その三年前のこと、僕はいままでの仕事にも一段落ついたようなので、これから新らしい仕事をはじめるため、一種の気分転換に、ひとりで大和路をぶらぶらしながら、そのあたりのなごやかな山や森や村などを何んということなしに見てまわって来るつもりでした。それが急に君と同伴することになり、いきおい古美術に熱心な君にひきずられて、僕までも一しょう懸命になって古い寺や仏像などを見だし、そして僕の旅嚢はおもいがけなくも豊かにされたのでした。きょう僕がいろいろな考えのまにまに歩いてきた飛鳥の村々にしたって、この前君と同道していなかったら、きょうのようには好い収穫を得られなかったのではないかと思います。もし僕ひとりきりだったら、僕はただぼんやりと飛鳥川だの、そのあたりの山や丘や森や、そのうえに拡がった気もちのいい青空だのを眺めながら、愉しい放浪児のように歩きまわっていただけだったでしょう。――が、君に引っぱってゆかれる儘、僕はそんなものをついぞ見ようとも思わなかった古墳だの、廃寺のあとに残っている礎石だのを、初夏の日ざしを一ぱいに浴びながら見てまわったりしました。そのときはあんまり引っぱりまわされたので少し不平な位でした。しかし、どうもいまになって考えて見ると、そのとき君のあとにくっついて何気なく見たりしていたもののうちには、その後何かと思い出されて、いろいろ僕に役立ったものも少くはないようです。あの菖蒲池古墳のごときは、君のおかげで僕の知った古墳ですが、あれなどはもっとも忘れがたいもののひとつでありましょう。 そうです、そのときはまず畝傍山の松林の中を歩きまわり、久米寺に出、それから軽や五条野などの古びた村を過ぎ、小さな池(それが菖蒲池か)のあった丘のうえの林の中を無理に抜けて、その南側の中腹にある古墳のほうへ出たのでしたね。――古代の遺物である、筋のいい古墳というものを見たのは僕にはそれがはじめてでした。丘の中腹に大きな石で囲った深い横穴があり、無慙にもこわされた入口(いまは金網がはってある……)からのぞいてみると、その奥の方に石棺らしいものが二つ並んで見えていました。その石棺もひどく荒らされていて、奥の方のにはまだ石の蓋がどうやら原形を留めたまま残っていますが、手前にある方は蓋など見るかげもなく毀されていました。 この古墳のように、夫婦をともに葬ったのか、一つの石廓のなかに二つの石棺を並べてあるのは比較的に珍らしいこと、すっかり荒らされている現在の状態でも分かるように、これらの石棺はかなり精妙に古代の家屋を模してつくられているが、それはずっと後期になって現われた様式であること、それからこの石棺の内部は乾漆になっていたこと、そして一めんに朱で塗られてあったと見え、いまでもまだところどころに朱の色が鮮やかに残っているそうであること、――そういう細かいことまでよく調べて来たものだと君の説明を聞いて僕は感心しながらも、さりげなさそうな顔つきをしてその中をのぞいていました。その玄室の奥ぶかくから漂ってくる一種の湿め湿めとした気とともに、原始人らしい死の観念がそのあたりからいまだに消え失せずにいるようで、僕はだんだん異様な身ぶるいさえ感じ出していました。――やっとその古墳のそばを離れて、その草ふかい丘をずんずん下りてゆくと、すぐもう麦畑の向うに、橘寺のほうに往くらしい白い道がまぶしいほど日に赫きながら見え出しました。僕たちはそれからしばらく黙りあって、その道を橘寺のほうへ歩いてゆきました。……
そうやって君と一しょにはじめて見たその菖蒲池古墳、――そのときはなんだか荒んだ、古墳らしい印象を受けただけのように思っていましたが、だんだん月日が立って何かの折にそれを思い出したりしているうちに、そのいかにもさりげなさそうに一ぺん見たきりの古墳が、どういうものか、僕の心のうちにいつも一つの場所を占めているようになって来ました。――いわば、それは僕にとっては古代人の死に対する観念をひとつの形象にして表わしてくれているようなところがあるのでありましょう。いつごろからそういう古代人の死の考えかたなどに僕が心を潜めるようになったかと云いますと、それは万葉集などをひらいて見るごとに、そこにいくつとなく見出される挽歌の云うに云われない美しさに胸をしめつけられることの多いがためでした。このごろ漸くそういう挽歌の美しさがどういうところから来ているかが分かりかけて来たような気がします。 先ず、古代人の死に対する考えかたを知るために、あの菖蒲池古墳についてかんがえて見ます。あの古墳に見られるごとき古代の家屋をいかにも真似たような石棺様式、――それはそのなかに安置せらるべき死者が、死後もなおずっとそこで生前とほとんど同様の生活をいとなむものと考えた原始的な他界信仰のあらわれ、或いはその信仰の継続でありましょう。しかし、僕たちが見たその古墳のように、その切妻形の屋根といい、浅く彫上げてある柱といい、いかにもその家屋の真似が精妙になってきだすのと前後して、突然、そういう立派な古墳というものがこの世から姿を消してしまうことになったのです。これはなかなか面白い現象のようです。勿論、それには他からの原因もいろいろあったでしょう。だが、そういう現象を内面的に考えてみても考えられないことはない。つまり、そういう精妙な古墳をつくるほど頭脳の進んで来た古代人は、それと同時にまた、もはや前代の人々のもっていたような素朴な他界信仰からも完全にぬけ出してきたのです。――一方、火葬や風葬などというものが流行ってきて、彼等のあいだには死というものに対する考えかたがぐっと変って来ました。それがどういう段階をなして変っていったかということが、万葉集などを見ているとよく分かるような気もちがします。…… たとえば、巻二にある人麻呂の挽歌。――自分のひそかに通っていた軽の村の愛人が急に死んだ後、或る日いたたまれないように、その軽の村に来てひとりで懊悩する、そのおりの挽歌でありますが、その長歌が「……軽の市にわが立ち聞けば、たまだすき畝傍の山に鳴く鳥の声も聞えず。たまぼこの道行く人も、ひとりだに似るが行かねば、すべをなみ、妹が名呼びて袖ぞ振りつる」と終わると、それがこういう二首の反歌でおさめられてあります。
