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山の手の子(やまのてのこ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-27 9:32:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 お屋敷の子と生まれた悲哀かなしみを、しみじみと知りめたのはいつからであったろう。
 一日ひとひ一日と限りなき喜悦よろこびに満ちた世界に近づいて行くのだと、未来を待った少年の若々しい心も、時の進行すすみにつれていつかしら、何気なく過ぎて来た帰らぬ昨日きのうに、身も魂も投げ出して追憶の甘きうれいにふけりたいというはかない慰藉なぐさめもてあそぶようになってから、私は私にいつもこう尋ねるのであった。
 山の手の高台もやがて尽きようというだらだら坂をちょうど登りきった角屋敷の黒門の中に生まれた私は、いとけなき日の自分をその黒門と切り離しておもい起すことは出来ない。私の家を終りとして丘の上は屋敷門の薄暗い底には何物か潜んでいるように、牢獄ひとやのような大きな構造かまえの家がいかめしいへいを連ねて、どこの家でも広く取り囲んだ庭には欝蒼うっそうと茂った樹木の間に春は梅、桜、桃、すももが咲きそろって、風の吹く日にはどこの家のこずえから散るのか見も知らぬいろいろの花が庭に散り敷いた。そればかりではない、もう二十年も前にその丘を去った私の幼い心にも深くみ込んで忘れられないのは、寂然ひっそりした屋敷屋敷から、花のころ月のよいなどには申し合わせたように単調なものうい、古びた琴の音がれ聞えてさびしい涙を誘うのであった。私はこうした丘の上に生まれた。静寂しずかな重苦しい陰欝なこの丘のはずれから狭いだらだら坂を下ると、カラリと四囲あたりの空気は変ってせせこましい、軒の低い家ばかりの場末の町が帯のように繁華な下町の真中へと続いていた。
 今も静かに眼を閉じて昔を描けば、坂の両側の小さな、つつましやかな商家がとびとびながらも瞭然はっきりと浮んで来る。赤々と禿げた、ふとったおやじが丸い鉄火鉢てつひばち膝子ひざっこのように抱いて、ねむたそうに店番をしていた唐物屋からものやは、長崎屋と言った。そのころの人々にはまだ見馴みなれなかった西洋の帽子や、肩掛けや、リボンや、いろいろの派手な色彩を掛け連ねた店は子供の眼にはむしろ不可思議に映った。その店で私は、動物、植物あるいはまた滑稽おどけ人形の絵を切って湯に浮かせ、つぶつぶと紙面に汗をかくのを待って白紙しらかみに押し付けると、その獣や花や人の絵が奇麗に映る西洋押絵というものを買いに行った。
「坊ちゃん。今度はメリケンから上等舶来の押絵が参りましたよ」
 と禿頭は玻璃棚ガラスだなからクルクルと巻いたのを出しては店先にひろげた。子供には想像もつかない遠い遠いメリケンから海を渡って来た奇妙な慰藉品なぐさめを私はどんなに憧憬あこがれをもって見たろう。油絵で見るような天使が大きな白鳥と遊んでいるありとあらゆる美しい花鳥はなとりを集めた異国を想像してどんなになつかしみ焦がれたろう。実際あり来たりの独楽こまたこ、太鼓、そんな物に飽きたお屋敷の子は珍物めずらしもの好きの心からはげしい異国趣味に陥って何でも上等舶来と言われなければ喜ばなかった。長崎屋の筋向うの玩具おもちゃ屋の、私はいい花客おとくいだった。洋刀サアベル喇叭らっぱ、鉄砲を肩に、腰にした坊ちゃんの勇ましい姿を坂下の子らはどんなにうらやましくねたましく見送ったろう。いつだったか父母ちちははが旅中お祖母ばあ様とお留守居の御褒美ごほうびに西洋木馬を買っていただいたのもその家であった。白斑ぶちの大きな木馬のくらの上に小さい主人が、両足をん張ってまたがると、白い房々したたてがみを動かして馬は前後に揺れるのだった。
