ランキャスタシャアのPOLOの名手として知られているナックス・タウンセンド大佐は、女を擽るために赤毛の口髭を短く刈り込んで、RをUのように発音していた。彼はまたブラッセル産切子細工の硝子の指輪を三鞭グラスのなかへ落してそれが表面に浮いてるように見せる不思議な妖術をも心得ていた。アンドレ・デニュウ氏は恩給で衣食しているセイヌ上流地方の退職戸籍吏のように見えたけれど、じつは彼は巴里の百貨店プランタンの大株主なのである。ナプキンを顎の下へ押し込んでナイフで給仕人を指揮する癖があった。夫人は仔馬のように若く、ヴィテルボの陶器のようにこわれやすく、そして二人はいつも、たった今階上の自分達の部屋の性的天国からこの下界へ下りて来たばかりのところであると告白しているように見える夫婦だった。このほかそこには、モンテ・カアロの誘因の一の鳩射撃の世紀的大家、歯と襯衣の白い小亜細亜生れのヴィクトル・アリ氏があった。このモンテ・カアロの高級スポウツ鳩撃ちに関しては、産業革命以前から英吉利を中心に異論をなすものが多い。その反対説の大要は、鳩は平和と穏順の半神的象徴であるのに、それを冷たい血において射殺するのは狂気に近いというのである。それに対してヴィクトル・アリ氏は先々月浩翰な反駁文をアムステルダム発行の鉄砲雑誌「火器」に寄せた。そのなかで氏は、灰色兎・栗鼠・蜂鳥.馴鹿・かんがるう・野犬などを虐殺するイギリス人の狩猟趣味を指摘し、これらの灰色兎・栗鼠・蜂鳥・馴鹿・かんがるう・野犬のすべてがいかに平和と穏順の半神的象徴であるかを一々古今の詩篇・散文・学説からの文句を引いて例証した。そして彼は、動物に対する感情の相違は畢竟民族の問題であると喝破した。つまり芬蘭土人は見ただけで嘔吐するかも知れない豚の胎児を、西班牙人は原形のまま丸蒸しにして賞美するのである。それと同じように、一羽の鳩にしても、いぎりすの眼には資本帝国主義のあらゆる美名家として映るだろうし、ホッテントットにとっては単に焙り肉の晩餐を聯想させるに過ぎないかも知れないのだ。そしてわれわれモンテ・カアロの定連には、射撃の的以外の鳩というものの存在を想像することは出来ない。こういう論旨だった。この論文には予期以上の反響があって、ことに英吉利人が灰色兎・栗鼠・蜂鳥・馴鹿・かんがるう・野犬を襲撃するくだりには、それらの生物に対する氏の同情が切々と溢れ出ていて、ジェネヴァに本部のある万国動物愛護会が特にこの一節の抜粋を番外週報として一般に配布したくらいである。ヴィクトル・アリ氏は来月中旬の鳩撃ち選手権大会に出場のため滞在しているのだった。 ジャルデノ・バルベニ氏夫妻――羅馬ボルゲエス家の姻戚に当る伊太利貴族。夫妻とも、すべての伊太利人と同じに耳のうしろに垢を溜めて、それを落さないように朝夕深甚の苦心を払っていた。バルベニ氏はずぼんのポケットに洋銀の靴箆を入れているのが動くたびにはっきり見えた。夫人は赤皮の飛行帽をかぶって素膚の脚へおれんじ色の紛おしろいを叩くことによって靴下以上の効果を出していた。 オルツィ男爵夫人――山腹の Villa Bijou で毎土曜日ダンスを催す。誰でも知ってるとおり、平穏に年をとって来た英吉利の探偵作家だ。今なら Villa Bijou, Monte Carlo というアドレスだけでファンの郵便が届くだろう。 パデレウスキイ氏――白い長髪にちょこんと帽子を載せて裾の長い外套を着ている人。ホテルの食堂の音楽家を恥かしがらせないように注意していつも発見しにくい隅の卓子へつく。 それから朝飯の盆に載って部屋へくる新聞を見ると、片眼鏡の外相オウステン・チャンバレンの夫人もこの Hotel de Paris に泊っているとあるけれど、どれがその人かちょっと私には判らないのである。が、丁抹の王様だけはホテルの社交室で一眼で認めることが出来た。王様の身長は六呎五吋である。私達はコペンハアゲンでよくこの巨人王のことを聞かされたものだが、それがいま私たちのいるホテルで外ながらお眼にかかれたわけだ。王様と女王さまは毎年キャンヌへおいでになる。そしてそこを根拠にジュアン・レ・パン、アンティブ、ニイス、モンテ・キャアロ、マントン、サン・レモと incognito でお歩きになるのである。 こうしてオテル・ドュ・パリは全欧羅巴の上流と礼服と談笑と香気と宮廷風の大装飾とによってLIDOの電気看板の飛行をはじめたようにモンテの官能を刺戟していた。 私たちも礼服へ jump in して。私達も談笑の急流を渉った。香気のために私は毎朝オウ・ド・コロンを飲んで、頭髪にはゴミナ・アルジェンテンの固化油を使用した。妻は英吉利直輸入の婦人煙草「仕合せな夢」を喫かしつづけた。そして爪を三角に切って貝細工の光沢を模倣するのに午前いっぱいかかった。