秋山の黄葉を茂み迷はせる妹を求めむ山路知らずも もみぢ葉の散りゆくなべにたまづさの使を見れば逢ひし日思ほゆ
丁度、晩秋であったのでありましょう。彼がそうやって懊悩しながら、軽の村をさまよっていますと、おりから黄葉がしきりと散っております。ふと見上げてみると、山という山がすっかり美しく黄葉している。それらの山のなかに彼の愛人も葬られているのにちがいないが、それはどこいらであろうか。そんな山の奥ぶかくに、彼女がまだ生前とすこしも変らない姿で、なんだか道に迷ったような様子をしてさまよいつづけているような気もしてならない。だが、それが山のどこいらであるのか全然わからないのだ。…… そんなことを考えつづけていると、突然、誰か落葉を踏みながら自分のほうに足早に近づいてくるものがある。見ると、文を挿んだ梓の木を手にした文使いである。ふいと愛人の文を自分に届けに来たような気がして、おもわず胸をおどらせながら立ち止まっていると、落葉の音だけをあとに残してその文使いは自分の傍を過ぎていってしまう。突然、亡き愛人と逢った日の事などが苦しいほど胸をしめつけてくる。 そういう情景がいかにもまざまざと目の前に蘇って来るようであります。それだけで好い。その軽の村がどういうところであるかも、その歌がおのずから彷彿せしめている。その藤原京のころには、京にちかい、この軽のあたりには寺もあり、森もあり、池もあり、市などもあったようであります。その死んだ愛人などもよくその市に出て、人なかを歩いたりしたこともあったらしい。そしてその路からは畝傍山がまぢかに見え、そのあたりには鳥などもむらがり飛んでいたのでありましょう、――今もまだその軽の村らしいものが残っております。その名を留めている現在の村は、藪の多い、見るかげもなく小さな古びた部落になり果てていますが、それだけに一種のいい味があって、そこへいま往ってみても決して裏切られるようなことはありません。 低い山がいくつも村の背後にあります。そういう低い山が急に村の近くで途切れてから、それがもう一ペんあちこちで小丘になったり、森になったり、藪になったりしているような工合の村です。そういう村の地形を考えに入れながら、もう一ペんさっきの歌を味わってみると、一層そのニュアンスが分かって来るような気がします。 すこし横道にそれてしまいましたので、本題に立ちかえりましょう。僕はその人麻呂の挽歌――就中その第一の反歌のなかに見られる、死に対する観念をかんがえて見ようとしていたのでした。
秋山の黄葉あはれとうらぶれて入りにし妹は待てど来まさず
これは巻七の雑の挽歌のなかに出てくる作者不詳のものであります。非常に人麻呂の歌と似ていて、その影響をたぶんに受けて出来たものとおもわれますが、とにかくそれで見ても、こういうような愛する者の死に対する思想が、たんへん当時の人々に気に入られたということが分かるのであります。――その当時はもう原始的な他界信仰から脱して人々は漸くわれわれと殆ど同じような生と死との観念をもちはじめていたのにちがいありません。だが、自分の愛しているものでも死んだような場合には、死後もなお彼女が在りし日の姿のまま、その葬られた山の奥などをしょんぼりとさすらっているような切ない感じで、その死者のことが思い出されがちでありましょう。そういう考え方は嘗つての他界信仰の名残りのようなものをおおく止めておりますが、半ばそれを否定しながらも、半ばそれを好んで受け入れようとしている、――すくなくとも心のうえではすっかりそれを受け入れてしまっているのであります。そうしてまた一方では、そういう愛人の死後の姿をできるだけ美化しようとする心のはたらきがある。……そういうさまざまな心のはたらきが、ほとんど無意識的に行われて、なんの造作もなくすうっと素直に歌になったところに、万葉集のなかのすべての挽歌のいい味わいがあるのだろうと思われます。 軽の村の愛人の死をいたんだ歌とならんで、もう一首、人麻呂がもうひとりの愛人(こちらの愛人とは同棲をし、子まであった)の死を悲しんだ歌があり、それにも死者に対する同様の考えかたが見られます。「……大鳥の羽がひの山に、わが恋ふる妹はいますと人のいへば、岩根さくみてなづみ来し、よけくもぞなき。現身とおもひし妹が、玉かぎるほのかにだにも見えぬ、思へば。」――人は死んでしばらくの間は山の奥などに生きているときとすこしも変らない姿をして暮らしているものだと、老人などのいうことを聞いて、亡くなった妻恋いしさのあまりに、もしやとおもって、岩を踏み分けながら、骨を折って山のなかを捜してみたが、それも空しかった。ひょっとしたら在りし日さながらの妻の姿をちらりとでも見られはすまいかと思っていたが、ほんの影さえも見ることができなかった。――これはその長歌の後半をなしている部分ですが、ここにも人麻呂の死に対する同様の観念があらわれております。――すこしそれが露骨に出すぎている位で、いかにも情趣のふかい前の歌ほど僕は感動をおぼえません。でも、「大鳥の羽がひの山」などというその山の云いあらわしかたには一種の同情をもちます。翼を交叉させている一羽の大きな鳥のような姿をした山、――何処にあるのだか分からないけれども、なんだかそんな姿をした山が何処かにありそうな気がする、そんな心象を生じさせるだけでもこの山の名ひとつがどんなに歌全体に微妙に利いているか分かりません。