えられぬ。袖振り合うも他生の縁とやら。それほどの病気ならばこちらへ引取って介抱しとうなるのが人情。まさかに満月の身体を無代価で引取る訳には行くまいと仰言る、退引きならぬお話。こちらもその御執心と御道理に負けまして、満月をお渡し申上げたような次第で御座りまする。……が……。 ……さて満月さんをお引取りになりましてからの大尽さまのお心づくしというものは、それはそれは心にも言葉にも悉くされる事では御座いませなんだ。京大阪の良いお医者というお医者を尋ね求め、また別に人をお遣わしなされて日本中にありとあらゆる癆のお薬をお求めになりました。そのほか大法、秘法の数々、加持、祈祷のあらん限り、手をつくし品を換えての御介抱で御座いましたが、定まる生命というものは致し方のないもので、去年の夏もようように過ぎて秋風の立ちまする頃、果敢なくも二十一歳を一期としてこの世の光りを見納めました。その夜は如何ようなめぐり合わせでも御座りましつろうか、拭うたような仲秋の満月の夜で御座いましたが、重たい枕を上げる力ものうなりました人間の満月どのは、おろおろしておいでになりまする金丸様のお手と、駈付けて参りました私の手を瘠せ枯れた右と左の手に力なく振って、庭の面にさらばう虫の声よりも細々とした息の下に、かような遺言をなされました。 ……これまでの方々様の御心づくし、何と御礼を申上げましょうやら。つたないこの身に余り過ぎました栄耀栄華。空恐ろしゅうて行く先が思い遣られまする計りで御座います。ただ、おゆるし下されませ。金丸様と、御楼主様の御恩のほどは生々世々犬畜生、虫ケラに生れ代りましょうとも決して忘れは致しますまい。 ……わたくし幼少い時より両親に死に別れまして、親身の親孝行も致しようのない身の上とて、この上はただ御楼主様の御養育の御恩を、一心にお返しするよりほかに道はないと、そればかりを楽しみに思い詰めて成長くなりましたところへ、肉親の親から譲られましたこの重病。いずれ長い寿命はないものと思い諦らめましてからというもの、一も御店のため、二も御楼主様への御恩返しとあらゆる有難い御嫖客様を手玉に取り、いく程の罪を重ねましたことやら。それだけでも来世は地獄に堕ちましょう。その中にも忘れかねましたのは、あの銀様と千様のこと。今年の花見の道中で、あのような心ない事を申しましたのも、心底からお二人様の御行末を愛しゅう思いましたればの事。早ようこのような女を思い切って、男らしい御生涯にお入りなされませと、平生から御意見申上げたい申上げたいと思いながらも、それがなりませぬ悲しい思いが、お変りなされたお二人のお姿を見上げますと一時に、たまらぬようになりまして、熱い固まりを胸にこらえながら、やっとあれだけ申しましたもの……それを、どのような心にお取りなされましたやら。それから後というものフッツリとお二人のお姿が京、大阪の中にお見えになりませぬとやら。その後の御様子を聞くすべもないこの胸の中の苦しさ辛らさ。お二人様は今頃日本のどこかで、怨めしい憎い女と思召して、寝ても醒めても怨んでおいでなされましょうか。それとも、もしやお若い心の遣る瀬なさにこの世を儚なみ思い詰めて、あられぬ御最期をなされはせまいか。これはこの身の自惚れか。思い過ごしか。罪の深さよ。浅ましさよと、思いめぐらせばめぐらすほど、身も心も瘠せ細る三日月の、枯木の枝に縋り付きながら、土の底へ沈み果てまする、わたくしの一生。 ……わけても勿体ない御ことは金丸様。御身請の御恩は主様の御恩、親様の御恩にも憎して深いものと承わっておりながら、身をお任せ申しまする甲斐もない、うつそみの脱殻よりも忌まわしいこの病身、逆様の御介抱を受けまするなりにこの世を去りまする面目なさ。空恐ろしさ。来世は牛にも馬にも生れ変りまして、草を喰べ、水を飲みましても貴方様を背負いまする身の上になりまするようにと、神様、仏様に心中の御願はかけながらも、この世にては露ほども御恩返しの叶わぬ情なさ。女とはかようなものかと夕蝉の、草の葉末に取りついて、心も空に泣き暮らすばかり。 ……神様、仏様の御恩は申すに及ばず、この世にてお世話様になりました方々や、不束なわたくしに仮初にも有難いお言葉を賜わりました方々様へは、これこの通り手を合わせまする。ただ何事もわたくしの、つたない前世の因果ゆえと思召して、おゆるしなされて下されませ……。 ……と……云わるる声も絶え絶えに、水晶のような涙がタッタ二すじ、右と左へ、緞子の枕に伝わり落ちると思ううちに、あるかないかの息が絶えました。それはちょうど大空の澄み渡った満月が、御病室の屋の棟を超える時刻で御座いました。 ……金丸長者様の御歎きは申すまでも御座いませぬ。この世の無常とやらを深くもお悟りになったので御座いましょう。それから間もなく、さしもにお美事なお住居をお建て換えになりまして一宇のお寺を建立なされ、無明山満月寺と寺号をお附けになりました。去るあたりから尊い智識をお迎えになりまして御住職となされ、満月どののために仰山な施餓鬼をなされまして、御自身も頭を丸めて法体となり、法名を友月と名乗り、朝から晩まで鉦をたたいて京洛の町中を念仏してまわり、満月どのの菩提を弔うておいでになりまする。先祖代々算盤を生命と思うておりまする私どもまでも、その友月上人様の御痛わしいお姿を拝みまする度毎に、まことに眼も眩れ、心もしどろになりまするばかり……」 と云ううちに松本楼の主人は涙を押えて声を呑んだ。 銀之丞も、千六も、もう正体もなく泣崩れていた。ことに播磨屋の千六は町人のボンチ上りだけに、取止めもなく声を放ってワアワアと泣出すのであった。
嵯峨野の奥、無明山満月寺の裏手に、桜吹雪に囲まれた一基の美事な新墓が建っている。正面に名娼満月之墓と金字を彫り、裏に宝暦二年仲秋行年二十一歳と刻んである。 その前に香華を手向けて礼拝を遂げた老僧と新発意二人。老僧は金丸長者の後身友月。新発意の一人は俗名銀之丞こと友銀、今一人は千六こと友雲であった。いずれも三月二十一日……思い出も深い島原の道中から七日目のきょう、一切合財の財産を思い切って満月寺に寄進し、当住職を導師として剃髪し、先輩の老僧友月と共に、満一年振りの変り果てた満月の姿を拝んだのであった。 三人は三人とも、今更に夢のような昔を偲び、今を思うて代る代る法衣の袖を絞り合った。暫くは墓の前を立上る気色もなかったが、やがて一しきり渦巻く落花の吹雪の中を三人はよろよろと満月の墓前からよろめき出た。 三人は並んで山門を出ると人も無い郊外の田圃道を後になり先になり列を作って鉦をたたいた。半泣きの曇り声を張上げて念仏を初めた。 「南ア無ウ阿ア弥イ陀ア仏ウ」 「ナアン……マアイ……ダア――アア」 「ナア――モオ――ダア――アア」
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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