「マア、玩具にまで何両という品が出来るのですかねえ、今時の子供は幸福しあわせですねえ」
 とお祖母様はニコニコして見ていらっしゃった。玩具屋のかわを次第に下って行くと坂の下には絵双紙屋があった。この店には千代紙を買いに行く、私の姉のお河童かっぱさんの姿もしばしば見えた。芳年よしとしの三十六怪選の勇ましくも物恐ろしい妖怪変化ようかいへんげの絵や、三枚続きの武者絵に、乳母うばや女中に手をかれた坊ちゃんの足は幾度もその前で動かなくなった。なかにも忘れられないのは古い錦絵にしきえで、誰の筆か滝夜叉姫たきやしゃひめの一枚絵。私が誕生日の祝い物に何がしいと聞かれて、あれと答えたので散歩がてらに父に連れられて行った時「これは売物ではございません」とむずかしい顔の亭主ていしゅが言ってから亭主を憎いと思うよりも一層姫の美しい姿絵が懐かしくなった。その他そこらには呉服屋、陶器せともの屋、葉茶屋、なぞがあったようだが私はそれらについて懐かしい何の思い出もない。坂下もまた絵双紙屋の側の熊野くまの神社、それと向い合った柳の木に軒燈の隠れた小さな煙草たばこ屋のほかはやはり記憶から消えてしまったけれどもその小さな煙草屋の玻璃棚が並べられて、わずかに板敷を残した店先に、私のいとけなかった姿が瞭然はっきりたたずむのである。

 私の生まれた黒門の内は、家も庭もじめじめと暗かった。さる旗本の古屋敷で、往来から見ても塀の上に蒼黒あおぐろい樹木の茂りが家を隠していた。かなり広い庭も、大木が造る影にすっかり苔蒸こけむして日中も夜のようだった。それでもさすがに春は植込みの花の木が思いがけない庭の隅々すみずみにも咲いたけれど、やがて五月雨さみだれのころにでもなろうものなら絶え間なく降る雨はしとしと苔に沁みて一日や二日からりと晴れてもかわくことではなく、だだっ広い家の踏めばぶよぶよと海のように思われる室々へやへやの畳の上に蛞蝓なめくじの落ちてうようなことも多かった。物心つくころから私はこの陰気な家をきらった。そして時たま乳母の背に負われて黒門を出る機会おりがあると坂下のカラカラに乾ききった往来で、独楽廻しやメンコをする町の子を見て、自分も乳母の手を離れて、あんなに多勢おおぜいの友達と一緒に遊びたいと思う心を強くするのみであった。乳母は、
「町っ子とお遊びになってはいけません」
 とせた蒼白い顔をことさら真面目まじめにしていましめた。なぜということはなしに私は町っ子と遊んではいけないものだと思っているほど幼なかった。そのころ私は毎晩母のふところいだかれて、竹取のおきなが見つけた小さいお姫様や、継母ままははにいじめられる可哀かわいそうな落窪おちくぼのお話を他人事ひとごととは思わずに身にしみて、時には涙をこぼして聞きながらいつかしら寝入るのであったがある晩から私は乳母に添い寝されるようになった。
「もうじき赤さんがお生まれになると、新様しんさまはお兄いさんにおなりになるのですから、お母様に甘ったれていらっしゃってはいけません」
 と言い聞かされて、私は小さい赤坊あかんぼの兄になるのをうれしくは思ったが母の懐に別れなければならないことの悲しさに涙ぐまれて冷たい乳母の胸に顔を押し当てた。
