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僕たちは、その男の子を連れてお家へかえりました。竹なんか、またいつでも、もらいに行けると金井君がいいます。僕もそう思いました。 おとうさんは、竹ももたないで、あんまり早くかえった僕たちをみてびっくりしました。 しらない男の子まで連れているので、おとうさんは変な顔をしています。僕がその子と学習院のところで会った話をすると、おとうさんは、 「そりゃアいいことをした」 とおっしゃいました。 「君、いくつなの」 おとうさんがのこぎりを持ったままたずねました。 「十三です」 何となく元気がありません。おかあさんは、ちょうどおやつをつくりかけていたので、とむしパンをつくっていました。 男の子は、風呂敷の中から黒い米を出しました。 「これを煮たいのですが、なべをかして下さい」 といいます。 「そんなもの出さなくてもいいよ。いまパンがふけるからそれを食べて、それからおじさんが八王子に連れて行ってあげよう」 と、おとうさんがいいました。金井君は、この子の着ているシャツよりはましなのがあるから、お家でもらって来るといって走ってかえりました。 やがてむしパンが出来ました。大きいむしパンを手にして、その子は顔をあかくしていました。 「遠慮しないでお上り」 みんながすすめて、やっと、その子はむしパンを食べはじめました。桶屋さんはいい人たちだけれど、この子は桶をつくることはきらいなのだそうです。どんなに好きになりたいと思っても、あの桶の音をきいているのはがまんが出来ないのだそうです。おばあさんとそうだんをして、東京で給仕でもして、夜学に行って勉強したいのだそうです。 金井君がシャツを持って来ました。 おとうさんはちょうど八王子にたずねなければならない人があるからといって、その子といっしょに出かけて行かれました。 おかあさんはむしパンののこりを紙につつんでその子に持たせました。とてもよろこんで、その子は何度もおじぎをして行きました。僕は金井君と話しました。 「おとうさんやおかあさんがなくなって、あの子、かわいそうだね」 「うん、だけど、あの子はきっといい人になるね」 金井君はそういいました。 僕はおとうさんが、あの子について行って下さったのがとてもうれしかったのです。おとうさんはあの子と電車にのっていろいろなことを話しているでしょう。静子は時計ばかりみていて、おとうさんは何時ごろかえるかしらとそればかり気にしています。 おとうさんは夜おそくかえって来ました。僕たちがお寝床をしいている時に、 「かえったよ」といって玄関があきました。僕も静子も走って玄関に行きました。 おとうさんは竹の子だの菜っぱだの持ってかえりました。 「とてもわかりにくいところだったが、おばあさんという人がいて、よろこんでいたよ。竹の子を持って行ってくれって、これをよこしたのだよ」 小さい竹の子が三本、やぶけた新聞紙からのぞいています。あの子のおばあさんは、とてもあの子のことを心配していたのだそうです。おばあさんというのは、あの子のおかあさんの一番上のねえさんでほんとうはおばさんなのだそうです。おばさんのお家も大変まずしいお家だそうですけれど、みんないい人たちばかりだから、あの子はきっとしあわせになるだろうとおとうさんが話しました。茶の間で、おとうさんだけ、おそい夕ごはんをたべています。 菜っぱは、おとうさんのおしりあいでもらったのだそうです。おとうさんはいろいろな種ももらって来ていました。さやいんげんの種もありました。いままけば秋にはたべられるのだそうです。 あの子は、僕たちに会わなかったら、まだ歩いているころだったでしょう。おとうさんが連れて行って下さってうれしいと思いました。 桶屋さんの人たちも、あの子をとてもかわいがっていたのだそうです。 「人がらがいいのだよ。だから神さまはすててはおかないのだね。あの子のうまれつきがいいから、みんながあの子をかわいがるので、あの子も気が弱くなって、黙って出てきたのだろう。――おばあさんという人がそんなことをいっていたが、桶屋さんにはすぐあいさつに行きますといっていたよ」 おとうさんがおかあさんに話しています。 おとうさんは八王子の駅で、万年筆をおとしたのだそうですけれど、女学生みたいな人がひろってくれて、ほんとうにたすかったといいました。 