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花子(はなこ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-7 9:59:02 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 Auguste Rodin は為事場へ出て来た。
 広い間一ぱいに朝日が差し込んでゐる。この H※(サーカムフレックスアクセント付きO小文字)tel Biron といふのは、もと或る富豪の作つた、贅沢な建物であるが、つひ此間まで聖心派の尼寺になつていた。Faubourg Saint-Germain の娘子供を集めて Sacr※(アキュートアクセント付きE小文字)-C※(リガチャOE小文字)ur の尼達が、此間で讃美歌を歌はせてゐたのであらう。
 巣の内の雛が親鳥の来るのを見附けたやうに、一列に並んだ娘達が桃色の脣を開いて歌つたことであらう。
 その賑やかな声は今は聞えない。
 併しそれと違つた賑やかさが此間を領してゐる。或る別様の生活が此間を領してゐる。それは声の無い生活である。声は無いが、強烈な、錬稠せられた、顫動してゐる、別様の生活である。
 幾つかの台の上に、幾つかの礬土の塊がある。又外の台の上にはごつ/\した大理石の塊もある。日光の下に種々の植物が華さくやうに、同時に幾つかの為事を始めて、かはる/″\気の向いたのに手を着ける習慣になつてゐるので、幾つかの作品が後れたり先だつたりして、此人の手の下に、自然のやうに生長して行くのである。此人は恐るべき形の記憶を有してゐる。その作品は手を動さない間にも生長してゐるのである。此人は恐るべき意志の集中力を有してゐる。為事に掛かつた刹那に、もう数時間前から為事をし続けてゐるやうな態度になることが出来るのである。
 ロダンは晴やかな顔附をして、この許多の半成の作品を見渡した。広々とした額。中程に節のあるやうな鼻。白いたつぷりある髯が腮の周囲に簇がつてゐる。
 戸をこつ/\と叩く音がする。
「Entrez !」
 底に力の籠つた、老人らしくない声が広間の空気を波立たせた。
 戸を開けて這入つて来たのは、猶太教徒かと思はれるやうな、褐色の髪の濃い、三十代の痩せた男である。
 お約束の Mademoiselle Hanako を連れて来たと云つた。
 ロダンは這入つて来た男を見た時も、その詞を聞いた時も、別に顔色をも動かさなかつた。
 いつか Kambodscha の酋長が巴里に滞在してゐた頃、それが連れて来てゐた踊子を見て、繊く長い手足の、しなやかな運動に、人を迷はせるやうな、一種の趣のあるのを感じたことがある。その時急いで取つた dessins が今も残つてゐるのである。さういふ風に、どの人種にも美しい処がある、それを見附ける人の目次第で美しい処があると信じてゐるロダンは、此間から花子といふ日本の女が vari※(アキュートアクセント付きE小文字)t※(アキュートアクセント付きE小文字) に出てゐるといふことを聞いて、それを連れて来て見せてくれるやうに、伝を求めて、花子を買つて出してゐる男に頼んで置いたのである。
 今来たのはその興行師である。Impr※(アキュートアクセント付きE小文字)sario である。
「こつちへ這入らせて下さい」とロダンは云つた。椅子をも指さないのは、その暇がないからばかりではない。
「通訳をする人が一しよに来てゐますが。」機嫌を伺ふやうに云ふのである。
「それは誰ですか。フランス人ですか。」
「いゝえ。日本人です。L'Institut Pasteur で為事をしてゐる学生ですが、先生の所へ呼ばれたといふことを花子に聞いて、望んで通訳をしに来たのです。」
「宜しい。一しよに這入らせて下さい。」
 興行師は承知して出て行つた。
 直ぐに男女の日本人が這入つて来た。二人共際立つて小さく見える。跡に附いて這入つて戸を締める興行師も、大きい男ではないのに、二人の日本人はその男の耳までしかないのである。
 ロダンの目は注意して物を視るとき、内眥に深く刻んだやうな皺が出来る。この時その皺が出来た。視線は学生から花子に移つて、そこに暫く留まつてゐる。
 学生は挨拶をして、ロダンの出した、腱の一本一本浮いてゐる右の手を握つた。La Dana※(ダイエレシス付きI小文字)de や Le Baiser や Le Penseur を作つた手を握つた。そして名刺入から、医学士久保田某と書いた名刺を出してわたした。
 ロダンは名刺を一寸見て云つた。「ランスチチユウ・パストヨオルで為事をしてゐるのですか。」
「さうです。」
「もう長くゐますか。」
「三箇月になります。」
「Avez-vous bien travaill※(アキュートアクセント付きE小文字) ?」
 学生ははつと思つた。ロダンといふ人が口癖のやうに云ふ詞だと、兼て噂に聞いてゐた、その簡単な詞が今自分に対して発せられたのである。
「Oui, beaucoup, Monsieur !」と答へると同時に、久保田はこれから生涯勉強しようと、神明に誓つたやうな心持がしたのである。
 久保田は花子を紹介した。ロダンは花子の小さい、締まつた体を、不恰好に結つた高島田の巓から、白足袋に千代田草履を穿いた足の尖まで、一目に領略するやうな見方をして、小さい巌畳な手を握つた。
 久保田の心は一種の羞恥を覚えることを禁じ得なかつた。日本の女としてロダンに紹介するには、も少し立派な女が欲しかつたと思つたのである。
 さう思つたのも無理は無い。花子は別品ではないのである。日本の女優だと云つて、或時忽然ヨオロツパの都会に現れた。そんな女優が日本にゐたかどうだか、日本人には知つたものはない。久保田も勿論知らないのである。しかもそれが別品でない。お三どんのやうだと云つては、可哀さうであらう。格列荒い為事をしたことはないと見えて、手足なんぞは荒れてゐない。併し十七の娘盛なのに、小間使としても少し受け取りにくい姿である。一言で評すれば、子守あがり位にしか、値踏が出来兼ねるのである。
 意外にもロダンの顔には満足の色が見えてゐる。健康で余り安逸を貪つたことの無い花子の、些の脂肪をも貯へてゐない、薄い皮膚の底に、適度の労動によつて好く発育した、緊張力のある筋肉が、額と腮の詰まつた短い顔、あらはに見えてゐる頸、手袋をしない手と腕に躍動してゐるのが、ロダンには気に入つたのである。
 ロダンの差し伸べた手を、もう大分ヨオロツパ慣れてゐる花子は、愛相の好い微笑を顔に見せて握つた。
 ロダンは二人に椅子を侑めた。そして興行師に、「少し応接所で待つてゐて下さい」と云つた。
 興行師の出て行つた跡で、二人は腰を掛けた。

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