浄瑠璃寺の春
この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた馬酔木の花を大和路のいたるところで見ることができた。 そのなかでも一番印象ぶかかったのは、奈良へ著いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英や薺のような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、漸っとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。 最初、僕たちはその何んの構えもない小さな門を寺の門だとは気づかずに危く其処を通りこしそうになった。その途端、その門の奥のほうの、一本の花ざかりの緋桃の木のうえに、突然なんだかはっとするようなもの、――ふいとそのあたりを翔け去ったこの世ならぬ美しい色をした鳥の翼のようなものが、自分の目にはいって、おやと思って、そこに足を止めた。それが浄瑠璃寺の塔の錆ついた九輪だったのである。 なにもかもが思いがけなかった。――さっき、坂の下の一軒家のほとりで水菜を洗っていた一人の娘にたずねてみると、「九体寺やったら、あこの坂を上りなはって、二丁ほどだす」と、そこの家で寺をたずねる旅びとも少くはないと見えて、いかにもはきはきと教えてくれたので、僕たちはそのかなり長い急な坂を息をはずませながら上り切って、さあもうすこしと思って、僕たちの目のまえに急に立ちあらわれた一かたまりの部落とその菜畑を何気なく見過ごしながら、心もち先きをいそいでいた。あちこちに桃や桜の花がさき、一めんに菜の花が満開で、あまつさえ向うの藁屋根の下からは七面鳥の啼きごえさえのんびりと聞えていて、――まさかこんな田園風景のまっただ中に、その有名な古寺が――はるばると僕たちがその名にふさわしい物古りた姿を慕いながら山道を骨折ってやってきた当の寺があるとは思えなかったのである。…… 「なあんだ、ここが浄瑠璃寺らしいぞ。」僕は突然足をとめて、声をはずませながら言った。「ほら、あそこに塔が見える。」
「まあ本当に……」妻もすこし意外なような顔つきをしていた。 「なんだかちっともお寺みたいではないのね。」 「うん。」僕はそう返事ともつかずに言ったまま、桃やら桜やらまた松の木の間などを、その突きあたりに見える小さな門のほうに向って往った。何処かでまた七面鳥が啼いていた。 その小さな門の中へ、石段を二つ三つ上がって、はいりかけながら、「ああ、こんなところに馬酔木が咲いている。」と僕はその門のかたわらに、丁度その門と殆ど同じくらいの高さに伸びた一本の灌木がいちめんに細かな白い花をふさふさと垂らしているのを認めると、自分のあとからくる妻のほうを向いて、得意そうにそれを指さして見せた。 「まあ、これがあなたの大好きな馬酔木の花?」妻もその灌木のそばに寄ってきながら、その細かな白い花を仔細に見ていたが、しまいには、なんということもなしに、そのふっさりと垂れた一と塊りを掌のうえに載せたりしてみていた。 どこか犯しがたい気品がある、それでいて、どうにでもしてそれを手折って、ちょっと人に見せたいような、いじらしい風情をした花だ。云わば、この花のそんなところが、花というものが今よりかずっと意味ぶかかった万葉びとたちに、ただ綺麗なだけならもっと他にもあるのに、それらのどの花にも増して、いたく愛せられていたのだ。――そんなことを自分の傍でもってさっきからいかにも無心そうに妻のしだしている手まさぐりから僕はふいと、思い出していた。 「何をいつまでもそうしているのだ。」僕はとうとうそう言いながら、妻を促した。 僕は再び言った。「おい、こっちにいい池があるから、来てごらん。」 「まあ、ずいぶん古そうな池ね。」妻はすぐついて来た。「あれはみんな睡蓮ですか?」 「そうらしいな。」そう僕はいい加減な返事をしながら、その池の向うに見えている阿弥陀堂を熱心に眺めだしていた。