その夜、おとうさんとねながら話しました。 「人間って何だろうね」 「人間って僕たちのことでしょう」 「そうだよ、人間って、いいことをするために生まれて来ているのだよ。世の中にめいわくをかけないで、少しでもいいことをして死ねたら、それがいちばんいい人間なんだ、よその人が困るやうなことをしてよろこぶこころを持っている人間は、人間でもいちばんよくないね、自然にすくすくと大きくなって、すなおなこころがぬけない人間になることが大切だね。あの子はきたないかっこうはしていたけれど、とてもいい子どもだね。桶屋さんのことをすこしもわるくはいわないし、誰もうらんでいるような気持を持っていない、いい子どもだったね」 僕は、ものをもらうたび、かおをあかくしていたあの子のかっこうをなつかしくおもいました。 明日は、ながいこと兵隊に行っておいでになった及川先生のかんげい会があるのです。 先生は僕たちが大きくなっているのをどんなに驚かれるでしょう。及川先生はいい先生です。一年生の時から三年生までうけもってもらった先生です。 僕は、八王子にかえったあの子のことや、復員して来られた及川先生のことを考えました。 「ずいぶん、いろいろな身の上の人があるんですね、おとうさん」 おとうさんは「そうだね」とおっしゃってしばらく天井をじっとにらんでいました。 「健坊も、もう、そろそろむずかしい本を読んでもいいね」 おとうさんがそういいます。 「どんな本ですか」 「そうだね、ホワイトファングというのはどうだろうね、犬の物語を書いた小説でね、山の中の狼が、だんだん人間の世の中に出て来て、おしまいにはおとなしい犬になるという物語なんだよ。これと同じもので、逆に、犬から、狼になってゆく、野性のよびごえというのもあるがね、おとうさんが探して来てあげようね」 僕は、動物の小説は大好きです。僕はおとうさんにはないしょで、このあいだ、金井君からかりて、偉大なる王という虎の小説を読みかけています。むずかしいけれど、とても面白い虎の生活が書いてあります。 僕は絵をみるのも好きです。音楽も好きです。人間っていいなと思います。好きな絵をみることも出来るし、好きな音楽をきくことも出来るから、動物と違うねと静子にいつか話しましたら、静子は、 「あら、動物だって、風の音楽をきくし、雲だの木だのみてよろこぶでしょう」 と、いいました。 動物は、人間みたいにぜいたくなものをほしがらないから、自然な山の中で、のんびりくらせて、戦争なんかないからいいでしょうというのです。
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朝、静子が走って来て、かわいらしい小さい鳥が、つるばらの枝にとまっているというので、そっと行ってみました。もずの子がビロードみたいなむくむくした羽根をしてきょとんとしています。 僕たちがそばへ行ってもおどろきません。 時時もずのおかあさんらしいのが、僕たちを心配そうにして飛んでいます。何だか食物を運んでいる様子です。 「ねえ、おうちで飼いましょうよ」 静子がさかんにほしがりますけれど、僕は飼うようになると、きっところすことになるからといいました。静子はおとうさんを呼んで来ました。 おとうさんもやっぱり僕と同じように、そっとしておく方がいいといいました。僕は夏になると、いろんな生物がいるようになるのが好きです。 おとうさんはおやすみが来たら、僕を釣に連れて行こうといいました。 僕はいつものように、会社へ行くおとうさんといっしょに家を出ます。静子はいつもぐずぐずしているからほっといて行きます。 涼しい風が吹いている朝の街をおとうさんと歩くのは好きです。 「及川先生がまた学校へもどって来られたんですよ」 「そうか、それはよかったねえ、先生はお元気かな‥‥」 「ええとても元気で、昨日は先生が英語の歌をうたってくれましたよ」 「ほう‥‥」 「それから、南方でとったのだっていろんな蝶蝶の標本も見せてくれたんですよ。及川先生は戦争がすむと蝶蝶ばかりつかまえて大切にしていたんですって」 おとうさんの影法師が僕たちの前をひょこひょこ歩いて行きます。長い影法師です。 「ああさっき、八王子の子どもから健坊に手紙が来ていたよ、おとうさんにも来ているよ」 お家のポストにはいっていた手紙を、そのままおとうさんがポケットへ入れて持って来られたのでしょう。大きい字で書いた手紙をおとうさんが下さいました。僕は目白の駅で会社に行くおとうさんと別れました。 学校へ行くと、金井君が走って来ました。 「おはよう」 「ああ、おはよう」 僕はすぐ金井君に八王子の子どもの手紙をみせました。そしていっしょに手紙をひらいてみました。
