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山の手の子(やまのてのこ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-27 9:32:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



 珍しい玩具おもちゃも五日十日とたつうちには投げ出されたまま顧みられなくなるように、最初のうちこそ「坊ちゃん坊ちゃん」とはやし立てた子供も、やがて煙草屋の店先の柳の葉も延びきったころには全く私に飽きてしまって坊ちゃんはもはや大将としての尊敬は失われて金ちゃんの手下の一人に過ぎなかった。
「何んでえ弱虫」
 こう言ってひじを張って突っかかって来る鼻垂らしに逆らうだけの力も味方もなかった。けれどもやはり毎日のように遊び仲間を求めて町へ出たのは小さい妹のために家中の愛を奪われ、乳母をさえも奪われたがために家を嫌ったよりもお鶴といった魚屋の娘にいたいためであった。
 子供の眼には自分より年上の人、ことに女の年齢としは全く測ることが出来ない。お鶴も柳屋の娘も私にはただ娘であったとばかりでその年ごろを明確はっきりと言うことは思いも及ばないことに属している。お鶴は煙草屋の柳の陰の縁台の女主人公であった。色の蒼白い背丈の割合に顔の小さい女で私は今、そのすらりとした後姿を見せて蓮葉に日和下駄ひよりげたを鳴らして行くお鶴と、物を言わない時でも底深く漂う水のような涼しい眼を持ったお鶴とをことさら瞭然はっきりと想い出すことが出来る。
 きらきらと暑い初夏の日がだらだら坂の上から真直まっすぐに流れた往来は下駄の歯がよくえて響く。日に幾たびとなく撤水車みずまきぐるまが町角から現われては、商家の軒下までもらして行くが、見る間にまた乾ききって白埃しらほこりになってしまう。酒屋の軒にはつばめの子がくちばしを揃えて巣に啼いた。氷屋が砂漠さばくの緑地のようにわずかに涼しく眺められる。一日一日と道行く人の着物が白くなって行くと柳屋の縁台はいよいよにぎやかになった。派手な浴衣ゆかたのお鶴も、ちまたに影の落ちるころきっと横町から姿を見せるのであった。「今日こんちは」と遠くから声をかけて若い衆の中でも構わずに割り込んで腰を下した。
「坊ちゃん。ここにいらっしゃい」
 とお鶴はいつも私をそのひざに抱いて後から頬ずりしながら話の中心になっていた。私はもう汗みずくになって熊野神社の鳥居を廻って鬼ごっこをする金ちゃんに従って行こうとはしないで、よくはわからぬながらも縁台の話を聞いていた。もちろん話は近所のうわさで符徴まじりのものだった。「お安くないね」「御馳走ごちそうさま」というような言葉を小耳にはさんで帰って、乳母に叱られたこともあった。若い娘の軽い口から三吉座の評判もしばしば出た。お鶴は口癖のように、
「死んだと思ったお富たあ……お釈迦しゃか様でも気がつくめえ」
 とちょっと済ましてやる声色こわいろは「ヨウヨウ梅ちゃんそっくり」という若者たちの囃す中で聞かされて私も時たま人のいない庭の中などでは小声ながらも同じ文句を繰り返した。尾上梅之助という若い役者が三吉座を覗く場末の町の娘っ子をしてどんなにか胸を躍らせたものであったろう。藤次郎の背に乗った私は、「色男」「女殺し」という若者のわめきにまじる「いいわねえ」「奇麗ねえ」と、感激に息も出来ない娘たちの吐息のような私語ささやきを聞き洩らさなかった。私もいつも奇麗な男になる梅之助が好きだったけれどあまりにお鶴がほめる時はかすかに反感をいだいた。
平生ふだん着馴きなれた振袖ふりそでから、まげも島田に由井ヶ浜、女に化けて美人局つつもたせ……。ねえ坊ちゃん。梅之助が一番でしょう」
 と言ってお鶴は例のように頬を付ける。私は人前の気恥かしさに、
「梅之助なんか厭だい」
 と言うのだった。実際連中は、お鶴がいつも私を抱いているので面白ずくによく戯弄からかった。
「お鶴さんは坊ちゃんにれてるよ」
