「つまらんことを云って、夫婦の間をさこうとするのは、怪しからんじゃありませんか、私がこれから懲らしてあげる」 白娘子はそう云って口の裏で何か云って唱えた。と、彼の道人は者があって彼を縄で縛るように見えたが、やがて足が地を離れて空にあがった。 「これで宜い、これで宜い」 そう云って白娘子が口から気を吐くと道人の体は地の上に落ちた。道人は起きあがるなりいずこともなく逃げて往った。
四月八日の仏生日が来た。許宣は興が湧いたので承天寺へ往って仏生会を見ようと白娘子に話した。白娘子は新らしい上衣と下衣を出してそれを着せ、金扇を持って来た。その金扇には珊瑚の墜児が付いていた。 「早く往って、早く帰っていらっしゃい」 そこで許宣は承天寺へ往った。寺の境内には演劇などもかかって賑わっていた。許宣は参詣人の人波の中にもまれてあちらこちらしていたが、そのうちに周将仕家の典庫の中へ賊が入って、金銀珠玉衣服の類が盗まれたと云う噂がきれぎれに聞えて来たが、己に関係のないことであるからべつに気にも止めなかった。 「もし、もし、ちょっとその扇子を見せてください」 許宣と擦れ違おうとした男がふと立ちどまると共に、許宣の扇子を持った手を掴んだ。許宣はびっくりしてその男の顔を見た。男は扇子と扇子につけた珊瑚の墜児をじっと見てから叫んだ。 「盗人、盗人をつかまえたから、皆来てくれ」 許宣はびっくりして弁解しようとしたがその隙がなかった。彼の体にはもう縄がひしひしと喰いついて来た。彼はその場から府庁に曳かれて往った。 「その方の衣服と扇子は、それで判っておるが、その余の贓物は、どこへ隠してある、早く云え、云わなければ、拷問にかけるぞ」 許宣は周将仕家の典庫の盗賊にせられていた。 「私の着ている衣服も、持っている扇子も、皆家内がくれたもので、決して盗んだものではありません」 府尹は怒って叱った。 「詐りを云うな、そのほうがいくら詐っても、その衣服と扇子が確な証拠だ、それでも家内がくれたと云うなら、家内を伴れてくる、どこにおる」 「家内は吉利橋の王主人の家におります」 「よし、そうか」 府尹は捕卒に許宣を引き立てさせて王主人の家へ往かした。家にいた王主人は、許宣が捕卒に引き立てられて入って来たのを見てびっくりした。 「どうしたと云うのです」 「あの女にひどい目に逢わされたのです、今、家におりましょうか」 許宣は声を顫わして怒った。 「奥様は、あなたの帰りがおそいと云って、婢さんと二人で、承天寺の方へ探しに往ったのですよ」 捕卒は白娘子の代りに王主人を縛って許宣といっしょに府庁へ伴れて往った。堂の上には府尹が捕卒の帰るのを待っていた。府尹は白娘子を捕えて来た後で裁判をくだすことにした。府尹の傍には周将仕が来てその将来を見ていた。 そこへ周将仕の家の者がやって来た。それは盗まれたと思っていた金銀珠玉衣服の類が庫の空箱の中から出て来たと云う知らせであった。周将仕はあわただしく家へ帰って往ったが、家の者が云ったように盗まれたと思っていた物は皆あった。ただ扇子と墜児がなかったが、そんな品物は同じ品物が多いので、そればかりでは許宣を盗賊とすることができなかった。周将仕は再び府庁に往ってそのことを云ったので、許宣は許されることになったが、許宣を置く地方が悪いということになって、鎮江の方へ配を改められた。 そこで許宣は鎮江へ送られることになったところへ、折好く杭州から邵大尉の命で李幕事が蘇州へやって来た。李幕事は王主人の家へ往って許宣が配を改められたことを聞くと、鎮江の親類へ手簡を書いてそれを許宣に渡した。鎮江の親類とは針子橋の下に薬舗を開いている李克用と云う人の許であった。 許宣は護送人といっしょに鎮江へ往って、李克用の家へ寄った。李克用は親類の手簡を見て護送人に飯を喫わし、それからいっしょに府庁へ往って、それぞれ金を使って手続をすまし、許宣を家へ伴れて来た。 許宣は李克用の家へおちつくことができた。心がおちついて来ると共に彼は恐ろしい妖婦に纏わられている己の不幸をつくづく悲しんだ。そして口惜しくもなった。李克用は許宣が杭州で薬舗の主管をしていたことを知ったので、仕事をさしてみると、することがしっかりしていてあぶなかしいと思うことがなかった。そこで主管にして使うことにしたが、他の店員に妬まれてもいけないと思ったので、許宣に金をやって店の者を河の流れに臨んだ酒髟へ呼ばした。 