四
木之助は、来る正月来る正月に胡弓をひきに町へいった。行けば必ずあの「味噌溜」と大きな板の看板のさがっている門をくぐった。主人はいつも変らず木之助を歓迎してくれ、御馳走をしてくれた。 木之助は胡弓がしんから好きだったので、だんだんうまくなっていった。始めは牛飼から曲を教わったが、牛飼の知っている五つの曲はじき覚えてしまい、しかも木之助の方が上手にひけるようになった。するともう牛飼の家に習いにゆくのはやめて、別な曲を知っている人のところへ覚えにいった。隣の村、二つ三つ向うの村にでも、胡弓のうまい人があるということをきくと、昼間の仕事を早くしまって、その村まで出かけてゆき、熱心に頼んで新しい曲を覚えて来た。やがて木之助にも妻が出来、子供も出来たが、夜、木之助の弾きならす胡弓の音が邪魔になって子供が寝つかないというときには、村の南の松林にはいっていって、明るい月の光で弾いた。そののんびりした音色は、何事かを一生懸命に物語っているように村人たちには聞えたのである。 だが歳月は流れた。或る年の旧正月が来たとき、こんども松次郎と一しょに門附けにいこうと思った木之助が、前の晩松次郎の家にゆくと風呂にはいっていた松次郎はこういった。「もうこの頃じゃ、門附けは流行らんでな。ことしあもう止めよかと思うだ。五、六年前まであ、東京へ行った連中も旅費の外に小金を残して戻って来たが、去年あたりは、何だというじゃないか、旅費が出なかったてよ」 「でも折角覚えた芸だで腐らせることもないよ、松つあん」と木之助は励ますようにいった。「東京は別だよ、場所(都会)の人間はあかんさ」 「だが、俺たちも一昨年、去年は駄目だったじゃねえか。一日、足を棒にして歩いても一両なかっただもんな。乞食でも知れてるよ」 なおも木之助がすすめると、風呂の下を焚いていた松次郎のお内儀さんがいった。「木之さん、あんたは大人しいから、たとい五十銭でも貰えば貰っただけ家へ持って来るからええけど、うちの人は呑ん兵衛で、貰ったのはみんな飲んでしまい、まだ足らんで、持っていった銭まで遣ってくるから困るよ。それで今年はもう止めておくれやとわたしから頼んでいるだよ」 一昨年の正月も去年の正月も、一日門附けしたあとで松次郎が、酒のきらいな木之助を居酒屋へつれこみ、自分一人で飲んで、ついにはぐでんぐでんに酔ってしまい、三里の夜道を木之助が抱くようにして帰って来たのを木之助は思い出した。 「一人じゃ行けんしなあ」と木之助が思案しながらいうと、松次郎が風呂から出て、「うん。俺も子供の時分から旧正月といえば、門附けにいっとったで、今更やめたかないが、女房めがああいうし、実は、こないだ子供めが火箸で鼓を叩いているうち破ってしまっただよ。行くとなりゃ、あれも張りかえなきゃならぬしな」といった。 木之助は仕方がないので一人でゆくことにきめた。自分の身についた芸を、松次郎のように生かそうとしないことは木之助には解らなかった。何故そんなことが平気で出来るのか考えて見ても解らなかった。いかにも年々門附けはすたれて来ている。しかし木之助の奏でる胡弓を、松次郎のたたく鼓を、その合奏を愛している人々が全部なくなったわけではないのだ。尠くとも(と木之助はあの金持の味噌屋の主人のことを思った)、あの人は胡弓の音がどんなものかを知っている。 翌朝木之助は早朝に起き、使いなれた胡弓を持って家を出た。道や枯草、藁積などには白く霜が降り、金色にさしてくる太陽の光が、よい一日を約束していたが、二十年も正月といえば欠かさず一緒に出かけた松次郎が、もうついてはいないことは一抹の寂しさを木之助の心に曳いた。 「木之さん、今年も出かけるかな」。木之助が家の前の坂道をのぼって、広い県道に出たとき、村人の一人がそういって擦れちがった。 「ああ、ちょっと行って来ますだ」と木之助が答えると、 「由さあも、熊さあも、金さあも、鹿あんも今年はもう行かねえそうだ。力やんと加平が、行こか行くまいかと大分迷っとったがとにかくも一ぺん行って見ようといっとったよ」 そういって村人は遠ざかっていった。
五