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私達はマルセイユ発ヴァンテミイユ行きのP・L・M列車をアンティブで見捨てたのだった。 そのとき一七八八年以来の記録にない氷の風が北極から露西亜と波蘭土の野原を吹き抜けて欧羅巴の主要部分の都会の記念塔とアパルトマンの窓枠とを痛そうに揺すぶっていた。 KEWの役人が両手を空中に抛り上げて宣言した。ファロ列島の東部に精力を持つ高気圧がある。この北極風が労農共和国の氷原を撫でて来るために現在の寒さであると。つまり、すべての社会的妨害がそうであるように、この天候の場合も原困は狂的露西亜の世界呪文の有難くない反応であると彼らは言いたいのだ。 が、それとは関係なしに、ルウマニアでは汽車が雪の下に寝ころんで、旅客は工兵隊が風俗博物館から応急に借用して来て雪中に立てた亜刺比亜煙管を通して外部の家族と会話していた。 ウィインでは大型輸送自動車の陸軍飯場が街上に出張して、通行人と好奇な外国人の旅行者に羊の脂肪肉と麺麭屑と上官の命令とを煮込んだ熱湯汁を無料分配していた。百貨店帰りの若い売子女の飲んだあとからは、兵卒達が口紅を舐め取るために先を争った。ダニウブが六呎の厚さに氷結して子供たちはみんなスケイトに行ったのでブカレストの学校は自然に閉鎖された。 独逸では、スプリイ河と魚類の意識が凍って、浮浪人はその無機物化した魚を発掘して来ては湯桶に放して蘇生させて売っていた。伯林ではすべての市街自動車のエンジンを一晩じゅう動かしておくことによって夜中に発動機油の氷結するのを防がなければならなかった。 マンチェスタアではフィルズ製鉄会社の地下室蒸気釜が、氷ってたところへ急に加熱したので破裂して三人の職工が釜と一しょに即死した。 ランダイでは仏蘭西軍の歩哨が寒気のために衣裳人形のようになって凍死した。ルツェルンの湖では汽船の羅針盤が氷って岩壁に熱烈な接吻をした。巴里では二つの橋の鉄材が収縮して交通遮断になった。ヴェニスでは運河と礁湖がすっかり硝子張りになって、市民は一時ゴンドラから解放された――。 これらの土地を寒気災害視察員のように巡回して来た私たちに、RIVIERAの太陽と植物系統は何と浮気に見えたことよ! 汽車を出ると地中海が空色の歓声を上げた。誕生日菓子のように立体的な緑の山がそれに答えていた。停車場と機関庫の間に一線の海が光っていた。そこに快走艇の赤い三角帆がコルシカからの微風を享楽していた。ヴェランダを広く取って、いぶし銅の訪問板にまでミモザの花の届いてる原色塗りの玩具の山荘が、それぞれの地形から人の注意を惹こうとしていた。近づいてみると、その一つ一つが固有名詞を秘蔵していた。La Bohme というのがあった。“MA CHRIE”というのもあった。英語では“The Wood-nymph”などというのが見られた。ミモザはどこにでもあった。空気はその黄金色の吐息のためにグラスの香水工場のように湿っぽく、かつ酒精的だった。海岸の散歩街では巨人の椰子があふりかのほうへ背伸びをしながら行列していた。化粧クリイムの浪へ樺色に焼けた海水着の女達が走り込んだり逃げかえったりしていた。砂には日光と恋と子供の遊びと籠椅子とがあった。人々はみんな大金を費って遊びに来ている者に特有な、小さな事件を好む悪戯らしい眼つきで素早くお互いに見交していた。私たちは自動車道路に沿うオテル・アングレテエルの自動車庫へ行って支配人に会いたいと言った。 ここは新型の自動車に自動車学校の教授格の運転手をひとり附けて、一週間でも一月でも自用車として貸切りにするところなのである。はじめに保証の金を置けばリヴィラのなかならどこへ乗って行ってもいいことになっていた。