阿弥陀堂へ僕たちを案内してくれたのは、寺僧ではなく、その娘らしい、十六七の、ジャケット姿の少女だった。 うすぐらい堂のなかにずらりと並んでいる金色の九体仏を一わたり見てしまうと、こんどは一つ一つ丹念にそれを見はじめている僕をそこに残して、妻はその寺の娘とともに堂のそとに出て、陽あたりのいい縁さきで、裏庭の方かなんぞを眺めながら、こんな会話をしあっている。 「ずいぶん大きな柿の木ね。」妻の声がする。 「ほんまにええ柿の木やろ。」少女の返事はいかにも得意そうだ。 「何本あるのかしら? 一本、二本、三本……」 「みんなで七本だす。七本だすが、沢山に成りまっせ。九体寺の柿やいうてな、それを目あてに、人はんが大ぜいハイキングに来やはります。あてが一人でいで上げるのだすがなあ、そのときのせわしい事やったらおまへんなあ。」 「そうお。その時分、柿を食べにきたいわね。」 「ほんまに、秋にまたお出でなはれ。この頃は一番あきまへん。なあも無うて……」 「でも、いろんな花がさいていて。綺麗ね……」 「そうだす。いまはほんまに綺麗やろ。そやけれど、あこの菖蒲の咲くころもよろしいおまっせ。それからまた、夏になるとなあ、あこの睡蓮が、それはそれは綺麗な花をさかせまっせ。……」そう言いながら、急に少女は何かを思い出したようにひとりごちた。「ああ、そやそや、葱とりに往かにゃならんかった。」 「そうだったの、それは悪かったわね。はやく往ってらっしゃいよ。」 「まあ、あとでもええわ。」 それから二人は急に黙ってしまっていた。 僕はそういう二人の話を耳にはさみながら、九体仏をすっかり見おわると、堂のそとに出て、そこの縁さきから蓮池のほうをいっしょに眺めている二人の方へ近づいていった。 僕は堂の扉を締めにいった少女と入れかわりに、妻のそばになんということもなしに立った 「もう、およろしいの?」 「ああ。」そう言いながら、僕はしばらくぼんやりと観仏に疲れた目を蓮池のほうへやっていた。 少女が堂の扉を締めおわって、大きな鍵を手にしながら、戻ってきたので、 「どうもありがとう。」と言って、さあ、もう少女を自由にさせてやろうと妻に目くばせをした。 「あこの塔も見なはんなら、御案内しまっせ。」少女は池の向うの、松林のなかに、いかにもさわやかに立っている三重塔のほうへ僕たちを促した。 「そうだな、ついでだから見せて貰おうか。」僕は答えた。「でも、君は用があるんなら、さきにその用をすましてきたらどうだい?」 「あとでもええことだす。」少女はもうその事はけろりとしているようだった。 そこで僕が先きに立って、その岸べには菖蒲のすこし生い茂っている、古びた蓮池のへりを伝って、塔のほうへ歩き出したが、その間もまた絶えず少女は妻に向って、このへんの山のなかで採れる筍だの、松茸だのの話をことこまかに聞かせているらしかった。 僕はそういう彼女たちからすこし離れて歩いていたが、実によくしゃべる奴だなあとおもいながら、それにしてもまあ何んという平和な気分がこの小さな廃寺をとりまいているのだろうと、いまさらのようにそのあたりの風景を見まわしてみたりしていた。 傍らに花さいている馬酔木よりも低いくらいの門、誰のしわざか仏たちのまえに供えてあった椿の花、堂裏の七本の大きな柿の木、秋になってその柿をハイキングの人々に売るのをいかにも愉しいことのようにしている寺の娘、どこからかときどき啼きごえの聞えてくる七面鳥、――そういう此のあたりすべてのものが、かつての寺だったそのおおかたが既に廃滅してわずかに残っているきりの二三の古い堂塔をとりかこみながら――というよりも、それらの古代のモニュメントをもその生活の一片であるかのようにさりげなく取り入れながら、――其処にいかにも平和な、いかにも山間の春らしい、しかもその何処かにすこしく悲愴な懐古的気分を漂わせている。 自然を超えんとして人間の意志したすべてのものが、長い歳月の間にほとんど廃亡に帰して、いまはそのわずかに残っているものも、そのもとの自然のうちに、そのものの一部に過ぎないかのように、融け込んでしまうようになる。