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月に吠える(つきにほえる)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-23 9:22:38 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



再版の序

 この詩集の初版は大正六年に出版された。自費の負担で僅かに五百部ほど印刷し、内四百部ほど市場に出したがその年の中に売り切れてしまつた。その後今日に到るまで可成長い間絶版になつて居た。私は之れをそのままで絶版にしておかうかと思つた。これはこの詩集に珍貴な値を求めたいといふ物好きな心からであつた。
 しかし私の詩の愛好者は、私が当初に予期したよりも遙かに多数であり且つ熱心でさへあつた。最初市場に出した少数の詩集は、人々によつて手から手へ譲られ奪ひあひの有様となつた。古本屋は法外の高価でそれを皆に売りつけて居た。(古本の時価は最初の定価の五倍にもなつて居た。)私の許へは幾通となく未知の人々から手紙が来た。どうしても再版を出してくれといふ督促の書簡である。
 すべてそれらの人々の熱心な要求に対し、私はいつも心苦しい思ひをしなければならなかつた。やがて私は自分のつまらぬ物好きを後悔するやうになつた。そんなにも多数の人々によつて示された自分への切実の愛を裏切りたくなくなつた。自分は再版の意を決した。しかも私の骨に徹する怠惰癖と物臭さ根性とは、書肆との交渉を甚だ煩はしいものに考へてしまつた。そしておよそ此等の理由からして、今日まで長い間この詩集が絶版となつて居たのである。
 顧みれば詩壇は急調の変化をした。この詩集の初版が初めて世に出た時の詩壇と今日の詩壇とは、何といふ著しい相違であらう。始め私は、友人室生犀星と結んで人魚詩社を起し次に感情詩社を設立した。その頃の私等を考へると我ながら情ない次第である。当時の文壇に於て「詩」は文芸の仲間に入れられなかつた。稿料を払つて詩を掲載するような雑誌はどこにもなかつた。勿論この事実は、詩といふものが極めて特殊なものであつて、一般的の読者を殆んど持たなかつたことに基因する。我々の詩が、なぜそんなに民衆から遠ざかつて居たか。そこには色々な理由があらう。しかしその最も主なる理由は、時代が久しく自然主義の美学によつて誤まられ、叙情的な一切の感情を排斥したことに原因する。然り、そしてそこには勿論真の時代的叙情詩が発生しなかつたことも原因である。我々の芸術は日本語の純真性を失つてゐた。言ひ代へれば日本的な感情――時代の求めてゐる日本的な感情――が、皮相なる翻訳詩の西洋模倣によつて光輝を汚されて居た。我が国の詩人らはリズムを失つて居た。かかる芸術は特殊はペダンチズムに属するであらう。そこには「気取り」を悦ぶ一階級の趣味が満足される。そして一般公衆の生活は之れに関与されないのである。
 ともあれ当時の詩壇はかやうな薄命の状態にあつた。詩は公衆から顧みられず、文壇は詩を犬小舎の隅に廃棄してしまつた。されば私等の仕事には、ある根本的な力が要求された。私等の仕事は、正に荒寥たる地方に於ける流刑囚の移民の如きものであつた。私等はすべてを開墾せねばならなかつた。詳説すれば、既に在る一切の物を根本からくつがへして、新しき最初の土壌を地に盛りあげねばならなかつた。即ち私等のした最初の行動は、徹頭徹尾「時流への叛逆」であつた。当時自然主義の文壇に於て最もひどく軽蔑された言葉は、実に「感情」といふ言葉の響であつた。それ故私等は故意にその「呪はれたる言葉」をとつて詩社の標語とした。それは明白なる時流への叛逆であり、併せて詩の新興を絶叫する最初の狼火のろしであつたのだ。況んやまた詩の情想に於ても、表現に於ても、言葉に於ても、まるで私等のスタイルは当時の時流とちがつてゐた。むしろ私等は流行の裏を突破した。そのため私等の創作は詩壇の正流から異端視され、衆俗からは様々の嘲笑と悪罵とを蒙つたほどである。
 然るに幾程もなく時代の潮流は変向した。さしも暴威を振つた自然主義の美学は、新しい浪漫主義の美学によつて論駁されてしまつた。今や廃れたる一切の情緒が出水のように溢れてきた。二度ふたたび我が叙情詩の時代が来た。一旦民衆によつて閑却された詩は、更にまた彼等の生活にまで帰つて来た。しかも之より先、我等の雑誌『感情』は詩壇の標準時計となつて居た。主義に於ても、内容に於ても、殆んど全然『感情』を標準にしたところのパンフレットが続々として後から後から刊行された。正に感情型雑誌の発行は詩壇の一流行であつた。尚且つ私等の詩風は詩壇の「時代的流行」にまでなつてしまつた。先には反時代的な詩風であり、珍奇な異端的なものであつた私等の詩のスタイルは、今日では最も有りふれた一般的な詩風となり、正にそれが時代の流行を示す通俗のスタイルとまでなつてしまつて居る。げにや此所数年の間に、我が国の詩壇は驚くべき変化をした。すべてが面目を一新した。そしてすべてが私の「予感の実証」として現実されてゐる。
 されば私の詩集『月に吠える』――それは感情詩社の記念事業である――は、正に今日の詩壇を予感した最初の黎明であつたにちがひない。およそこの詩集以前にかうしたスタイルの口語詩は一つもなく、この詩集以前に今日の如き溌剌たる詩壇の気運は感じられなかつた。すべての新しき詩のスタイルは此所から発生されて来た。すべての時代的な叙情詩のリズムは此所から生まれて来た。即ちこの詩集によつて、正に時代は一つのエポックを作つたのである。げにそれは夜明けんとする時の最初の鶏鳴であつた。――そして、実に私はこの詩集に対する最大の自信が此所にある。
  千九百二十二年二月

