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草枕(くさまくら)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-18 8:32:21 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


        十

 鏡が池へ来て見る。観海寺の裏道の、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二股ふたまたわかれて、おのずから鏡が池の周囲となる。池のふちには熊笹くまざさが多い。ある所は、左右からい重なって、ほとんど音を立てずには通れない。木の間から見ると、池の水は見えるが、どこで始まって、どこで終るか一応廻った上でないと見当がつかぬ。あるいて見ると存外小さい。三丁ほどよりあるまい。ただ非常に不規則なかたちで、ところどころに岩が自然のまま水際みずぎわよこたわっている。縁の高さも、池の形の名状しがたいように、波を打って、色々な起伏を不規則につらねている。
 池をめぐりては雑木ぞうきが多い。何百本あるか勘定かんじょうがし切れぬ。中には、まだ春の芽を吹いておらんのがある。割合に枝のまない所は、依然として、うららかな春の日を受けて、え出でた下草したぐささえある。壺菫つぼすみれの淡き影が、ちらりちらりとその間に見える。
 日本の菫は眠っている感じである。「天来てんらいの奇想のように」、と形容した西人せいじんの句はとうていあてはまるまい。こう思う途端とたんに余の足はとまった。足がとまれば、いやになるまでそこにいる。いられるのは、幸福な人である。東京でそんな事をすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さなければ巡査が追い立てる。都会は太平のたみ乞食こじきと間違えて、掏摸すりの親分たる探偵たんていに高い月俸を払う所である。
 余は草をしとねに太平の尻をそろりとおろした。ここならば、五六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す気遣きづかいはない。自然のありがたいところはここにある。いざとなると容赦ようしゃ未練みれんもない代りには、人にって取り扱をかえるような軽薄な態度はすこしも見せない。岩崎いわさき三井みついを眼中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として古今ここん帝王の権威を風馬牛ふうばぎゅうし得るものは自然のみであろう。自然の徳は高く塵界を超越して、対絶の平等観びょうどうかん無辺際むへんさいに樹立している。天下の羣小ぐんしょうさしまねいで、いたずらにタイモンのいきどおりを招くよりは、らんを九※(「田+宛」、第3水準1-88-43)えんき、※(「くさかんむり/惠」、第3水準1-91-24)けいを百けいえて、ひとりそのうち起臥きがする方が遥かに得策である。余は公平と云い無私むしと云う。さほど大事だいじなものならば、日に千人の小賊しょうぞくりくして、満圃まんぽの草花を彼らのしかばね培養つちかうがよかろう。
 何だかかんがえに落ちていっこうつまらなくなった。こんな中学程度の観想かんそうを練りにわざわざ、鏡が池まで来はせぬ。たもとから煙草たばこを出して、寸燐マッチをシュッとる。手応てごたえはあったが火は見えない。敷島しきしまのさきに付けて吸ってみると、鼻から煙が出た。なるほど、吸ったんだなとようやく気がついた。寸燐マッチは短かい草のなかで、しばらく雨竜あまりょうのような細い煙りを吐いて、すぐ寂滅じゃくめつした。席をずらせてだんだん水際みずぎわまで出て見る。余が茵は天然に池のなかに、ながれ込んで、足をひたせば生温なまぬるい水につくかも知れぬと云う間際まぎわで、とまる。水をのぞいて見る。
 眼の届く所はさまで深そうにもない。底には細長い水草みずぐさが、往生おうじょうして沈んでいる。余は往生と云うよりほかに形容すべき言葉を知らぬ。岡のすすきならなびく事を知っている。の草ならばさそう波のなさけを待つ。百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての姿勢を調ととのえて、朝な夕なに、なぶらるる期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代いくよおもいくきの先にめながら、今に至るまでついに動き得ずに、また死に切れずに、生きているらしい。
 余は立ち上がって、草の中から、手頃の石を二つ拾って来る。功徳くどくになると思ったから、眼の先へ、一つほうり込んでやる。ぶくぶくとあわが二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして見ると、三茎みくきほどの長い髪が、ものうげに揺れかかっている。見つかってはと云わぬばかりに、濁った水が底の方から隠しに来る。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
 今度は思い切って、懸命に真中まんなかへなげる。ぽかんとかすかに音がした。静かなるものは決して取り合わない。もうげる気も無くなった。絵の具箱と帽子を置いたまま右手へ廻る。
 二間余りを爪先上つまさきあがりに登る。頭の上には大きながかぶさって、身体からだが急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿つばきが咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向ひなたで見ても、軽快な感じはない。ことにこの椿は岩角いわかどを、奥へ二三間遠退とおのいて、花がなければ、何があるか気のつかない所に森閑しんかんとして、かたまっている。その花が! 一日勘定かんじょうしても無論勘定し切れぬほど多い。しかし眼がつけば是非勘定したくなるほどあざやかである。ただ鮮かと云うばかりで、いっこう陽気な感じがない。ぱっと燃え立つようで、思わず、気をられた、あとは何だかすごくなる。あれほど人をだます花はない。余は深山椿みやまつばきを見るたびにいつでも妖女ようじょの姿を連想する。黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、嫣然えんぜんたる毒を血管に吹く。あざむかれたとさとった頃はすでに遅い。向う側の椿が眼にった時、余は、ええ、見なければよかったと思った。あの花の色はただの赤ではない。眼をさますほどの派出はでやかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持っている。悄然しょうぜんとしてしおれる雨中うちゅう梨花りかには、ただ憐れな感じがする。冷やかにえんなる月下げっか海棠かいどうには、ただ愛らしい気持ちがする。椿の沈んでいるのは全く違う。黒ずんだ、毒気のある、恐ろしを帯びた調子である。この調子を底に持って、上部うわべはどこまでも派出によそおっている。しかも人にぶるさまもなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜せいそうを、人目にかからぬ山陰に落ちつき払って暮らしている。ただ一眼ひとめ見たが最後! 見た人は彼女の魔力から金輪際こんりんざいのがるる事は出来ない。あの色はただの赤ではない。ほふられたる囚人しゅうじんの血が、おのずから人の眼をいて、自から人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。
 見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものはただこの一輪である。しばらくするとまたぽたり落ちた。あの花は決して散らない。くずれるよりも、かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練みれんのないように見えるが、落ちてもかたまっているところは、何となく毒々しい。またぽたり落ちる。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。花が静かに浮いているあたりは今でも少々赤いような気がする。また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あれが沈む事があるだろうかと思う。年々ねんねん落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色がけ出して、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬに、落ちた椿のために、うずもれて、元の平地ひらちに戻るかも知れぬ。また一つ大きいのが血を塗った、人魂ひとだまのように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。
