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氷島(ひょうとう)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-23 9:28:28 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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自序 近代の抒情詩、概ね皆感覺に偏重し、イマヂズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽つて、詩的情熱の單一な原質的表現を忘れて居る。却つてこの種の詩は、今日の批判で素朴的なものに考へられ、詩の原始形態の部に範疇づけられて居る。しかしながら思ふに、多彩の極致は單色であり、複雜の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的單一に歸するのである。藝術としての詩が、すべての歴史的發展の最後に於て、究極するところのイデアは、所詮ポエヂイの最も單純なる原質的實體、即ち詩的情熱の素朴純粹なる詠嘆に存するのである。(この意味に於て、著者は日本の和歌や俳句を、近代詩のイデアする未來的形態だと考へて居る。) かうした理窟はとにかく、この詩集に收めた少數の詩は、すくなくとも著者にとつては、純粹にパッショネートな詠嘆詩であり、詩的情熱の最も純一の興奮だけを、素朴直截に表出した。換言すれば著者は、すべての藝術的意圖と藝術的野心を廢棄し、單に「心のまま」に、自然の感動に任せて書いたのである。したがつて著者は、決して自ら、この詩集の價値を世に問はうと思つて居ない。この詩集の正しい批判は、おそらく藝術品であるよりも、著者の實生活の記録であり、切實に書かれた心の日記であるのだらう。 著者の過去の生活は、北海の極地を漂ひ流れる、侘しい氷山の生活だつた。その氷山の嶋嶋から、 因に、集中の「郷土望景詩」五篇は、中「監獄裏の林」の一篇を除く外、すべて既刊の集に發表した舊作である。此所にそれを再録したのは、詩のスタイルを同一にし、且つ内容に於ても、本書の詩篇と一脈の通ずる精神があるからである。換言すればこの詩集は、或る意味に於て「郷土望景詩」の續篇であるかも知れない。著者は東京に住んで居ながら、故郷上州の平野の空を、いつも心の上に感じ、烈しく詩情を敍べるのである。それ故にこそ、すべての詩篇は「朗吟」であり、朗吟の情感で歌はれて居る。讀者は聲に出して讀むべきであり、決して默讀すべきではない。これは「歌ふための 昭和九年二月 著者 [#改ページ] 我が心また新しく泣かんとす 冬日暮れぬ思ひ起せや岩に牡蠣 [#改ページ] 漂泊者の歌 日は斷崖の上に登り 憂ひは陸橋の下を低く歩めり。 無限に遠き空の彼方 續ける鐵路の棚の 一つの寂しき影は漂ふ。 ああ汝 漂泊者! 過去より來りて未來を過ぎ 久遠の郷愁を追ひ行くもの。 いかなれば蹌爾として 時計の如くに憂ひ歩むぞ。 石もて蛇を殺すごとく 一つの輪を斷絶して 意志なき寂寥を蹈み切れかし。 ああ 惡魔よりも孤獨にして 汝は氷霜の冬に耐へたるかな! かつて何物をも信ずることなく 汝の信ずるところに憤怒を知れり。 かつて欲情の否定を知らず 汝の欲情するものを彈劾せり。 いかなればまた愁ひ疲れて やさしく抱かれ かつて何物をも汝は愛せず 何物もまたかつて汝を愛せざるべし。 ああ汝 寂寥の人 悲しき落日の坂を登りて 意志なき斷崖を いづこに家郷はあらざるべし。 汝の家郷は有らざるべし! 樂隊は空に轟き 轉木馬の目まぐるしく 艶めく 群集の上を飛び行けり。 今日の日曜を此所に來りて われら模擬飛行機の座席に乘れど 側へに思惟するものは寂しきなり。 なになれば君が やさしき憂愁をたたへ給ふか。 座席に肩を寄りそひて 見よこの飛翔する空の向うに 一つの地平は高く揚り また傾き 低く沈み行かんとす。 暮春に迫る落日の前 われら既にこれを見たり いかんぞ人生を展開せざらむ。 今日の果敢なき憂愁を捨て 飛べよかし! 飛べよかし! 明るき四月の外光の中 嬉嬉たる群集の中に混りて ふたり模擬飛行機の座席に乘れど 君の 側へに思惟するものは寂しきなり。 乃木坂倶樂部 十二月また來れり。 なんぞこの冬の寒きや。 去年はアパートの五階に住み 荒漠たる洋室の中 壁に わが思惟するものは何ぞや すでに人生の虚妄に疲れて 今も尚家畜の如くに飢ゑたるかな。 我れは何物をも喪失せず また一切を失ひ盡せり。 いかなれば追はるる如く 歳暮の忙がしき街を憂ひ迷ひて 晝もなほ酒場の椅子に醉はむとするぞ。 虚空を翔け行く鳥の如く 情緒もまた久しき過去に消え去るべし。 十二月また來れり なんぞこの冬の寒きや。 訪ふものは われの懶惰を見て憐れみ去れども 石炭もなく煖爐もなく 白堊の荒漠たる洋室の中 我れひとり 殺せかし! 殺せかし! いかなればかくも氣高く 優しく 麗はしく すべてを越えて君のみが匂ひたまふぞ。 我れは醜き いかでみ情の數にも足らむ。 もとより我れは奴隷なり 家畜なり 君がみ足の下に腹這ひ 犬の如くに仕へまつらむ。 願くは我れを蹈みつけ 侮辱し また床の上に蹴り きびしく苛責し ああ 遂に―― わが息の根の止まる時までも。 我れはもとより家畜なり 奴隷なり 悲しき忍從に耐へむより はや君の鞭の手をあげ殺せかし。 打ち殺せかし! 打ち殺せかし! 歸郷 昭和四年の冬、妻と離別し二兒を抱へて故郷に歸る わが故郷に歸れる日 汽車は烈風の中を突き行けり。 ひとり車窓に目醒むれば 汽笛は闇に吠え叫び まだ上州の山は見えずや。 夜汽車の仄暗き車燈の影に 母なき子供等は眠り泣き ひそかに皆わが憂愁を 鳴呼また都を逃れ來て 過去は寂寥の谷に連なり 未來は絶望の岸に向へり。 われ既に勇氣おとろへ 暗憺として いかんぞ故郷に獨り歸り さびしくまた利根川の岸に立たんや。 汽車は曠野を走り行き 自然の荒寥たる意志の彼岸に 人の 波宜亭 少年の日は物に感ぜしや われは かなしき情感の思ひにしづめり。 その亭の庭にも草木茂み 風ふき渡りてばうばうたれども かのふるき待たれびとありやなしや。 いにしへの日には鉛筆もて ――郷士望景詩――
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