一 頭の惡いときには、むしろ極めて難解な文字ばかりが羅列された古典的な哲學書の上に眼を曝すに如くはない――隱岐はいつも左う胸一杯に力んで、決して自分の部屋から外へ現れなかつた。活字の細いレクラム本に吸ひつくやうに覆ひ被さつたまゝ、終日机から離れなかつた。だが、やがて運ばれる晩飯を下宿人のやうにひとりでぼそ/\としたゝめてから、何か吻つとしてラムプを眺める時分になると、急にあたりが寒々として來て、暖い部屋が慕はしくなつた。 「しかし……」 彼は激しく頭を振つて、餘程ちゆうちよするのであつたが、ふらふらと渡り廓下[#「廓下」はママ]を踏んで明るい部屋の方に出向かずには居られなかつた。でも彼は、今度は成るべく活字の大きさうな二三册の部厚な洋書と、ウエブスタアと更に英和辭書を抱え込んでゐた。――そして彼は、襖に手をかけぬうちに 「あけるぞ?」 と唸らずには居られなかつた。一度、うつかりと默つて襖をあけた途端に、 「きやあツ……」 といふ叫びといつしよに彌生が炬燵の中から跳ねあがつて、騷動だつた。彼女は夢中で毛布にくるまると――厭々々!と笑つて喚きながら、押入の中へ飛び込んだ。彼女が裸體だつたことよりも、隱岐はその騷ぎに驚いてしまつた。かねがね彼の細君は、畫を習つてゐて、追々と人體の素描に移つて、彌生をモデルにしてゐることは薄々隱岐も知つてゐたから、裸體像にはさして驚きもしなかつたのであるが、あんまりモデルが大袈裟に仰天して狼狽するので、返つて飛んでもない痴想に攪亂されさうだつた。 「まあ、眞ツ闇で――何も解らないわ、端を少し、開けてよ、お姉さん……」 押入れの中で彌生は、切りと、くすくすとわらつてゐた。二枚つゞきの純白の毛布が、たぐりきれないで、押入れの端から長い裾を長椅子の下までのこしてゐた。隱岐の細君は、仕事の邪魔をされた佛頂面で、立ちあがつてゆくと――彌生が中から 「そんなに開けちや駄目よ、馬鹿……」 などと焦れて、三寸位ひの隙に直させた。 「あゝら、何にもありやしないわ――お湯殿から、さつき寢間着ひとつで來ちやつたんだもの……」 「あゝ、こゝにあるわ――」 細君が棒縞のタオルのパヂヤマを拾ひあげると、彌生は隙間から白い腕を肩まで露はして、はやく/\! とせきたてた。 「でも、何だか變だな。それと解つてゐられて、これ一つだけで出て行くのは。」 「何よ、やあ子、急に柄でもないことを云つてるわ、いつだつて平氣でそのまゝ炬燵に寢てゐるんぢやないのよ。」 その部屋だけは百燭の電燈をつけ、ストーヴも、らんらんと點け放してある上に、雪國のでもあるやうな爐がきつてあるので、それにはヤグラをかけて、すつぽりともぐり込めるやうに備えてあつた。その時細君はヤグラに腰かけて、長椅子に横たはつた眞正面の寢像をモデルにしてゐたのだつた。 「穿くものだけでも持つて來て呉れよ。」 「煩いよ。關やしないぢやないか。」 取合はうともせずに、細君は不機嫌さうに煙草を喫してゐた。――隱岐は默つて、炬燵に寢てしまつたが、愴てゝ飛び込んだ折の、眞白にうつつた彌生の姿態が厭に何時までも印象に殘つてゐて敵はなかつた。 「開けても好いのか、描いてゐるんぢやないのか?」 「あら、また來たわよ。お氣の毒見たいだわね。」 「おい、ふざけるなよ。俺は向方が寒くなつたから、あたりに來たゞけのことだよ。失敬なことを云ふなよ。」 隱岐は眞面目に眉を寄せて突返した。 