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源氏物語(げんじものがたり)39 夕霧一

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-6 10:00:28 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


「昨夜のお手紙には何と書いてあったのですか。ばかなことを言ってあなたが見せてくれないものだから、今日もこれからお見舞いをしなければならないのに困ってしまう。私は気分が悪くて今日は六条へも行きたくないから、手紙で言ってあげなければならないのだが、昨日のことがわからないでは不都合だから」
 夕霧の様子はきわめてさりげないものであったから、手紙を隠した自身の所作が、むだなことをしたものであると思うと、急に恥ずかしくなったが、それは言わずに、
「先夜の山風に身体からだを悪くいたしましたからとお言いわけをなさればいいじゃありませんか」
 と言った。
「つまらんことばかり言うのですね。何もおもしろくないじゃありませんか。私が世間並みの男のように言われるのを聞くとかえってきまりが悪くなりますよ。女房たちなども不思議な堅い男を疑うあなたを笑うだろうに」
 冗談じょうだんにして、また、
昨夜ゆうべの手紙はどこ」
 と言ったが、なおすぐに取り出そうとは夫人のしないままで、ほかの話などをしてしばらく寝ていたが、そのうちに日が暮れた。ひぐらしの声に驚いて目をさました大将は、この時刻に山荘の庭を霧がどんなに深くふさいでいることであろう、情けないことである、今日のうちに昨日の手紙の返事をすら自分は送ることができなかったのであると思って、何でもないふうにすずりの墨をすりながら、どんなふうに書いて送ったものであろうと歎息たんそくをして一所を見つめていた目に敷き畳の奥のほうの少し上がっている所を発見した。試みにそこを上げてみると、昨日の手紙は下にはさまれてあった。うれしくも思われまたばかばかしくも夕霧は思った。微笑をしながら読んでみると、それは苦しい複雑な心を重態の病人が伝えているものであったから、大将の鼓動は急に高くなって、自分がしいて結合を遂げたものとして書かれてあると思うと気の毒で心苦しくて、第二の夜の昨夜に自分の行かなかったことでどんなに御息所みやすどころ煩悶はんもんしたことであろう、今日さえまだ手紙が送ってないということは、新婚の良人おっととしていえばきわめて無情な態度である。露骨に言わずに自分の行くのを促してある消息を受けていながら、自分を待ちつけることがしまいまでできずに今朝になったのであったかと思うと、大将は妻が恨めしくも憎くも思われた。無法なことをして大事な手紙を隠させるようなしぐさも皆自分がつけさせたわがままな癖であると思うと、自分自身にすら反感を覚えて泣きたい気がした。これからすぐに行こうと夕霧は思うのであったが、たやすく宮はおうとなされないであろうということは予想されることであったし、妻はこうして昨日から嫉妬しっとをし続けているのであるし、それに今日が坎日かんにちにあたることはもし宮のお心が解けた場合を考えると、永久に幸福を得なければならぬ結婚の最初に避けなければならぬことでもあるからと、まじめな性格からは、恋しい方との将来に不安がないように慎重に事をすべきであると考えられて、行くことはおいて、まず御息所への返事を書いた。
珍しいお手紙を拝見いたしましたことは、御病気をお案じ申し上げるほうから申しても非常にうれしいことでしたが、おとがめを受けましたことにつきましては何かお聞き違えになったのではないかと思われるのでございます。