 こんな所へ美しい女の浮いているところをかいたら、どうだろうと思いながら、元の所へ帰って、また煙草をんで、ぼんやり考え込む。温泉場ゆば御那美おなみさんが昨日きのう冗談じょうだんに云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。心は大浪おおなみにのる一枚の板子いたごのように揺れる。あの顔をたねにして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿がとこしなえに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それがでかけるだろうか。かのラオコーンには――ラオコーンなどはどうでも構わない。原理にそむいても、背かなくっても、そう云う心持ちさえ出ればいい。しかし人間を離れないで人間以上の永久と云う感じを出すのは容易な事ではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝ってはすべてをわしてしまう。と云ってむやみに気楽ではなお困る。一層いっそほかの顔にしては、どうだろう。あれか、これかと指を折って見るが、どうもおもわしくない。やはり御那美さんの顔が一番似合うようだ。しかし何だか物足らない。物足らないとまでは気がつくが、どこが物足らないかが、われながら不明である。したがって自己の想像でいい加減に作りえる訳に行かない。あれに※(「女+戸」、第3水準1-15-76)しっとを加えたら、どうだろう。嫉※(「女+戸」、第3水準1-15-76)では不安の感が多過ぎる。憎悪ぞうおはどうだろう。憎悪はげし過ぎる。いかり? 怒では全然調和を破る。うらみ? 恨でも春恨しゅんこんとか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒じょうしょのうちで、あわれと云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬじょうで、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟とっさの衝動で、この情があの女の眉宇びうにひらめいた瞬時に、わが成就じょうじゅするであろう。しかし――いつそれが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微笑うすわらいと、勝とう、勝とうとあせる八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。
 がさりがさりと足音がする。胸裏きょうりの図案は三二でくずれた。見ると、筒袖つつそでを着た男が、まきせて、熊笹くまざさのなかを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来たのだろう。
「よい御天気で」と手拭てぬぐいをとって挨拶あいさつする。腰をかがめる途端とたんに、三尺帯におとしたなたがぴかりと光った。四十恰好がっこうたくましい男である。どこかで見たようだ。男は旧知のように馴々なれなれしい。
旦那だんなも画を御描おかきなさるか」余の絵の具箱はけてあった。
「ああ。この池でもこうと思って来て見たが、さみしい所だね。誰も通らない」
「はあい。まことに山の中で……旦那あ、とうげ御降おふられなさって、さぞ御困りでござんしたろ」
「え? うん御前おまえはあの時の馬子まごさんだね」
「はあい。こうやってたきぎを切っては城下じょうかへ持って出ます」と源兵衛は荷をおろして、その上へ腰をかける。煙草入たばこいれを出す。古いものだ。紙だかかわだか分らない。余は寸燐マッチしてやる。
「あんな所を毎日越すなあ大変だね」
「なあに、馴れていますから――それに毎日は越しません。三日みっかに一ぺん、ことによると四日目よっかめくらいになります」
「四日に一ぺんでも御免だ」
「アハハハハ。馬が不憫ふびんですから四日目くらいにして置きます」
「そりゃあ、どうも。自分より馬の方が大事なんだね。ハハハハ」
「それほどでもないんで……」
「時にこの池はよほど古いもんだね。全体いつ頃からあるんだい」
「昔からありますよ」
「昔から? どのくらい昔から?」
「なんでもよっぽど古い昔から」
「よっぽど古い昔しからか。なるほど」
「なんでも昔し、志保田しほだの嬢様が、身を投げた時分からありますよ」
「志保田って、あの温泉場ゆばのかい」
「はあい」
「御嬢さんが身を投げたって、現に達者でいるじゃないか」
「いんにえ。あの嬢さまじゃない。ずっと昔の嬢様が」
「ずっと昔の嬢様。いつ頃かね、それは」
「なんでも、よほど昔しの嬢様で……」
「その昔の嬢様が、どうしてまた身を投げたんだい」
「その嬢様は、やはり今の嬢様のように美しい嬢様であったそうながな、旦那様」
「うん」
「すると、ある日、一人ひとり梵論字ぼろんじが来て……」
「梵論字と云うと虚無僧こもそうの事かい」
「はあい。あの尺八を吹く梵論字の事でござんす。その梵論字が志保田の庄屋しょうや逗留とうりゅうしているうちに、その美くしい嬢様が、その梵論字を見染みそめて――因果いんがと申しますか、どうしてもいっしょになりたいと云うて、泣きました」
「泣きました。ふうん」
「ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字はむこにはならんと云うて。とうとう追い出しました」
「その虚無僧こもそう[#ルビの「こもそう」は底本では「こむそう」]をかい」
「はあい。そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て、――あの向うに見える松の所から、身を投げて、――とうとう、えらい騒ぎになりました。その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする」
「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」
「まことにしからん事でござんす」
「何代くらい前の事かい。それは」
「なんでもよっぽど昔の事でござんすそうな。それから――これはここ限りの話だが、旦那さん」
「何だい」
「あの志保田の家には、代々だいだい気狂きちがいが出来ます」
「へええ」
「全くたたりでござんす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆がはやします」
「ハハハハそんな事はなかろう」
「ござんせんかな。しかしあの御袋様おふくろさまがやはり少し変でな」
「うちにいるのかい」
「いいえ、去年くなりました」
「ふん」と余は煙草の吸殻すいがらから細い煙の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛はまきにして去る。
 をかきに来て、こんな事を考えたり、こんな話しを聴くばかりでは、何日いくにちかかっても一枚も出来っこない。せっかく絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも下絵したえをとって行こう。さいわい、向側の景色は、あれなりで略纏ほぼまとまっている。あすこでももうわけにちょっとこう。
 一丈余りの蒼黒あおぐろい岩が、真直まっすぐに池の底から突き出して、き水の折れ曲るかどに、嵯々ささと構える右側には、例の熊笹くまざさ断崖だんがいの上から水際みずぎわまで、一寸いっすん隙間すきまなく叢生そうせいしている。上には三抱みかかえほどの大きな松が、若蔦わかづたにからまれた幹を、ななめにねじって、半分以上水のおもてへ乗り出している。鏡をふところにした女は、あの岩の上からでも飛んだものだろう。
