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踊る地平線(おどるちへいせん)06ノウトルダムの妖怪

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-27 6:51:53 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


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 巴里パリー
 ちら大腿ふとももを見せて片眼をつぶっている巴里!

Ah, qu'il est beau, mon village,
Mon Paris, mon Paris !

 しぶ皮のげた巴里パリーの女がこう唄う。人を呼ぶ「巴里の声」だ。
 これにばかされて、一つ出かけて行って巴里と世間話でもしてくるかな――ロメオ&ジュリエット――というわけで、世界中の「幻影を追う人々のむれ」が入りかわり立ち代り巴里をさして殺到してくる。
 EH・BIEN!
 四六時中談笑している淫教のメッカ。
 限りない狂想と快楽けらくの猟場。
 夜とともに眼ざめる万灯の巷。
 眠らずに夢みる近代高速度の妄夢。
 ドルポンドと円と馬哥まるくと常識と徳律を棄てるための美しい古沼。
 曰く。あらゆる不可能を現実化して見せる地上の蜃気楼。
 曰く。すでに天へ届いている現代バベルの架空塔。
 また曰く。世紀長夜の宴を一手に引き受けて疲れない公休市ハリデイ・タウン
 詩情と俗曲と秋波と踊りと酒と並木と女の足との統一ある大急湍だいきゅうたん――OH! PARIS!
 土耳古トルコ人にもせるびや人にも諾威ノウルエー人にも波蘭ポーランド人にも、ぶらじりあんにもタヒチ人にも、そして日本人にも第二の故郷である異国者の自由港。
 誰でもの巴里パリー
 だから「私の巴里」――もん・ぱり!
 みんなが自分のものとして独占し、したがって何人なんぴとにも属していない地球人コスモポリタンの交易場。
 やっぱり「私の巴里」――もん・ぱり!
 英吉利イギリス人には Paris, England であり、あめりか人にとっては、Paris, U.S.A. であり、ふらんす人は未だに Paris, France の気でいるが、ほんとはうの昔に Paris, Bohemia になってる「私の巴里」――もん・ぱり!
 何という悪戯的な蟲惑こわくと手練手管の小妖婦が、この万人の権利クレイムする「私の巴里モン・パリ」であろう!
 流行型の胴のしなやかな若い女が、流行型の大きな帽子箱を抱えて、流行型の自動車へ乗るべく今や片足かけている細い線描の漫画――これが「巴里」だ。なぜなら、彼女の長い睫毛まつげと濃い口紅は必ず招待的にほほえんでいるだろうし、すんなりと上げた脚は、失礼な機会チアンスの風にあおられた洋袴スカアト――多くの場合それは単にスカアトの名残りに過ぎないが――の下から、きまって靴下の頭と大腿の一部を覗かせているだろうし、そして花輪のようなその靴下留めには、例外なく荷札みたいな一片の紙が附いてるだろうから――「あなたへプウ・ヴウ!」と優にやさしく書かれて。
 影と光りとエッフェルと大散歩街とマロニエの落葉と男女の冒険者とヴェルレイヌの雨とを載せて、ふるく新しい小意気な悪魔「巴里パリー」は、セエヌを軸に絶えず廻っている――ちょうどモンマルトルの赤い風車ムラン・ルウジのように。
 それと一しょに人の感覚もまわる――酔った中枢神経をなかに。
 みんながみんな「自分の巴里」を持ってるからだ。
 笑っている巴里。
 唄っている巴里。
 ちら太股ふとももを見せて片眼をつぶっている巴里。
 EH・BIEN!
 MON・PARIS!
 ――ところで、いつまでもひとりで騒いでいたんじゃあ話が進まないから、いい加減ここらで切り上げて本筋へかかろう。
 さて、これが私――ジョウジ・タニイが、幸か不幸か一時ノウトルダムの妖怪になった一JOの物語である。
