商業
商業は旗のやうなものである 貿易の海をこえて遠く外國からくる船舶よ あるいは綿や瑪瑙をのせ 南洋 亞細亞の島島をめぐりあるく異國のまどろすよ。 商業の旗は地球の國國にひるがへり 自由の領土のいたるところに吹かれてゐる。 商人よ 港に君の荷物は積まれ さうして運命は出帆の汽笛を鳴らした。 荷主よ 水先案内よ いまおそろしい嵐のまへに むくむくと盛りあがる雲を見ないか 妖魔のあれ狂ふすがたを見ないか たちまち帆柱は裂きくだかれ するどく笛のさけばれ さうして船腹の浮きあがる青じろい死魚を見る。 ああ日はしづみゆき かなしく沖合にさまよふ不吉の鴎はなにを歌ふぞ。 商人よ ふたたび椰子の葉の茂る港にかへり 君のあたらしい綿と瑪瑙を積みかへせ 亞細亞のふしぎなる港々にさまよひ來り 青空高くひるがへる商業の旗の上に ああかのさびしげなる幽靈船のうかぶをみる。 商人よ! 君は冒險にして自由の人 君は白い雲のやうに、この解きがたくふしぎなる愁ひをしる。 商業は旗のやうなものである。
まづしき展望
まづしき田舍に行きしが かわける馬秣を積みたり 雜草の道に生えて 道に蠅のむらがり くるしき埃のにほひを感ず。 ひねもす疲れて畔に居しに 君はきやしやなる洋傘の先もて 死にたる蛙を畔に指せり。 げにけふの思ひは惱みに暗く そはおもたく沼地に渇きて苦痛なり いづこに空虚のみつべきありや 風なき野道に遊戲をすてよ われらの生活は失踪せり。
農夫
海牛のやうな農夫よ 田舍の家根には草が生え、夕餉の烟ほの白く空にただよふ。 耕作を忘れたか肥つた農夫よ 田舍に飢饉は迫り 冬の農家の荒壁は凍つてしまつた。 さうして洋燈のうす暗い廚子のかげで 先祖の死靈がさむしげにふるへてゐる。
このあはれな野獸のやうに ふしぎな宿命の恐怖に憑かれたものども その胃袋は野菜でみたされ くもつた神經に暈がかかる。 冬の寒ざらしの貧しい田舍で 愚鈍な 海牛のやうな農夫よ。
波止場の烟
野鼠は畠にかくれ 矢車草は散り散りになつてしまつた 歌も 酒も 戀も 月も もはやこの季節のものでない わたしは老いさらばつた鴉のやうに よぼよぼとして遠國の旅に出かけて行かう さうして乞食どものうろうろする どこかの遠い港の波止場で 海草の焚けてる空のけむりでも眺めてゐよう ああ まぼろしの乙女もなく しをれた花束のやうな運命になつてしまつた 砂地にまみれ 礫利食がにのやうにひくい音で泣いて居よう。 [#改丁]
松葉に光る 詩集後篇 [#改ページ]
この章に集めた詩は、「月に吠える」の前半にある「天上縊死」「竹と哀傷」等の作と同時代のもので、私の詩風としては極めて初期のものに屬する。すべて「月に吠える」前派の傾向と見られたい。但し内八篇は同じ詩集から再録した。
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狼
見よ 來る 遠くよりして疾行するものは銀の狼 その毛には電光を植ゑ いちねん牙を研ぎ 遠くよりしも疾行す。 ああ狼のきたるにより われはいたく怖れかなしむ われはわれの肉身の裂かれ鋼鐵となる薄暮をおそる きけ淺草寺の鐘いんいんと鳴りやまず そぞろにわれは畜生の肢體をおそる 怖れつねにかくるるにより なんぴとも素足をみず されば都にわれの過ぎ來し方を知らず かくしもおとろへしけふの姿にも 狼は飢ゑ牙をとぎて來れるなり。 ああわれはおそれかなしむ まことに混閙の都にありて すさまじき金屬の 疾行する狼の跫音をおそる。
松葉に光る
燃えあがる 燃えあがる あるみにうむのもえあがる 雪ふるなべにもえあがる 松葉に光る 縊死の屍體のもえあがる いみじき炎もえあがる。
輝やける手
おくつきの砂より けちえんの手くびは光る かがやく白きらうまちずむの屍蝋の手 指くされども らうらんと光り哀しむ。
ああ故郷にあればいのち青ざめ 手にも秋くさの香華おとろへ 青らみ肢體に螢を點じ ひねもす墓石にいたみ感ず。
みよ おくつきに銀のてぶくろ かがやき指はひらかれ 石英の腐りたる われが烈しき感傷に けちえんの、らうまちずむの手は光る。
酢えたる菊