著者



 竹とその哀傷


地面の底の病気の顔

地面の底に顔があらはれ、
さみしい病人の顔があらはれ。

地面の底のくらやみに、
うらうら草の茎が萌えそめ、
鼠の巣が萌えそめ、
巣にこんがらかつてゐる、
かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、
冬至のころの、
さびしい病気の地面から、
ほそい青竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶれるごとくに視え、
じつに、じつに、あはれふかげに視え。

地面の底のくらやみに、
さみしい病人の顔があらはれ。


草の茎

冬のさむさに、
ほそき毛をもてつつまれし、
草の茎をみよや、
あをらみ茎はさみしげなれども、
いちめんにうすき毛をもてつつまれし、
草の茎をみよや。

雪もよひする空のかなたに、
草の茎はもえいづる。




ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。




光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。

      ○

  みよすべての罪はしるされたり、
  されどすべては我にあらざりき、
  まことにわれに現はれしは、
  かげなき青き炎の幻影のみ、
  雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、
  ああかかる日のせつなる懺悔をも何かせむ、
  すべては青きほのほの幻影のみ。


すえたる菊

その菊は醋え、
その菊はいたみしたたる、
あはれあれ霜つきはじめ、
わがぷらちなの手はしなへ、
するどく指をとがらして、
菊をつまむとねがふより、
その菊をばつむことなかれとて、
かがやく天の一方に、
菊は病み、
えたる菊はいたみたる。




林あり、
沼あり、
蒼天あり、
ひとの手にはおもみを感じ
しづかに純金の亀ねむる、
この光る、
寂しき自然のいたみにたへ、
ひとの心霊こころにまさぐりしづむ、
亀は蒼天のふかみにしづむ。




あふげば高き松が枝に琴かけ鳴らす、
をゆびに紅をさしぐみて、
ふくめる琴をかきならす、
ああ かき鳴らすひとづま琴の音にもつれぶき、
いみじき笛は天にあり。
けふの霜夜の空に冴え冴え、
松の梢を光らして、
かなしむものの一念に、
懺悔の姿をあらはしぬ。