秋の野の草の繁みは分けしかど仮寝のまくら結びやはせし

弁明をいたしますのもおかしゅうございますが、宮様に対して御想像なさいますような無礼を申し上げた私では決してございません。
 というふみである。宮へは長い手紙を書いた。そして夕霧はうまやの中の駿足しゅんそくの馬にくらを置かせて、一昨夜の五位の男を小野へ使いに出すことにした。
「昨夜から六条院に御用があって行っていて、今帰ったばかりだと申してくれ」
 大将は山荘へ行ってからのことでなおいろいろに注意を与えた。
 小野の御息所は、昨夜は夕霧の来ないらしいことに気がもまれて、あとの評判になっては不名誉であろうこともはばかられずに、促すような手紙も書いたのに、その返事すら送られなかったことに失望をしていてそのまま次の今日さえも暮れてきたことに煩悶を多く覚えて、やや軽くなったふうであった容体がまた非常に険悪なものになってきた。かえって宮御自身は御息所の思い悩む点を何ともお思いになるわけはなくて、ただ異性の他人をあれほどまでも近づかせたことが残念に思われる自分であって、彼の愛の厚薄は念頭にも置いていないにもかかわらず、それを一大事として母君が煩悶していると、恥ずかしくも苦しくも思召されて、母君ながらそのことはお話しになることもできずに、ただ平生よりも羞恥しゅうちを多くお感じになるふうの見える宮を、御息所は心苦しく思い、この上にまた多くの苦労をお積みにならねばなるまいと、悲しさに胸のふさがる思いをした。
「今さらお小言おこごとらしいことは申したくないのでございますが、それも運命とは申しながら、異性に対する御認識が不足していましたために、人がどう批難をいたすかしれませんことが起こってしまいましたのですよ。それは取り返されることではございませんが、これからはそうしたことによく御注意をなさいませ。つまらぬ私でございますが、今までは御保護の役を勤めましたが、もうあなた様はいろいろな御経験をお積みになりまして、お一人立ちにおなりになりましても充分なように思って、私は安心していたのでございますよ。けれどまだ実際はそうした御幼稚らしいところがあって、すきをお見せになったのかと思いますと、御後見のために私はもう少し生きていたい気がいたします。普通の女でも貴族階級の人は再婚して二人めの良人おっとを持つことをあさはかなことに人は見ているのでございますからね、まして尊貴な内親王様であなたはいらっしゃるのでございますから、あそばすならすぐれた結婚をなさらなければならなかったのでございますが、以前の御縁組みの場合にも、私はあなた様の最上の御良人ごりょうじんとあの方を見ることができませんで、御賛成申さなかったのですが、前生のお約束事だったのでしょうか、院の陛下がお乗り気になりまして許容をあそばす御意志をあちらの大臣へまずもってお示しになったものですから、私一人が御反対をいたし続けるのもいかがかと思いまして、負けてしまいましたのですが、予想してすでに御幸福なように思われませんでしたことは皆そのとおりでお気の毒なあなた様にしてしまいましたことを、私自身の過失ではないのですが、天を仰いで歎息たんそくしておりました。その上また今度のことでございます。あの方のためにも、あなた様のためにも、これは世間が騒ぐはずのことですから、どんなに堪えがたい誹謗ひぼうの声を忍ばなければならぬかしれませんが、しかしそれはしいて忘れることにいたしましても、あの人の愛情さえ深ければながい月日のうちには見よいことにもなろうかと、私はしいて思おうとするのですが、まったく冷淡な人でございますね」
 と言い続けて御息所は泣くのであった。あった事実と独断してこう言うのを、御弁明あそばすこともおできにならない宮が、ただ泣いておいでになる御様子は、おおようで可憐かれんなものであった。御息所はじっと宮をながめながら、
「あなたはどこが人より悪いのでしょう。そんなことは絶対にない。何という運命でこうした御不幸な目にばかりおあいになるのだろう」
 などと言っているうちに御息所の容体は最悪なものになっていった。物怪もののけなどというものもこうした弱り目に暴虐をするものであるから、御息所の呼吸はにわかにとまって、身体からだは冷え入るばかりになった。律師もあわててがんなどを立て、祈祷きとうに大声を放っているのである。御仏みほとけに約して、自身の生存する最後の時まで下山せず寺にこもると立てた堅い決心をひるがえして、この人を助けようとする自分の祈祷が効を奏せずに失敗して山へ帰るほど不名誉なことはなくて、その場合には御仏さえも恨むであろうことを言葉にして祈っているのである。宮が泣き惑うておいでになるのもごもっともなことに思われた。
 この騒ぎの中で、大将の消息が来たという者の声を、御息所はほのかに聞いてそれでは今夜も来ないのであろうと思った。情けないことである、こうした恥ずかしい名を宮はまたお受けになるのであろう、自分までがなぜ受け入れるふうな手紙などを書いてやったのであろうともだえるうちに御息所の命は終わった。悲しいことである。昔から物怪のためにたびたび大病をしてもうだめなように見えたこともおりおりあったのであるから、また物怪が一時的に絶息をさせたのかもしれぬと僧たちは加持かじに力を入れたのであるが、今度はもう何の望みもなく終焉しゅうえんていはいちじるしかった。宮はともに死にたいと思召す御様子でじっと母君の遺骸いがいに身を寄せておいでになった。女房たちがおそばに来て、