その菊は酢え その菊はいたみしたたる あはれあれ霜月はじめ わがぷらちなの手はしなへ するどく指をとがらして 菊をつまんとねがふより その菊をばつむことなかれとて かがやく天の一方に 菊は病み 酢えたる菊はいたみたる。
悲しい月夜
ぬすつと犬めが くさつた波止場の月に吠えてゐる たましひが耳をすますと 陰氣くさい聲をして 黄色い娘たちが合唱してゐる 合唱してゐる 波止場のくらい石垣で。
いつも なぜおれはこれなんだ 犬よ 青白いふしあはせの犬よ。
かなしい薄暮
かなしい薄暮になれば 勞働者にて東京市中が滿員なり それらの憔悴した帽子のかげが 市街中いちめんにひろがり あつちの市區でもこつちの市區でも 堅い地面を掘つくりかへす 掘り出して見るならば 煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ 重さ五匁ほどもある にほひ菫のひからびきつた根つ株だ それも本所深川あたりの遠方からはじめ おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。 なやましい薄暮のかげで しなびきつた心臟がしやべるを光らす。
天路巡歴
おれはかんがへる おれの長い歴史から なにをして來たか なにを學問したか なにを見て來たか。
いつさいは祕密だ だがなんて青い顏をした奴らだ おれの腕にぶらさがつて 蛇のやうにつるんでゐた奴らだ おれは決して忘れない おれの長い歴史から あいつらは 死よりも恐ろしい祕密だ。
おれはかんがへる そのときまるであいつらの眼が おれの手くびにくつついてゐたことを おれの胴體に のぞきめがねを仕掛けた奴らだ おれをひつぱたく おれの力は 馬車馬のやうにひつぱたく。
そしてだんだんと おれは天路を巡歴した 異樣な話だが おれはじつさい 獨身者であつた。
龜
林あり 沼あり 蒼天あり ひとの手には重みをかんじ しづかに純金の龜ねむる この光る さびしき自然のいたみにたへ ひとの心靈にまさぐりしづむ 龜は蒼天のふかみにしづむ。
白夜
夜霜まぢかくしのびきて 跫音をぬすむ寒空に 微光のうすものすぎさる感じ ひそめるものら 遠見の柳をめぐり出でしが ひたひたと出でしが 見よ 手に銀の兇器は冴え 闇に冴え あきらかにしもかざされぬ そのものの額の上にかざされぬ。
巣
竹の節はほそくなりゆき 竹の根はほそくなりゆき 竹の纖毛は地下にのびゆき 錐のごとくなりゆき 絹絲のごとくかすれゆき けぶりのやうに消えさりゆき。
ああ髮の毛もみだれみだれし 暗い土壤に罪びとは 懺悔の巣をぞかけそめし。
懺悔
あるみにうむの薄き紙片に すべての言葉はしるされたり ゆきぐもる空のかなたに罪びとひとり ひねもす齒がみなし いまはやいのち凍らんとするぞかし。 ま冬を光る松が枝に 懺悔のひとの姿あり。
夜の酒場
夜の酒場の 暗緑の壁に 穴がある。 かなしい聖母の額 額の裏に 穴がある。 ちつぽけな 黄金蟲のやうな 祕密の 魔術のぼたんだ。 眼をあてて そこから覗く 遠くの異樣な世界は 妙なわけだが だれも知らない。 よしんば 醉つぱらつても 青白い妖怪の酒盃は、 「未知」を語らない。 夜の酒場の壁に 穴がある。
月夜
へんてこの月夜の晩に ゆがんだ建築の夢と 醉つぱらひの圓筒帽子。
見えない兇賊
兩手に兇器 ふくめんの兇賊 往來にのさばりかへつて 木の葉のやうに ふるへてゐる奴。
いつしよけんめいでみつめてゐる みつめてゐるなにものかを だがかはいさうに 奴め 背後に氣がつかない、 背後には未知の犯罪 もうもうとしてゐる黒の板塀。
夜目にも光る 白銀の服を着こんだ奴 この奇體な それでゐて みたものもない片目の兇賊。
有害なる動物
犬のごときものは吠えることにより 鵞鳥のごときものは畸形兒なることにより 狐のごときものは夜間に於て發光することにより 龜のごときものは凝晶することにより 狼のごときものは疾行することによりてさらに甚だしく すべて此等のものは人身の健康に有害なり。
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