いみじき笛は天にあり。




つみとがのしるし天にあらはれ、
ふりつむ雪のうへにあらはれ、
木木の梢にかがやきいで、
ま冬をこえて光るがに、
おかせる罪のしるしよもに現はれぬ。
みよや眠れる、
くらき土壌にいきものは、
懺悔の家をぞ建てそめし。


天上縊死

遠夜に光る松の葉に、
懺悔の涙したたりて、
遠夜の空にしも白ろき、
天上の松に首をかけ。
天上の松を恋ふるより、
祈れるさまに吊されぬ。




いと高き梢にありて、
ちいさなる卵ら光り、
あふげば小鳥の巣は光り、
いまはや罪びとの祈るときなる。


雲雀料理
五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀のふおうくを動かしたい。私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで喰べたい。


感傷の手

わが性のせんちめんたる、
あまたある手をかなしむ、
手はつねに頭上にをどり、
また胸にひかりさびしみしが、
しだいに夏おとろへ、
かへれば燕はや巣を立ち、
おほ麦はつめたくひやさる。
ああ、都をわすれ、
われすでに胡弓を弾かず、
手ははがねとなり、
いんさんとして土地つちを掘る。
いぢらしき感傷の手は土地を掘る。


山居

八月は祈祷、
魚鳥遠くに消え去り、
桔梗いろおとろへ、
しだいにおとろへ、
わが心いたくおとろへ、
悲しみ樹蔭をいでず、
手に聖書は銀となる。




苗は青空に光り、
子供は土地つちを掘る。

生えざる苗をもとめむとして、
あかるき鉢の底より、
われは白き指をさしぬけり。


殺人事件

とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍体のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。

しもつき上旬はじめのある朝、
探偵は玻璃の衣裳をきて、
街の十字巷路よつつじを曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。

みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者くせものはいつさんにすべつてゆく。


盆景

春夏すぎて手は琥珀、
は水盤にぬれ、
石はらんすゐ、
いちいちに愁ひをくんず、
みよ山水のふかまに、
ほそき滝ながれ、
滝ながれ、
ひややかに魚介はしづむ。


雲雀料理

ささげまつるゆふべの愛餐、
燭に魚蝋のうれひを薫じ、
いとしがりみどりの窓をひらきなむ。
あはれあれみ空をみれば、
さつきはるばると流るるものを、
手にわれ雲雀の皿をささげ、
いとしがり君がひだりにすすみなむ。


掌上の種

われは手のうへにつちを盛り、
つちのうへに種をまく、
いま白きじようろもて土に水をそそぎしに、
水はせんせんとふりそそぎ、
つちのつめたさはたなごころの上にぞしむ。
ああ、とほく五月の窓をおしひらきて、
われは手を日光のほとりにさしのべしが、
さわやかなる風景の中にしあれば、
皮膚はかぐはしくぬくもりきたり、
手のうへの種はいとほしげにも呼吸いきづけり。


天景

しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車。
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。


焦心

霜ふりてすこしつめたき朝を、
手に雲雀料理をささげつつ歩みゆく少女をとめあり、
そのとき並木にもたれ、
白粉もてぬられたる女のほそき指と指との隙間すきまをよくよく窺ひ、
このうまき雲雀料理をば盗み喰べんと欲して、
しきりにも焦心し、
あるひとのごときはあまりに焦心し、まつたく合掌せるにおよべり。


悲しい月夜


かなしい遠景

かなしい薄暮になれば、
労働者にて東京市中が満員なり、
それらの憔悴した帽子のかげが、
市街まち中いちめんにひろがり、
あつちの市区でも、こつちの市区でも、
堅い地面を掘つくりかへす、
掘り出して見るならば、
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。
重さ五匁ほどもある、
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ。
それも本所深川あたりの遠方からはじめ、
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで、
しなびきつた心臓がしやべるを光らしてゐる。


悲しい月夜

ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる。
波止場のくらい石垣で。

いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。

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