 三脚几さんきゃくきしりえて、面画に入るべき材料を見渡す。松と、笹と、岩と水であるが、さて水はどこでとめてよいか分らぬ。岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。熊笹は、水際でとまらずに、水の中まで茂り込んでいるかとあやしまるるくらい、あざやかに水底まで写っている。松に至っては空にそびゆる高さが、見上げらるるだけ、影もまたすこぶる細長い。眼に写っただけの寸法ではとうていおさまりがつかない。一層いっその事、実物をやめて影だけ描くのも一興だろう。水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけではつまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつまらない。どう工夫くふうをしたものだろうと、一心に池のおもを見詰める。
 奇体なもので、影だけながめていてはいっこう画にならん。実物と見比べて工夫がして見たくなる。余は水面からひとみを転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移して行く。一丈のいわおを、影の先から、水際の継目つぎめまで眺めて、継目から次第に水の上に出る。潤沢じゅんたく気合けあいから、皴皺しゅんしゅの模様を逐一ちくいち吟味ぎんみしてだんだんと登って行く。ようやく登り詰めて、余の双眼そうがんが今危巌きがんいただきに達したるとき、余はへびにらまれたひきのごとく、はたりと画筆えふでを取り落した。
 みどりの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭をいろどる中に、楚然そぜんとして織り出されたる女の顔は、――花下かかに余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖ふりそでに余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。
 余が視線は、蒼白あおじろき女の顔の真中まんなかにぐさと釘付くぎづけにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯たいくせるだけ伸して、高いいわおの上に一指も動かさずに立っている。この一刹那いっせつな
 余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。夕日は樹梢じゅしょうかすめて、かすかに松の幹を染むる。熊笹はいよいよ青い。
 また驚かされた。

        十一

 山里やまざとおぼろに乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら仰数あおぎかぞう春星しゅんせい一二三と云う句を得た。余は別に和尚おしょうに逢う用事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿をでて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石磴せきとうの下に出た。しばらく不許葷酒入山門くんしゅさんもんにいるをゆるさずと云う石をでて立っていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。
 トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召おぼしめしかのうた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力じりきつづる。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀をんだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層の無責任である。スターンは自分の責任をのがれると同時にこれを在天の神にした。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥溝どぶの中にてた。
 石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登ってたたずむとき何となく愉快だ。それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙然もくねんとして、吾影を見る。角石かくいしさえぎられて三段に切れているのは妙だ。妙だからまた登る。仰いで天を望む。寝ぼけた奥から、小さい星がしきりにまばたきをする。句になると思って、また登る。かくして、余はとうとう、上まで登り詰めた。
 石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五山ごさんなるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺えんがくじ塔頭たっちゅうであったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、法衣ころもを着た、頭のはちの開いた坊主が出て来た。余はのぼる、坊主はくだる。すれ違った時、坊主が鋭どい声でどこへ御出おいでなさると問うた。余はただ境内けいだいを拝見にと答えて、同時に足をめたら、坊主はただちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。あまり洒落しゃらくだから、余は少しくせんを越された気味で、段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木の間に隠した。そのあいだかつて一度も振り返った事はない。なるほど禅僧は面白い。きびきびしているなと、のっそり山門を這入はいって、見ると、広い庫裏くりも本堂も、がらんとして、人影はまるでない。余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落しゃらくな人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれたかと思うと、何となく気分が晴々せいせいした。ぜんを心得ていたからと云う訳ではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。ただあの鉢の開いた坊主の所作しょさが気に入ったのである。
 世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやなやつうずまっている。元来何しに世の中へつらさらしているんだか、しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人のしり探偵たんていをつけて、人のひる勘定かんじょうをして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、うしろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々にんにん勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針はひかえるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。
 こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。興きたれば興来るをもって方針とする。興去れば興去るをもって方針とする。句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦ぼうぎょの方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放曠ずいえんほうこうの方針である。
 仰数あおぎかぞう春星しゅんせい一二三の句を得て、石磴せきとうを登りつくしたる時、おぼろにひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。絶句ぜっくまとめる気にならなくなった。即座にやめにする方針を立てる。
 石をたたんで庫裡くりに通ずる一筋道の右側は、岡つつじの生垣いけがきで、垣のむこうは墓場であろう。左は本堂だ。屋根瓦やねがわらが高い所で、かすかに光る。数万のいらかに、数万の月が落ちたようだと見上みあげる。どこやらで鳩の声がしきりにする。むねの下にでも住んでいるらしい。気のせいか、ひさしのあたりに白いものが、点々見える。ふんかも知れぬ。