そうして其処にその二つのものが一つになって――いわば、第二の自然が発生する。そういうところにすべての廃墟の云いしれぬ魅力があるのではないか? ――そういうパセティックな考えすらも(それはたぶんジムメルあたりの考えであったろう)、いまの自分にはなんとなく快い、なごやかな感じで同意せられる。…… 僕はそんな考えに耽りながら歩き歩き、ひとりだけ先きに石段をあがり、小さな三重塔の下にたどりついて、そこの松林のなかから蓮池をへだてて、さっきの阿弥陀堂のほうをぼんやりと見かえしていた。 「ほんまになあ、しょむないとこでおまっせ。あてら、魚食うたことなんぞ、とんとおまへんな。蕨みてえなものばっかり食ってんのや。……筍はお好きだっか。そうだっか。このへんの筍はなあ、ほんまによろしうおまっせ。それは柔うて、やわうて……」 そんなことをまた寺の娘が妻を相手にしゃべりつづけているのが下の方から聞えてくる。――彼女たちはそうやって石段の下で立ち話をしたまま、いつまでたってもこちらに上がって来ようともしない。二人のうえには、何んとなく春めいた日ざしが一ぱいあたっている。僕だけひとり塔の陰にはいっているものだから、すこし寒い。どうも二人ともいい気もちそうに、話に夢中になって僕のことなんぞ忘れてしまっているかのようだ。が、こうして廃塔といっしょに、さっきからいくぶん瞑想的になりがちな僕もしばらく世問のすべてのものから忘れ去られている。これもこれで、いい気もちではないか。――ああ、またどこかで七面鳥のやつが啼いているな。なんだか僕はこのまますこし気が遠くなってゆきそうだ。……
その夕がたのことである。その日、浄瑠璃寺から奈良坂を越えて帰ってきた僕たちは、そのまま東大寺の裏手に出て、三月堂をおとずれたのち、さんざん歩き疲れた足をひきずりながら、それでもせっかく此処まで来ているのだからと、春日の森のなかを馬酔木の咲いているほうへほうへと歩いて往ってみた。夕じめりのした森のなかには、その花のかすかな香りがどことなく漂って、ふいにそれを嗅いだりすると、なんだか身のしまるような気のするほどだった。だが、もうすっかり疲れ切っていた僕たちはそれにもだんだん刺戟が感ぜられないようになりだしていた。そうして、こんな夕がた、その白い花のさいた間をなんということもなしにこうして歩いて見るのをこんどの旅の愉しみにして来たことさえ、すこしももう考えようともしなくなっているほど、――少くとも、僕の心は疲れた身体とともにぼおっとしてしまっていた。 突然、妻がいった。 「なんだか、ここの馬酔木と、浄瑠璃寺にあったのとは、すこしちがうんじゃない? ここのは、こんなに真っ白だけれど、あそこのはもっと房が大きくて、うっすらと紅味を帯びていたわ。……」 「そうかなあ。僕にはおんなじにしか見えないが……」僕はすこし面倒くさそうに、妻が手ぐりよせているその一枝へ目をやっていたが、「そういえば、すこうし……」 そう言いかけながら、僕はそのときふいと、ひどく疲れて何もかもが妙にぼおっとしている心のうちに、きょうの昼つかた、浄瑠璃寺の小さな門のそばでしばらく妻と二人でその白い小さな花を手にとりあって見ていた自分たちの旅すがたを、何んだかそれがずっと昔の日の自分たちのことででもあるかのような、妙ななつかしさでもって、鮮やかに、蘇らせ出していた。
橇の上にて
そこの小屋のなかで待っていてくれと云われるまま、しばらく五六人の馭者らしい人たちの間に割りこんで、手もちぶさたそうに炉の火にあたっていたが、みんなの吹かしている煙草にむせて急に咳が出だしたので、僕は小屋のそとに出ていって、これから自分のはいってゆこうとする志賀山の案内図をながめたり、小さな雪がちらちらとふっているなかを何んとなく歩いてみたりしていた。雪の質は乾いてさらさらとしているし、風もないので、零下何度だか知らないけれど、寒さはそうひどく感ぜられなかった。そのうちに、向うの厩の中から、さいぜんの若い馭者が馬の口をとりながら、一台の雪橇を曳き出して来るのが見えた。