二
春から夏に移るころであったかと思う。ある日座敷の縁の下でのら猫が子を産んでいるという事が、それを見つけた子供から報告された。近辺の台所を脅かしていた大きな黒猫が、縁の下に竹や木材を押し込んである奥のほうで二匹の子を育てていた。一つは三毛でもう一つはきじ毛であった。 単調なわが家の子供らの生活の内ではこれはかなりに重大な事件であったらしい。猫の母子の動静に関するいろいろの報告がしばしば私の耳にも伝えられた。 私の家では自分の物心ついて以来かつて猫を飼った事はなかった。第一私の母が猫という猫を概念的に憎んでいた。親類の家にも、犬はいても飼い猫は見られなかった。猫さえ見れば手当たり次第にものを投げつけなければならない事のように思っていた。ある時いた下男などはたんねんに繩切れでわなを作って生けがきのぬけ穴に仕掛け、何匹かの野猫を絞殺したりした。甥のあるものは祖先伝来の槍をふり回して猫を突くと言って暗やみにしゃがんでいた事もあった。猫の鳴き声を聞くと同時に槍をほうり出しておいて奥の間に逃げ込むのではあったが。 そんなようなわけで猫というものにあまりに興味のない私はつい縁の下をのぞいて見るだけの事もしないでいた。 そのうちに子猫はだんだんに生長して時々庭の芝生の上に姿を見せるようになった。青く芽を吹いた芝生の上のつつじの影などに足を延ばして横になっている親猫に二匹の子猫がじゃれているのを見かける事もあったが、廊下を伝って近づく人の足音を聞くと親猫が急いで縁の下に駆け込む、すると子猫もほとんど同時に姿を隠してしまう。どろぼう猫の子はやはりどろぼう猫になるように教育されるのであった。 ある日妻がどうしてつかまえたかきじ毛の子猫を捕えて座敷へ連れて来た。白い前掛けですっかりからだを包んで首だけ出したのをひざの上にのせて顎の下をかいてやったりしていた。猫はあきらめてあまりもがきもしなかったが、前足だけ出してやると、もう逃げよう逃げようとして首をねじ向けるのであった。小さな子供らはこの子猫を飼っておきたいと望んでいたが、私はいいかげんにして逃がしてやるようにした。わが家に猫を飼うという事はどうしても有りうべからざる事のようにしかその時は思われなかった。 それから二三日たって妻はまた三毛のほうをつかまえて来た。ところがこのほうは前のきじ毛に比べると恐ろしく勇敢できかぬ気の子猫であった。前だれにくるまりながらはげしく抵抗し、ちょっとでも足を出せばすぐ引っかきかみつこうとするのである。庭で遊んでいる時でもこっちがきじ毛よりずっと敏捷で活発だという事であった。猫の子でもやっぱり兄弟の間でいろんな個性の相違があるものかと、私には珍しくおもしろく感ぜられた。猫などは十匹が十匹毛色はちがっても性質の相違などはないもののようにぼんやり思っていたのである。動物の中での猫の地位が少し上がって来たような気がした。 子供のみならず、今度は妻までも口を出してこの三毛を慣らして飼う事を希望したが、私はやっぱりそういう気にはなれなかった。しかしこのきかぬ気の勇敢な子猫に対して何かしら今までついぞ覚えなかった軽い親しみあるいは愛着のような心持ちを感じた。猫というものがきわめてわずかであるが人格化されて私の心に映り始めたようである。 それ以来この猫の母子はいっそう人の影を恐れるようになった。それに比例して子供らの興味も増して行った。夕食のあとなどには庭のあちらこちらに伏兵のようにかくれていて、うっかり出て来る子猫を追い回してつかまえようとしていたが、もうおとなにでもつかまりそうでなかった。あまりに募る迫害に恐れたのか、それともまた子猫がもう一人前になったのか、縁の下の産所も永久に見捨ててどこかへ移って行った。それでも時々隣の離れの庇の上に母子の姿を見かける事はあった。子猫は見るたびごとに大きくなっているようであった。そしてもう立派なひとかどのどろぼう猫らしい用心深さと敏捷さを示していた。 ねずみのいたずらはその間にも続いていた。とうとう二階の押し入れの襖を食い破って、来客用に備えてあるいちばんいい夜具に大きな穴をあけているのを発見したりした。もう子ねずみさえもかからなくなってしまった捕鼠器は、ふたの落ちたまま台所の戸棚の上にほうり上げられて、鈎につるした薩摩揚げは干からびたせんべいのようにそりかえっていた。