村を出はずれて峠道にさしかかるといつものように背後からがらがらと音がして町へ通ってゆく馬車が駈て来た。木之助は道のはたへ寄って馬車をやりすごそうと思った。馬車が前を通るとき馭者台の上を見ると、木之助は、おやと意外に感じた。そこに乗っているのは長年見馴れたあの金聾の爺さんではなく、頭を時分けにした若い男であった。金聾の爺さんの息子に違いない。顔つきがそっくり爺さんに似ていた。それにしてもあの爺さんはどうしたんだろう、あまり年とったので隠居したのだろうか。あるいは死んだのかも知れない。いずれにしても木之助は時の移りをしみじみ感じなければならなかった。 しかしその年はまだ全然実入りがなかったのではなかった。金持ちの味噌屋はたのしみに最後に残しておいて、他の家々を午前中廻った。お午までに――木之助は何軒の家がお礼をくれたかはっきり覚えていた――十軒だった。そしてお礼のお銭は合計で十三銭だった。最後に味噌屋にゆくと、あの頃からはずっと年とって、今はいい老人になった御主人が、喘息で咳き入りながら玄関に出て来て、松次郎がいないのを見ると、おや、今日はお前一人か、じゃまあ上にあがってゆっくりしてゆけと親切にいってくれた。木之助は始め辞退したが、あまり勧められるので立派な座敷にあがり、そこで所望されるままに、五つ六つの曲を弾いた。主人はほんとうに懐しいように、うむうむとうなずきながら胡弓に耳を傾けていたが、時々苦しそうな咳が続いて、胡弓の声の邪魔をした。いつものように御馳走になった上多ぶんのお礼を頂いて表に出ると、まだ日はかなり高かったがもう木之助には他をまわる気が起らなかった。味噌屋の主人にさえ聴いてもらえばそれで木之助はもう満足だったのである。 それからまた数年たって門附けは益々流行らなくなった。五、六年前までは、遠い越後の山の中から来るという、角兵衛獅子の姿も、麦の芽が一寸位になった頃、ちらほら見られたけれど、もうこの頃では一人も来ない。木之助の村の胡弓弾きや鼓うちたちも、一人やめ二人やめして、旧正月が近づいたといっても以前のように胡弓のすすりなくような声は聞えず、ぱんぱんと寒い空気の中を村の外までひびく鼓の音も聞えなかった。これだけ世の中が開けて来たのだと人々はいう。人間が悧口になったので、胡弓や鼓などの、間のびのした馬鹿らしい歌には耳を藉さなくなったのだと人々はいう。もしそうなら、世の中が開けるということはどういうつまらぬことだろう、と木之助は思ったのである。 木之助の家では八十八歳まで生きた木之助の父親が、冬中ねていたが、恰度旧の正月の朝、朝日がうらうらとお宮の森の一番高い檜の梢を照し出すころ、恰度天から与えられた生命を終って枯れる木のように、静かに死んでいった。そのために、数十年来一度も欠かさなかった胡弓の門附けを、この正月ばかりはやめなければならなかった。その翌年は、これはまた木之助自身が感冒を患ってうごくことが出来なかった。味噌屋の御主人が、もう俺が来るずらと思って待ってござるじゃろうに、と仰向に寝ている木之助は、枕元に坐って看病している大きい娘にそう言っては、壁にかかっている胡弓の方を見たのである。 木之助の病気は癒った。が以前のような曇りのない健康は帰って来なかった。以前は持つことの出来た米俵がもう木之助の腕ではあがって来なかった。また子供のときから耕していた田圃の一畝が、以前よりずっと長くなったように感ぜられ、何度も腰をのばし、あおっている心臓のしずまるのを待たねばならなかった。冬がやって来たとき、死んだ父親を苦しめていたあの喘息が木之助にもおとずれて来た。寒い夜は遅くまで咳がとまらなかった。 しかし今年の正月にはどうあっても胡弓弾きにゆくと、一月も前から木之助は気張っていた。味噌屋の御主人にすまんからといった。そして体の調子のよい折を見ては、夜、妻と三番目の娘が、嫁入りの仕度に着物を縫っている傍で胡弓を奏でた。昼間、藁部屋の陽南で猫といっしょに陽にぬくとまりながら、鳴らしているときは、木之さんも年を喰ったと村人が見て通った。 正月の前の晩はひどい寒気だった。その日は朝から雪が降りづめで、夜になって漸くやんだ。夜はまた木之助の咽喉がむずがゆくなり咳が出て来た。裏の竹藪で、竹から雪がどさっどさっと落ちる音が、木之助の咳にまじった。咳の長いつづきがやむと娘が、 「お父つあん、そんなふうで明日門附けにゆけるもんかい」といった。もう昼間から何度も繰り返している言葉である。 「行けんじゃい!」と木之助は癇癪を起して呶鳴るようにいった。「おツタのいう通りだ」と女房もいった。
六
