十七の五月だつた。私は重い膓チブスに罹つて、赤坂の或る病院へ入院した。 入院して十日餘りは私はまるで夢中だつた。何か怖ろしい物に追ひ掛けられてゐるやうな、遁げても遁げても遁げきれないやうな苦しさのする長い夢にあがいてゐた氣持――そんな氣持で、私はその十日餘りを過した。その間に腦症を起しかけて醫師が絶望を宣告した事、そして、家中の者が枕元に集まつて豫期された私の死に涙ぐんだ事――そんな事は回復期にはいつてから初めて看護婦の武井さんに聞かされた事だつた。 傳染病室から普通の病室へ擔架で移されたのは、六月の中旬頃の事だつた。私は痩せ衰へてゐた。床の上で武井さんに助けられながら寢返りするのがやつとだつた。食物は流動物だつた。本を讀む事もまだ許されなかつた。許されても骨と皮ばかりになつた私の手に、本の重味を支へる力の無い事は明かだつた。で、私は白い天井の蜘蛛の[#「蜘蛛の」は底本では「踟蛛」]巣を見詰めたり、電氣の球に群る三四匹の蠅の動作を眺めたりしては樂しんでゐたのだつた。 首や手が自分で動かせるやうになつた時、私は見舞にくる母に外國の繪葉書を買つて來て貰つて眺めたり、武井さんに頼んで草花の鉢や切り花などを病院の近くの草花屋から買つて來て貰つた。そして、寢臺の側の臺の上や、窓敷居にパンジイや、フリイジヤや、釣鐘草や、撫子や、マガレツトの花などの順順に變つて行くのを、やつと首だけ動かしながら見て樂しんだ。また暫くして醫師に許されてから、宵の内など武井さんに「豐臣榮華物語」と云ふ講談を讀んで聞かせて貰つた。頭が疲れてゐるので自分で讀む事や、それ以上の感激の深い物は許されないのだつた。その中で淀君と三成の情交を述べた處、または御殿女中の亂行の件に來たりすると、私の入院日數の七十餘日の間一日も休まずに附き添つてゐてくれたその若い武井さんは、聲をひそめたり、飛ばして讀んだりした。眼を塞いで聞き入りながら、私は何時の間にかよく寢込んでしまふのだつた。 窓の外は若葉の美しい初夏の頃だつた。 枕からのし上つて眼を逆樣にしながら眺めると、明るい日光の中に廣い青葉を光らせてゐる桐の木が三本、何時も硝子戸越しに見えた。私は一日一日緑の深くなつてくるその葉を數へたり、處處に酢貝のやうな瘤のあるその枝振を眼をつぶつても覺えてゐられる程見詰めてゐたりした。 「ほんとに葉の縞が綺麗だな……」と、或る時私はびつくりして叫んだ。それは夕方になつて急に雨が上がつて、美しい西日がその葉裏にきらきら光り出した時だつた。 「まあ、そんなに綺麗に見えますの……」と、武井さんはそれが思掛ない事とでも云つた表情を浮べて、窓際に立つてその葉を眺めながら微笑してゐた。 青桐の木の向うには平たい芝生の庭があつた。午後の靜かな時など、よくその眼のさめるやうな青芝の上には、白い服をそよ風にひるがへした看護婦達の二人三人が、低い、けれど透き通るやうな聲で歌を口ずさみながら往き來してゐるのを、私は病み疲れた眼でぢつと眺めてゐる事があつた。 芝生の庭の處處には櫻や檜葉や楓などが立つてゐた。それがとりどりの感じを持つた青葉をまだ柔かな日光に輝かしてゐる朝は、私の一番好きな時であつた。空氣は澄んで新鮮な凉しさを持つてゐた。それが武井さんにふいて貰つたばかりの頬にひやひやと觸れる時、私はほんとに氣持が好かつた。そして、チチチと何處からとなく聞えてくる朝の雀の囀りに耳を傾けながら、今日誰が見舞ひに來てくれるだらう――などと云ふ事を、樂しみながら考へたりした。 芝生の庭を挾んだ向うには、水色のペンキで塗つたこつちと同じやうな二階建の病室の棟が立つてゐた。そして、其處に八つ並んだ窓の一つ一つの中には寢てゐる病人の黒い頭や、氷嚢を換へたりなどしてゐる看護婦の顏がちらちらと見えた。或る窓には赤い花をつけた花鉢が置いてあつた。或る窓には白い布が干してあつた。