三
六月中旬の事であった。ある日仕事をしていると子供が呼びに来た。猫をもらって来たから見に来いというのである。行って見るともうかなり生長した三毛猫である。おおぜいが車座になってこの新しい同棲者の一挙一動を好奇心に満たされて環視しているのであった。猫に関する常識のない私にはすべてただ珍しい事ばかりであった。妻が抱き上げて顋の下や耳のまわりをかいてやると、胸のあたりで物の沸騰するような音を立てた。猫が咽喉を鳴らすとか、ゴロゴロいうとかいう事は書物や人の話ではいくらでも知っていたが、実験するのは四十幾歳の今が始めてである。これが喜びを表わす兆候であるという事は始めての私にはすぐにはどうもふに落ちなかった。「この猫は肺でもわるいんじゃないか」と言ったらひどく笑われてしまった。実際今でも私にははたして咽喉が鳴っているのか肺の中が鳴っているのかわからないのである。音に伴う一種の振動は胸腔全部に波及している事がさわってみると明らかに感ぜられる。腹腔のほうではもうずっと弱く消されていた。これは振動が固い肋骨に伝わってそれが外側まで感ずるのではないかと思うのである。それにしてもこの音の発するメカニズムや、このような発音の生理的の意義やについて知りたいと思う事がいろいろ考えられる。中学校で動物学を教わったけれども、鳥や虫の声については雑誌や書物で読んだけれども、猫のゴロゴロについてはまだ知る機会がついなかったのである。これは何も現代の教育の欠陥ではなくて自分の非常識によるのであろう。デモクラシーを神経衰弱の薬、レニンを毒薬の名と思っていた小学校の先生があったそうであるが、自分のはそれよりいっそうひどいかもしれない。しかしレニンやデモクラシーや猫のゴロゴロのほんとうにわかっている人も存外に少ないのではあるまいか。ともかくもこのゴロゴロは人間などが食欲の満足に対する予想から発する一種の咽喉の雑音などとは本質的にも違ったものらしく思われる。 この音は私にいろいろな音を連想させる。海の中にもぐった時に聞こえる波打ちぎわの砂利の相摩する音や、火山の火口の奥から聞こえて来る釜のたぎるような音なども思い出す。もしや獅子や虎でも同じような音を立てるものだったら、この音はいっそう不思議なものでありそうである。それが聞いてみたいような気もする。 畳の上におろしてやると、もうすぐそこにある紙切れなどにじゃれるのであった。その挙動はいかにも軽快でそして優雅に見えた。人間の子供などはとても、自分のからだをこれだけ典雅に取り扱われようと思われない。英国あたりの貴族はどうだか知らないが。 それでいて一挙一動がいかにも子供子供しているのである。人間の子供の子供らしさと、どことは明らかに名状し難いところに著しい類似がある。 のら猫の子に比べてなんという著しい対照だろう。彼は生まれ落ちると同時に人類を敵として見なければならない運命を授けられるのに、これははじめから人間の好意に絶対の信頼をおいている。見ず知らずの家にもらわれて来て、そしてもうそこをわが家として少しも疑わず恐れてもいない。どんなにひどく扱われても、それはすべてよい意味にしか受け取られないように見えるのである。 それはそうと、私はうちで猫を飼うという事に承認を与えた覚えはなかったようである。子猫をもらうという事について相談はしばしば受けたようであるが積極的に同意はまだしなかったはずであった。しかし今眼前にこの美しいそして子供子供した小動物を置いて見ているうちにそんな問題は自然に消えてしまった。 子猫がほしいという家族の大多数の希望が女中の口から出入りの八百屋に伝えられる間にそれが積極的な要求に変わってしまったらしい。突然八百屋が飼い主の家の女中といっしょに連れて来たそうである。台所へ来たのを奥の間へ連れて行くとすぐまた台所へかけて行って、連れて来た人のあとを追うので、しばらく紐でつないでおこうかと言っていたが、連れて来た人がそれはかわいそうだからどうか縛らないでくれというのでよしたそうである。夜はふところへ入れて寝かしてやってくれという事も頼んで行ったそうである。私が見に来た時はもうかなり時間がたってよほど慣れて来たところであったらしい。 