はいけい。 長いことごぶさたしています。 たくさんお世話になっていて、何のお礼状も出しませんでお許し下さい。今日は書こう、今日は書こうと思いながら私は毎日せわしく暮しております。早く東京へ出てどこかへつとめたいのですが、東京へは転入出来ませんので、当分、近所のお百姓の手伝いをするより仕方がありません。私は百姓仕事はたいへん下手ですが、食糧がすくない折から、どんどん、どこでも手伝いに行くつもりでおります。桶屋ではたらくことを考えますと何でも出来ます。東京の青空市場へ行って野菜のあきないをしようかとおもっていますが、おばあさんがゆるしてくれません。私はお金をためて学校に行きたいのですが、おばあさんは、学校どころではないといいます。ゆうべ、うちのとなりで車人形というのをみせてもらいました。進駐軍の兵隊さんが二人見に来ていました。 一度ぜひこちらにもお出で下さい。 このごろ、私は麦刈りに行きます。うちでも少し麦をつくっていますから、粉になったら少しですが持って行きます。シャツをもらったぼっちゃんお元気ですか。よろしくおっしゃって下さい。 僕は八王子の子どもの手紙を読んで行きながら泣きたいようなかわいそうな気持になりました。金井君は「そのうち、学校が休みになったら行こうよ」といいました。 朝の体操の時間、及川先生と僕たちはフットボールをしました。それから討論会です。 「おとうさんにお仕事のあるものは手をあげて‥‥」 及川先生がいいました。僕はいきおひよく手をあげました。四十人の組のうち、手をあげないものが七人もいます。そのなかに、咲田という女の子がまじっていました。 「おかあさんがお仕事を持って働いているものは手をあげて‥‥」 組のうち半分が手をあげました。 「学校へおべんとうを持って来るのはちょっと困るなというお家の声をきいた人は手をあげて‥‥」 組のほとんどが手をあげたのでみんなわっと笑いました。及川先生も笑っています。 「どんなことをおっしゃっているの。金井君いってごらん」 「はい、僕の家は朝おかゆです。だから、僕とねえさんのためにわざわざべんとうをつくることは大変だっておかあさんがこぼします」 「ねえさんは学校ですか」 「いいえ、新聞社へ勤めています」 その次に咲田という女の子、「私の家は、いまおとうさんが失業していますので、朝は麦を粉にしてダンゴを食べます。私はおべんとうは持って来ないことにしています。夜はごはんです。たくさんいろいろなものをにこみます。でもなれてしまいましたから何でもありません」僕はじっと空をみていました。どうしてみんなこんなに困るのだろうと思うのです。戦争がすんだのだから、どんどんものが出来てよさそうなのに、どうしてこんななのだろうと思います。僕たちの教室だって焼けてしまっているし、いまは体操場が僕たちの教室になっています。窓の向こうは焼野原で、草や畑が青青しているけれど、まだまだ焼跡つづきでお家はなかなか建たないのです。 僕の家もおべんとうをつくるのは困っています。だから、朝ごはんをたいても、いつもたきたてのごはんがおとうさんや僕のべんとうばこへおさまるのです。僕たちは朝むしパンを食べます。弟が昔の古雑誌にのっていたごちそうの写真をみて、ぱくぱく食べるまねをすると、おかあさんはかわいそうね、といいます。おとうさんは、「案外、本人は知らないで、そんなことをしているのだからかわいそうぢゃないよ」といいました。