僕は雪橇というものをはじめて見た。――粗末な箱型をしたものに、幌とはほんの名ばかりの、継ぎはぎだらけの鼠いろの布を被っただけのものである。馭者台なんぞもない。それもそのはず、馭者は馬のさきに立って雪のなかを歩いてゆくのである。 その橇が自分の前に横づけになったものの、どこから乗っていいのか分からないでまごまごしていると、馭者が飛んできて、幌をもちあげながら入口をあけてくれた。ふとそのなかに茣蓙の敷いてあるのが目にとまったので、僕はいそいで靴をぬごうとすると、その儘あがれという。そこで僕はほんのまね事のように外套を叩いたり、靴の雪を払い落したりして、首をこごめるようにして幌の中にはいった。そのなかはまあ二人で差し向いに腰かけるのがやっと位だが、そこには座蒲団や毛布から、火鉢の用意までしてある。火鉢には火もどっさり入れてある。――寒いから、その火鉢に足をのせて、その上からその毛布をかけよと云ってくれる。そう云うとおりに、僕がそこにあった毛布をひろげて膝の上にかけ出すのを見とどけると、馭者は幌をすっかり下ろして、馬のほうへ飛んでいった。
やがて雪橇はごとんごとんと動き出した。あまり揺られ心ちのいいものではなかった。それに幌には窓が一つもついていないので、全然おもての景色の見られないのが何よりの欠点だ。――このままこうしてごとんごとんと揺られながら、毛布の中に小さくなっていたんでは、いくら寒さはしのげても、なんにも見えず、わざわざ雪のなかまでやってきたかいがない。そこで幌を少しもち上げてみたが、その位のことでは、道ばたに積みあげられた雪のほかは何んにも見えない。…… が、さっきから首すじがすこし寒いとはおもっていたが、そこのところだけ幌の布がなんだか綻んだようになっていて、ひらひらしているのにはじめて気がついた。ためしにそれをちょっと手でもち上げて見ると、小さな窓のような工合になる。僕はこれはいいとおもって、そこに目を近づけると、ちょうど村の一番最後の家らしい、なかば雪に埋もれた一軒の茶店のようなものが通り過ぎた。ちょっとの間だったのに、もうそうとう雪が深そうだ。 そのうちにあちこちの森だの山だのが見えて来る。細かい雪がいちめんにふりしきっているので、それもほんの近いものだけしか見えなかったが。……それでも、僕は自分が生れて初めて見るような雪の山のなかにはいり出していることを感じだしていた。だが、そうやって外ばかり眺めていると、そこから細かい雪がたえず舞いこんでくるとみえ、膝のうえの毛布がうっすら白くなっている。僕はその毛布を軽くはたきながら、すこし坐りなおして、しばらく目を休めることにした。なんにも見えなくとも、自分の身体のかしぎかたで、上りが急になったり、また、すこし楽になったりしてゆく工合がよく分かる。なんだか自分の不安定の感じが或る度を過してくると、橇のほうもいつか止まってしまっている。馬が息をつくためにしばらく休むのである。雪の中にぽつんぽつんと立っている樹木なんぞを見ても、四方から雪を吹きつけられているので、どのくらい雪が深いのだかちょっと見当がつかない。橇道はちゃんとついているらしいが、ずっと上りづめらしく、馬も、馭者も、ずいぶん骨を折っているのだろうと思った。 又、橇がとまった。こんどはだいぶ長くとまっているな、と思っていると、雪の中から急におもいがけない話しごえが聞えだした。どうやら向うから下りてくる雪橇があって、道をゆずりあっているらしい。――「まだあとからも来るか」と向うの馭者が問うと、 「いや、もうこれが最後だ」とこちらの馭者が答えている。……そのうち僕の橇が動きだして向うの橇とすれちがおうとするとき、突然、向うの馭者が何かはげしく自分の馬を叱したので、ひょいと例の穴からのぞいて見ると、道を避けようとして片がわの積雪のなかへ深くはいり込んでしまった橇を曳き出そうとして、一しょう懸命になっている馬は、ほとんど胸のあたりまで雪に埋っていた。なんども前脚を雪のなかから引き抜こうとしてば、そこらじゅうに雪煙りをちらしていた。