「ぢや勝手に這入つて來たら好いぢやないの、西洋館ぢやあるまいし……」 ――そもそもから、それで隱岐は氣嫌を損じて、ふん! とつまらなさうに鼻を鳴らして這入つて行くと、女達も、ふん! と顏をあげずにうつむいたまゝ、一枚のカーテン地のやうなものを二人で兩端をつまんで、せつせつと草花の模樣か何かを刺繍してゐた。彌生はうしろの壁に短刈りの頭を持たせかけて、恰で寢風呂にでもつかつてゐるやうに、ヤグラの上に脚を伸し、掛つてゐる毛布をピラミツド型にして、胸の上で針を動かしてゐた。細君は二の腕までたくしあげたワイシヤツ一枚で立膝でゝもあるらしかつた。そして二人は、隱岐の氣合ひには全く素知らぬ振りで、谷間にはランプがひとつ灯つてゐた、年寄つた母親は息子のかへる日を待つてゐた――といふやうな英語のはやり唄を口吟んでゐた。 彼女等の、素知らぬ氣の、そんな風な樣子にだけは、隱岐はいつも敏感で、それまで彼女等が暮し向きに關する不平をならべてゐたに相違ないのが、想像されるのであつた。はじめからの向方の敵意めいた口調は、無論それより他はなかつた。――隱岐も、もうそれには慣れてゐたから、一切此方から言葉をかけることなしに、憤つとしてあをむけになつて、本を開くだけだつた。 「ひとりで、あたるつもりになつて、あんまり脚を伸しちや厭よ。」 「ほんとうよ、この先生たら、あんな顏をしてゐて仲々油斷がならないのよ。――眠つた振りなんかして、あたしの膝に脚を載つけたりするんだもの。」 彌生は、づけ/\とそんなことを云ふのであつた。隱岐はさつきからむか/\してゐるところだつたので、 「馬鹿ツ、自惚れてやがら……」 と、もう少しで怒鳴りさうになつたが、辛うじて胸をさすつた。 「關はないから、しびれる程、擲つてやれば好いんだよ。」 ……何のつもりであんなことを云ふのか……と彼は、女房を横目で睨んだ。細君は不氣嫌の時に限つて、口の端でものを云ひながら決して相手の顏を見なかつた。うつかり彼が、そんな時に憤つた返答がへしでもすると、この頃では、女房よりも、女房の從妹の方が先へ厭味を持ち出すといふ風であつた。 「まさか、あたし、斯んなぢやないと思つたわ……」 彌生は、從姉の謀反心を掻き立てるやうに不滿を竝べ出すのが屡々だつた。時には隱岐も堪えきれなくなつて、強張つた權幕を示す時もあつたが、彌生は一向平氣で、何さ、その顏つきは――などと切れの長い眼眦で凝つと相手の容子を睨めた。彼女は自分の左ういふ表情に餘程の自信を持つてゐるかのやうに、そして、いつも冷たくセヽラ笑つた。隱岐は、客觀的にはたしかに彼女の美しさを認めてゐた。加けに十七・八も歳下の者に――と無氣になりさうな心を壓へた。 「いくら、兄さんの働きがないと云つたつて、故郷なんだもの、ちつとは、もう少し何とかなつてゐると思つたわ。――あゝ、あきれた、あきれた。これぢや、姉さんばかりがほんとうに可愛相だ。」 彌生にそんなことを言はれると、細君は忽ちヒステリの發作を起して 「あたしはもう十年も辛抱してゐる――着るものもなくなつちやつた!」 と自分で自分の言葉に逆上した。 元は隱岐が、保養しなければならない頭の状態に陷つて、とてもおちおちとは都會で小説などは書いて居られなくなつたので、大概の困窮には堪へられるから――と從姉妹達が先に立つて田舍行きをとり決めたのにも係らず、何か、田舍といふものに憧れる輕薄な夢が滿足されぬと見える欝憤が、次第にふくれあがつて、稍ともすれば病人であつた筈の亭主の方が、看護婦共の氣嫌をとらなければならない傾向だつた。 