 雨垂あまだれ落ちの所に、妙な影が一列に並んでいる。木とも見えぬ、草では無論ない。感じから云うと岩佐又兵衛いわさまたべえのかいた、おに念仏ねんぶつが、念仏をやめて、踊りを踊っている姿である。本堂のはじから端まで、一列に行儀よく並んでおどっている。その影がまた本堂の端から端まで一列に行儀よく並んで躍っている。朧夜おぼろよにそそのかされて、かね撞木しゅもくも、奉加帳ほうがちょうも打ちすてて、さそあわせるや否やこの山寺やまでらへ踊りに来たのだろう。
 近寄って見ると大きな覇王樹さぼてんである。高さは七八尺もあろう、糸瓜へちまほどな青い黄瓜きゅうりを、杓子しゃもじのようにしひしゃげて、の方を下に、上へ上へとあわせたように見える。あの杓子がいくつつながったら、おしまいになるのか分らない。今夜のうちにもひさしを突き破って、屋根瓦の上まで出そうだ。あの杓子が出来る時には、何でも不意に、どこからか出て来て、ぴしゃりと飛びつくに違いない。古い杓子が新しい小杓子を生んで、その小杓子が長い年月のうちにだんだん大きくなるようには思われない。杓子と杓子の連続がいかにも突飛とっぴである。こんな滑稽こっけいはたんとあるまい。しかも澄ましたものだ。いかなるこれぶつと問われて、庭前ていぜん柏樹子はくじゅしと答えた僧があるよしだが、もし同様の問に接した場合には、余は一も二もなく、月下げっか覇王樹はおうじゅこたえるであろう。
 少時しょうじ晁補之ちょうほしと云う人の記行文を読んで、いまだに暗誦あんしょうしている句がある。「時に九月天高く露清く、山むなしく、月あきらかに、仰いで星斗せいとればみな光大ひかりだい、たまたま人の上にあるがごとし、窓間そうかんたけ数十竿かん、相摩戞まかつして声切々せつせつやまず。竹間ちくかん梅棕ばいそう森然しんぜんとして鬼魅きび離立笑※(「髟/丐」、第4水準2-93-21)りりつしょうひんじょうのごとし。二三子相顧あいかえりみ、はく動いていぬるを得ず。遅明ちめい皆去る」とまた口の内で繰り返して見て、思わず笑った。この覇王樹さぼてんも時と場合によれば、余のはくを動かして、見るや否や山を追い下げたであろう。とげに手を触れて見ると、いらいらと指をさす。
 石甃いしだたみを行き尽くして左へ折れると庫裏くりへ出る。庫裏の前に大きな木蓮もくれんがある。ほとんどかかえもあろう。高さは庫裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。花があればなお見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間はほがらかにいている。木蓮は樹下に立つ人の眼を乱すほどの細い枝をいたずらには張らぬ。花さえあきらかである。この遥かなる下から見上げても一輪の花は、はっきりと一輪に見える。その一輪がどこまでむらがって、どこまで咲いているか分らぬ。それにもかかわらず一輪はついに一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が判然はんぜんと望まれる。花の色は無論純白ではない。いたずらに白いのは寒過ぎる。もっぱらに白いのは、ことさらに人の眼を奪うたくみが見える。木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざとけて、あたたかみのある淡黄たんこうに、奥床おくゆかしくもみずからを卑下ひげしている。余は石甃いしだたみの上に立って、このおとなしい花が累々るいるいとどこまでも空裏くうりはびこさまを見上げて、しばらく茫然ぼうぜんとしていた。眼に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。

木蓮の花ばかりなる空を
と云う句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うている。
 庫裏に入る。庫裏は明け放してある。盗人ぬすびとはおらぬ国と見える。いぬはもとよりえぬ。
「御免」
訪問おとずれる。しんとして返事がない。
「頼む」
と案内を乞う。鳩の声がくううくううと聞える。
「頼みまああす」と大きな声を出す。
「おおおおおおお」と遥かのむこうで答えたものがある。人の家をうて、こんな返事を聞かされた事は決してない。やがて足音が廊下へ響くと、紙燭しそくの影が、衝立ついたての向側にさした。小坊主がひょこりとあらわれる。了念りょうねんであった。
和尚おしょうさんはおいでかい」
「おられる。何しにござった」
「温泉にいる画工えかきが来たと、取次とりついでおくれ」
「画工さんか。それじゃ御上おあがり」
「断わらないでもいいのかい」
「よろしかろ」
 余は下駄を脱いで上がる。
「行儀がわるい画工さんじゃな」
「なぜ」
「下駄を、よう御揃おそろえなさい。そらここを御覧」と紙燭を差しつける。黒い柱の真中に、土間から五尺ばかりの高さを見計みはからって、半紙を四つ切りにした上へ、何かしたためてある。
「そおら。読めたろ。脚下きゃっかを見よ、と書いてあるが」
「なるほど」と余は自分の下駄を丁寧に揃える。
 和尚のへやは廊下をかぎまがって、本堂の横手にある。障子しょうじうやうやしくあけて、恭しく敷居越しにつくばった了念が、
「あのう、志保田しほだから、画工さんが来られました」と云う。はなはだ恐縮のていである。余はちょっとおかしくなった。
「そうか、これへ」
 余は了念と入れ代る。室がすこぶる狭い。中に囲炉裏いろりを切って、鉄瓶てつびんが鳴る。和尚は向側に書見しょけんをしていた。
「さあこれへ」と眼鏡めがねをはずして、書物をかたわらへおしやる。
「了念。りょううねええん」
「ははははい」
座布団ざぶとんを上げんか」
「はははははい」と了念は遠くで、長い返事をする。
「よう、来られた。さぞ退屈だろ」
「あまり月がいいから、ぶらぶら来ました」
「いい月じゃな」と障子をあける。飛び石が二つ、松一本のほかには何もない、平庭ひらにわの向うは、すぐ懸崖けんがいと見えて、眼の下に朧夜おぼろよの海がたちまちに開ける。急に気が大きくなったような心持である。漁火いさりびがここ、かしこに、ちらついて、遥かの末は空に入って、星にけるつもりだろう。
「これはいい景色。和尚おしょうさん、障子をしめているのはもったいないじゃありませんか」
「そうよ。しかし毎晩見ているからな」
何晩いくばん見てもいいですよ、この景色は。私なら寝ずに見ています」
「ハハハハ。もっともあなたは画工えかきだから、わしとは少し違うて」
「和尚さんだって、うつくしいと思ってるうちは画工でさあ」
「なるほどそれもそうじゃろ。わしも達磨だるまぐらいはこれで、かくがの。そら、ここに掛けてある、このじくは先代がかかれたのじゃが、なかなかようかいとる」
 なるほど達磨の画が小さいとこに掛っている。しかし画としてはすこぶるまずいものだ。ただ俗気ぞっきがない。せつおおおうとつとめているところが一つもない。無邪気な画だ。この先代もやはりこの画のような構わない人であったんだろう。
「無邪気な画ですね」
「わしらのかく画はそれで沢山じゃ。気象きしょうさえあらわれておれば……」
「上手で俗気があるのより、いいです」
「ははははまあ、そうでも、めて置いてもらおう。時に近頃は画工にも博士があるかの」
「画工の博士はありませんよ」
「あ、そうか。この間、何でも博士に一人うた」
「へええ」
「博士と云うとえらいものじゃろな」
「ええ。えらいんでしょう」
「画工にも博士がありそうなものじゃがな。なぜ無いだろう」
「そういえば、和尚さんの方にも博士がなけりゃならないでしょう」
「ハハハハまあ、そんなものかな。――何とか云う人じゃったて、この間逢うた人は――どこぞに名刺があるはずだが……」
「どこで御逢いです、東京ですか」
「いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車とか云うものが出来たそうじゃが、ちょっと乗って見たいような気がする」
「つまらんものですよ。やかましくって」
「そうかな。蜀犬しょっけん日にえ、呉牛ごぎゅう月にあえぐと云うから、わしのような田舎者いなかものは、かえって困るかも知れんてのう」
「困りゃしませんがね。つまらんですよ」
「そうかな」
 鉄瓶てつびんの口から煙がさかんに出る。和尚おしょう茶箪笥ちゃだんすから茶器を取り出して、茶をいでくれる。
「番茶を一つ御上おあがり。志保田の隠居さんのようなうまい茶じゃない」
「いえ結構です」
「あなたは、そうやって、方々あるくように見受けるがやはりをかくためかの」