いろいろな学者が「大鳥の」を枕詞として切り離し、「羽買山」だけの名をもった山をいろいろな文献の上から春日山の附近に求めながら、いまだにはっきり分からないでいるようであります。勿論、学としてはそういう努力が大切でありましょうが、これを歌として味わう上からは、そういう羽買山ではなしに、何処かにありそうな、大きな鳥の翼のような形をした山をただぼんやりと浮かべて見ているだけの方がいいような気がするのです。…… 僕は数年まえ信濃の山のなかでさまざまな人の死を悲しみながら、リルケの「Requiem」をはじめて手にして、ああ詩というものはこういうものだったのかとしみじみと覚ったことがありました。――そのときからまた二三年立ち、或る日万葉集に読みふけっているうちに一聯の挽歌に出逢い、ああ此処にもこういうものがあったのかとおもいながら、なんだかじっとしていられないような気もちがし出しました。それから僕は徐かに古代の文化に心をひそめるようになりました。それまでは信濃の国だけありさえすればいいような気のしていた僕は、いつしかまだすこしも知らない大和の国に切ないほど心を誘われるようになって来ました。……
そういうようにして漸っとはじめて大和路に来た三年前のこと、君と一しょに見た、菖蒲池古墳のことから、つい考えのまにまに思わぬことを長ながと書いてしまいましたが、別に最初からどういうことを書こうかと考えて書き出したわけのものでもないので、これはこれとしてお読み下さい。 ――でも、最初まあそんなものでも書こうとしかけていた僕のきょうの行程を続けてみますと、そうやって軽のあたりをさまよった後、剣の池のほうに出て、それから藁塚のあちこちに堆く積まれている苅田のなかを、香具山や耳成山をたえず目にしながも歩いているうちに、いつか飛鳥川のまえに出てしまいました。ここいらへんはまだいかにも田舎じみた小川です。が、すこしそれに沿って歩いていますと、すぐもう川の向うに雷の村が見えてきました。土橋があって、ちょっといい川原になっています。僕はそこまで下りて、小さな石に腰かけながら浅いながれに目をそそいでいました。なんだか鶺鴒でもぴょんぴょん跳ねていたら似合うだろうとおもうような、なんでもない景色です。それから僕は飛鳥の村のほうへ行く道をとらずに、甘橿の丘の縁を縫いながら、川ぞいに歩いてゆきました。ここいらからはしばらく飛鳥川もたいへん好い。このまえ五月に君と一しょに歩いたときからよほど僕の気に入ったものと見えます。あのときにはあそこの丘の端に桐の花が咲いていた、このへんの道ばたには一もと野茨の花も咲いていたと、そんな小さな思い出までも浮かんでくる位なのです。…… こんなことをまた書き出していたらきりがありません。もうおもい切ってここいらで筆をおきます。――その日の夕がた、最後のバスに乗りおくれた僕はしようがなく橘寺をうしろにして一人でてくてく歩き出しました。途中で夕焼けになり、南のほうに並んでいる真弓の丘などが非常に綺麗に見えました。それから僕はせっかくその前まで来ているのだからと思って、菖蒲池古墳のある丘を捜してそこまで上がっていって見ました。が、その古墳の前まで辿りついたときにはもう日がとっぷりと昏れて、石廓のなかはほとんど何も見えない位でした。それでも僕はバスに乗りおくれたばかりにもう一度それが見られて反って好いことをしたと思いながら、もと来た道を引っかえして再び駅のほうへ薄暮のなかを歩いてゆきました。それからまた五条野のあたりで道に迷って、やっと駅に著いたときは月の光を背に浴びていたことは前にも書きました。 もう大ぶ夜もふけたようです。あすからの旅のことを思いながら、ちょっと部屋の窓をあけてみたら、凄いような月の光のなかに、荒池がほとんど水を涸らしてところどころ池の底のようなものさえ無気味に見せています。僕はなんということもなしに複製で見たエル・グレコの絵を浮かべました。――こんやはどうも寝たくはないような晩だけれども、あすの朝は早いのだし、それに四時間ばかり汽車にも乗らなければならないのだから、なんとかうまくあやして自分を寝つかせましょう。
一九四一年十二月四日、奈良ホテルにて
斑雪
「冬になって、雪がふったら、すぐ知らせて下さい。そのときはきっと、一人ででもやって来ますから。……」 その山の村にとうとう居残って冬を越すことになったK君夫妻に僕はその秋のなかばその村を立ち去るとき、そう云い残していった。 「……けさほどから急に雪がふりだしていますの。この分では大ぶ積りそうですので、主人が早くお知らせした方がいいと申しますから、これからこの手紙をもって雪のなかを郵便局まで一走りいたします」 ――万里子さんからそう云ってよこしたのは、もう十二月も末近かった。 僕はまえから雪の信濃路を見たがっていた学生のM君を誘ったり、一しょに往く筈だった妻の都合が悪かったりして、すこし出かけるのに手間どり、妻だけ二三日あとから来させることにして、漸っとその小さな冬の旅に出たのは、それから四五日たってからのことだった。…… ゆうがた着いたその山の村には、数日まえの雪はもう殆ど消え、林の中などにところどころわずかに雪らしいものが残っているきりだった。そんな一つの林の奥に、K君たちが冬ごもりをしている山小屋がある。 「まあ、よくいらっしゃいました」その小屋の中から飛びだしてきて僕たちを出むかえた万里子さんは、一とおり挨拶がすむと、さも困ったように大きい目をしてまじまじと僕の方を見ながら言った。「――でも、もうすっかり雪がなくなってしまっていて。なんだか……」 「いやあ、雪なんぞはどうでもいいですよ。」 僕はあわてて手をふりながら、それを遮った。 「こないだの雪は午前中ふったきりでしたの。大ぶ積ったことは積りましたけれど、午後から日があたって見る見るとけていってしまうので、あんな手紙なんか出してしまって、気が気でありませんでしたわ。