隣りの酒匂村が隱岐の郷里で、はじめほんの一二ヶ月のつもりだつたので、自分の村の知合の農家を借りてゐたが、飯を食つてゐるところが表から見えるから始末が惡いとか、芋畑のふちで雨が降れば傘をさして這入るやうな風呂に浸れるものか――などと、東京に住んだところで、何うせ長屋風の家より他に知りもしない癖に彼女達は事毎に勿體振つた風を吹かせて、隱岐を痛ませた。 秋のはじめであつた。――昔から隱岐の家と知合ひだつた國府津の塚越といふ漁家の主人が、彼を訪れた時、 「どうせ、これからは空いてゐるんだから、好かつたら使ひませんかね。」 と貸別莊なるものをすゝめた。――町端れの海岸に向つた半洋風の十間もある眞新しい別莊で、部屋部屋には一通の仲々重味ある家具まで配置されてゐた。表側は破風型の門構えで、家のまはりは四方とも充分に庭をとつて、廣々とした芝生だつた。有名な市會議員がかくし女のために建てたのだが、その男が牢に入れられることになつて持ち扱つてゐたのを塚越が買收したのだ左うだつた。 隱岐は、見るまでもなくたぢろいたが、女達は亢奮して 「玄さん、この家、家賃いくらなのよ、え? え? え?」 などと追求した。――漁家といふよりも今では避暑客を相手に土地などを賣買してゐる塚越は、何處か宿屋の番頭泌みた人を見る眼に肥えてゐるといふ風で、洋裝婦人連の素姓を逸早く見拔いたらしかつた。子供の頃隱岐は、祖父や祖母に伴はれて東京へ赴く時、電車を降りるといつも、先づ玄八郎の家に寄つて小半日も遊んだことを覺えてゐる。今の玄八郎は同名の先代の長男で、たしか隱岐よりも二つ三つ歳上だつた。先代の時には二三艘の小舟とわづかばかりの蜜柑山を持つた半漁半農だつたが、今の玄八は二十代に鰤網で大儲けをして、傾きかけた家産を數倍に増したさうである。貸別莊なども數軒持つてゐて、近頃では下曾我通ひの乘合自動車や、小田原の驛の附近に「ヲダハラ會館」といふカフエーを經營してゐた。しかし、そのくせ少しも才子肌のところも見えず、はなしをしてゐると、稍ともすれば意味もなくテレ臭さうにわらつて、顏を赤くするやうな悠長な人柄だつた。 「さあ、いくらといはうかね?」 彼は隱岐の方に向きをかへて、にやにやしてゐた。隱岐が默つてゐると、彼は婦人達に事更にいんぎんに 「いゝえ、もう住んで戴くだけで結構なんですよ。」 と氣轉を利かせた。しかし彼女達には玄八の好意は通ぜぬらしかつた。そんな場合に殊の他内心では見得を切りたがる隱岐は、重苦しくて返事も出來なかつたが、彼女等は易々と享け入れて、現像の暗室があるなどと悦んだりした。 だまつてゐても庭掃除の者が來たり、レコード屋が御用聞きにうかゞつたりするのであつた。――彌生は專門學校の英文科を左傾がかつたことを云つて自分から退學したのであるが、この頃ではけろりとしてしまつて 「ねえ、このぐらひの家に住むとなれば、何うしたつて着物から先きに一と通りはそろえてなくては、あたし表へ出るのも耻しいのよ。何處へ出るにも、海岸散歩の歸り見たいな恰好ぢや、いまどきいくら田舍だつて相當氣が引けるわ。」 追々とそんなことを口にしはじめた。すると細君は躍氣になつて 「あたしは、和服なら相當もつてゐるんだもの?――何も買つて呉れつて云やしないよ。……無責人な男だなあ!」 と滾した。 「矢つ張り、こゝの生活には和服がふさはしいわね。ちやんと、お太鼓の帶をしめて、……それは左うと、姉さん、春時分に江戸づまの金紗を持つてゐたわね、あれ、あたしとても氣に入つてんのよ、あたしに恰度好いぢやないの、あれ、見せてよ。」 