「ええ。道具だけは持ってあるきますが、画はかかないでも構わないんです」
「はあ、それじゃ遊び半分かの」
「そうですね。そう云ってもいでしょう。勘定かんじょうをされるのが、いやですからね」
 さすがの禅僧も、この語だけはしかねたと見える。
「屁の勘定た何かな」
「東京に永くいると屁の勘定をされますよ」
「どうして」
「ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、しりの穴が三角だの、四角だのって余計な事をやりますよ」
「はあ、やはり衛生の方かな」
「衛生じゃありません。探偵たんていの方です」
「探偵? なるほど、それじゃ警察じゃの。いったい警察の、巡査のて、何の役に立つかの。なけりゃならんかいの」
「そうですね、画工えかきにはりませんね」
「わしにも入らんがな。わしはまだ巡査の厄介やっかいになった事がない」
「そうでしょう」
「しかし、いくら警察が屁の勘定をしたてて、構わんがな。ましていたら。自分にわるい事がなけりゃ、なんぼ警察じゃて、どうもなるまいがな」
「屁くらいで、どうかされちゃたまりません」
「わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本橋の真中に臓腑ぞうふをさらけ出して、恥ずかしくないようにしなければ修業を積んだとは云われんてな。あなたもそれまで修業をしたらよかろ。旅などはせんでも済むようになる」
「画工になり澄ませば、いつでもそうなれます」
「それじゃ画工になり澄したらよかろ」
「屁の勘定をされちゃ、なり切れませんよ」
「ハハハハ。それ御覧。あの、あなたのとまっている、志保田の御那美さんも、嫁にって帰ってきてから、どうもいろいろな事が気になってならん、ならんと云うてしまいにとうとう、わしの所へほうを問いに来たじゃて。ところが近頃はだいぶ出来てきて、そら、御覧。あのようなわけのわかった女になったじゃて」
「へええ、どうもただの女じゃないと思いました」
「いやなかなか機鋒きほうするどい女で――わしの所へ修業に来ていた泰安たいあんと云う若僧にゃくそうも、あの女のために、ふとした事から大事だいじ窮明きゅうめいせんならん因縁いんねん逢着ほうちゃくして――今によい智識ちしきになるようじゃ」
 静かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りにこたうるがごとく、応えざるがごとく、有耶無耶うやむやのうちにかすかなる、耀かがやきを放つ。漁火いさりびは明滅す。
「あの松の影を御覧」
奇麗きれいですな」
「ただ奇麗かな」
「ええ」
「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」
 茶碗に余った渋茶を飲み干して、糸底いとぞこを上に、茶托ちゃたくへ伏せて、立ち上る。
「門まで送ってあげよう。りょううねええん。御客が御帰おかえりだぞよ」
 送られて、庫裏くりを出ると、鳩がくううくううと鳴く。
「鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」
 月はいよいよ明るい。しんしんとして、木蓮もくれん幾朶いくだ雲華うんげ空裏くうり※(「警」の「言」に代えて「手」、第3水準1-84-92)ささげている。※(「さんずい+穴」、第4水準2-78-39)けつりょうたる春夜しゅんや真中まなかに、和尚ははたとたなごころつ。声は風中ふうちゅうに死して一羽の鳩も下りぬ。
「下りんかいな。下りそうなものじゃが」
 了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の眼が夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。
 山門の所で、余は二人に別れる。見返えると、大きな丸い影と、小さな丸い影が、石甃いしだたみの上に落ちて、前後して庫裏の方に消えて行く。

        十二

 基督キリストは最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚おしょうのごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼はと云う名のほとんどくだすべからざる達磨だるまふくを掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工えかきに博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でもくものと思っている。それにもかかわらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のないふくろのように行き抜けである。何にも停滞ていたいしておらん。随処ずいしょに動き去り、任意にんいし去って、塵滓じんしの腹部に沈澱ちんでんする景色けしきがない。もし彼の脳裏のうりに一点の趣味をちょうし得たならば、彼はく所に同化して、行屎走尿こうしそうにょうの際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵にの数を勘定かんじょうされる間は、とうてい画家にはなれない。画架がかに向う事は出来る。小手板こていたを握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色しゅんしょくのなかに五尺の痩躯そうくうずめつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境界きょうがいに入れば美の天下はわが有に帰する。尺素せきそを染めず、※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)すんけんを塗らざるも、われは第一流の大画工である。において、ミケルアンゼロに及ばず、たくみなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武ほぶひとしゅうして、ごうゆずるところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚のもかかない。絵の具箱は酔興すいきょうに、かついできたかの感さえある。人はあれでも画家かとわらうかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こう云うきょうを得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。
 朝飯あさめしをすまして、一本の敷島しきしまをゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。日はかすみを離れて高くのぼっている。障子しょうじをあけて、うしろの山をながめたら、あおが非常にすき通って、例になくあざやかに見えた。
 余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙よのなかでもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合きあい一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好しこうで異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、おのずから制限されるのもまた当前とうぜんである。英国人のかいた山水さんすいに明るいものは一つもない。明るい画がきらいなのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色けいしょくをかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常にまさっている、埃及エジプトまたは波斯辺ペルシャへんの光景のみをえらんでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然はっきり出来上っている。
