七 短歌の連作と連句
近ごろ岩波文庫の「左千夫歌論抄」の巻頭にある「連作論」を読んで少なからざる興味を感じたのであるが、同時に連作短歌と連句との比較研究という一つの新しい題目が頭に浮かんで来るのであった。ところが、自分はまだ短歌連作というものについてはきわめて浅薄な知識しか持ち合わせていないから研究などというほどのまとまったことは到底できないであろうが、しかし取りあえず自分の感じたことだけを後日の参考としてここにしるしておくのも必ずしも無用のわざではあるまいと考える。 右の「連作論」においていわゆる連作の最始のものとして引用されている子規の十首、庭前の松に雨が降りかかるを見て作ったものを点検してみると、「松の葉」という言葉が六回、「松葉」が一つ、「葉」が七、「露」が九、「雨」が三、「玉」が六、「こぼれ」という三字が五回、「落ち」「落つ」が合わせて三、「おく」が七、「枝」が四回繰り返されている。これをかなの数にして合計すると百十字で、全体三百十字の三分の一を超過している。それでこの十首より成る一群の内容は「松の葉に雨の露が玉のごとくにおいて、それがこぼれ落ちる」というだけのことを繰り返し繰り返し諷詠したものであって、連作としてはおそらく最も単純な形式に属するものであろうと思われる。そうして、たとえば「松の葉」の現われる位置がほとんど初五字かその次の七字の中かにきまっており、「露」はだいたい一首の中ごろの位置に現われ、「玉」は多く一首の終わりに近く現われている。それでこれはたとえて言わば簡単な唱歌の同じ旋律を繰り返し繰り返し歌うようなものであって、同じものが繰り返さるることによって生ずる一種の味はなくはないであろうが、しかしこういうものばかりが続いてはおそらく倦怠を招くに相違ない。 次に「連作論」に引用された「病牀即事」を詠じた十首は、もう少し複雑になっている。「月」は毎句にあり、「ガラス戸」が六、「鳥かごの屋根」と「森」と「ランプ」が各二あるが、そのほかにもいろいろの景物が点綴され、ほととぎすや白雲や汽車やブリキや紙や杉木立ちやそういうものの実感が少しずつ印象され、また動作や感覚の上でもだいぶ変化が見えている。また毎句にある「月」でも一首の頭からおわりまでいろいろの位置に分配されているのに気がつく。この場合では、一つの場所の光景をいろいろな角度に見たスケッチを総合したような形式になっている。 その次に引用された十首は春秋の草花に対して自分の病の悲しみを詠じたものであるが、これには異種の植物名が八つとほかに「秋草花」という言葉が現われ、「春」の字が三、「秋」が二、そうして十首のおのおのにいろいろな形で病者の感慨が詠み込まれている。これは共通な感じを糸にしていろいろの景物を貫ぬいた念珠のような形式である。 以上は連作というものの初期の作例であるが、その後の発達の歴史がどうであったか自分はまだそれについて充分に調べてみるだけの余裕がない。しかし座右にある最近の「アララギ」や「潮音」その他を手当たり次第に見ていると、中にはほとんど前記の第一例に近いものも、第二例に近いものも、また第三例に近いものもあるが、また中には形式においてずっと変わった特徴の見られるものも少なくはない。たとえば、身近い人の臨終を題としたもので病中の状況から最期の光景、葬列、墓参というふうに事件を進行的に順々に詠んで行ってあるが、その中に一見それらの事件とは直接なんら論理的に必然な交渉はないような景物を詠んだ歌をいわゆるモンタージュ的に插入したものがある。またこれとは逆にある一つの光景を子規の第一例もしくは第二例のように取り扱っているうちに、その光景とは一見直接には関係しない純主観の一首を漢詩の転句とでもいったふうにモンタージュとして嵌入したのもある。 ところが最近に寄贈を受けた「アララギ」の十一月号を開いて見ると、斎藤茂吉氏の「大沢禅寺」と題した五首の歌がある。これを一つの連作と見なして点検してみると、これは著しく他と異なった特徴をもっていることに気がつく。その五首というのは次のとおりである。
木原よりふく風のおとのきこえくるここの臥所に蚤ひとついず 罪をもつ人もひそみておりしとううつしみのことはなべてかなしき この寺も火に燃えはてしときありき山の木立ちの燃えのまにまに おのずから年ふりてある山寺は昼をかわほりくろく飛ぶみゆ いま搗きしもちいを見むと煤たりしいろりのふちに身をかがめつつ