やがて酒を飲み飯を喫って、皆が帰って往ったので、許宣は後で勘定をすまして一人になって酒髟を出たが、苦しくない位の酔があって非常に好い気もちであった。彼は黄昏の涼しい風に酒にほてった頬を吹かれて家いえの簷の下を歩いていた。 一軒の楼屋があってその時窓を開けたが、その拍子に何か物が落ちて来て、それが許宣の頭に当った。許宣はむっとしたので叱りつけた。 「この痴者、気を注けろ」 楼屋の窓には女の顔があった。女は眼を落してじっと許宣の顔を見たが、何か云って引込んだ。許宣は不思議に思ってその窓の方を見ていると、もうその女が門口からあたふたと出て来た。それは白娘子であった。 「この妖婦、また来て俺を苦しめようとするのか、今度はもう承知しない、つかまえて引きわたすからそう思え」 白娘子は眼で笑っていた。 「まあそんなにおっしゃらないで、私の云うことを聞いてくださいよ、二度もあなたをまきぞえにしてすみませんが、あの衣服と扇子は、私の前の夫の持っていたものですよ、決して怪しいものじゃありません、だから疑いが晴れたじゃありませんか」 「それじゃ、俺が王主人の所へ帰った時に、何故いなかったのだ」 「それは、あなたの帰りが遅いものですから、婢と二人で、あなたを探しに往ったところで、あの騒ぎでしょう、私は恐ろしくなったから、船で婢の母の兄弟のいる、この家へ来ていたのです」 許宣の白娘子に対する怒は解けた。許宣は白娘子に随いてその家へ往ってそこに一泊したが、それからまた元のとおりの夫婦となった。
そのうちに李克用の誕生日が来た。許宣夫婦も進物を持って李家へ祝いに往った。李克用は筵席を按排して親友や知人を招いていた。 この李克用は一個の好色漢であった。彼は白娘子を一眼見てから忽ちその本性を現わした。白娘子が東厠へ往ったことを知ると、そっと席をはずして後からつけて往った。そして、花のような女のその中にいることを想像してその内へ入った。内には桶の胴のような大きな白い蛇がとぐろを捲いていた。その蛇は両眼は灯盞のように大きくて金光を放って輝いていた。李克用はびっくりして逃げ出したが逃げる拍子に躓いて倒れてしまった。 李克用の家に養われている娘が李克用の倒れて気絶しているのを見つけた。家の内は大騒ぎになって皆が集まって来た。そして薬を飲ましなどしているとやっと気が注いた。家の者がどうしたかと云って訊くと、彼は連日の疲れで体を痛めたためだと云った。 李克用の気もちが好くなったので、宴席も元のとおりになったが、やがてその席も終って客は帰って往った。白娘子はいつの間にか家へ帰っていたが、許宣に話したいことがあるのかそっと舗へやって来た。 「今晩は、みょうに気もちがわるいから、来たのですよ」 「今晩は御馳走になって宜い気もちじゃないか」 「宜い気もちじゃありませんよ、あなたは、ここの旦那を老実な方だと云いましたが、どうしてそうじゃありませんよ、私が東厠へ往ってると、後からつけて来て手籠めにしようとしたのです、ほんとに厭な方ですよ」 「しかし、べつにどうせられたと云うでもなかろう、まあ宜いじゃないか、早く帰ってお休みよ」 「でも、私はあの旦那が恐いわ、これからさき、またどんなことをせられるか判らないのですもの、それよりか、私が二三十両持ってますから、ここを出て、碼頭のあたりで小さな薬舗を開こうじゃありませんか」 許宣も人の家の主管をして身を縛られるよりも、自由に己で舗を持ちたかった。彼は白娘子の詞に動かされた。 「そうだな、小さな舗が持てるなら、そりゃその方が宜いが」 「では持とうじゃありませんか」 「そうだね、持っても宜いな、じゃ、暇をくれるかくれないか、明日旦那に願ってみよう」 許宣は翌日李克用に相談した。李克用は己の弱点があるうえに奇怪な目に逢っているので、許宣の云うことに反対しなかった。そこで許宣は白娘子と二人で碼頭の傍へ手ごろの家を借りて薬舗をはじめた。許宣ははじめて一家の主人となっておちつくことができた。 七月の七日になった。その日は英烈竜王の生日であった。許宣は金山寺へ焼香に往きたいと思って再三白娘子に同行を勧めたが白娘子は往かなかった。 「あなた一人で往っていらっしゃい、しかし、方丈へだけは往ってはいけないですよ、あすこには坊主が説経してますから、きっと布施を執られますよ、宜いですか、きっと方丈へ往ってはいけないですよ」 許宣は独りで往くことにして、舟を雇い、上流約一里の所にある金山寺の島山へ往った。