 個人の嗜好しこうはどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々われわれもまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏蘭西フランスの絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色けいしょくだとは云われない。やはりのあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態うんようえんたいを研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几さんきゃくきを担いで飛び出さなければならん。色は刹那せつなに移る。一たび機をしっすれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山のには、滅多めったにこの辺で見る事の出来ないほどない色がちている。せっかく来て、あれをにがすのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。
 ふすまをあけて、椽側えんがわへ出ると、向う二階の障子しょうじに身をたして、那美さんが立っている。あごえりのなかへうずめて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶あいさつをしようと思う途端とたんに、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。ひらめくは稲妻いなずまか、二折ふたお三折みおれ胸のあたりを、するりと走るやいなや、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九すん白鞘しらさやがある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座かぶきざのぞいた気で宿を出る。
 門を出て、左へ切れると、すぐ岨道そばみちつづきの、爪上つまあがりになる。うぐいす所々ところどころで鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑みかんが一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走しわすの頃であった。その時蜜柑山に蜜柑がべたりに生る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾顆いくつでも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、の上で妙なふしうたをうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ薬種屋やくしゅやへ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりにつつの音がする。何だと聞いたら、猟師りょうしかもをとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。
 あの女を役者にしたら、立派な女形おんながたが出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住じょうじゅう芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然しぜんてんねんに芝居をしている。あんなのを美的生活びてきせいかつとでも云うのだろう。あの女の御蔭おかげの修業がだいぶ出来た。
 あの女の所作しょさを芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の道具立どうぐだてを背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界にって、余とあの女の間に纏綿てんめんした一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語ごんごに絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡めがねから、あの女をのぞいて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。
 こんなかんがえをもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届ふとどきである。善は行い難い、徳はほどこしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人なんびとに取っても苦痛である。その苦痛をおかすためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかにひそんでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸ひさんのうちにこもる快感の別号に過ぎん。このおもむきを解し得て、始めて吾人ごじんの所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進しょうじんの心をって、人道のために、※(「金+護のつくり」、第3水準1-93-41)ていかくらるるを面白く思う。もし人情なるせまき立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏きょうりひそんで、じゃせいき、きょくしりぞちょくにくみし、じゃくたすきょうくじかねば、どうしてもえられぬと云う一念の結晶して、さんとして白日はくじつを射返すものである。
 芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣味をつらぬかんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きをわらうのである。自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観をてらうのを笑うのである。真に個中こちゅうの消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎げすげろうの、わがいやしき心根に比較していやしむに至っては許しがたい。昔し巌頭がんとうぎんのこして、五十丈の飛瀑ひばくを直下して急湍きゅうたんおもむいた青年がある。余のるところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものはまことに壮烈である、ただその死をうながすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子ふじむらし所作しょさを嗤い得べき。彼らは壮烈の最後をぐるの情趣をあじわい得ざるがゆえに、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。
 余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在だざいするも、東西両隣りの没風流漢ぼつふうりゅうかんよりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。
 しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中りょちゅうに人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしいきんのみを眺めて暮さなければならぬ。余みずからも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、おのれさえ、纏綿てんめんたる利害の累索るいさくを絶って、ゆう画布裏がふりに往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。
 三丁ほどのぼると、向うに白壁の一構ひとかまえが見える。蜜柑みかんのなかの住居すまいだなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻こしまきをした娘があがってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色のはぎが出る。脛が出切できったら、藁草履わらぞうりになって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海をしょっている。