聲は高くすれば聞えるくらゐの遠さだつたが、向うの看護婦とこつちの武井さんが時にはわざとらしく半布を振つて、相圖をし合つて、無聊を慰めるやうな笑ひを洩らし合つたりするのであつた。 夜になると、その向うの八つの窓にはぱつと電氣が點いた。長方形の明るさを持つた窓が夜の闇の中に、階下と階上とで形よく二條に並んでゐる――そのそれぞれの明るさの中で、或る處では死期の迫つた病人が暗い聲で呻いてゐる、或る處では退院の近づいた病人が明るい聲で笑つてゐる――そんな事をひよいと考へてみると、その長方形の八つの窓の明るさが何となく人間の不思議な運命の縮圖のやうに思はれたりするのであつた。 「ほんたうにあなたのお助かりになつたのは、院長さんも不思議だと云つてらつしやいましてよ……」と、私の生命がどんなに危かつたかを初めて聞かしてくれた時、武井さんはしまひにかう力の籠つた聲で云つて、ぢつと私の顏を見詰めてゐた。 「そんなでしたかね……」と、その詞がまだぴつたり頷けないやうな氣持で、私は武井さんの顏を見返してゐた。 「或る晩なんかは、何度先生の處へ駈けつけて行つたか分りませんわ。ほんとにもう今度こそは――と思つて……」 「何にも覺えてゐませんよ……」 私が相變らず反應のない、うはの空の聲でかう云つたので、武井さんの白い顏には寂しい微笑が浮んでゐた。實際、私は自分がそんな危險な運命に迫られたとは、その時は思へないのであつた。 「ほんとに御當人が一番氣樂で好うございますわね……」と、その日の午後見舞ひに來た母は、武井さんがその會話の事を話して聞かせた時、かう云つて笑つた。が、直ぐその笑ひを抑へて、母は武井さんとぢつと眼を見合せた。 その時のぢつと見合つた二人の眼の中に含まれた或る意味――それから二三日寢ながら考へて行く内に、私はそれがだんだんに分つて行くやうな氣がした。死から救ひ出された自分なのだ――と、私はその事をはつきり考へてみた。と、其處に何か動かし難いやうな嚴かなもののある事を感じた。そして、或る晩、私は涙ぐみながら、何物かに感謝の祈りを捧げてゐた。 衰弱しきつた體はなかなか回復しなかつた。鏡を借りて自分の顏を見る時、青白い皮膚の色や、凹んだ眼や、殺げた頬や、變に尖がつた鼻や、毛の日に日に拔け落ちて行く頭などが、とても自分だとは思へないやうに情無く見えた。胸には肋骨が一つ一つ數へられた。ふくらはぎや腕のふくらみの處は老人のそれのやうにたるんで、觸つてみるとよごれた皮膚がまるで乾干びた木の葉のやうにかさかさしてゐた。 「何時になつたら歩けるでせうね?」と、私は或る時心細くなつて武井さんに聞いた。 「もう直ぐですわ……」と、武井さんは何でもない事のやうに答へた。 六月も末になつてからだつた。或る日武井さんに助けられながら起き上つて、私は寢臺の下に降りてみた。直ぐひよろひよろとひよろけて、私は尻もちをつきさうになつた。私はあわてて寢臺に掴まつた。武井さんが背後から背中を支へてくれた。 「まるで赤んぼですね……」と、私は苦笑しながら、武井さんを振り返つた。 が、それでもそんな事を續けて行く内に、私の足元は一日一日と固まつて行つた。そして、寢臺の縁に掴まりながら一歩一歩と歩いて行く事に、子供のやうな興味を覺えるやうになつた。また時には窓際の曲木の椅子に腰掛けて、庭の景色や、向う側の病室の窓の中をぼんやり眺めてゐる事が出來るやうになつた。 その頃からもう梅雨だつた。陰氣な日が多くなつた。ねり絲のやうなしめやかな雨が青桐の葉や、芝生や、樹木の若葉をしつとりと濡らして、朝から夜がくるまで降り續けてゐる事があつた。誰も見舞ひにくる者もない、さうした日の午後など、私は病後のうら寂しい氣持で窓際の椅子に凭りながら、靜かな雨脚を[#「雨脚を」は底本では「兩脚を」]眺め暮してゐるのであつた。 或る日の午後だつた。武井さんが草花を買ひに行つた留守に、私は一人寢臺を靜に降りて、椅子に凭りながら烟るやうな雨脚を[#「雨脚を」は底本では「兩脚を」]通して見える、向う側の病室をぢつと眺めてゐた。