自動車の食費――油代――とそれから運転手の食糧、車の手入れや運転手の宿泊料、チップ、グラアジ費その他は一切こっち持ちで、ほかに巴里十六区のアパルトマン代ほどに高い借賃を払わなければならないのだ。しかし、そこの自動車には、どう見ても富豪の自家用としか思えないすべての装飾と設備が行き届いていた。支配人が私たちを案内した陳列場には、まるでエトワルヘ向って右側のシャンゼリゼの窓のように、高慢な感情の機械動物がすっかりお化粧を済まして思い思いの媚態を凝らしていた。それはちょうど貴族の女たちによって育てられて来た犬の展覧会と言った、高価な女性的な感じだった。その、みどり色の垂幕を背景にあちこちに近代的光輝を放っている新鋭の自動車のあいだを、私達は全員堵列礼に臨む東洋艦隊の艦長夫妻のように見て廻った。 アルプス国境防備兵のようにしっかりした足許と精悍な長身とを持つ伊太利製のランチャ。 麒麟のように清楚なエスパノ・スイザ。 撫でながら走らせることを必要とする誇りの高いワザン。 それから何もかも承知している第一人者の鷹揚な微笑を忘れないロウルス・ロイス。 私達は彼女の好みで鼻の尖ったランチャを選んだ。三週間の契約だった。それはスポウツ・カアのように背の低い、真っ黄いろに装った稀代の伊達者だった。黒と黄の配合はこの週間の流行だと言って、彼女は黒の制服をつけた真面目顔の運転手を悦んだ。私が名を訊いたら彼は「第十九番」とだけ答えた。こうして19が彼の呼称になったのだ。そしてこの黄瑪瑙の巻煙草パイプのように粋なランチャが、これから三週間私たちの自用車としてモンテ・カアロ公園の小径に park されるであろうし、19は三週間のあいだ私達が「ほんとに彼男だけは私たちが掘り出した宝石です」と言い得る、身綺麗で小気の利いた“My Good Man”となることであろう。 『僕らはこの車で、君に運転させて真直ぐ巴里からドライヴして来た気でこれからモンテ・キャアロへ乗り込むんだから、君も万事そのつもりで。』 私が言った。妻がつけ足した。 『そうしてムシュウ19はあたし達んところに三年――いいえ、足掛四年働いている忠実な忠実な運転手さんなの。この頃の召使いは腰が浮いてて困るんですけれど、あなただけは別なんですって。』 『そうだ。是非そういう風に考えていてもらいたいな。』 私が激励した。すると19はにこりともせずに答えるのだった。 『はい。皆さまがそう仰言いますので、すっかり承知しております。』 で、いきなり地面がうしろへ滑り出した。 ランチャの後部席には巴里一流の鞄店で買い集めて来た私たちのスウツケイスが晴天の朝のカプリ島のようにかがやいていた。そのなかでも Claridge の館表だけを一枚貼った深紅の女持ち帽子箱と、二人のゴルフ棒を差した縞ズックの袋とが人眼を引いてるようだった。が、私達の誇りはそれだけではなかった。妻はわざと帽子をとって、水玉模様のスカアフと一しょに短い断髪が風に流れるのに任せた。私は彼女の足を蜥蜴皮の靴と一しょに自動車用毛布で包んでから、私の自動車用革外套の襟を立てて、自動車用鳥打帽子の鍔を下げて、自動車用ブライアにダンヒルの自動車用点火器で火をつけた。そしてうしろへ倚りかかった。外套の下に私は緑灰色のゴルフ服を着ていた、ゴルフ靴下の房も言うまでもなく緑灰色だった。彼女は厳選したアンサンブルのうえから大きな巻毛の自動車用コウトで埋めつくされていた。そして一分おきに自動車用手提から自動車用鏡を出して薄飴いろのKEVAの口紅をアプライしていた。19の黒い制服には金釦が重要性をつけていた。すべてが巴里からドライヴして来た人に相応しい「長い途に狐色になった荒さ」だった。私は彼女の肩に手を廻して、19がますます速力を踏んで一時間七十七哩するのを微笑によって黙許しておいた。 私達は高コルニッシュ街道の行手にモンテ・カアロが出現するのを待っていた。 Monte Carlo ! モンテ・カアロだけは別だ! これは地球に打ちこまれた蛇眼石の釘みたいなものなのである。女悪魔のコンパクトに幽閉されていて、開けるとすっと吹いてくる冷たい微風のような場処である。 このモンテ・カアロは太陽の下のどこよりも盛大な国際的自由意思を唯一の価値として実行しているのだ。