――でも、まだあそこいらには少しばかり残っていますの。」 もう薄暗くなり出している林の奥のほうにまだいくらか残雪が何かの文様のようにみえるのを、万里子さんはすこし気まり悪そうにして示した。 僕はもうそんなものはどうでもよかったが、すっかり葉が落ちて林の中がどこまでも透いてみえたりするのを珍らしそうに見ているM君におつきあいして、その儘しばらく三人でそこに立って見ていた。そのうち小屋のかげからボブが飛び出してきた。 「ボブ、駄目よ。……」万里子さんはその人なつこい犬が泥足でもって僕のほうに飛びかかろうとするのを、すばやく捕まえた。 「よう。」K君が小屋の中から首だけ出して僕たちに声をかけた。「何をしているんだい。寒いだろう。」 「こないだの雪をお見せしていますの。」万里子さんはボブがもがくのを漸っとおさえつけながら言った。 「雪なんぞはもうありあしないだろう。」寒がりのK君はうちの中でも頸巻をしたままで、小屋から出て来ようともせずに僕たちを促した。「早くはいりたまえ。」
「さっきここの林のいりぐちで、クルツといったかな、あの、変な女を見かけたが、なんだか夏とは見ちがえるような、凄い毛皮の外套を着て、真紅なベレかなんぞかぶって、気どった風に歩いていたが、こんな冬の村に一人きりで何をしているんだろう?」僕は煖炉で体が温まると、突然その不思議な女のことを思いながら言った。 「では、きょうまた見にきたのでしょうか。これで三度目ですわ、」万里子さんは急に目を大きくして、頸巻をしたまま煖炉の火を掻きまわしていたK君のほうを見た。 「なんだかよく来るね。」K君はやっと手を休めながらその話に加わった。「このすこし向うに、十一月ごろまでいた独逸人の一家がいてね、それがクリスマス頃になったらまた来るからと云って、一時引き上げていったのさ。――その人達がまだ来ていないかどうかと、そうやってもう二週間ぐらいも前から、毎日のようにその女が様子を見にくるのだよ。二三度、僕たちのところにも立ち寄って、何か心配そうに様子をきくので、こっちでもその度に相手になってやっていたが、問い合わせの手紙でも出したらどうかと云うと、ただ首をふっているきりなのだ。もうその家では来ないことが分かっているのだ。それだのにこの頃は一日のうちに二度も三度もやって来るんだ。いつもあの毛皮の外套をきて、紅いベレをかぶって。――そうしてその度に、僕たちの家の中をじいっと見てゆくんだ。それをまた万里子が薄気味わるがってね。……」 「結局、一人でさびしくってしようがないんだな。こっちにいる他の外人とは全然つきあわないのかい。」 「どうもその女だけ除けものにされているらしい。村の人にきくとあの女はしようがありませんと云って、てんで相手にならないんだ。」 「そんななのかい。――僕はどういう素性の女かよく知らないが、夏なんぞその女が奇妙ななりをして、買物袋をぶらさげながらなんだかしょぼしょぼして歩いているのを見かけては、何者だろうとおもっていたんだがね。あれで、この夏聞いたことだが、恋人がいるんだそうだ。毎夏やってくるハンガリイの音楽家でね、その男と町などで逢うと、人中だろうと何だろうと構わずに立ち止まって、黙ってその音楽家の顔を穴のあくほどじっと見つめているのだそうだよ。それがもうかれこれ十年来の意中の人なのだそうだ。」 「あの女にもそんな話がね。」K君はうなずいていた。 「どうもこんなところに来ている外人には突拍子もない奴がいるものだな。――夏あんなに見すぼらしいなりをしていた女が、冬になって誰れもいなくなると、急にすばらしい毛皮の外套なんぞを着込んで林の中をあるいていようなんて、想像もできないことだよ。だが、ああして一人っきりでもって、よく暮らしていられるものだなあ」 「本当によく暮らしているね。……」K君も考え深そうに答えた。 「だが、人のことよりか、君も寒がりのくせに、こんなところでよく我慢しているね。――どうして暮らしているだろうと、ときどき噂をしていたよ。」 「暮らそうとおもえば、どんなことをしても暮らせることが分かったよ。それに寒さだって、こういうものだと思ってしまえば、いくらでも我慢していられるね」 「でも、万里子さん。」と僕は言葉を挿んだ。「あなたの方の為事は大へんでしょう?」 「そんなでもありませんわ、いまのところ何んにも困りませんの。」万里子さんはそんな事はいかにも何んでもなさそうな答えかたをした。 「そりあ困らないわけさ、一週間も同じものばかり食べさせられていても、僕はなんにも言わないんだもの。」K君はそうは言っても、すこしも不平そうではなかった。むしろ、そういう山のなかの簡素な暮らしを好んでいるようにさえ見えた。 夕食は、しかし山のなかでは思いがけない御馳走だった。ひさしぶりに四人で鳥鍋をかこみながら身も心も温かになって、世はさまざまな話をするのは愉しかった。 僕はこの秋から冬にかけてひとりで旅して歩いた大和路のことを話した。それからその旅のおわりに、エル・グレコの絵を見てきたことなども話した。――その倉敷という小さな町まで五時間もかかって往って、やっとそこの美術館にたどりつき、画廊にはいるなり、すぐエル・グレコの絵に近づいて見ると、それは思ったより小さなものだったが、いかにも凄い絵で、一ぺんではねつけられ、しかたなく他のゴッホやロオトレックなどを一とおり丁寧に見て歩いてから、一番最後に再びそれに近づいたら、こんどはやっと少し平静な気分でその絵に向えたことなど話しながら、エル・グレコなんぞの絵の自分たちにとって、なまやさしいものでないことをしみじみと告白した。 「それもごく小さな「受胎告知図」なんだがね。そこでは、この抒情的な画題に対していだいている僕たちの観念がものの見事に粉砕せられてしまっているのだ。