もとの飼い主の家ではよほどだいじにして育てられたものらしい。食物などもなかなかめったなものは食わなかった。牛乳か魚肉、それもいい所だけで堅い頭の骨などは食おうともしなかった。恐ろしいぜいたくな猫だというものもあれば、上品だといってほめるものもあった。膳の上のものをねらうような事も決してしないのである。 子供らの猫に対する愛着は日増しに強くなるようであった。学校から帰って来ると肩からカバンをおろす前に「猫は」「三毛は」と聞くのであった。私はなんとなしにさびしい子供らの生活に一脈の新しい情味が通い始めたように思った。幼い二人の姉妹の間にはしばしば猫の争奪が起こった。「少しわたしに抱かせてもいいじゃないの」とか「ちっともわたしに抱かせないんだもの」とか言い争っているのが時々離れた私の室まで聞こえて来た。おしまいにはどちらかが泣きだすのである。私は子供らがこのためにあまりに感傷的になるのを恐れないわけには行かなかった。 猫もかわいそうであった。楽寝のできるのは子供らの学校へ行っている間だけである。まもなく休暇になるともう少しの暇もなくなった。大きい子らは小さい子らが三毛をおもちゃにしているのを見ると、かわいそうだから放してやれなどと言っていながら、すぐもう自分でからかっているのである。逃げて縁の下へでも隠れたらいいだろうと思うが、どこまでも従順に、いやいやながら無抵抗に自由にされているのがどうも少し残酷なように思われだした。実際だんだんにやせて来た時とは見違えるように細長くなるようであった。歩くにもなんだかひょろひょろするようだし、すわっている時でもからだがゆらゆらしていた。そして人間がするように居眠りをするのであった。猫が居眠りをするという事実が私には珍しかった。大きな発見でもしたような気がして人に話すと知っている人はみんな笑ったし、たまに知らない人があってもだれもこの事実をおもしろがらないようであった。しかし私は猫のこの挙動に映じた人間の姿態を熟視していると滑稽やら悲哀やらの混合した妙な心持ちになるのである。 このぶんでは今に子猫は死んでしまいそうな気がした。時々食ったものをもどして敷き物をよごすような事さえあった。夜はもう疲れ切ってたわいもなく深い眠りにおちて、物音に目をさますようには見えなかった。それでも不思議な事にはねずみの跳梁はいつのまにかやんでいた。まれに台所で皿鉢のかち合う音が聞こえても三毛は何も知らずに寝ていた。おそらくまだねずみというものを見た事のない彼女の本能はまだ眠っているのだろうと思われた。 あんまりいじめると、もうどこかへやってしまうとか、もとの家へ返してしまうとかいうおどかしの言葉が子供らの前で繰り返されていた。とうとう飼い主の家に相談して一両日静養させてやる事にした。 猫がいなくなるとうちじゅうが急にさびしくなるような気がした。おりから降りつづいた雨に庭へ出る事もできない子供らはいつになくひっそりしていた。 いつもは夜子供らが寝しずまった後に、どうかすると足音もしないで書斉にやって来て机の下からそっと私の足にじゃれるのを、抱き上げてひざにのせてやると、すぐに例のゴロゴロいう音を出すのであったが、その夜はもとよりいないのだから来るはずはなかった。仕事がすんでゆっくり煙草をすいながら、静かな雨の音を聞いているうちに妙な想像が浮かんで来た。三毛がほんとうにどこかへ捨てられて、この雨の中をぬれそぼけてさまよい歩いている姿が心に描かれた。飢えと寒さにふるえながらどこかのごみ箱のまわりでもうろうろしている。そして知らない人の家の雨戸をもれる燈光を恋しがって哀れな声を出して鳴いていそうな気がした。 翌日の夕方迎えにやって連れて来たのを見るとたった二日の間に見違えるようにふとっていた。とがった顔がふっくりして目が急に細くなったように見えた。目のまわりにあったヒステリックなしわは消えておっとりした表情に変わっていた。どういう良い待遇を受けて来たのだろうというのが問題になった。親の乳でも飲んだためだろうという説もあった。 夏も盛りになって、夕方になると皆が庭へ出た。三毛もきっとついて来た。かつてのら猫の遊び場所であったつつじの根もとの少しくぼんだ所は、何かしらやはりどの猫にも気に入ると見えて、ボールを追っかけたりして駆け回る途中で、きまったようにそこへ駆け込んだ。