僕もそのとばっちりを受けそうになって、いそいで顔をひっこめたが、向うの橇はすっぽりと幌を下ろしてはいるものの、空のようだった。 続いて、もう一台の橇とすれちがった。こんどはどうやらうまくすれちがったようだったが、それも空らしかった。 そうやって二台の橇とすれちがって、しばらくしてから僕はふいと時計を出してみると、橇に乗ってから一時間ばかりも経っているので、ああ、もうこんなに乗っていたのかと意外におもいながら、一体、いまどのへんなのだろうと、又、例の穴に顔を近づけてみると、ちょうど自分の橇の通っている岨の、ずっと下のほうの谷のようなところを二台の橇がずんずん下りてゆくのが、それだけが唯一の動きつつあるものとして、いかにもなつかしげに見やられた。それにしても、あれがいましがた自分とすれちがった橇かとおもわれる位、そんなにもう下のほうまで往っているのには驚いた。そうしてそれと共に、僕ははじめて自分のいつのまにかはいり出している山の深さに気がついてきた。それほど自分のそれまでの視野のうちには、いつまで経っても、同じような白い山、同じような白い谷、同じような恰好をした白い木立しかはいって来ないでいたのだった。
僕はそれから橇のなかに再び坐りなおして、がたんがたん揺られるがままになりながら、いよいよ自分も久恋の雪の山に来ているのだなとおもった。ずいぶん昔から、いまのように、こうしてただ雪の山のなかにいること、――それだけをどんなに自分は欲して来たことだろう。べつに雪の真只中でどうしようというのでもない。――スポルティフになれない弱虫の僕は、ただこういう雪の中にじっとして、真白な山だの(――そう、山もそんなに大それたものでなくとも、丁度いま自分の前にあるような小品風なものでいい……)、真白な谷だの(――谷もあの谷で結構……)、雪をかぶったいくつかの木立のむれ(――あそこに立っている樺のような木などはなかなか好いではないか……)などをぼんやり眺めてさえいればよかった。 ただすこし慾をいえば、ほんの真似だけでもいい、――真白な空虚にちかい、このような雪のなかをこうして進んでいるうちに、ふいと馭者も馬も道に迷って、しばらく何処をどう通っているのだか分からなくなり、気がついてみると、同じところを一まわりしていたらしく、さっきと同じ場所に出ている――そんな純粋な時間がふいと持てたらどんなに好かろう、とそんな他愛のないことだけが願わしいような、淡々とした気もちでいた。…… 僕は目をつぶって、幌の穴から見ようとすれば見えたでもあろう、そのような雪の世界をただ想像裡に描きつづけながら、こういう自分の雪に対するそれほど烈しくもない、といって一時の気まぐれでもない、長いあいだの思慕のようなものが、いつ、どうして自分のなかに生じて来たのだろうかと考え出していると、突然、十年ほどまえ八つが岳の麓にあるサナトリウムで生を養っていた自分のすがたが鮮かによみ返ってきだした。冬になると、山麓のサナトリウムのあたりは毎日ただ生気なく曇っているだけなのに、山々はいつも雪雲で被われており、そんな雲のないときには、それらの山々は見事なほど真白なすがたをしていた。僕はそんな冬の日をどうしようもなしに暮らしながら、ときどき雪の山のほうへ切ない目ざしを向けるようになり出していた。そんな雪雲にすっかり被われている山のもなかを、なにか悲壮な人間の内部でも見たいように、おそるおそる見たがりながら。…… 僕は、いま、その頃の自分にはとても実現せられそうもないように見えていた、こんな雪の中にはいり込んで来ているのだと思いながら、さて、べつにどうという感慨もなかった。悲壮のようなものはいささかも感ぜられなかった。寒さだって大したことはない。むしろ、雪のなかは温かで、なんのもの音もなく、非常に平和だ。そう、愉しいといったほうがいい位だ。橇の中にいて、小さな幌の穴から、空を見あげていると、無数の細かい雪がしっきりなしに、いかにも愉しげな急速度でもって落ちてくる。