天使は天使で、闇のなかから突然ぎらぎらと光を発する異常なものとして描かれているし、その天使のほうを驚いて見あげている処女の顔も何かただならぬように見える。すべてがいかにも悲劇的な感じなのだ。……こんどはこの一枚だけでもよく見てゆこうとおもって、ずいぶん一所懸命になって見てきたつもりだが、どうしてもまだその絵が分かったようで分からない。そう、分らないというより、なんだかこんな絵がこんなところに来ているのが不思議な気がしてくるのだ。なんだかそれがあるべき場所にいないような……それほど何か異様なのだ……」 「そのグレコの絵は僕も見たいね。」K君は何かじっと煖炉の上の空間を見入っているらしかった。 「こうやって火を焚いていると夜でもちっとも淋しくないでしょう。」僕はふいと万里子さんのほうを向いて言葉をかけた。いつのまに台所からはいって来たのか、万里子さんの足もとにはボブが温かそうにうずくまりながら、僕たちの団欒のなかに加わっていた。 「――僕ははじめてここで冬を越すことになったとき、夕方になるといつも淋しくって淋しくってどうしようかとおもうのだけれど、すっかり夜になって火をどんどん焚きはじめると、もうちっとも淋しくなくなったものでしたよ。」 「本当に。」方里子さんは大きい目でしげしげと僕のほうを見かえしながら、深くうなずいた。 それからまた煖炉を前にして、ひとしきりさまざまな話がはずんだ。…… その夜十時過ぎ、僕たちは宿に引き上げることにした。K君たちもそこまでちょっと送ろうといって頸巻をしたり、外套をきたりしだしていた。もういいからとことわっても、一しょに小屋を出た。ボブもあとからくっついてきた。夜の空気は稀薄で、痛いように冷え切っていた。僕たちはあすは何処かもっと山の方――菅平か、野辺山あたりまで出かけ、妻がこちらに来る頃にまた戻ってくることを約束して林のはずれで別れた。 僕たちはそれから沈黙がちに、枯木の下を抜け抜け、僕たちの靴に踏まれて凍った土の割れる音を耳にしながら、歩いていった。するともう一つ、ときどき何処かから、それとはちがった、硬い、金属的な幽かな音が聞えて来た。 「あれは何んの音でしょう?」M君がいぶかしそうに訊いた。 「ああ、あれかい。あれは、君、枯枝と枯枝とが風でぶつかる音だよ。――ほら、ああやってちょっとぶつかるだけでも、ずいぶん鋭い音を立てるだろう。空気がぱりぱりになっているのだね。……」 そう言いながら、一しょに頭上の梢をみあげていると、絶えずかすかに揺れている枯枝の網を透いて、一めんの星空だった。そうしてその星のひとつひとつが東京なんぞの空で見えるよりかずっと大きく見えた。 突然、右手の空家の庭の一隅で、がさがさと溜った落葉がひっかきまわされるような音がきこえた。何か白いものがそこいらをひとりで駈けずりまわっていた。 「ボブ!」僕はそのほうへ声をかけて見た。 すると、まるでその木魂のように、向うの林の奥から「ボブ!」と呼ぶ声がかすかにした。 「いまのは万里子さんらしいね。静かだなあ。なんだか、こう、ひさしぶりで昔の冬に出逢ったような気もちがしてならないよ。……」 「またこちらで冬をお越しになりませんか?」M君はさもそれが何んでもないことのように言った。 「そういうこともときどきは考えている。……」僕はただそう言ったぎりだった。 僕たちはまた凍った土を踏み割りながら、徐かに歩き出した。
翌日。僕たちは朝はやく小諸まで往き、そこから八つが岳の裾野を斜に横切るガソリン・カアに乗り込んだ。もう冬休みになっていても、この山麓地方はあまりスポルティフではないので、乗客は僕たちのほかはみんな土地の人たちらしかった。 南佐久の村々の間をはじめの一時間ばかりは何事もなく千曲川に沿ってゆくだけだが、そのうち川辺の風景が少しずつ変ってきて、白楊や樺の木など多くなり、石を置いた板屋根の民家などが目立ちだした。そうしてそれらの枯木だの、家だのの向うに、すっかり晴れ切った冬空のなかに、真白な八つが岳の姿がくっきりと見えるようになって来た。 そうやってまだ人家のおおい平原を横切りながら、ぐんぐんと雪のある山に近づいてゆく一種の云い知れない快感を満喫しながら、僕は時々、物陰などにまだ残っている雪の工合などへも目を配っていた。 「この分では、野辺山までいっても雪は大したことはなさそうだぜ。」 僕はそんなことを口ごもったりした。 「そうですかしら。」M君はもう見当がつかないような様子をして、ただ窓の向うに白く赫いている八つが岳のほうを見つづけていた。 そのうち、だんだん谷間のようなところにはいり出す。しばらくはもう山々ともお別れだ。そうして急に谷川らしくなりだした千曲川の流れのまん中に、いくつとなく大きな石がころがっているのばかり目に立ってくる。そんな谷の奥の、海の口という最後の村を過ぎてからも、ガソリン・カアはなおも千曲川にどこまでも沿ってゆくように走りつづけていたが、急に大きなカアブを描いて曲がりながら、楢林かなんぞのなかを抜けると、突然ぱあっと明かるい、広々とした高原に出た。そうしてまだ雪もかなり沢山残っているその草原の向うの一帯の森のうえに、真白な八つが岳――そのうちでも立派な赤岳と横岳とが並んで聳え立っていた。 「高原というのは、こうやってそこへ出た時の最初の瞬間がなんとも云えず印象的でいいな。」僕はそういう目付をしてM君の方を見た。 やがて、野辺山駅に着いた。白い、小さな、瀟洒とした建物で――いや、もうそんなことはどうでもいいことにしよう。――それよりか、僕はその小さな駅に下りかけて、横書きの「野辺山」という三文字が目に飛びこんできた途端に、なにかおもわずはっとした。いままではさほどにも思っていなかった「野辺山」という土地の名がいかにも美しい。まあ何んという素樸な呼びかたで、いい味があるのだろう。