 なんかとこうひとつどかんとおどかしておいて、その君があっと驚いてる隙に乗じてこの事実奇談これだけはほんとを運んで行こうというはらなんだが、ここに困ったことが出来たというのは、どうも「巴里パリー――日本」とこう万里を隔てているんじゃあ何かにつけて不便で仕様がない。で、いろいろと手離せない御用もおありだろうけれど、そこは私に免じて、一つ思い切って君にも巴里へ来てもらうことにする。
 いやだなんて言ったってもう駄目だ。はなしは早い。君の汽車はいま巴里へ滑り込もうとしている――。
 僕が停車場まで迎えに出る。
 出来ることなら初夏、もしくは秋の夕ぐれがいい。長い黒煙の旅を終えて北から南から西から東から巴里へ入市したまえ。
 ははあ! 君にとってそれは「しばらく空けていたふるさと」へ帰るこころもちだ。この、ともしびのつき初めた巴里の雑沓へ、北停車場ガル・ドュ・クウなりサンラザアルなりから吐き出される瞬間の処女のような君のときめき、それほど溌剌はつらつたる愉悦はほかにあり得まい。いつ来ても同じ巴里パリーが君の眼前に色濃く展開している。だから、かばんを提げて一歩改札口を踏み出るが早いか、灯火とタキシと女の眼とキャフェの椅子と、巴里的なすべてのものがうわあっと喚声を上げて完全に君を掴んでしまう。同時に君は、忻然きんぜんとして君じしんの意思・主観・個性の全部をポケットの奥ふかくしまいこむだろう。こうして君は巴里の洗礼を受ける。するともう君は巴里人パリジャンという一個の新奇な生物に自然化しているのだ。君ばかりじゃない、土耳古トルコ人もせるびや人も諾威ノウルエー人も波蘭ポーランド人もブラジリアンもタヒチ人も亜米利加アメリカ人も――。
 笑っている巴里。
 唄っている巴里。
 ちら洋袴スカアトをまくって片眼をつぶっている巴里。
 君! 君ならどうする?
 まずホテルへ。BON!
 そら、タキシだ。手を上げる。
『キャトルヴァンデズヌウフ・アヴェヌウ・ドュ・シャンゼリゼエ――セッサ!』
 君の口から生意気な一本調子が自然にすべり出る。ははあ! 君はまだ飲まない葡萄酒ぶどうしゅに酔っているのだ!
 ホテルへ荷を下ろす。が、夜とともにいま生き出したばかりの巴里パリーが、君を包囲して光ってる、笑っている、唄ってる――ちょいと太股を見せている。
 さ、第一に、君はどうする?
 グラン・ブウルヴァルへ出かけて歩道の張出しタレスで ap※(アキュートアクセント付きE小文字)ritif でもすするか。BON!
 ジョウジのように洋襟カラアをはずし、一ばんきたない服を着て聖ミシェルか Les Halles あたりの酒場バーから酒場を一晩うろついてみるか。これもBON!
 それともいささかの悪心をもって路上に「鶴」――辻君つじぎみのこと。たぶん立って待ってる姿が似てるからだろう――でもからかうか。または例の「女の見世物」でもあさって歩くか。同じくBON!
 と、そう何でもかんでも善哉ボンじゃあ案内役の僕が困るが、いま「女の見世物」ってのが出て来たようだが、じつは、話はこの「女の見世物」と大いに関係があるんで――と言っても、僕がそんなところを君を引きまわすわけじゃないから安心したまえ。それどころか、僕は僕で、ゆうべサミシェルのLA・TOTOでアンリ親分から言いつかった大事な用があるんだ。
 とにかく、おもてへ出よう。
 巴里パリーの夜は人の眼を wild にする。君ばかりじゃない。土耳古トルコ人もセルビヤ人も諾威ノウルエー人も波蘭ポーランド人も、ぶらじりあんもタヒチ人も「紳士である」いぎりす人も、「あんまり紳士でない」亜米利加アメリカ人も――。
 私の仕事の受持ちは、この英吉利イギリス紳士とあめりかのお金持ちなんだが、じゃあ一たいどんな仕事かと言うと――待った!
 今そいつを明かしちまっちゃあ第一親分に済まねえし、それより話にやまってものがなくなる。だから、ここまで来たが最後、いやでもおしまいまで読むことだ。

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