そうやってなんの音も立てずに空から落ちてくる小さな雪をじいっと見入っていると、その愉しげな雪の速さはいよいよ調子づいてくるようで、しまいにはどこか空の奥のほうでもって、何かごおっという微妙な音といっしょになってそれが絶えず涌いているような幻覚さえおこってくるようだ。 大きな壺に耳をあてていると、その壺の底のほうからごおっといって無数の音響が絶えまなしに涌きあがっている。――ちょうどああいった工合に何か愉しくて愉しくてならないように、無数の小さな雪が空の奥のほうで微かにごおっという音を立てながら絶えず涌いているような気がせられるのである。僕はいつまでも一ところからじっと、絶えず落ちてくる雪を見ている中に、そんな幻覚的な気もちにさえなり出していたが、急にまた坂にさしかかったと見えて橇ががたんがたん揺れだしたので、思わず自分自身に立ち返えされてしまっていた。
……雪のごとく愉しかれ。 大いなる壺のやすらかに閉ざされし内部に在りて、 すべての歌声の、よろこばしきアルペジオとなりて、 絶えず涌きあがるがごとくにあれ。
そうしてそういうノワイユ夫人の詩の一節だけが、いつまでも自分の口の裡に、なにか永遠の一片のように残っていた。……
「死者の書」
古都における、初夏のタぐれの対話
客 なんともいえず好い気もちだね。すこし旅に疲れた体をやすめながら、暮れがたの空をこうやって見ているのは。 主 京都もいまが一番いいんだ。この頃のように澄み切った空のいろを見ていると、すっかり京都に住みついている僕なんぞも、なんだかこう旅さきにいるような気がしてきてならないね。まあ、そういう気もちになるだけでもいいからな……それにしても、君はこの頃はよくこちらの方へ出てくるなあ。いつか話していた仕事はその後はかどっているのかい。何か、大和のことを書くとかいっていたが…… 客 いや、あれはあのままだ。なかなか手がかりがつかないんだ。まあ、そのうち何んとかものにするよ。……なんしろ、まだ、こういった感じのものが書きたいと、埴輪をいじったり、万葉の歌を拾い読みしたりしては一種の雰囲気を自分のまわりに漂わせて、ひとりでいい気になっているぐらいのものだ。 ……当分はまあ折を見ては、こうやってこちらに来て、できるだけ屡々みごとな田園と化した都址や、西の京あたりの松林のなかなどをぶらぶらするようにしている。 主 そうやって君は何げなさそうにぶらぶらしながら、突然、松林の奥から古代の風景が君の前にひらけるような瞬間を待っているわけなのだね。 客 そうだよ。少くとも、はじめのうちはそうだった。だが、このごろはそういった奇蹟は詮めている。まだ、自分には古代の研究がなにひとつ身についていないのだからね。もうすこしおとなしく勉強をする。 主 だが、こんなことを僕から君に云うのもどうかと思うけれど、小説を書く気なら、あんまり勉強しすぎてしまってもいけないのではないかしら。ゲエテも、どこかで、こんなことを云っている。『自分はギリシヤ研究のおかげで「イフィゲニエ」を書いたが、自分のギリシヤ研究はすこぶる不完全なものだった。もしその研究が完全なものだったら、自分の「イフィゲニェ」は書かれずにしまったかも知れない。』 客 うん、なるほどね。つまり、古代のことは程よく知っている位で、非常にういういしい憧れをもっているうちのほうが小説を書くのにはいいということになるわけか。これは好い言葉をきいた。……どうもこのごろ、自分でも悪い癖がついたとおもい出していたところだ。日本の古代文化の上にもはっきりした痕を印しているギリシヤやペルシャの文化の東漸ということを考えてみているうち、いつか興味が動きだしてギリシヤの美術史だとか、ペルシヤの詩だとか読み出している。それはまだいい、そのうちにいつのまにかゲエテの「ディヴァン」だとか、ノワィユ夫人の詩集までが机の上にもち出されているといった始末だ。 主 (同情に充ちた笑)まあ、ゆっくりでもいいから、あまり道草をくわずに、仕事に精を出したまえ。