「もういたしかたがございません。そんなにお悲しみになりましても、お死にになった方がお帰りになるものでございません。お慕いになりましてもあなた様のお思いが通るものでもございません」
 とわかりきった生死の別れをお説きして、
「こうしておいであそばすことは非常によろしくないことでございます。おかくれになりました方をお迷わせすることになりますから、あちらへおいであそばせ」
 お引き立て申して行こうとするのであるが、宮のお身体からだはすくんでしまって御自身の思召すようにもならないのであった。祈祷の壇をこわして僧たちは立ち去る用意をしていた。少数の者だけはあとへ残るであろうが、そうしたことも心細く思われた。ほうぼうから弔問の使いが来た。いつの間に知ったかと思われるほどである。夕霧の大将は非常に驚いてさっそく使いを立てた。六条院からも太政大臣家からも来た。ひっきりなしにそうした使いが来るのである。御寺みてらの院もお聞きになって、御愛情のこもったお手紙を宮へお書きになった。この御消息が参ったことによって、悲しみにおぼれておいでになった宮もはじめてつむりをお上げになったのであった。
いつかから病気がだいぶ重いということは聞いていましたが、平生から弱い人だったために、つい怠って尋ねてあげることもしませんでした。故人の死をいたむことはむろんですが、あなたがどんなに悲しんでおられるだろうと、それを最も私は心苦しく思います。死はだれも免れないものであるからという道理を思って心を平静にしなさい。
 とあった。宮は涙でお目もよく見えないのであるが、このお返事だけはお書きになった。平生からすぐに遺骸いがいは火葬にするようにと御息所みやすどころは遺言してあったので、葬儀は今日のうちにすることになって、故人のおい大和守やまとのかみである人が万端の世話をしていた。亡骸なきがらだけでもせめて見ていたいと宮はお惜しみになるのであったが、そうしたところでしかたのないことであると皆が申し上げて、入棺などのことをしている騒ぎの最中に左大将は来た。
「今日弔問に行っておかないでは、あとは皆、そうしたことに私の携われない暦になっているから」
 などと、表面は言って、心の中では宮のお悲しみが悲しく想像され、少しでも早く小野へ行きたく思っているのに、
「そんなにまですぐにお駆けつけになるほどの御関係でもないではございませんか」
 と家従たちがいさめるのを退けてしいて出て来たのである。しかも遠距離ですぐにも行き着くことのできない道は夕霧をますます悲しませたのであった。山荘は凄惨せいさんの気に満ちていた。最後の式の行なわれる所は仕切りで隠して人々は例の西の縁側のほうへ大将にまわってもらった。
 妻戸の前の縁側によりかかって夕霧は女房を呼び出したが、だれも皆平静な気持ちでいる者はないのである。大将が来たことで少し慰められるところがあって少将が応接に出た。夕霧も急にものは言えないのであった。すぐ泣くふうの人ではないのであるが、ここの悲しい空気に人々の様子も想像されて無常の世の道理も自身に近い人の上に実証されたことにひどく心を打たれているのである。ややしばらくして、
「少しおよろしいように伺ったものですから、安心していたのですが、何たることが起こったのでしょう。どんな悪夢でもさめる時はあるのですが、これはそうした希望も持てませんことを悲しく思います」
 と宮への御挨拶あいさつを申し入れた。御息所が煩悶はんもんしていたことをお思いになって、大将が原因で免れがたい運命とはいえ母君はおくなりになったとお思いになると、恨めしい因縁の人の弔問に宮はお返辞すらあそばさない。
「どう仰せられますと申し上げればよろしゅうございましょう。重いお身柄をお忘れになってすぐにこの遠い所をおくやみにおいでくださいました御好意を無視あそばすようなお扱いもあまりでございましょうから」
 女房が口々に言うと、
「いいかげんに言っておくがいい。何を何と言っていいか今はそんなこともわからない」
 宮がこう言って横になっておしまいになったのももっともなこの場合のことであったから、女房が、
「ただ今のところ宮様はおかくれになった方同然でいらっしゃいます。おいでくださいましたことは申し上げておきました」
 と夕霧へ言った。この人たちは涙にむせかえっているのであるから、
「何とも申し上げようのないことですから、私の心も少し落ち着き、宮様の御気分もお静まりになったころにまた参りましょう。どうしてそんな急変が来たのか、私はその理由だけを知りたい」
 と大将は女房に言った。露骨には言わないが少将は御息所の煩悶した一昼夜のことを少し夕霧に知らせて、
「そう申してまいればお恨み言になっていけません。今日は頭が混乱しておりまして間違ってお話し申し上げることがあるかもしれません。それでは宮様のお悲しみもいずれはおあきらめにならなければならないことでございますから、御気分のお落ち着きになりますころにまたおいでくださいまし」
 と言った。その人たちも気を顛倒てんとうさせている様子を見ては、大将も言いたいことが口から出ない。
「私の心なども暗闇まっくらになったように思われるのですから、宮様としてはごもっともです。極力お慰め申し上げて、あなたがたの力で今後少しのお返事でもいただけるように計らってください」