「…………」 「大島だつてあるぢやないの。着ようよ。姉さんがそれを着て、あたしが、あの着物の袖を直してさ……そんな畫の方が好いな、第一、安心で――。」 「止めとくれよ、……」 「まあ、どうして――着せて呉れないの。」 「そんなんぢやないさ――チエツ!」 「あれも?」 と彌生は意味あり氣に眼を視張つた。 「あれも――もくそもありはしないわよ。トランクをあけて御覽! ――野郎のふんどしばかりだ。」 細君は女だてらに太々しくそんなことをほき出した。 すると彌生は、机に凭つてゐる隱岐の離室まで突き通る金切聲で 「意久地なし――素つ裸になつて暴れてやりたいや」などと怒鳴つた。 こんな家に移れば移るで、彼女等の不滿の種はジヤツクの豆の木のやうに天までとゞきさうだつた。――全く彼女等も日増に鬱憤が積み重なつて、あられもない矛盾の板挾みになるのも道理だつた。樂屋では、そんなにも言語同斷な女書生が、この家に移つてからといふものは、一度び門の外へ踏み出したとなると、如何にも立派な家に住んでゐるとばかりな濟し込んだ顏つきに變つて、奇妙に眼をかすめて、さもほのぼのと散歩するのであつた。そして停車場の前の待合茶屋にやすんで、用もないのに隱岐を電話に呼び出したりするのであつた。 「厭だよ。俺は、ゆふべ、まんじりとも出來なかつたんだから、これから眠らなけりやならないんだよ。」 「いらつしやいよ、お兄さま――二人で往くの、何だか退屈なんですつて、お姉さまつたら……」 「どこへ行くんだよ?」 「あら、何を空呆けていらつしやるの。オデオン座にボレロを見に行くんだつて、さつき申しあげたぢやありませんか。」 隱岐は、彼女等が自分を笑はせようと、わざと氣どつた聲を出すのかとさへ疑ることさへあつたが、やはり彼女等は眞面目さうだつた。――永年の間彼は、女房にストイツクな精神生活を吹き込んだつもりだつたが、他合もないことで斯んなにも空々しく逆戻りしてしまふのかしら? と寧ろ不思議さうに首を傾けずには居られなかつた。畢竟、自分の罪だとおもつた。――眞實隱岐が、何も今更彼女等の行動を、皮肉や曲つた眼つきで眺めてゐるわけではなかつたのだ。うつかり批難めいたやうなことでも口にすると(少々隱岐のそれも毒々しくなるのであつたが――)特に近頃は彌生も細君も默つては居ずに、忽ち氣狂のやうに喰つてかゝつた。 「偉さうなことを云ひなさんなよ。あたしは何でも知つてゐるんだよ。お前は、いつか彌あ子に接吻したことがあるんぢやないか。加けに何といふ無責任なはなしだ。」 細君は短氣を起して、いきなり彼の腕に喰ひついたことがあつた。――もう、それは大分前のことで東京にゐた頃であるが、隱岐は全く遇然の過失から、彌生に接吻だけを犯したことがあつた。 「ごめんよ。」 とその時彼は、あやまつた。彌生は彼の膝に突伏して泣いてゐた。そして、夢中さうに首をうなづいてゐた。 それきり、その後は、手を觸れたためしもなかつた。妻君の言葉に依ると、それ以來彌生の性格が變つたといふのであつた。 「責任といふのは……」 隱岐は、さすがに蒼ざめて唇を震はしてゐた。長い間、知つて知らぬ振りを保つてゐた細君も細君だが、何時、どうして彌生はそれを口外したのか? と彼は降伏した。 「學校のことだよ。彌生が止めてしまつたのはお前のせゐぢやないか――」 隱岐は、彼女の學校の費用ぐらゐは續けてゐるつもりだつたが、はなしが大それた問題に陷ちてゐるので、二の句もつげなかつた。 うつかり四角張つたことを云ふと、今では彌生までが、それを叫び出す怖れがあつた。