この五首の短歌連結のぐあいを見ると、これは以上に述べて来た子規の例やまた近ごろの他の例に比べて著しく動的であり進行的であり旋律的であり、しかもその進行のしかたが、われわれの目で見ると著しく連句の進行し方と似たところがあるように思われるのである。ことに、たとえば初めの二首のごとき試みにこれを長句短句に分解してそれらをさらにある連句中の一部分として考えてみても実に立派な一連をなしているように思われる。この特徴はすでに同じ作者の昔の「赤光」集中の一首一首の歌にも見られるだれにも気のつく特徴と密接に連関しているものではないかと考えられるのである。 以上の匆卒なる瞥見によっても、いわゆる短歌の連作と見らるべきものの中には非常に多様な型式が実存し、極端に単純な輪唱ふうのものから、非常に複雑で進行のテンポの急なものまでいろいろの段階のあることだけはうかがわれると思うのである。 左千夫氏が連作の趣味を形容して「植え込み的趣味」と言っているのはなかなかおもしろいと思われる。実際多くの連作は一つの植え込みをいろいろな角度から飽かずいつまでもながめているような趣があって、この点ではどうしても静的であり絵画的である。しかし近来の連作と見らるるものの中には事件の進行を時間的に順次に描いて行く点で、たとえば活動映画的とでもいうべきものもある。そうして最後にあげた一例になると、もはや事件の報告的進行ではなくて、印象や感覚の旋律的な進行になっていて、そうしてまさにこの点で従来自分の述べて来た連句の旋律的進行とかなりまで共通な要素を備えているように思われるのである。 こういうふうに考えて来ると短歌連作と称するものの世界と連句の世界とは必ずしも一見そう思われるように全然かけ離れたものではなくて、ある一つの大きな全体の二つの部分であってその両者の間をつなぐべき橋梁の存在が可能であるということが想像されて来るのである。 「連作論」中に、左千夫の問いに答えて子規が「俳句は総合的で複雑なものだから連作の必要がないが、短歌は連続的で単純なものであるから連作ができる」というような意味のことを言ったとある。これも後に述べるように解釈次第では一面の真をうがっていると思われるが、ただこの問答の中で子規があたかも連句というものの存在を全然忘却あるいは無視しているように見えるのが不思議である。(もっともこの問答の記事は左千夫氏が聞いたのを覚え書きにしたので多少の誤りがあるかもしれぬと断わってある)。しかしわれわれ初心の者が連句を作る際に往々一句の長句あるいは短句の内にあまりたくさんの材料を詰め込むためにかえって連句の体を失し、その結果付け句を困難ならしめることがあるのは、畢竟俳句と連句との区別を忘れるためであると感じることがしばしばある。こういう自分の体験と思い合わせて考えてみるとこの子規の言ったという言葉にも味わうべき点があるようにも思われて来るのである。実際俳句を並べただけでは決して連句はできないのである。そうかと言ってまた短歌連作の多数のものは連句とあまりに距離が大きい。しかし短歌連作をいろいろと開拓して行くうちにはあるいは一方ではおのずからいわゆる連歌の領域に接近し、したがってまた自然に連句とも形式ならびに内容において次第に接近して行くという事も充分可能である。他方ではまた、少なくも現在では連句とは全く別物と思われる連作の型式から進化して行って、そうして現在の歌仙などとはかなりちがった別種の連句形式が生ずるという可能性も想像されなくはない。われわれ連句を研究するものの興味は実に主としてこの点にかかるのである。それでわれわれにとっては、こういう目をもっている短歌連作の進化の歴史を追跡することも決して無用ではあるまいと思われるのである。 以上は一時の思いつきのようなものに過ぎないのであるが、一つの研究題目を提出するような意味で、思ったままをここにしるしてあえて読者の教えをこうことにした。もしさらに短歌の研究者の側から見たこの問題に対する意見を聞くことができれば教えられるところが少なくないであろうと思うのである。
(昭和六年十二月、渋柿)
以上に続いてまだいろいろ書くつもりであったのが都合で一時中止したままになっている。他日機会があったらもう少し補充してまとめたいと思っているが、本書所載の他の論文にしばしば引き合いに出ている関係上参照の便宜のためにこのままここに採録した次第である。
●表記について
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