と、私はその二階の病室の右手から三番目の窓に凭つて、同じやうに庭を眺めてゐる若い女をふと見附けたのであつた。 「やつぱり患者だな。新しくはいつて來たのか知ら……」と、私は一人呟きながらその女の方をぢつと見てゐた。と、女も私に氣附いたやうにちらりと視線を向けて、直ぐ芝生の方へ俯向いてしまつた。 「何の病人だらう……」と、その刹那にふと眼に殘つた女のほつそりと痩せた、青白い、如何にも物寂しい感じの輪廓を持つた顏を思ひ浮べながら、私は考へた。やがて、女は靜に身を飜して、白い窓掛の裏に隱れてしまつた。私はそのうしろ姿に何となく暗い影を感じた。そして、武井さんが或る時云つた「お逝くなりになる御病人は何だか初めの氣持で分りますわ……」と云ふ詞を思ひ出して、不吉な豫感にはつと胸を衝かれた。 私は變に暗い氣持にされた。そして、そのまままた寢臺の上に横になりながら、暫く白い天井を見詰めてゐた。が、不思議にその刹那の女の顏の印象が頭の中に浮び上つて、ひよいと胸を掠めた不吉な豫感が拭へなかつた。私は眼をつぶつた。輕い毛布で顏を覆つた。が、だんだん憂鬱になつて行く自分をどうする事も出來なかつた。 「ほんとに好い花がございませんの……」と、かう晴れやかに呟きながら病室へはいつて來た武井さんの聲を聞いた時、私は救はれたやうな氣持がして毛布を撥ねのけた。武井さんは雨にしほれたやうな白と赤のコスモスの花を手にして、傍に立つてゐた。 「ダリヤはなかつたんですか?」と、私はふと思ひ出して訊ねた。 「ええ、ありましたわ。でも、もう痛んでて仕樣がないんですの。梅雨時分になりますと、切花は駄目でございますわね……」と、武井さんは答へながら花立にさつてゐた古い花を窓外に投げ捨てた。 「向うの二階の病室へ若い女の患者が來ましたね……」と、私はその女の事をまだ氣にし續けながら云つた。 「え、御覽になつたの。會社員の奧さんで肋膜がお惡い上に盲膓炎なんですつて。どつちもまだお輕いんださうですけれど、ずゐ分面倒な御病人ですのよ……」 「手術でもするんですか?」 「ええ、盲膓の方はどうしてもなさらなきやいけないの。院長さんも弱つて入らつしやるんですつて。だつて、そんな事をすると肋膜の方がねえ……」 「そりやあ大變だ……」と、私は少し誇張した聲で云つた。そして、傍の壁の白い空虚な面を譯もなくぢつと見詰めてゐた。死ぬ病人――さうした暗い意識の中に、陰氣なさつきの女の顏が何時となく重つて行くのだつた。 「綺麗でせう。ちよつと御覽なさいな……」と、武井さんは滿足さうな聲で呼びかけた。 「ええ、綺麗ですね……」と、私は花立にさつたコスモスの花を眺めながら云つたが、何となく何時ものやうな明るいなごんだ氣持にはなれなかつた。 それからまた二三日經つた、或る夜の十時頃の事だつた。日の内から少し生暖かな風の吹く日で、窓の硝子には横なぐりの雨の滴が着いては消え着いては消えしてゐた。私は寢臺の上に、武井さんは少し離れた疊の上に何時ものやうに眠つたのだつたが、部屋の空氣が蒸蒸して私はどうしても[#「どうしても」は底本では「どうてしも」]寢つかれなかつた。そして、もう寢入つてしまつたらしい武井さんの靜かな息の音を聞きながら、涙ぐみたいやうな寂しさに捉はれてゐた。 と、私の隣の、そのも一つ先隣の病室の扉が開いて、醫務室の方へ急いだらしい人の足音が私の病室の前を過ぎた。暫くすると、また三四人の靜かな足音と囁き聲が遠くの廊下から近づいて來て、その病室の方へはいつて行つた。そして、またしんとなつてしまつた。 「臨終が來たのぢやないか知ら……」と、私は急に不安に胸を衝かれながら考へた。その病室にはアメリカへ出稼ぎに行つて、肺結核に罹つて、故國で死にたいと云ふ望みから重體のまま歸朝して來た中年の紳士が、その十日程前からはいつてゐたのだつた。
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