 私は何かしら真赤になってお鶴の膝を抜け出ようとするとお鶴はわざと力を入れて抱き締める。
「そうですねえ。私の旦那様だもの。皆焼いてるんだよ」
うそだい嘘だい」
 足をばたばたやりながらり付ける頬を打とうとする、その手を取ってお鶴はチュッと音をさせてくちびるに吸う。
「アアア、私は坊ちゃんに嫌われてしまった」
 さも落胆がっかりしたように言うのであった。
 やがて今日も坂上にのみ残って薄明うすらあかりも坂下から次第に暮れ初めると誰からともなく口々に、
「夕焼け小焼け、明日天気になあれ」
 と子供らは歌いながらあっちこっちの横町や露路に遊び疲れた足を物のにおいの漂う家路へと夕餉ゆうげのために散って行く。
「お土産みやげ三つで気が済んだ」
 と背中をどやして逃げ出す素早いやつを追いかけてお鶴も「明日またおいで」と言って、別れ際に今日の終りの頬擦りをして横町へ曲って行く。
 私はいつも父母の前にキチンと坐って、食膳しょくぜんに着くのにさえおきてのある、堅苦しい家に帰るのが何だか心細く、遠ざかり行く子供の声をはかない別れのように聞きながら一人で坂を上って黒門をはいった。夕暮は遠い空の雲にさえ取止めもない想いを走らせてしっとりと心もうちしめりわけもなく涙ぐまれる悲しい癖を幼い時から私は持っていた。
 玄関をはいると古びた家の匂いがプンと鼻をく。だだっ広い家の真中に掛かる燈火ともしびの光の薄らぐ隅々すみずみには壁虫が死に絶えるような低い声で啼く。家内やうちを歩く足音が水底みなそこのように冷めたく心の中へも響いて聞える。世間では最も楽しい時と聞く晩餐時ばんさんどきさえいかめしい父に習って行儀よく笑い声を聞くこともなく終了おしまいになってしまう音楽のない家のわびしさはまた私の心であった。お祖母様や乳母や誰彼に聞かされたお化の話はすべてわが家にあった出来事ではないかと夜はいつでも微かな物音にさえおびえやすかった。自然と私は朝を待った。町っ子の気儘な生活をうらやんだ。

 カラリと晴れた青空の下にものみなが動いている町へ出ると蘇生よみがえったように胸が躍って全身の血が勢いよく廻る。早くもまちには夏がみなぎって白く輝く夏帽子が坂の上、下へと汗をき拭き消えて行く。ことさら暑い日中をえらんで菅笠すげがさかぶった金魚屋が「目高、金魚」と焼けつくような人の耳に、涼しい水音をしのばせる売り声をきそう後からだらりと白く乾いた舌を垂らして犬がさも肉体を持て余したようについて行く。夏が来た夏が来た。その夏の熊野神社の祭礼も忘れられない思い出の一ページを占めねばならぬ。
 町内の表通りの家の軒にはどこも揃いの提灯ちょうちんを出したが屋根と屋根との打ち続く坂下は奇麗に花々しく見えるのに、へいと塀とは続いても隣の家の物音さえ聞えない坂上は大きな屋敷門に提灯の配合うつりが悪く、かえって墓場のように淋しかった。そればかりか私の家なぞは祭りと言っても別段何をするのでもないのに引き替えて商家では稼業かぎょうを休んでまでも店先に金屏風きんびょうぶを立て廻し、緋毛氈ひもうせんを敷き、曲りくねった遠州流の生花を飾って客を待つ。娘たちも平生ふだんとは見違えるように奇麗に着飾って何かにつけてはれがましく仰山な声を上げる。若い衆子供はそれぞれそろいの浴衣で威勢よく馳け廻る。ワッショウワッショウワッショウと神輿みこしかつぐ声はたださえ汗ばんだ町中の大路小路に暑苦しく聞える。こういう時に日ごろ町内から憎まれていたり、祝儀しゅうぎの心附けが少なかったりした家は思わぬ返報しかえしをされるものだった。坂上の屋敷へも鉄棒でガチャンガチャンと地面を打って脅かす奴を真先にいずれも酒気を吐いてワッショイワッショイと神輿を担ぎ込む。それをば、もう来るころと待っていて若干いくらか祝儀を出すとまたワッショウワッショウと温和おとなしく引き上げて行くがいつの祭りの時だったかお隣の大竹さんでは心付けが少ないと言うので神輿の先棒で板塀を滅茶滅茶めちゃめちゃに衝き破られたことがあったのを、わが家も同じ目に逢わされはしないかと限りなき恐怖をもって私は玄関の障子を細目にあけながら乳母の袖の下に隠れて恐々神輿が黒門の外の明るい町へと引き上げて行くのを覗いたものだった。子供連もてんでに樽神輿たるみこしを担ぎ廻って喧嘩の花を咲かせる。揃いの浴衣に黄色く染めた麻糸に鈴を付けたたすきをして、真新しい手拭を向う鉢巻はちまきにし、白足袋しろたびの足にまでも汗を流してヤッチョウヤッチョウと馳け出すと背中の鈴がチャラチャラ鳴った。女中に手をかれて人込みにおどおどしながら町の片端を平生の服装みなりで賑わいを見物するお屋敷の子は、金ちゃんや清ちゃんの汗みずくになって飛び廻る姿をどんなに羨ましくも悲しくも見送ったろう。