そして餌をねらう猛獣のような姿勢をして抜き足で出て来て、いよいよ飛びかかる前には腰を左右に振り立てるのである。どうかすると熊笹の中に隠れて長い間じっとしていると思うと、急に鯉のはね上がるように高くとび出して、そしてキョトンとしてとぼけた顔をしている事もある。どうかすると四つ足を両方に開いて腹をぴったり芝生につけて、ちょうどももんがあの翔っているような格好をしている事もあった。たぶん腹でも冷やしているのではないかと思われた。 芝を刈っているといつのまにか忍んで来て不意に鋏のさきに飛びかかるのが危険でしようがなかった。注意しながら刈っていると、時々、猫がねらっている事を警告する子供の叫び声が聞かれた。この芝刈り鋏に対する猫の好奇心のようなものはずっと後までも持続した。もう紐切れやボールなどにはじゃれなくなった後でも、鋏を持って庭におりて行く私の姿を見るとすぐについて来るのであった。どうかすると、しゃがんでいる腰の下からそっとはいって来て私の両ひざの間に顔を出したりした。そしてちょっと鋏に触れるとそれで満足したようにのそのそ向こうへ行って植え込みの八つ手の下で蝶をねらったり、蝦蟇をからかったりしていた。 蝦蟇ではいちばん始めに失敗したようである。たぶん食いつこうとしてどうかされたものと見えて口から白いよだれのようなものをだらだらたらしながら両方の前足で自分の口をもぎ取りでもするような事をして苦しんでいた。蛙が煙草をなめた時の挙動とよく似た事をやっていた。それ以来はもう口をつけないでただ前足で蛙の頭をそっと押えつけてみたり、横腹をそっと押してみたりしては首をかしげて見ているだけであった。愚直な蝦蟇は触れられるたびにしゃちこ張ってふくれていた。土色の醜いからだが憤懣の団塊であるように思われた。絶対に自分の優越を信じているような子猫は、時々わき見などしながらちょいちょい手を出してからかってみるのである。 困った事にはいつのまにか蜥蜴を捕って食う癖がついた。始めのうちは、捕えたのは必ず畳の上に持って来て、食う前に玩弄するのである。時々大きなやつのしっぽだけを持って来た。主体を分離した尾部は独立の生命を持つもののように振動するのである。私は見つけ次第に猫を引っ捕えて無理に口からもぎ取って、再び猫に見つからないように始末をした。せっかくの獲物を取られた猫はしばらくは畳の上をかいで歩いていた。蜥蜴をとって食うのがどうしていけないのか猫にわかろうはずがなかった。私自身にもなぜいけないかは説明する事ができないのである。それで後にはわざわざ畳に持ち上がるのは断念して、捕えた現場ですぐに食う事を発明したようである。時々舌なめずりをしながら縁側へ上がって来る猫を見るとなんだか気持ちが悪くなった。われらの食膳の一部を食っている、わが家族の一員であるはずのこの猫が、蜥蜴などを食うのは他の家族の食膳全体を冒涜するような気がするというのかもしれない。それほどにまでこの四足獣はわれわれの頭の中で人格化しているのだと思われる。 私は夜ふけてひとり仕事でもやっている時に、長い縁側を歩いて来る軽い足音を聞く。そして椅子の下へはいって来てそっと私の足をなでたりすると、思わず「どうした」とか「なんだい」とかいう言葉が口から出る。それは決してひとり言ではなくて、立派に私の言う事を理解しうる二人称の相手にそういう心持ちで言うのである。相手はなんとも答えないで抱き上げてやればすぐにあの音を立てはじめるのである。子供のないさびしい人や自分の思うままになる愛撫の対象を人間界に見失った老人などがひたすらに猫をかわいがり、いわゆる猫かわいがりにかわいがる心持ちがだんだんにわかって来るような気がした。ある西洋人がからすを飼って耕作の伴侶にしていた気持ちも少しわかって来た。孤独なイーゴイストにとってはこんな動物のほうがなまじいな人間よりもどのくらいたのもしい生活の友であるかもしれないのだろう。 不思議な事にはあれほど猫ぎらいであった母が、時々ひざにはい上がる子猫を追いのけもしないのみならず、隠居部屋の障子を破られたりしてもあまり苦にならないようであった。
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