四
わが家に来て以来いちばん猫の好奇心を誘発したものはおそらく蚊帳であったらしい。どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。ことに内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。背を高くそびやかし耳を伏せて恐ろしい相好をする。そして命がけのような勢いで飛びかかって来る。猫にとってはおそらく不可思議に柔らかくて強靭な蚊帳の抵抗に全身を投げかける。蚊帳のすそは引きずられながらに袋になって猫のからだを包んでしまうのである。これが猫には不思議でなければならない。ともかくも普通のじゃれ方とはどうもちがう。あまりに真剣なので少しすごいような気のする事もあった。従順な特性は消えてしまって、野獣の本性があまりに明白に表われるのである。 蚊帳自身かあるいは蚊帳越しに見える人影が、猫には何か恐ろしいものに見えるのかもしれない。あるいは蚊帳の中の青ずんだ光が、森の月光に獲物をもとめて歩いた遠い祖先の本能を呼びさますのではあるまいか。もし色の違ったいろいろの蚊帳があったら試験してみたいような気もした。 じゃれる品物の中でおもしろいのは帯地を巻いておく桐の棒である。前足でころがすのはなんでもないが棒の片端をひょいと両方の前足でかかえてあと足でみごとに立ち上がる。棒が倒れるとそれを飛び越えて見向きもしないで知らん顔をしてのそのそと三四尺も歩いて行ってちょこんとすわる。そういう事をなんべんとなく繰り返すのである。どういう心持ちであるのか全く見当がつかない。 二階に籐椅子が一つ置いてある。その四本の足の下部を筋かいに連結する十字形のまん中がちょっとした棚のようになっている。ここが三毛の好む遊び場所の一つである。何か紙切れのようなものを下に落としておいて、入り乱れた籐のいろいろのすきまから前足を出してその紙切れを捕えようとする。ころがり落ちると仰向けになって今度は下からすきまに足をかわりがわりにさし込んだりする。 このような遊戯は何を意味するかわれわれにはわからない。おそらくまだ自覚しない将来の使命に慣れるための練習を無意識にしているのかもしれない。 里帰りの二日間に回復したからだはいつのまにかまたやせこけて肩の骨が高くなり、横顔がとがって目玉が大きくなって来た。あまりかわいそうだから、もう一匹別のを飼って過重な三毛の負担を分かたせようという説があってこれには賛成が多かった。 ある日暮れ方に庭へ出ていると台所がにぎやかになった。女や子供らの笑う声に交じって聞きなれない男の笑い声も聞こえた。「イー猫だねえ」と「イー」に妙なアクセントをつけた妻の声が明らかに聞こえた。それは出入りの牛乳屋がどこかからもらって、小さな虎毛の猫を持って来たのであった。 まだほんとうに小さな、手のひらに入れられるくらいの子猫であった。光沢のない長いうぶ毛のようなものが背中にそそけ立っていた。その顔がまたよほど妙なものであった。額がおでこでいったいに押しひしいだように短い顔であった。そして不相応に大きく突っ立った耳がこの顔にいっそう特異な表情を与えているのであった。どうしたのか無気味に大きくふくれた腹の両側にわれわれの小指ぐらいなあと足がつっかい棒のように突っ張っていた。なんとなしにすすきの穂で造ったみみずくを思い出させるのであった。 三毛は明らかな驚きと疑いと不安をあらわしてこの新参の仲間を凝視していた。ちび猫は三毛を自分の親とでも思いちがえたものか、なつかしそうにちょこちょこ近寄って行って、小さな片方の前足をあげて三毛にさわろうとする。三毛は毒虫にでもさわられたかのように、驚いて尻込みする。それを追いすがって行ってはまた片足を上げる。この様子があまりに滑稽なので皆の笑いこけるのにつり込まれて自分も近ごろになく腹の中から笑ってしまった。 すこし慣れて来ると三毛のほうが攻勢をとって襲撃を始めた。いきなり飛びついて首を羽がいじめにして頭でも足でもかみつきあと足で引っかくのである。ほんとうに鷹と小すずめとのような争いであった。ちびは閉口して逃げ出すかと思うとなかなかそうでなかった。時々小鳥のようなピーピーという泣き声を出しながらも負けずにかみつき引っかくのである。三毛が放すと同時に向き直ってすわったまま短いしっぽの先で空中に∞の字をかきながら三毛のかかって来るのを待ち受けていた。どうかするとちびは箪笥と襖の間にはいって行く、三毛は自分ではいれないから気違いのようになって前足をさし込んで騒ぐ。その間に小猫は落ちつき払って向こう側へ出て来る。そうして相変わらず短いしっぽで、無器用なコンダクターのようにいろいろな∞の字を描いていた。 名前はちびにしようという説があったが、そういう家畜の名はあるデリカシーからさけたほうがいいという説があってそれはやめになった。いいかげんにたまと呼ぶ事にした。雄猫にたまはおかしいというものもあったが、それじゃ玉吉か玉助にすればいいという事になった。 二つの猫の性情の著しい相違が日のたつに従って明らかになって来た。三毛が食物に対してきわめて寡欲で上品で貴族的であるに対して、たまは紛れもないプレビアンでボルシェビキでからだ不相応にはげしい食欲をもっていた。三毛の見向きもしない魚の骨や頭でもふるいつくようにして食った。