 間もなく母は寝所を出ない身となった。家内の者は何かしら気忙きぜわしそうに、物言いも声を潜めるようになり相手をしてくれることもなくなった。私の乳母さえも年役に、若い女のともすれば騒ぎたがるのをしかりながらそわそわ立ち働いていて私をば顧みることが少なくなった。出産の準備したくに混乱した家の中で私は孤独ひとりつくづく淋しいと思った。お祖母様のお気に入りで夜も廊下続きの隠居所に寝る姉も、そのころ習い初めた琴をくことさえ止められて、一人で人形をかかえては、遊び相手を欲しがって常は疳癪かんしゃくを恐れて避けている弟をもお祖母様のそばに呼んで飯事ままごと旦那だんな様にするのであったが、それもじきと私の方で飽きが来てふとしたことから腕白が出ては姉を泣かすのでお祖母様や乳母に叱られる種となった。腕白盛いたずらざかりの坊ちゃんは「静かにしていらっしゃい」と言われて人気の少ない、室の片隅に手遊品てあそびを並べてもしばらくつといやになって忙しい人々に相手を求めるので「ちっとお庭にでも出てお遊びなさい」と家の内から追い立てられる。
 黒土の上に透き間もない苔は木立の間に形ばかり付いていた小道をもうずめて踏めばじとじとと音もなく水のき出る小暗い庭は、話に聞いたいろいろの恐ろしい物の住家のように思われ、自由に遊び廻る気にはなれないので縁近いところでつまらなくすくんでいた。けれども次第にれて来るとまだ見ぬ庭の木立の奥が何となく心を引くので、恐々こわごわながらも幾年か箒目ほうきめも入らずに朽敗した落葉を踏んでは、未知の国土を探究する冒険家のように、不安と好奇心で日に日に少しずつしげった枝をくぐり潜り奥深く進み入るようになった。手入れをしない古庭は植物の朽ちたにおいがちていた。数知れぬ羽虫はいたるところに影のように飛んでいた。森閑として木下闇このしたやみに枯葉を踏む自分の足音が幾度か耳を脅かした。蜘蛛くもの巣に顔を包まれては土蜘蛛の精を思い出して逃げかえった。しかしこうして踏み馴れた道を知らず知らずに造って私はついにわが家の庭の奥底をきわめたのであった。暗緑のしめっぽい木立を抜けるとカラリと晴れた日を充分いっぱいに受けて、そこはまばらに結った竹垣たけがきもいつか倒れてはいたが垣の外は打ち立てたようながけで、眼の下には坂下の町の屋根が遠くまで昼の光の中に連なっている。その果てに品川の海が真蒼まっさおに輝いていた。今まで思いもかけなかった眼新しい、広い景色を自分一人の力で見出した嬉しさに私は雨さえ降らなければ毎日一度は必ず崖の上に小さい姿を現わすようになった。そして馴れるに従って日一日と何かしら珍しい物を発見した。熊野神社の大鳥居も見えた。三吉座みよしざという小芝居の白壁に幾筋かの贔負幟ひいきのぼりが風に吹かれているのを、一様に黒い屋根の間に見出した時はことに嬉しかった。芝居好きの車夫の藤次郎とうじろうが父の役所の休日やすみには私のりをしながら、
乳母ばあやには秘密ないしょですぜ」
 と言っては肩車に乗せてその三吉座の立見に連れて行く。父母とともに行く歌舞伎座かぶきざや新富座の緋毛氈ひもうせんの美しい棧敷さじきとは打って変って薄暗い鉄格子てつごうしの中から人の頭を越してのぞいたケレンだくさんの小芝居の舞台は子供の目にはかえって不思議に面白かった。ことに大向うと言わず土間も棧敷も一斉いっせいに贔負贔負の名を呼び立てて、もしか敵役かたきやくでも出ようものなら熱誠をめた怒罵どばの声が場内に充満いっぱいになる不秩序なにぎやかさが心もおどるように思わせたのに違いない。私は藤次郎の言うままに乳母には隠れてたびたび連れて行ってもらったものだった。静寂な木立を後にして崖の上に立っていると芝居の内部の鳴物の瞭然はっきりと耳に響くように思われてあの坂下の賑わいの中に飛んで行きたいほど一人ぼっちの自分がうら淋しく思われた。

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