 岨道そばみちを登り切ると、山の出鼻でばなたいらな所へ出た。北側はみどりをたたむ春の峰で、今朝えんから仰いだあたりかも知れない。南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末はくずれたがけとなる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村をまたいでむこうを見れば、眼に入るものは言わずも知れた青海あおうみである。
 みちは幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見分みわけのつかぬところに変化があって面白い。
 どこへ腰をえたものかと、草のなかを遠近おちこち徘徊はいかいする。えんから見たときはになると思った景色も、いざとなると存外まとまらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに、いつしかく気がなくなった。描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでもすわった所がわが住居すまいである。み込んだ春の日が、深く草の根にこもって、どっかと尻をおろすと、眼に入らぬ陽炎かげろうつぶしたような心持ちがする。
 海は足の下に光る。遮ぎる雲の一片ひとひらさえ持たぬ春の日影は、あまねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波の底までみ渡ったと思わるるほど暖かに見える。色は一刷毛ひとはけ紺青こんじょうを平らに流したる所々に、しろかねの細鱗さいりんを畳んでこまやかに動いている。春の日は限り無きあめしたを照らして、天が下は限りなき水をたたえたる間には、白き帆が小指のつめほどに見えるのみである。しかもその帆は全く動かない。往昔入貢そのかみにゅうこう高麗船こまぶねが遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。そのほかは大千だいせん世界をきわめて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。
 ごろりとる。帽子がひたいをすべって、やけに阿弥陀あみだとなる。所々の草を一二尺いて、木瓜ぼけの小株が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜ぼけは面白い花である。枝は頑固がんこで、かつてまがった事がない。そんなら真直まっすぐかと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、しゃに構えつつ全体が出来上っている。そこへ、べにだか白だか要領を得ぬ花が安閑あんかんと咲く。やわらかい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、おろかにしてさとったものであろう。世間にはせつを守ると云う人がある。この人が来世らいせに生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。
 小供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜ぼけを切って、面白く枝振えだぶりを作って、筆架ひつかをこしらえた事がある。それへ二銭五厘の水筆すいひつを立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠見いんけんするのを机へせて楽んだ。その日は木瓜ぼけ筆架ひつかばかり気にして寝た。あくる日、眼がめるやいなや、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花はえ葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不審ふしんの念にえなかった。今思うとその時分の方がよほど出世間的しゅっせけんてきである。
 るや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。
 寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖にしるして行く。しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。
出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。停※(「竹かんむり/(エ+卩)」、第3水準1-89-60)而矚目。万象帯晴暉。聴黄鳥宛転。観落英紛霏。行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遥随物化。悠然対芬菲。

 ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜をて、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。とうなりながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳払せきばらいが聞えた。こいつは驚いた。
 寝返ねがえりをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑木ぞうきの間から、一人の男があらわれた。
 茶の中折なかおれをかぶっている。中折れの形はくずれて、かたむへりの下から眼が見える。眼の恰好かっこうはわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。あい縞物しまものの尻を端折はしょって、素足すあしに下駄がけのちは、何だか鑑定がつかない。野生やせいひげだけで判断するとまさに野武士のぶしの価値はある。
 男は岨道そばみちを下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近辺きんぺんに住んでいるとも考えられない。男は時々立ちどまる。首を傾ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。
 余はこの物騒ぶっそうな男から、ついに吾眼をはなす事ができなかった。別に恐しいでもない、またにしようと云う気も出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。右から左、左りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男ははたと留った。留ると共に、またひとりの人物が、余が視界に点出てんしゅつされた。
 二人は双方そうほうで互に認識したように、しだいに双方から近づいて来る。余が視界はだんだんちぢまって、原の真中で一点のせまき間にたたまれてしまう。二人は春の山をに、春の海を前に、ぴたりと向き合った。
 男は無論例の野武士のぶしである。相手は? 相手は女である。那美なみさんである。
 余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしやふところんでおりはせぬかと思ったら、さすが非人情ひにんじょうの余もただ、ひやりとした。
 男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。動く景色けしきは見えぬ。口は動かしているかも知れんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首をれた。女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。
 山ではうぐいすく。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。しばらくすると、男はきっと、垂れた首を挙げて、なかくびすめぐらしかける。尋常のさまではない。女はさっと体を開いて、海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは懐剣かいけんらしい。男は昂然こうぜんとして、行きかかる。女は二歩ふたあしばかり、男の踵をうて進む。女は草履ぞうりばきである。男のとまったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右手めては帯の間へ落ちた。あぶない!
 するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財布さいふのような包み物である。差し出した白い手の下から、長いひもがふらふらと春風しゅんぷうに揺れる。
 片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸てくびに、紫の包。これだけの姿勢で充分にはなろう。
 紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男のたいのこなし具合で、うまい按排あんばいにつながれている。不即不離ふそくふりとはこの刹那せつなの有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男はしりえに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者のえんは紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。
 二人の姿勢がかくのごとく美妙びみょうな調和をたもっていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。
 のずんぐりした、色黒の、ひげづらと、くっきりしまった細面ほそおもてに、えりの長い、撫肩なでがたの、華奢きゃしゃ姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着ふだんぎ銘仙めいせんさえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしくり身に控えたる痩形やさすがた。はげた茶の帽子に、藍縞あいじま尻切しりき出立でだちと、陽炎かげろうさえ燃やすべき櫛目くしめの通ったびんの色に、黒繻子くろじゅすのひかる奥から、ちらりと見せた帯上おびあげの、なまめかしさ。すべてが好画題こうがだいである。
 男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつたくみに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまちくずれる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。
 二人は左右へ分かれる。双方に気合きあいがないから、もう画としては、支離滅裂しりめつれつである。雑木林ぞうきばやしの入口で男は一度振り返った。女はあとをも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩行あるいてくる。やがて余の真正面ましょうめんまで来て、
「先生、先生」
二声ふたこえ掛けた。これはしたり、いつ目付めっかったろう。
「何です」
と余は木瓜ぼけの上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。
「何をそんな所でしていらっしゃる」
「詩を作ってていました」
「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」
「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」
「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」
「実のところはたくさん拝見しました」
「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」
 余は唯々いいとして木瓜の中から出て行く。
「まだ木瓜の中に御用があるんですか」
「もう無いんです。帰ろうかとも思うんです」
「それじゃごいっしょに参りましょうか」
「ええ」
 余は再び唯々として、木瓜の中に退しりぞいて、帽子をかぶり、絵の道具をまとめて、那美さんといっしょにあるき出す。
「画を御描きになったの」
「やめました」
「ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか」
「ええ」
「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね」
「なにつまってるんです」
「おやそう。なぜ?」
「なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞいたって、描かなくったって、つまるところはおんなじ事でさあ」
「そりゃ洒落しゃれなの、ホホホホ随分呑気のんきですねえ」
「こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲斐かいがないじゃありませんか」
「なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られてもはずかしくも何とも思いません」
「思わんでもいいでしょう」
「そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです」
「そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね」
「ホホホくあたりました。あなたはうらないの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです」
「へえ、どこから来たのです」
城下じょうかから来ました」
「随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」
「何でも満洲へ行くそうです」
「何しに行くんですか」
「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」
 この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、かすかなる笑の影が消えかかりつつある。意味はせぬ。
「あれは、わたくしの亭主です」
 迅雷じんらいおおうにいとまあらず、女は突然として一太刀ひとたち浴びせかけた。余は全く不意撃ふいうちった。無論そんな事を聞く気はなし、女も、よもや、ここまでさらけ出そうとは考えていなかった。
「どうです、驚ろいたでしょう」と女が云う。
「ええ、少々驚ろいた」
「今の亭主じゃありません、離縁りえんされた亭主です」
「なるほど、それで……」
「それぎりです」
「そうですか。――あの蜜柑山みかんやまに立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰のうちなんですか」
「あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょう」
「用でもあるんですか」
「ええちっと頼まれものがあります」
「いっしょに行きましょう」
 岨道そばみちの登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、棕梠しゅろが三四本あって、土塀どべいの下はすぐ蜜柑畠である。
 女はすぐ、椽鼻えんばなへ腰をかけて、云う。
「いい景色だ。御覧なさい」
「なるほど、いいですな」
 障子のうちは、静かに人の気合けあいもせぬ。女はおとのう景色もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を見下みおろして平気でいる。余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。
 しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を見下している。せまる太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、かえされて耀かがやいている。やがて、裏の納屋なやの方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。
「おやもう。御午おひるですね。用事を忘れていた。――久一きゅういちさん、久一さん」
 女はおよごしになって、立て切った障子しょうじを、からりとける。内はむなしき十畳敷に、狩野派かのうは双幅そうふくが空しく春のとこを飾っている。
「久一さん」
 納屋なやの方でようやく返事がする。足音がふすまむこうでとまって、からりと、くが早いか、白鞘しらさや短刀たんとうが畳の上へころがり出す。
「そら御伯父おじさんの餞別せんべつだよ」
 帯の間に、いつ手が這入はいったか、余は少しも知らなかった。短刀は二三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足下あしもとへ走る。作りがゆる過ぎたと見えて、ぴかりと、寒いものが一すんばかり光った。

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