そうして此処まで来て、その三文字をなにげなく口にするとき、はじめてそのいい味の分かるような、それほどこの土地の一部になりきってしまっている純粋な名なんだなとおもった。…… その高原の駅に下りたのは僕たちのほかには、二人づれの猟師が一組あるきり。――その猟師たちは駅員と一しょになって檻に入れられてきた猟犬をとり出しにかかっていた。 そこで僕たちは二人きりで駅のそとに出たが、其処はいちめんの泥濘だった。駅の附近には、一棟の舎宅らしいもののほか、二軒ばかり休み茶屋みたいなものがあったが、どちらも戸を閉ざしていた、――そんなところで一休みして、簡単に腹でもこしらえながら、それからどこをどう歩くか考えてみるつもりだった。そこへいってみれば、大体どうすればいいかがひとりでに分かってくるだろう位に、僕はいつもの流儀で高を括っていた。 だが、すぐ目のさきに赤岳だの横岳だのがけざやかに見えていながら、この泥濘の道ではどうしようもない。せっかくの野辺山が原もいい気もちになって歩きまわるわけにゆきそうもない。それに、もう午近い。なんとか腹をこしらえないことには。…… 「あそこに何か為事をしている人たちが見えるな。あの人たちに訊いたら、すこしはこのへんの様子が分かるかもしれない。」 僕はM君にそう言い、ひどい泥濘の中にはいり込まないように、道のへりのほうを歩きながら、旧街道らしいものの傍らで、二人の法被すがたの男がせっせと為事をしている方へ近づいていった。 が、だんだんそっちへ近づいていって見ると、その男たちが何か荒ら荒らしい手つきで皮を剥いているのは兎であるのが分かってきた。そうしてまだ生ま生ましいような皮がいくつももう板に拡げて張りつけられてあるのが見え、皮を剥がされた肉の塊りが道ばたまでころがり出していた。 「こいつはかなわないや。一番の苦が手だ。もう一ぺん駅までひっかえして、訊いてみよう。」 僕はさっさとそっちへ背を向けて、もう泥濘の中だろうとなんだろうと構わずに、その街道を突っ切りだした。そのときひょいと目を上げると、ちょうど鼻のさきに小さな道標が立っている。それでみると右が板橋、左が三軒屋。両方とも約二粁位。――そうそう、板橋という部落はなんだか聞いたことがある。たしか、そこにはわびしい旅籠屋なんぞもあったはずだ。二粁ぐらいなら、思い切って往ってみようかと、M君と相談していると、――その板橋のほうへ通じている、片方は林で、もう一方は草原になった、真直な街道を、何処からどう抜け出したのか、さっきちらりと駅で見かけた猟師が二人、大きな猟犬を先立てながら、さっさと歩いてゆくのが見える。 「往こう。」と僕は言った。 「ええ。」M君もそれにすぐ応じた。 僕たちはその猟師たちのあとを追うようにしてその街道を歩き出した。どこもかもひどい泥濘だが、道のへりなどにはまだすこし雪が残っている。そんな雪のうえを択んで歩き歩き、ときどき片側の枯木林を透かしながら赤岳だの横岳だのをちかぢかと目に入れたり、もう一方の、まだかなり雪が残っていそうな、果てしなく広い草原のはるかかなたを、甲武信の国境の薄白い山々が劃っているのを眺めたりしていると、なかなか好いことは好い。日光もほどよく温かで、こうして歩いているとすこし汗ばんでくる位。――だが、ものの十分とたたないうちに、僕たちの前方を歩いていた猟師たちは、急に林の中へでもはいってしまったのか、もう影も形も見えない。そのかわりに、いつのまにか、僕たちの背後には重そうな鞄を背負った郵便配達夫がひとり姿をあらわし、黙々として泥濘のなかを歩きつづけながら、傍目もふらずに僕たちを追い越そうとしているのだった。――僕たちも何かそれにつりこまれたように、ふたりとも急に黙り合って、ぼんやりと立ち止まったまま、その郵便配達夫の通り過ぎるのを見送っていた。 僕たちはとうとう二人きりになってしまうと、別にいそぐ旅でもないので、雪のまだかなりありそうな草原のほうへちょいとはいっていって見た。雪は、しかし、其拠にもそうたんと残ってはいない。ただ遠くから見た目に何んとなくそう見えるだけのものらしい。が、そんな少しばかり雪の残った草原のまんなかに立って見ると、あちこちに一本ずつ離れ離れに立っている樺の木なんぞが、その変に枝をねじらせている工合までも、何かなつかしく思われてくる。 「こういう高原の木は、どこか孤独の相のようなものを帯びているね。」僕はふとM君にそう言ってみたが、それだけではまだなんだか言い足りないような気がした。 それから僕たちはその儘、その草原の雪のうえを歩いてみていたが、なかなか道がはかどらない。そこで、またさっきの街道のほうへ出ることにした。 みると、こんどはその街道をやはり板橋のほうへ向かって、一匹の牝山羊をつれた女が、こう、すこし首をうなだれるようにして歩いてゆく。まだ若い女らしい。 冬の真昼、ときどきまぶしく光つている雪原、風のために枝のねじれた樹木、それらのすべてを取り囲んでいる雪の山々、――そういう自然の中からひとりでに生れてきたようなその羊飼いの女。…… 「まるでセガンティニの女みたいだね。」僕はおもわず小さく叫んだ。「あの首のうなだれ方までそっくりだな。」 「セガンティニは僕はあの倉敷の美術館にあるのしか知らないな。」 M君は僕の言葉をそのまま受けいれるにはすこし自信がなさそうだ。 「そりあ知らないといえば、僕だってなんにも知らないようなものだがね、ただまあひょいとそんな聯想がうかんだんだ。」僕の方でもそんな云いわけをした。「そういえば、あそこにもアルプスの絵かなんかあったね。あれはどんな絵だったかな?」 「たしか真昼の牧場の絵で、アルプスが遠く見え、前のほうに羊飼いの女の立っているような構図だったとおもいますが。……」 「ああ、それで思い出した。