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一日のうちにごはんらしいものを食べているのはいいほうで、何日もお米なんてみたことがない、という子どももたくさんいます。 「でも、私は、勉強をしている時だの、遊んでいる時は食べもののことなんか忘れます」 と咲田君がいいました。すると、他の女の子たちも、 「ええ私もそうよ」と小さい声でいっています。 「君たちは大きくなったら何になりたいかね」 及川先生がたずねました。一人一人指名されたので、一人一人立って答えます。僕は、空のことが好きですから、天文学者になりたいと答えました。金井君は農林技師になりたいのだそうです。みんな、てんでに面白い答をしました。なかにはやみ屋になりたいというのがいて、みんなどっと笑いました。大谷君といって、大谷君のおとうさんは、いま進駐軍の人夫をしているのだそうです。みんなが笑うと、及川先生は笑ってはいけないとおしかりになりました。 大谷君は勉強は少しもできないけれど、とても正直なのでみんなが好きでした。 「どうして、大谷君はやみ屋になりたいの」 先生がおたずねになると、大谷君はあかい顔をして、 「お金がたくさんもうかるそうですから」 と申しました。 女の子たちには早く大きくなってお嫁さんに行きますという子がいたり、先生になりたいというのや、魚屋さんになりたいというのや、美容師になりたいというのがいて面白いです。 僕は夜、ごはんの時に、おとうさんに、今日のはなしをしました。おとうさんは大谷君を面白い子だなといいました。 おかあさんは何だか気分が悪いといって早くおやすみになったので、僕と静子があとかたづけ[#「あとかたづけ」は底本では「あとかたづづけ」]をしました。 あくる朝、おかあさんは熱があって起きられませんでしたので、おとうさんが台所をしました。おとうさんがすいとんをつくってくれました。僕のつくったふだん草をすいとんに入れました。 いつも丈夫なおかあさんがおやすみなので、僕たちはちっともたのしくありません。近くには氷屋さんがないので、金だらいに水を汲んで来て、おかあさんの枕もとに置きました。 おとうさんは会社をおやすみになり、僕たちは学校へ行きました。学校へ行っても、お家のことが心配です。でも、どこを見ても青青としていて気持がいいし、このごろはお天気つづきで学校の野菜畑にも出られるし、みんな戸外にいるのがたのしそうです。今年は早く夏休みがあるのだそうです。金井君は学校が休みになっても、学校の畑をみまわりに来るのだといっていました。 僕たちの級の畑には、馬鈴薯とさつまいもと、ふだん草と、とうもろこしが植えてあります。金井君はとても畑つくりがうまくて、こつこつ畑をやっています。 「ねえ、馬鈴薯の花って白だのむらさきだのきれいなはずだに、学校の馬鈴薯は少しも花が咲かないねえ」 僕がたずねますと、金井君は、 「馬鈴薯はあまり花をつけちゃあ、いもがつかないんだよ。花が咲きかける時にこやしをやって、根に力をつけてやるようにすると、咲きかけた花に養分が行かなくなって、自然に花がしぼんでゆくのさ、そうすると馬鈴薯がぐんぐん大きくなっているしょうこだよ」 と申しました。 「ふうん、面白いんだねえ‥‥植物って、なかなかしんけいしつなんだね」 「そりやそうさ、生物ってものは、ちゃんとよくみてやらなくちゃ何にもならないよ。肥料一つでとてもちがうんだぜ」 道理で、女生徒の畑は水ばかりじゃぶじゃぶかけているのでいやにひょろひょろしているけれど、僕たちの畑はとてもりっぱです。みんな金井君の指導です。 「第一、ものを植えるっていってもね、陽あたりのいいってことが一番大切なんだよ。木の下だの、一日ぢゅう陽のあたらないところは駄目、みんな、ところかまわず植えればいいってものぢやないものね。その次が肥料と手入れさ。肥料をやらなくちゃいいものは出来ないね」 このあいだも、なすを植える時、金井君は畑でどんどん火をたいて、その灰をよく土にまぶして、なすを植えつけました。水は一回もやらないのに、なすはぐんぐんそだっています。 なすの苗は、金井君が千葉のお百姓家でわけてもらって来たもので、とてもいい苗でした。 やみ屋になりたいという大谷君は、金井君のあとばかりくっついて、一生懸命に働きます。でも、時時、どっかで、いろんな種をあつめてきて、畑のすみに植えるので、金井君は時時大谷君をしかります。このあいだも、朝顔の種を持って来て、トマトの苗のところに植えました。そして、ダルマノメだの、カノコシボリだのという札をぶらさげるので、みんな笑います。金井君はすぐその種をほじくって捨てるので、大谷君がちょっと気の毒になります。
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