「無理して行って来て、また寝こむようなことになると、僅かな銭金にゃ代らないよ」。そして女房は、去年木之助が感冒を患ったとき、町から三度自動車で往診に来たお医者に、鶏ならこれから卵を産もうという一番値のする牝鶏を十羽買えるだけのお銭を払わねばならなかったことをいった。 「明日は、ええ日になるだ」。木之助はあれ以来女房や娘に苦労をかけているのを心の中では済まなく思って、それでも負け惜しみをいった。「雪の明けの日というものは、ぬくといええ日になるもんだよ」 「雪が解けて歩くに難儀だよ」と女房がいった。「そげに難儀して行ったところで、今時、胡弓など本気になって聴いてくれるものはありゃしないだよ」 木之助は、女房のいう通りだと悲しく思った。だが、味噌屋の旦那のことを頭にうかべて、 「まだ耳のある人はあるだ。世間は広いだよ」 と答えた。娘のおツタは待針でついた指の背を口にふくみながら、勝つあんもやめた、力さんもやめたと、門附けをやめてしまった人々の名をあげてしまいに「いつまででも芸だの胡弓だのいってるのはお父つあん一人だよ。人が馬鹿だというよ」といった。 「こけでもこけずきでもええだ。聴いてくれる人が一人でもこの娑婆にあるうちは、俺あ胡弓はやめられんよ」 しばらくみんな黙っていた。竹藪でどさっと雪が落ちた。 「お父つあんも気の毒な人だよ」と女房がしんみりいった。 「もうちっと早くうまれて来るとよかっただ、お父つあん。そうすりゃ世間の人はみんな聴いてくれただよ。今じゃラジオちゅうもんがあるから駄目さ」 木之助は話しているうちに段々あきらめていった。本当に女房や娘のいう通りだろう。世間が聴いてくれなくなった胡弓を弾きに雪の道を町まで行くなどはこけの骨頂だろう。それでまた感冒にでもなって、女房たちにこの上の苦労をかけることになったらどんなにつまらないだろう。眠りにつく前、木之助はもう、明日町へゆくことをすっかり諦めていた。 夜が明けて旧正月がやって来たが、木之助にとってはそれは奇妙な正月だった。三十年来正月といえば胡弓を抱えて町へ行った。去年と一昨年はいかなかったが、父親の死と、木之助の病気というものが余儀なくさせたのである。ところがこんどはこれという理由もないのだ。第一今日一日何をしたらいいのだろう。 天気は大層よかった。雪の上にかっと陽がさして眩しかった。電線にとまった雀が、その細い線の上に積っていた雪を落すと、雪はきらきら光る粉になって下の雪に落ちた。外の明るい反射が家の中までさしていた。木之助は胡弓を見ていた。それから柱時計を見た。午前九時十五分前。遠くからカンカンカンと鐘の音が雪の上を明るく聞えて来た。小学校が始まったのだ。 木之助はまた胡弓を持って町へゆきたくなった。こんな風のない空気の清澄な日は、一層よく胡弓が鳴ることを木之助は思うのであった。そうだ、ゆこう。こけでも何でもいいのだ、この娑婆に一人でも俺の胡弓を聴いてくれる人があるうちは、やめられるものか。 女房や娘はいろいろ言って木之助をとめようとしたが駄目だった。木之助の心は石のように固かった。 「それじゃお父つあん、町へいったらついでに学用品屋で由太に王様クレヨンを買って来てやってな。十二色のが欲しいとじっと(いつも)言っているに」と女房はあきらめていった。「そして早う戻って来にゃあかんに。晩になるときっと冷えるで。味噌屋がすんだらもう他所へ寄らんでまっすぐ戻っておいでやな」 女房のいうことは何もかも承知して木之助は出発した。風邪をひかないようにほっぽこ頭巾をすっぽり被り、足にはゴムの長靴を穿いて。何という変てこな恰好の芸人だろう。だが木之助には恰好などはどうでもよかった。久しぶりに胡弓を弾きに出られることが非常なよろこびだったのだ。 正月といっても村から町へゆく者はあまりなかった。道に積った雪の上の足跡でそれがわかる。二人の人間の足跡、自転車の輪のあとが二本、それに自動車の太いタイヤの跡が道の両側についていた。五、六年前から、馬車の代りに走るようになった乗合自動車が朝早く通ったのである。 陽が生き物のように照っていた。道のわきの田んぼに烏が二羽おりているのが、白い雪の上にくっきり浮かんで見えた。静かだなあと思って木之助はとっとと歩いた。
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