 やがて祭りが終っても柳屋の店先はお祭りの話ばかりだった。向う横町の樽神輿と衝突した子供たちの功名談をねたましいほど勇ましいと思った。若い衆の間に評判される踊り屋台にお鶴が出たということは限りなく美しいものにあこがるる私の心を喜ばせたとともに自分がそれを見なかった口惜しさもいかばかり深いものであったろう。けれども私はすぐさまわが羨望せんぼうの的だった絵双紙屋の店先の滝夜叉姫の一枚絵をお鶴と結びつけてしまった。お鶴の膝に抱かれながら私は聞いた。
「お鶴さんは踊り屋台に出て何をしたの」
「何だったろう。当てて御覧」
「滝夜叉かい」
「エエなぜ」
「だって滝夜叉が一番いいんだもの」
 お鶴はうれしそうに笑ってまた頬擦りをするのだった。真実ほんとにお鶴が滝夜叉姫になったのかどうか。私の言うままに、良い加減にそうだと答えたものなのか私は知らないが、古い錦絵にしきえの滝夜叉姫と踊り屋台に立ったお鶴とは全く同一おんなじだったように思われて、踊り屋台を見なかったにもかかわらず二十年後の今もなお私はまざまざと美しい絵にしてそれを幻に見ることが出来る。

 土用のうちは海近い南の浜辺で暮した。一ときとして静まらぬ海の不思議がすでに子供心を奪ってしまったので私は物欲しい心持を知らずに過ぎた。けれども海岸の防風林にもつれない風が日に日に吹きつのり別荘町も淋しくなる八月の末には都へ帰らなければならなかった。帰った当座は住み馴れたわが家も何だか物珍しく思われたが夏の緑に常よりも一層暗くなった室の中に大人のようにぐったりと昼寝する辛棒も出来ないので私はまた久しぶりで町をおとずれた。木蔭こかげの少ない町中は瓦屋根にキラキラと残暑が光って亀裂きれつの出来た往来は通り魔のした後のように時々一人として行人の影を止めないで森閑としてしまう。柳屋の店先に立った私を迎えたのは、店棚みせだなの陰に白い団扇うちわを手にして坐っていた清ちゃんの姉さん一人だった。
「マアしばらくぶりねえ。どこへ行っていらしったの。そんなに日に焼けて」
 娘はニコニコして私を店に腰掛けさせ団扇であお[#「てへん+扇の旧字」、18-上-14]ぎながら話しかけた。
「誰もいないのかい。清ちゃんも」
「エエ。今しがた皆でせみを取るって崖へ行ったようですよ」
「誰も来ないのかなあ」
 つまらなそうに私は繰り返して言った。
「誰もって誰さ。アアわかった。坊ちゃんの仲よしのお鶴さんでしょう。坊ちゃんはお鶴さんでなくっちゃいけないんだねえ。私ともちっと仲よしにおなりな」
 娘は面白そうに笑った。
 夕食の後、家内の者は団扇を手に縁端えんばなで涼んでいるうち、こっそりと私はまだ明るい町へ抜け出した。早くも燈火ともしびのついた柳屋の店先にはもう二三人若者が集まっていた。子供たちは私を珍しがっていろいろと海辺の話を聞きたがったがそれにも飽きると餓鬼大将の金ちゃんを真先に清ちゃんまでも口を揃えて、
「おしりの用心御用心」
 とお互い同志で着物のすそまくり合ってキャッキャッと悪戯わるふざけを始めたがしまいには止め度がなくなってお使いにやられる通りすがりの見も知らぬ子のお尻を捲ってピチャピチャと平手でたたいて泣かせる、若者は面白ずくにしかける。私は店先に腰かけて黙って見ていたが小さな女の子までも同じき目に逢ってワアッと泣いて行くのを可哀かわいそうに思った。

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