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花子(はなこ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-7 9:59:02 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 ロダンは久保田の前に烟草の箱を開けて出しながら、花子に、「マドモアセユの故郷には山がありますか、海がありますか」と云つた。
 花子はこんな世渡をする女の常として、いつも人に問はれるときに話す、極まつた、st※(アキュートアクセント付きE小文字)r※(アキュートアクセント付きE小文字)otype な身の上話がある。丁度あの Zola の Lourdes で、汽車の中に乗り込んでゐて、足の創の直つた霊験を話す小娘の話のやうなものである。度々同じ事を話すので、次第に修行が詰んで、routine のある小説家の書く文章のやうになつてゐる。ロダンの不用意な問は幸にも此腹藁を破つてしまつた。
「山は遠うございます。海はぢき傍にございます。」
 答はロダンの気に入つた。
「度々舟に乗りましたか。」
「乗りました。」
「自分で漕ぎましたか。」
「まだ小さかつたから、自分で漕いだことはございません。父が漕ぎました。」
 ロダンの空想には画が浮かんだ。そして暫く黙つてゐた。ロダンは黙る人である。
 ロダンは何の過渡もなしに、久保田にかう云つた。「マドモアセユはわたしの職業を知つてゐるでせう。着物を脱ぐでせうか。」
 久保田は暫く考へた。外の人の為めになら、同国の女を裸体にする取次は無論しない。併しロダンが為めには厭はない。それは何も考へることを要せない。只花子がどう云ふだらうかと思つたのである。
「兎に角話して見ませう。」
「どうぞ。」
 久保田は花子にかう云つた。「少し先生が相談があると云ふのだがね。先生が世界に又とない彫物師で、人の体を彫る人だといふことは、お前も知つてゐるだらう。そこで相談があるのだ。一寸裸になつて見せては貰はれまいかと云つてゐるのだ。どうだらう。お前も見る通り、先生はこんなお爺いさんだ。もう今に七十に間もないお方だ。それにお前の見る通りの真面目なお方だ。どうだらう。」
 かう云つて、久保田はぢつと花子の顔を見てゐる。はにかむか、気取るか、苦情を言ふかと思ふのである。
「わたしなりますわ。」きさくに、さつぱりと答へた。
「承諾しました」と、久保田がロダンに告げた。
 ロダンの顔は喜にかゞやいた。そして椅子から起ち上がつて、紙とチヨオクとを出して、卓の上に置きながら、久保田に言つた。「ここにゐますか。」
「わたくしの職業にも同じ必要に遭遇することはあるのです。併しマドモアセユの為めに不愉快でせう。」
「さうですか。十五分か二十分で済みますから、あそこの書籍室へでも行つてゐて下さい。葉巻でも附けて。」ロダンは一方の戸口を指ざした。
「十五分か二十分で済むさうです」と、花子に言つて置いて、久保田は葉巻に火を附けて、教へられた戸の奥に隠れた。
         *    *    *    *    *    *
 久保田の這入つた、小さい一間は、相対してゐる両側に戸口があつて、窓は只一つある。その窓の前に粧飾のない卓が一つ置いてある。窓に向き合つた壁と、其両翼になつてゐる処とに本箱がある。
 久保田は暫く立つて、本の背革の文字を読んでゐた。わざと揃へたよりは、偶然集まつたと思はれる collection である。ロダンは生れ附き本好で、少年の時困窮して、Bruxelles の町をさまよつてゐた時から、始終本を手にしてゐたといふことである。古い汚れた本の中には、定めていろ/\な記念のある本もあつて、わざ/\ここへも持つて来てゐるのだらう。
 葉巻の灰が崩れさうになつたので、久保田は卓に歩み寄つて、灰皿に灰を落した。卓の上に置いてある本があるので、なんだらうと思つて手に取つて見た。
 向うの窓の方に寄せて置いてある、古い、金縁の本は、聖書かと思つて開けて見ると、Divina commedia の Edition de poche であつた。手前の方に斜に置いてある本を取つて見ると、Beaudelaire が全集のうちの一巻であつた。
 別に読まうといふ気もなしに、最初のペエジを開けて見ると、おもちやの形而上学といふ論文がある。何を書いてゐるかと思つて、ふいと読み出した。
 ボオドレエルが小さいとき、なんとかいふお嬢さんの所へ連れて行かれた。そのお嬢さんが部屋に一ぱいおもちやを持つてゐて、どれでも一つやらうと云つたといふ記念から書き出してある。
 子供がおもちやを持つて遊んで、暫くするときつとそれを壊して見ようとする。その物の背後に何物があるかと思ふ。おもちやが動くおもちやだと、それを動かす衝動の元を尋ねて見たくなるのである。子供は Physique より M※(アキュートアクセント付きE小文字)taphysique に之くのである。理学より形而上学に之くのである。
 僅か四五ペエジの文章なので、面白さに釣られてとう/\読んでしまつた。
 其時戸をこつ/\と叩く音がして、戸を開いた。ロダンが白髪頭をのぞけた。
「許して下さい。退屈したでせう。」
「いゝえ、ボオドレエルを読んでゐました」と云ひながら、久保田は為事場に出て来た。
 花子はもうちやんと支度をしてゐる。
 卓の上には esquisses が二枚出来てゐる。
「ボオドレエルの何を読みましたか。」
「おもちやの形而上学です。」
「人の体も形が形として面白いのではありません。霊の鏡です。形の上に透き徹つて見える内の焔が面白いのです。」
 久保田が遠慮げにエスキスを見ると、ロダンは云つた。「粗いから分かりますまい。」
 暫くして又云つた。「マドモアセユは実に美しい体を持つてゐます。脂肪は少しもない。筋肉は一つ/\浮いてゐる。Foxterriers の筋肉のやうです。腱がしつかりしてゐて太いので、関節の大さが手足の大さと同じになつてゐます。足一本でいつまでも立つてゐて、も一つの足を直角に伸ばしてゐられる位、丈夫なのです。丁度地に根を深く卸してゐる木のやうなのですね。肩と腰の濶い地中海の type とも違ふ。腰ばかり濶くて、肩の狭い北ヨオロツパのチイプとも違ふ。強さの美ですね。」





底本:「鴎外全集 第七巻」岩波書店
   1972(昭和47)年5月22日発行
初出:「三田文学 第一卷第三號」
   1910(明治43)年7月1日
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字にあらためました。
入力:ふるかわゆか
校正:土屋隆
2005年5月6日作成
2005年10月22日修正
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