……そういえば、数年まえに釈迢空さんが「死者の書」というのを書いていられたではないか、あの小説には実によく古代の空気が出ていたようにおもうね。 客 そう、あの「死者の書」は唯一の古代小説だ。あれだけは古代を呼吸しているよ。まあ、ああいう作品が一つでもあってくれるので、僕なんぞにも何か古代が描けそうな気になっているのだよ。僕ははじめて大和の旅に出るまえに、あの小説を読んだ。あのなかに、いかにも神秘な姿をして浮かび上がっている葛城の二上山には、一種の憧れさえいだいて来たものだ。そうして或る晴れた日、その麓にある当麻寺までゆき、そのこごしい山を何か切ないような気もちでときどき仰ぎながら、半日ほど、飛鳥の村々を遠くにながめながらぶらぶらしていたこともあった。 主 その二上山だ。その山に葬られた貴い、お方の亡き骸が、塚のなかで、突然深いねむりから村びとたちの魂乞いによって呼びさまされるあたりなどは、非常に凄かったね。森の奥の、塚のまっくらな洞のなかの、ぽたりぽたりと地下水が巌づたいにしたたり落ちてくる湿っぽさまでが、何かぞっとするように感ぜられた。 客 全篇、森厳なレクヰエムだ、古代の埃及びとの数種の遺文に与えられた「死者の書」という題名が、ここにも実にいきいきとしている。 主 毎日の写経に疲れて、若い女主人公がだんだん幻想的になって来、ある夕方、日の沈んでゆく西のほうの山ぎわにふと見知らない貴いおかたの俤を見いだすところなども、まだ覚えている。 客 あの写経をしている若い女のすがたは美しいね。僕はあそこを読んでからは女の手らしい古い写経を見るごとに、あの藤原の郎女の気高くやつれた容子をおもい出して、何んとなくなつかしくなる位だ。 主 あの小説には、それからもう一つ、別の興味があった。大伴家特だ。柳の花の飛びちっている朱雀大路を、長安かなんぞの貴公子然として、毎日の日課に馬を乗りまわしている兵部大輔の家持のすがたは何んともいえず愉しいし、又、藤原仲麻呂がその家持と支那文学の話などに打ち興じながら、いつか話題がちかごろ仏教に帰依した姪の郎女のうえに移ってゆく会話なども、いかにもいきいきとしていたな。 客 そういうところに作者の底力がひとりでに出ている。人間として大きな幅のある人だ。 主 一方、万葉学者としてもっとも独創に富んだ学説をとなえてきた、このすぐれた詩人が、その研究の一端をどこまでも詩的作品として世に問うたところに、あの作品の人性があるのだね。だが、どうしてあれほどのものが世評に上らなかったのだろう。 客 世間はそういう仕事は簡単にディレッタンティズムとしてかたづけてしまうのだ。学界の連中は、こんどは小説という微妙な形式なので、読まずともいいとおもったろうし……本当にこの作品を読んだという人は、僕の知っている範囲では、五人とはいなかったものね。 主 僕などもその一人だったわけか。幸福なる少数者の……しかし、それはそれだ。君もいい仕事をしてくれたまえ。いい読者になってあげるから。 客 こんどはこっちに風が向いてきたな。まあ、もうすこし待ってくれ。まだ自分でもしようがないとおもうのは、大和の村々を歩いていると、なんだかこう、いつもお復習をさせられているような気もちが抜けないことだ。もうすこし何処にいるのだかも忘れたようになって、あるときは初夏の風にふかれながら、あるときは秋の雲をみあげながら、ぼんやりと歩けるようになりたい。――心におそろしげに描いてきた神々のいられた森が何かつまらない小山に見えるきりだったり、なにげなく見やっていた或る森のうえの塔に急に心をひかれ出して暑い田圃のなかを過ぎっていったり、或る大寺の希臘風なエンタシスのある丹のはげた円柱を手で撫でながら、目のあたりに見る何か大いなるものの衰えに胸を圧しつぶされたり、そうかとおもうと、見すてられたような廃寺の庭の夏草の茂みのなかから拾い上げた瓦がよく見ると明治のやつだったりして、すっかりへとへとになって、日ぐれ頃、朝からみると自分の仕事からかえって遠のいた気もちになって帰ってくることが多いのだ。 主 そういった君の日々が、そのままで君の小説になるのではないか。 