その驚くべき原動力は、鉄片のかわりに黄金を引きよせる特殊装置の磁石にある。そこでは近代的に洗練された物質が――そして物質だけが――公認の王位に就いて二大陸の名士連を踊らせているのだ。どうしてここへ「自動車一台持って歩かない普通の旅客」として汽車で着くことが出来よう! 停車場から来た人はホテルでも直ぐに二流の客と踏んでしまうに違いないのだ。それはこの愉快に軽跳な物質慾の環境への驚くべき冒涜でさえもあり得るのだから、しごく無理もないことだと私は自分に言いきかせた。そこでこうして自家用自動車を自家用運転手に運転させて巴里からすっ飛ばして来たもののごとく見せかけてホテルの玄関へ乗りつける必要があったのだ。そしてそのためには、例え空っぽでも衣裳鞄の一つや二つは余計に持ち、ゴルフ道具と乗馬服だけはゴルフと乗馬に何らの関係なく、忘れることを許されないのである。これではじめてホテルも真剣に相手にしてくれるだろうし、私たちも「上品な自信」をもって周囲の華麗さに接することが出来るだろうし、誰とでもほほえみ交して最近のHITである芝居の評判を話題に上せられるだろうし、そうしてモンテ・カアロの中心に潜り込んでその柱石たちと混合し、彼らのあいだに流行するカクテルの秘密をさえも知り、彼等の愛好する冗句に哄笑し、かれらの doings をDOすることが可能であろう。つまりこれから欧羅巴最前線の「速い一団」に私達も参加しようとしているのだ。Tra-la-la ! ホテルへはマルセイユから電報してある。 “Coming this evening. Mr. and Mrs. Tany.” 私は満足の眼でもう一度身辺を検査した。 この、私達とモンテ・カアロとを最も効果的に結びつけるために、私たちはその目的で取っておいた別経済の三分の一を今度の服装と持物と所謂「おもて見」の全部へ新しく投資したのである。そしてこの瞬間の発明になるダンスのステップは、出て来る前にことごとくマスタアしたはずだ。しかも、私達のような人のためにひそかに存在しているあのアンティブの車庫を利用して、競馬馬のようにスマアトなこのランチャと、裁判官のように厳粛な「19」とを手に入れることに成功したではないか、何がほかに私達の Make-up に欠除しているというのだ? 『あ! どっかから犬を借りてくりゃ宜かった!』 私が叫んだ。彼女は非常に悲しそうな顔をした。 『犬? そうね。ペキニイスか何か――でも、もう遅いわ。駄目よ。いまになってそんなこと言っちゃあ――。』 私は、私たちの完全さに汚点をつけないために、犬のことはこれきり考えないことに決めた。そしてそう彼女に約束した。 コンダミンの小湾が私達を呑もうとして断崖の下に待ち構えていた。 ランチャは、それがランチャであるところの、すこしも速力をゆるめることなしにその難所を突破してコンダミンの湾を失望させた。 私たちのホテル入りは so far 美々しい成功だった。最初の美少年は彼女の帽子箱を、第二の美少年が彼女の化粧鞄を、第三の美少年は彼女のステッキを、第四の美少年は第一のスウツ・ケエスを、第五の美少年が第二のスウツ・ケエスを、第六の美少年は――とにかく第十一の美少年が私の眼鏡のサックを捧げて続くまで、じつに十一人のボウイが私達の背後に行列した。そのあいだ忠実な19は車扉のそばに直立して帽子を脱っていた。 大理石の階段のうえには支配人フリュウリ氏が出迎えていた。彼は手を揉み首を曲げて習慣的に笑った。が、彼の頭脳は私たちの「状態」と所属級を把握し、一刻も早く待遇の等別を確立しようと忙がしく働いていた。私は彼にファシスト風の真直ぐに腕を上げる挨拶をして、まず私たちがいかに方々を旅行して来た場慣れ者であるかを示した。それに対して彼は帝政時代の仏蘭西外交官のように片手を胸に当てておじぎをする礼を返した。それは古風に優雅なものだった。そして彼は私たちのために特に部屋の用意が出来ていると言った。But then, この M.Fleury は巴里リッツ・ホテルの支配人レイ氏、オテル・ロワヤル・オスマンのメラ氏、エドワアド七世ホテルのプラロン氏、オテル・ジョルジェのタレイル氏とともに大陸ホテル経営の五人男であることを私は以前から知っていた。