揚子江の赤濁りのした流れを上下して金山寺へ往来する参詣人の舟が水鳥の群れたように浮んでいた。京口瓜州一水の間、前岸瓜州の楊柳は青々として見えた。 許宣は金山寺へあがって竜王堂へ往き、そこで焼香をすまして、あちらこちらを歩いているうちに、多くの参詣人が和尚の説経を聞いているところへ往った。許宣はここが白娘子の往ってはいけないと云った方丈だと思った。彼は急いで方丈の中を出て往った。許宣の引返そうとする顔を説経していた和尚がちらと見た。 「あの眼に妖気がある、あれを呼べ」 侍者の一人が呼びに往ったが、許宣はもう山をおりかけていたので聞えなかった。すると和尚はいきなり禅杖を持ってたちあがるなり、許宣を追っかけて往った。 山の麓では大風が起って波が出たので、参詣人は舟に乗ることができずに困っていた。山をおりた許宣もその人びとに交って岸に立って風の静まるのを待っていた。と、一艘の小舟がその風の中を平気で乗切って来て陸へ着けかけた。許宣は神業のような舟だと思って、ふいと見ると、その中に白娘子と小婢の二人が顔を見せていた。その白娘子と許宣の眼が合った。 「あなた、早くお乗りなさい、風が吹きだしたから、あなたをお迎いに来たのです」 舟は同時に陸へ着いた。許宣は喜んで水際へおりた。許宣の後には許宣を追っかけて来た和尚がいた。 「この畜ここへ来やがって何をしようと云うのだ」 和尚は舟の中を見て怒鳴りながら禅杖を揮りあげた。と、白娘子と小婢はそのまま水の中へもんどり打って飛び込んでしまった。許宣はびっくりして眼をった。そうして許宣は夢が覚めたようになった。 「あの和尚さんは、なんと云う和尚さんでしょう」 許宣は気が注いて傍の人に訊いた。 「あれが、法海禅師様だ、活仏だ」 和尚の侍者が許宣を呼びに来た。許宣は伴れられて和尚の前へ往った。 「お前さんは、あの女達とどこであわしゃった」 許宣はそこではじめからのことを話した。和尚はそれを聞いて云った。 「宿縁だ、しかし、お前さんの慾念が深いからだ、だが、災難はもうすぎたらしい、これから杭州に帰って、修身立命の人にならなくてはいけない、もし再びこんなことがあったら、湖南の浄慈寺に来てわしを尋ねるが宜い、今、わしが偈を云って置くから、覚えているが宜い、本これ妖蛇婦人に変ず、西湖岸上婦身を売る、汝慾重きに因って他計に遭う、難有れば湖南老僧を見よ、宜いかね、この偈を忘れないように」 許宣は法海禅師に別れて、身顫いしながら帰り、針子橋の李克用の家へ往った。李克用は許宣から白娘子の話を聞いて、はじめて誕生日の夜に見た妖蛇の話をした。そこで許宣は碼頭の家を畳んで、再び李克用の家へ移ったが、十日と経たないうちに朝廷から恩赦の命がくだって、十悪大罪を除く他の者はみな赦された。許宣もそれと同時に赦されたが、法海禅師の詞もあるから急いで杭州へ帰って往った。 李幕事夫婦は許宣の帰って来るのを待っていた。李幕事は許宣の挨拶が終るのを待って云った。 「お前も今度は豪い目に逢った。私はお前が蘇州へ往く時も、蘇州から鎮江へ往く時も、できるだけのことはしてやったが、それでも苦しかったのだろう、それと云うのもお前が一人でぶらぶらしてるからだ、早く家内をもらって身を固めるが宜い、そうすれば怪しい者だって寄りつかない」 許宣はそれよりもじっとおちつきたかった。 「私は、もう懲り懲りしましたから、家内はもらいません」 許宣のその詞が終るか終らないかに人声がして、そこへ入って来た者があった。それは許宣の姐が白娘子と小婢を伴れて来たところであった。 「あなたは家内があるくせに、そんな嘘を云うものじゃありません、私はあなたの家内じゃありませんか」 許宣はがたがた顫いだした。そして、声を顫わし顫わし云った。 「姐さん、そいつは妖精です、そいつの云うことを聞いてはいけないです」 白娘子は許宣の傍へ往った。 「あなたは、私と夫婦でありながら、人の云うことを聞いて私を嫌うとは、ひどいじゃありませんか、でも、私はあなたの家内ですから、他へはまいりません」 白娘子は泣きだした。許宣は急いで起って李幕事の袖を曳いて外へ出た。 「あれが白蛇の精です。どうしたら宜いのでしょう」 許宣は未だ口にしなかった鎮江に於ける怪異を話して聞かした。
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