客 いや、もうそういう苦しまぎれのような仕事はこんどだけはしたくない。もっと、こう大どかな仕事ぶりをしてみたいんだ。だが、僕みたいなものには難しいことらしいな。――あれは、おととしの秋だったかな、ともかくもまあ小手しらべにと、何か小品を、ちょうど古代の人々がふいとした思いつきで埴輪をつくりあげたような気もちで、書いてやろうとおもって、古代の研究がてら、大和にやってきて、毎日寺々を見て歩いているうちに、なんだか日にまし気もちが重くるしくなって、とうとう或る夕方、もうその仕事をどう云ってやってことわろうかと考えるため散歩にいった高畑のあたりの築土のくずれが妙にそのときの自分の気もちにぴったりして、それから急に思いついて「曠野」という中世風なものがなしい物語を書いた。 主 あの小説は読んだよ。大和までわざわざ仕事をしにきて、毎日お寺まわりしながら、やっぱり、ああいうものを書いているなんて、いかにも君らしいとおもったよ。 客 あれは、いまおもえば、僕のさびしい詮めだった。それが何処かで、あの物語の女のさびしい気もちと触れあっていたのだな…… 主 そういえばそうもいえようが、あれもあれでいい。だが、僕は君の新らしい仕事を期待している。勇気を出して、いつまでもその仕事をつづけてくれたまえ。 客 うん、ありがとう。ひとつ一生をかけてもやるかな。……それまでのうちに、これから何遍ぐらいこっちにやって来ることになるかな。どうも大和のほうに住みつこうなんという気にはなれない。やっぱり旅びととして来て、また旅びととして立ち去ってゆきたい。いつもすべてのものに対してニィチェのいう「遠隔の感じ」を失いたくないのだ。…… そのくせ、いつの日にか大和を大和ともおもわずに、ただ何んとなくいい小さな古国だとおもう位の云い知れぬなつかしさで一ぱいになりながら、歩けるようになりたいともおもっているのだ。たわわに柑橘類のみのった山裾をいい香りをかいで歩きながら、ああこれも古墳のあとかなと考え出すのは、どうもね。 主 しかし、君はもう大抵大和路は歩きつくしたろうね。 客 割合に歩いたほうだろうが、ときどきこんなところでと、――本当に思いがけないような風景が急に目のまえにひらけ出すことがある。 この春も春日野の馬酔木の花ざかりをみて美しいものだとおもったが、それから二三日後、室生川の崖のうえにそれと同じ花が真っ白にさきみだれているのをおやと思って見上げて、このほうがよっぽど美しい気がしだした。大来皇女の挽歌にある「石のうへに生ふる馬酔木を手折らめど……」の馬酔木はこれでなくてはとおもった。そういう思いがけない発見がときどきあるね。まあ、そんなものだけをあてにして、できるだけこれからも歩いてみるよ。――だが、まだなかなか信濃の高原などを歩いていて、道ばたに倒れかかっている首のもぎとれた馬頭観音などをさりげなく見やって、心にもとめずに過ぎてゆく、といったような気軽さにはいかない。…… それでいて、そのふと見過ごしてきた首のない馬頭観音の像が、何かのはずみで、ふいと、そのときの自分の旅すがたや、そのまわりの花薄や、その像のうえに青空を低くさらさらと流れていた秋の雲などと一しょになって、思いがけずはっきりと蘇ってくるようなことがあったりする工合が、信濃路ではたいへん好かった。なんだか、そういったうつけたような気分で、いつの日か、大和路を歩けるようになりたいものだ。 主 いい身分だね。そうやって旅行ばかりしていられるなんて。 客 君なんぞにもそう見えるのかい。でも、僕はこんな弱虫だからね、不安な旅でない旅などをしたことはない。いつ、どこで、寝こむかも分からないような心細さで、旅に、出てくるのだよ。まあ、それなりにだんだん旅慣れてはきたけれど。…… 主 そうか。あんまり無理をするなよ。――ああ、もうすっかり暗くなってしまったね。すこし冷え冷えとしてきたようだから、窓をしめようね。
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