そしてだれかちょっとさわりでもすると、背中の毛を逆立てて、そうして恐ろしいうなり声を立てた。ウーウーという真に物すごいような、とてもこの小さな子猫の声とは思われないような声を出すのである。そしてそこらじゅうにある食物をできるだけ多く占有するように両の前足の指をできるだけ開いてしっかりおさえつける。この点では彼はキャピタリストである。押しのけられた三毛はあきれたように少し離れてながめていた。鯖の血合の一切れでもやるとそれをくわえるが早いか、だれもさわりもしないのに例のうなり声を出しながらすぐにそこを逃げ出そうとするのである。どうしてもどろぼう猫の性質としか思われないものをもっているようである。その上にこの猫はいわゆる下性が悪かった。毎夜のように座ぶとんや夜具のすそをよごすのであった。その始末をしなければならない台所の人たちの間にははやくにたまに対する排斥の声が高まった。そうでない人でも物を食う時のたまの挙動をあさましく不愉快に感じないものはなかった。ことにおとなしい三毛が彼のために食物を奪われたりするのを見ればなおさらであった。 たまを連れて来た牛乳屋の責任問題も起こっていた。たまは牛乳屋にかえしてもっといい猫をもらって来ようという事がすべての人の希望であるようであった。のみならずもう候補者まで見つけて来て私に賛同を求めるのであった。 しかし牛乳屋が正直にもとの家へ返したところで、まただれか新しい飼い主の手に渡るにしても結局はのら猫になるよりほかの運命は考えられないようなこの猫をみすみす出してしまうのもかわいそうであった。下性の悪いのは少し気をつけて習慣をつけてやれば直るだろうと思った。それでまずボール箱に古いネルの切れなどを入れて彼の寝床を作ってやった。それと、土を入れた菓子折りとを並べて浴室の板の間に置いた。私が寝床にはいる前にそこらの蚊帳のすそなどに寝ているたまを捜して捕えて来て浴室のこの寝床に入れてやった。何も知らない子猫はやはり猫らしく咽を鳴らすのである。土の香をかがせてやると二度に一度は用を便じた。浴室の戸を締め切ってスイッチを切ったあとの闇の中に夜明けまでの長い時間をどうしているのかわからないが、ガラス窓が白むころが来ると浴室の戸をバサバサ鳴らし、例の小鳥のような鳴き声を出して早く出してもらいたいと訴えるのが聞こえた。行って出してやると急いで飛び出すかと思うとまたもとの所へ走り込んだり、そうしてちょうど犬の子のするように人の足のまわりをかけめぐるのである。十日余りもこのような事を繰り返した後に、試みに例の寝床のボール箱と便器とを持ち出して三毛の出入りする切り穴のそばに置いてなんべんとなくそこへ連れて行っては土の香をかがしてやった。翌朝気をつけてみたが蒲団や畳のよごれた所はどこにも見つからなかった。たぶん三毛に導かれて切り穴から出る事を覚えたのであろう。その後は明け方に穴からはい上がるたまの姿を見かける事もあった。 異常に発達したたまの食欲はいくぶんか減ってそれほどにがつがつしなくなって来た。気持ちの悪いほどふくれていた腹がそんなに目立たなくなって来るとやせた腰からあと足が妙に見すぼらしく見えるようになりはしたが、それでもどうやら当たりまえの猫らしい格好をして来るのであった。そしてやはりどこか飼い猫らしい鷹揚さとお坊っちゃんらしい品のある愛らしさが見えだして来た。 夏休みが過ぎて学校が始まると猫のからだはようやく少し暇になった。午前中は風通しのいい中敷きなどに三毛と玉が四つ足を思うさま踏み延ばして昼寝をしているのであった。片方が眠っているのを他の片方がしきりになめてやっている事もあった。夕方が来ると二匹で庭に出て芝生の上でよく相撲を取ったりした。昼間眠られるようになってから夜中によく縁側で騒ぎだした。これには少し迷惑したが、腹は立たなかった。台所で陶器のふれ合う音がすると思って行って見ると戸を締め忘れた茶箪笥の上と下の棚から二匹がとぼけた顔を出してのぞいていたりした。 ねずみはまだついぞ捕ったのを見た事がないが、もうねずみのいたずらはやんでしまって、天井は全く静かになった。 縁の下で生まれたのら猫の子の三毛は今でも時々隣の庇に姿を見せる事がある。美しい猫ではあるが気のせいかなんとなく険相に見える。臆病なうちの三毛はのら猫を見ると大急ぎで家に駆け込んで来るが、たまのほうは全く平気である。いつかのら猫といっしょに遊んでいるのを見たという報告さえあった。「不良少年になるんじゃないよ」などといって頭をたたかれていたが、なんのためにたたかれるのか猫にはわからないだろう。
わが家の猫の歴史はこれからはじまるのである。私はできるだけ忠実にこれからの猫の生活を記録しておきたいと思っている。 月がさえて風の静かなこのごろの秋の夜に、三毛と玉とは縁側の踏み台になっている木の切り株の上に並んで背中を丸くして行儀よくすわっている。そしてひっそりと静まりかえって月光の庭をながめている。それをじっと見ているとなんとなしに幽寂といったような感じが胸にしみる。そしてふだんの猫とちがって、人間の心で測り知られぬ別の世界から来ているもののような気のする事がある。このような心持ちはおそらく他の家畜に対しては起こらないのかもしれない。
(大正十年十一月、思想)
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