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源氏物語(げんじものがたり)29 行幸
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-6 9:45:42 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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源氏物語行幸紫式部與謝野晶子訳雪ちるや日よりかしこくめでたさも上
なき君の玉のおん
源氏は この十二月に 雪深きをしほの山に立つ雉子の古き跡をも
御製はこうであった。これは太政大臣が野の行幸にお供申し上げた先例におよりになったことであるかもしれない。 源氏の大臣は御使いをかしこんで扱った。お返事は、 という歌であったようである。筆者は覚え違いをしているかもしれない。 その翌日、源氏は西の対へ手紙を書いた。 白い紙へ、簡単に気どった跡もなく書かれているのであるが、美しいのをながめて、
「ひどいことを」 と 昨日は、
うちきらし朝曇りせしみゆきにはさやかに空の光やは見し
何が何でございますやら私などには。
と書いて来た返事を紫の
「 と源氏が言うと、 「いやなあなた。お美しいと拝見しても恋愛的に御奉公を考えるのは失礼すぎたことじゃありませんか」 と女王は笑った。 「そうでもない。あなただって拝見すれば陛下のおそばへ上がりたくなりますよ」 などと言いながら源氏はまた西の対へ書いた。 あかねさす光は空に曇らぬをなどてみゆきに目をきらしけん
ぜひ決心をなさるように。
こんなふうに言って源氏は絶えず勧めていた。ともかくも
「そうお悪くはなかったのでございますね。中将がひどく御心配申し上げてお話をいたすものですから、どんなふうでいらっしゃるのかとお案じいたしておりました。御所などへも特別なことのない限りは出ませんで、朝廷の人のようでもなく引きこもっておりまして、自然思いましてもすぐに物事を実行する力もなくなりまして失礼をいたしました。年齢などは私よりもずっと上の人がひどく腰をかがめながらもお役を勤めているのが、昔も今もあるでしょうが、私は生理的にも精神的にも弱者ですから、 などと源氏は言っていた。 「年のせいだと思いましてね。幾月かの間は 初めから終わりまで泣いてお言いになるそのお 「内大臣は毎日おいでになるでしょうが、私の伺っておりますうちにもしおいでになることがあればお目にかかれて結構だと思います。ぜひお話ししておきたいこともあるのですが、何かの機会がなくてはそれもできませんで、まだそのままになっております」 「お 大宮が中将のことであろうとお解しになって、こうお言いになるのを聞いて、源氏は笑いながら、 「今さらしかたのないこととして許しておやりになるかと思いまして、私からもそれとなく希望を述べたこともあるのですが、断然お引き分けになろうとするお考えらしいのを見まして、なぜ口出しをしたかときまり悪く後悔をしておりました。まあ何事にも清めということがございますから、噂などは大臣の意志で消滅させようとすればできるかもしれぬとは見ていますが事実であったことをきれいに忘れさせることはむずかしいでしょうね。すべて親から子と次第に人間の価値は落ちていきまして、子は親ほどだれからも尊敬されず、愛されもしないのであろうと中将を哀れに思っております」 などと言ったあとで源氏は本問題の説明をするのであった。 「大臣にお話ししたいと思いますことは、大臣の肉身の人を、少し と源氏は言うのであった。 「まあそれは思いがけないことでございますね。内大臣の所ではそうした名のりをして来る者は片端から拾うようにしてよく世話をしているようですがね、どうしてあなたの所へ引き取られようとしたのでしょう。前から何かのお話を聞いていて出て来た人なのですか」 「そうなっていく訳がある人なのです。くわしいことは内大臣のほうがよくおわかりになるくらいでしょう。凡俗の中の出来事のようで、明らかにすればますます人が と源氏は注意した。 内大臣のほうでも源氏が三条の宮へ御訪問したことを聞いて、 「簡単な生活をしていらっしゃる所では太政大臣の御待遇にお困りになるだろう。前駆の人たちを すぐに子息たちそのほかの殿上役人たちをやるのであった。 「お菓子とか、酒とか、よいようにして差し上げるがいい。私も行くべきだがかえってたいそうになるだろうから」 などと言っている時に大宮のお手紙が届いたのである。 六条の大臣が見舞いに来てくだすったのですが、こちらは人が少なくてお恥ずかしくもあり、失礼でもありますから、私がわざとお知らせしたというふうでなしに来てくださいませんか。あなたとお
と書かれてあった。何であろう、
「伺わないでは済まないのでございますが、今日来いというようなお召しがないものですから、失礼しておりまして、お と内大臣は言った。 「お叱りは私が受けなければならないと思っていることがたくさんあります」 と意味ありげに源氏の言うのを、先刻から考えていた問題であろうと大臣はとって、ただかしこまっていた。 「昔から公人としても私人としてもあなたとほど親しくした人は私にありません。 と源氏が言った。 「青年時代を考えてみますと、よくそうした無礼ができたものだと思いますほど親しくさせていただきまして、なんらの隔てもあなた様に持つことがありませんでした。公人といたしましては などと大臣は敬意を表しながら言っていた。この話の続きに源氏は 「何たることでしょう。あまりにうれしい、不思議なお話を承ります」 と大臣はひとしきり泣いた。 「ずっと昔ですが、その子の居所が知れなくなりましたことで、何のお話の時でしたか、あまりに悲しくてあなたにお話ししたこともある気がいたします。今日私もやっと この話から、昔の雨夜の話に、いろいろと抽象的に女の 「こうしてごいっしょになることがありますと、当然なことですが昔が思い出されて、恋しいことが胸をいっぱいにして、帰って行く気になれないのですよ」 と言って、あまり泣かない人である源氏も、酔い泣きまじりにしめっぽいふうを見せた。大宮は 源氏はこうした会見にも中将のことは言い出さなかった。好意の欠けた処置であると感じた事柄であったから、自身が口を出すことは見苦しいと思ったのであった。大臣のほうでは源氏から何とも言わぬ問題について進んで口を切ることもできなかったのである。その問題が未解決で終わったことは愉快でもなかった。
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