なんだかこう妙にねじくれた白樺の木にその女がもたれているんだろう。……」僕はそこの美術館ではエル・グレコの絵しか見て来なかったような気がしていたが、セガンティニのような特異な絵はやはり注意して見ていたものと見える。さっき草原に立った木をなつかしそうに見ながら、何かいまにも思い出せそうでまだ思い出せずにいるものが、その殆ど忘れかけていたセガンティニの絵に描かれた白樺の木とも何か関係のありそうなことをふいと感じた。だが、それはまだ僕のうちでもはっきりとしていない。…… 僕たちはその牝山羊をつれた若い女に追いつこうとして、いそいで泥濘の街道に出て、再び道ばたの雪を拾いながら歩きはじめた。が、そんなことをして漸うやっと歩いている僕たちは、泥濘のなかをも平気で歩いてゆくその牝山羊をつれた女にもずんずん引き離されてしまった。そうしていつのまにか、また僕たち二人きりにされてしまった。 そんな調子でいくら歩いていっても、野辺山が原は尽きそうもない。もうかれこれ一時間ぐらいは歩いているだろう。腹もへってきているし、もうおしゃべりをする元気もなく、二人とも泥だらけになった靴をただ重そうに運んでいるきりになった。――そうして僕はもう口には出さずに、昔小さな本で読んだことのあるセガンティニの美しい生涯などを考えつづけていた。セガンティニには、アルプスの高原の自然のなかに――いわば人間の住める自然のぎりぎりの限界のようなところに人間を置いて描いているような絵が多いが、その絵がどれもこれも妙に人なつこい。人間の世界から離れれば離れるほど、そしてそこに描かれてあるアルプスの風景がいよいよきびしければきびしいほどセガンティニの絵のもっている人なつこさはいよいよ切実になってくる。――そこにセガンティニの絵の写真を見ただけでも、僕たちが何か心を動かされるものがありはすまいか。……そうだ、僕がさっき草原に立った木をしみじみと見ているうちに、ふいと何か思い出せそうで思い出せずにいたもの、そのために知らず知らず心を一ぱいにさせていたもの、それはそんな木の或る恰好ばかりではなしに、こういう高原のなかに生を得ているすべての小さな生きもののもっている深い味なのだ。それらのものは、ちょっと見ると、何か近づきがたいような孤独の相を帯びてみえるけれど、それらのものほど人なつこいものはないのだ。それほど切実に、存在の本質にあくがれているものはないのだ。…… そんなことを考えつづけながら、僕はもう自分の泥だらけになった靴の重たさもさほど苦にしなくなっていた。 「あそこの藪のなかに馬が二三匹草を食べていますね。もう村が近づいてきたのではないでしょうか。」 M君は自分の大きな身体をすこし持ち扱かい出しているように見える。 「畠もあるじゃないか。」僕はおもわず声をはずませた。「もう村に着いたようなものだ。」 いつか僕たちの歩いている街道は草原から離れて、両側が雑木林だの畠だのに変ってきた。そうしてすこし坂道になり出した。そういう地形の変化は、もうさすがの曠野も果てようとしていることを思わせた。それに元気づき、だんだん急になるその坂道をあがってゆくと、その突きあたりに一軒の藁屋根の家が見え出し、そうしてその家の前の、ちょうど山かげになった道のほとりで、一人の痩せた老人がそこだけまだ一面に残っている雪をシャベルかなんかで掻きよせていた。 そこまで坂をあがり切って、その手にしたシャベルに凭りかかって一息ついている老人に軽く会釈しながら、ふとそのそばを通り過ぎようとした途端、すぐ目のまえに、川を挟んだ小さな部落が見え、そうしてその中ほどには、古びた木橋が一つ、いかにも人なつこそうに、そうして「板橋」という名前をもった村の目じるしのように懸かっていた。そうしていつか私達の眼界から遠ざかっていた八つが岳が、又、ちょうどその橋の真上に、白じろと赫いていた。
辛夷の花
「春の奈良へいって、馬酔木の花ざかりを見ようとおもって、途中、木曾路をまわってきたら、おもいがけず吹雪に遭いました。……」 僕は木曾の宿屋で貰った絵はがきにそんなことを書きながら、汽車の窓から猛烈に雪のふっている木曾の谷々へたえず目をやっていた。 春のなかばだというのに、これはまたひどい荒れようだ。その寒いったらない。おまけに、車内には僕たちの外には、一しょに木曾からのりこんだ、どこか湯治にでも出かけるところらしい、商人風の夫婦づれと、もうひとり厚ぼったい冬外套をきた男の客がいるっきり。――でも、上松を過ぎる頃から、急に雪のいきおいが衰えだし、どうかするとぱあっと薄日のようなものが車内にもさしこんでくるようになった。どうせ、こんなばかばかしい寒さは此処いらだけと我慢していたが、みんな、その日ざしを慕うように、向うがわの座席に変わった。妻もとうとう読みさしの本だけもってそちら側に移っていった。僕だけ、まだときどき思い出したように雪が紛々と散っている木曾の谷や川へたえず目をやりながら、こちらの窓ぎわに強情にがんばっていた。…… どうも、こんどの旅は最初から天候の具合が奇妙だ。悪いといってしまえばそれまでだが、いいとおもえば本当に具合よくいっている。第一、きのう東京を立ってきたときからして、かなり強い吹きぶりだった。だが、朝のうちにこれほど強く降ってしまえば、ゆうがた木曾に着くまでにはとおもっていると、午すこしまえから急に小ぶりになって、まだ雪のある甲斐の山々がそんな雨の中から見えだしたときは、何んともいえずすがすがしかった。そうして信濃境にさしかかる頃には、おあつらえむきに雨もすっかり上がり、富士見あたりの一帯の枯原も、雨後のせいか、何かいきいきと蘇ったような色さえ帯びて車窓を過ぎた。そのうちにこんどは、彼方に、木曾のまっしろな山々がくっきりと見え出してきた。…… その晩、その木曾福島の宿に泊って、明けがた目をさまして見ると、おもいがけない吹雪だった。 