 などと言いおいて、長い立ち話をしていることもさすがに出入りの人の多い今日の山荘では軽々しく見られることであろうとはばかって大将は帰ることにした。今夜のうちに済ませるために納棺その他のことを着々進行させている物音にも、盛大ならぬ葬儀の悲哀が感ぜられて、大将はこの近くにある自家の荘園から侍たちを招いて、いろいろな役を分担して助けることを命じていった。急なことであったから自然簡単で済ませることになった葬儀が、これによって外見をきわめてよくすることができるようになった。大和守やまとのかみも、
「すべて殿様のありがたい御親切のおかげでございます」
 と感謝していた。
 母君を何も残らぬ無にしておしまいになったことで、宮は伏しまろんで悲しんでおいでになった。親は子にこのかたがたのような片時離れぬ習慣はつけておくべきでないと思い、宮のこの御状態を女房たちはまた歎き合った。大和守が葬儀の跡の始末を皆してから、
「こんなふうになさいまして、まだながく寂しい山荘においでになることは御無理です。いっそうお悲しみが紛れないことになりましょう」
 などと宮へ申し上げるのであったが、宮は母君の煙におなりになった場所にせめて近くいたいと思召おぼしめす心から、このままここへ永住あそばすお考えを持っておいでになった。忌中だけこもっている僧たちは東の座敷からそちらの廊の座敷、下屋しもやまでを使って、わずかな仕切りをして住んでいた。西の端の座敷を急ごしらえの居間にして宮はおいでになるのである。朝になることも夜になることも宮は忘れておいでになるうちに日がたって九月になった。山おろしがはげしくなり、もう葉のない枝は防風林でも皆なくなった。寂しさの身にしむこの季節のことであるから、空の色にも悲しみが誘われて、宮はなげきを続けておいでになる。命さえも思うどおりにならぬと悲しんでおいでになるのであった。女房たちも二重三重に悲しみをするばかりである。夕霧からは毎日のようにお見舞いの手紙が送られた。寂しい念仏僧を喜ばせるに足るような物もしばしば贈られた。宮へは真心の見える手紙を次々にお送りして、自分の恋に対して御冷淡である恨みを語るほかには、今も御息所の死を悲しむ真情を言い続けた消息であった。しかも宮はそれらを手に取ってながめようともあそばさないのである。あのいまわしかった事件を、衰弱しきった病体で御息所は確かに悲しみもだえて死んだことをお思いになると、そのことが母君の後世ごせの妨げにもなったような気があそばされて、悲しさが胸に詰まるほどにも思召されるのであるから、大将に触れたことを言うと、その人を恨めしく思召してお泣きになるのを見て、女房たちも手の出しようがないのである。一行のお返事さえ得られないのを、初めの間は悲しみにおぼれておいでになるからであろうと大将は解釈していたが、今に至るも同じことであるのを見ては、どんな悲しみにも際限はあるはずであるのに、今になってもまだ自分の音信たよりに取り合わぬ態度をお続けになるのはどうしたことであろう、あまりに人情がおわかりにならぬと恨めしがるようになった。関係もないことをただ文学的につづり、花とかちょうとか言っているのであったなら、冷眼に御覧になることもやむをえないことであるが、自身の悲しいことに同情して音信たよりをする人には、親しみを覚えていただけるわけではないか、祖母の大宮がおかくれになって、自分が非常に悲しんでいる時に、太政大臣はそれほどにも思わないで、だれも経験しなければならぬ尊親の死であるというふうに見ていて、儀式がかったことだけを派手はでに行なって万事おわるという様子であったのに、自分は反感を感じたものだし、かえって昔の婿でおありになった六条院が懇切に身を入れてあとの仏事のことなどをいろいろとあそばされたのに感激したものである。これは自分の父であるというだけで思ったことではない、その時に故人の柏木かしわぎが自分は好きになったのである。静かな性質で人情のよくわかる彼は、自分と同じように祖母の宮の死を深く悲しんでいたのに心をかれたものであった。この宮は何という感受性の乏しいお心なのであろうと、こんなことを毎日思い続けていた。夫人は山荘の宮と大将の関係はどうなっていたのであろう、御息所とは始終手紙の往復をしていたようであるがとに落ちず思って、夕方空にながめ入って物思いをしている良人おっとの所へ、若君に短い手紙を持たせてやった。ちょっとした紙の端なのである。

哀れをもいかに知りてか慰めんるや恋しき無きや悲しき

どちらだか私にはわからないのですから。
 夕霧は微笑しながら嫉妬しっとが夫人にいろいろなことを言わせるものであると思った。御息所を対象にしていたろうとはあまりにも不似合いな忖度そんたくであると思ったのである。すぐに返事を書いたが、それは実際問題を避けた無事なものである。

いづれとも分きてながめん消えかへる露も草葉の上と見ぬ世に

人生のことがことごとく悲しい。
 まだこんなふうに隠しだてをされるのであるかと、人生の悲しみはさしおいて夫人はなげいた。





底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:柳沢成雄
2003年5月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。

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