二 「このカーテン何處に掛けるんだと思ふ?」 彌生は切りと圓い枠の中に針を動かしながら、妙に意地惡るさうな眼でちらりと隱岐を眺めた。隱岐はいちにち坐り續けた脚を炬燵の中に伸々とさせるのであつたが、折々爪先が彌生の膝がしらに觸つた。うつかりすると、平氣で彌生は無禮なことを云ふので隱岐は決して自分からは動かなかつたのであるが、如何にも邪魔ものが這入つて來たといふやうにぶつぶつ云ひながなら[#「云ひながなら」はママ]、彌生が窮屈がる度にひとりでに觸れて來るのであつた。それ位のことは彌生も無意識で、慌てゝ逃るやうな動作もせず、隱岐の方も無關心を裝つてゐたが、だが彼はその度毎に颯つと全身がしびれるのであつた。――彼は仰向けのまゝ、胸の上に立てかけた本を熱心に讀んでゐる容子だつたが、意味などは解りもしなかつた。 「さあ、何處にかけるのかね、俺の書齋の窓かしら?」 「ふツふ……、違ふわよ。このベツトの横に幕のやうに引くんだわよ。何時、誰に這入つて來られても安心のやうに――」 と彼女は長椅子の上の鴨居を見あげた。その椅子は寢臺に變る仕掛けだつた。彼女等は、いつも二人で、そのまゝ炬燵に眠つたりした。 「この子は、ほんとうに寢像が惡いんだからな。」 と細君は自分がいつも手傳つて慥へて[#「慥へて」は底本では「[てへん+慥のつくり]えて」と誤植]やる彌生の顏を凝つと眺めた。彼女は餘程彌生を自慢の種にしてゐて、殊に近頃は勿體振つて化粧のことまで兎や角と世話を燒き出し、何時でも相當につくつて置かないと、表へ出る時が如何にもケバ/\しくなるからなどと工夫を凝して、彌生が湯から上つて來ると、どういふのが一番似合ふかしら――と、人形の顏でも慥へる[#「慥へる」は底本では「[てへん+慥のつくり]える」と誤植]やうにして、白くして見たり、ドーランをはいて見たりするのであつた。つくつた上で、つくつてゐないやうに見えなければならない――などと注意して、睫毛に耽念なブラツシユをあてたり、眉を剃つて見たりするのであつた。 「あら……どつちがよ。」 彌生は、細君を睨めたりしたが、細君は、その表情の動きと、化粧の具合を驗べて、自分の畫でも眺めるやうに眼を据えてゐた。 「ねえ、ちよつと起きあがつて見て呉れない、これぢや少しあくど過ぎやしないかしら?」 彼女は隱岐を促した。彼は、顏の上に、ばつたりと本を伏せて 「俺には解らないよ。」 と云つた。 「……、あたしの、あの、フアコートを着せてやり度いな。」 細君は泌々と呟くのであつた。――彼女は、隱岐のアメリカの友達から贈られた可成り上等らしいビーバーの外套を持つてゐたが、殆んど手をとほしたこともなく、餘程以前から手もとには無かつた。何も彼も釣り合ひはしないから――と、さすがに細君は照れて、あきらめてゐたのであるが、この門構えの家を見た最初に、忽ち、それを着て外出する姿を浮べたのである。 「たつた四十圓で持つて來られるんだもの、何でもないぢやないの。」 と彼女は口癖にして、隱岐を病ませてゐたが、一向それほどの段取りもつかなかつたのである。 「自分はちつとも欲しくはないんだけど、やあちやんに着せてやり度いのよ。」 「欲しいなあ……」 彌生は深い息を衝いて憧れに滿ちた眼を輝かすのであつた。
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