「とんだものがふり出しました……」宿の女中が火を運んできながら、気の毒そうにいうのだった。「このごろ、どうも癖になってしまって困ります。」 だが、雪はいっこう苦にならない。で、けさもけさで、そんな雪の中を衝いて、僕たちは宿を立ってきたのである。…… いま、僕たちの乗った汽車の走っている、この木曾の谷の向うには、すっかり春めいた、明かるい空がひろがっているか、それとも、うっとうしいような雨空か、僕はときどきそれが気になりでもするように、窓に顔をくっつけるようにしながら、谷の上方を見あげてみたが、山々にさえぎられた狭い空じゅう、どこからともなく飛んできてはさかんに舞い狂っている無数の雪のほかにはなんにも見えない。そんな雪の狂舞のなかを、さっきからときおり出しぬけにぱあっと薄日がさして来だしているのである。それだけでは、いかにもたよりなげな日ざしの具合だが、ことによるとこの雪国のそとに出たら、うららかな春の空がそこに待ちかまえていそうなあんばいにも見える。…… 僕のすぐ隣りの席にいるのは、このへんのものらしい中年の夫婦づれで、問屋の主人かなんぞらしい男が何か小声でいうと、首に白いものを巻いた病身らしい女もおなじ位の小声で相槌を打っている。べつに僕たちに気がねをしてそんな話し方をしているような様子でもない。それはちっともこちらの気にならない。ただ、どうも気になるのは、一番向うの席にいろんな恰好をしながら寝そべっていた冬外套の男が、ときどきおもい出したように起き上っては、床のうえでひとしきり足を踏み鳴らす癖のあることだった。それがはじまると、その隣りの席で向うむきになって自分の外套で脚をつつみながら本をよんでいた妻が僕のほうをふり向いては、ちょっと顔をしかめて見せた。 そんなふうで、三つ四つ小さな駅を過ぎる間、僕はあいかわらず一人だけ、木曾川に沿った窓ぎわを離れずにいたが、そのうちだんだんそんな雪もあるかないか位にしかちらつかなくなり出してきたのを、なんだか残り惜しそうに見やっていた。もう木曾路ともお別れだ。気まぐれな雪よ、旅びとの去ったあとも、もうすこし木曾の山々にふっておれ。もうすこしの間でいい、旅びとがおまえの雪のふっている姿をどこか平原の一角から振りかえってしみじみと見入ることができるまで。―― そんな考えに自分がうつけたようになっているときだった、ひょいとしたはずみで、僕は隣りの夫婦づれの低い話声を耳に挿さんだ。 「いま、向うの山に白い花がさいていたぞ。なんの花けえ?」 「あれは辛夷の花だで。」 僕はそれを聞くと、いそいで振りかえって、身体をのり出すようにしながら、そちらがわの山の端にその辛夷の白い花らしいものを見つけようとした。いまその夫婦たちの見た、それとおなじものでなくとも、そこいらの山には他にも辛夷の花さいた木が見られはすまいかとおもったのである。だが、それまで一人でぼんやりと自分の窓にもたれていた僕が急にそんな風にきょときょととそこいらを見まわし出したので、隣りの夫婦のほうでも何事かといったような顔つきで僕のほうを見はじめた。僕はどうもてれくさくなって、それをしおに、ちょうど僕とは筋向いになった座席であいかわらず熱心に本を読みつづけている妻のほうへ立ってゆきながら、「せっかく旅に出てきたのに本ばかり読んでいる奴もないもんだ。たまには山の景色でも見ろよ。……」そう言いながら、向いあいに腰かけて、そちらがわの窓のそとへじっと目をそそぎ出した。 「だって、わたしなぞは、旅先きででもなければ本もゆっくり読めないんですもの。」妻はいかにも不満そうな顔をして僕のほうを見た。 「ふん、そうかな」ほんとうを云うと、僕はそんなことには何も苦情をいうつもりはなかった。ただほんのちょっとだけでもいい、そういう妻の注意を窓のそとに向けさせて、自分と一しょになって、そこいらの山の端にまっしろな花を簇がらせている辛夷の木を一二本見つけて、旅のあわれを味ってみたかったのである。 そこで、僕はそういう妻の返事には一向とりあわずに、ただ、すこし声を低くして言った。 「むこうの山に辛夷の花がさいているとさ。ちょっと見たいものだね。」 「あら、あれをごらんにならなかったの。」妻はいかにもうれしくってしようがないように僕の顔を見つめた。 「あんなにいくつも咲いていたのに。……」 「嘘をいえ。」こんどは僕がいかにも不平そうな顔をした。 「わたしなんぞは、いくら本を読んでいたって、いま、どんな景色で、どんな花がさいているかぐらいはちゃんと知っていてよ。……」 「何、まぐれあたりに見えたのさ。僕はずっと木曾川の方ばかり見ていたんだもの。川の方には……」 「ほら、あそこに一本。」妻が急に僕をさえぎって山のほうを指した。 「どこに?」僕はしかし其処には、そう言われてみて、やっと何か白っぽいものを、ちらりと認めたような気がしただけだった。 「いまのが辛夷の花かなあ?」僕はうつけたように答えた。 「しようのない方ねえ。」妻はなんだかすっかり得意そうだった。「いいわ。また、すぐ見つけてあげるわ。」 が、もうその花さいた木々はなかなか見あたらないらしかった。僕たちがそうやって窓に顔を一しょにくっつけて眺めていると、目なかいの、まだ枯れ枯れとした、春あさい山を背景にして、まだ、どこからともなく雪のとばっちりのようなものがちらちらと舞っているのが見えていた。 僕はもう観念して、しばらくじっと目をあわせていた。とうとうこの目で見られなかった、雪国の春にまっさきに咲くというその辛夷の花が、いま、どこぞの山の端にくっきりと立っている姿を、ただ、心のうちに浮べてみていた。そのまっしろい花からは、いましがたの雪が解けながら、その花の雫のようにぽたぽたと落ちているにちがいなかった。
上一页 [1] [2] [3] [4] 下一页 尾页
|