許宣は夜になって姐の許へかえって、結婚の相談をしようと思ったが、人生の一大事のことを、世間ばなしのように話したくないので、その晩は何も云わずに寝て、翌朝起きるなりそれまで貯えてあった僅かな[#「僅かな」はママ]銭を持って、市場に往き、鶏の肉や鵞の肉、魚、菓実、一樽の佳い酒まで買って来て、それを己の室へならべて、李幕事夫婦を呼びに往った。 「今朝は、私のところで御飯を喫べてください」 李幕事夫婦はひどく不思議に思って、許宣の室へやって来た。そして夫婦は卓の上の御馳走を見て驚いた。 「今日は、ぜんたいどうしたと云うのだい、へんじゃないか」 李幕事は突立ったなりに云った。 「すこしお願いしたいことがありますからね、どうか、まあお掛けください」 許宣はとりすまして云った。 「どんなことだ、さきに云ってみるが宜い」 「まあ、二三杯あがってください、ゆっくり話しますから」 許宣は李幕事夫婦に酒を勧めた。酒は二巡三巡した。許宣はそこで李幕事の顔を見た。 「私は、これまで御厄介をかけて、こんなに大きくなりましたが、その御厄介ついでに、も一つお願いしなくてはならないことがあります、私は、結婚をしたいと思います」 「婚礼か、婚礼は大事だから、一つ考えて置こう、なあお前」 李幕事は細君の顔を見たが、それっきり婚礼のことに就いては何も云わなかった。もすこし具体的の話をしようと思っていた許宣は、もどかしかったがどうすることもできなかった。 酒がすむと李幕事は逃げるように室を出て往った。許宣はしかたなしに李幕事の返事を待つことにして待っていたが、二日経っても三日経っても何の返事もなかった。そこで許宣は姐の所へ往って云った。 「姐さん、この間のことを、兄さんと相談してくれましたか」 「まだしてないよ」 「なぜしてくれないんです」 「兄さんが忙しかったからね」 「忙しいよりも、兄さんは、私が婚礼すると、金がかかると思って、それで逃げてるのじゃないでしょうか、金のことなら大丈夫ですよ、ありますから」 許宣はそう云って袖の中から五十両の銀を出して姐の手に渡した。 「一銭も兄さんに迷惑はかけませんよ、ただ親元になって儀式をあげてもらえば宜いのですよ」 姐は金を見て笑顔になった。 「おかしいね、お前、どっかのお婆さんと婚礼するのじゃないかね、まあ宜いわ、私がこれを預ってて、兄さんが帰って来たなら、話をしよう」 許宣はそれから姐の室を出て来た。姐はその夜李幕事の帰ってくるのを待っていて、許宣の置いて往った金を見せた。 「あれは、何人かと約束しているのですよ、親元になって、儀式さえあげてやれば宜いのですよ、早く婚礼をさそうじゃありませんか」 「じゃ、この金は、女の方からもらったものだね」 李幕事はそう云って銀を手に執りあげた。そして、その銀の面に眼を落した。 「た、たいへんだ」 李幕事は眼を一ぱいにって驚いた。 「何をそんなにびっくりなさるのです」 細君には合点がゆかなかった。 「この金は、邵大尉の庫の金で、盗まれた金なのだ、庫の内へ入れてあった金が、五十錠無くなっているのだ、封印はそのままになってて、内の金が無くなっているのだ、臨安府では五十両の賞をかけて、その盗人を探索しているところなのだ、宣には気の毒だがしかたがない、我家から訴えて出よう、これが外から知れようものなら、一家の者は首が無い、こいつは豪いことになったものだ」 李幕事は朝になるのを待ちかねて、許宣の置いて往った金を持って臨安府へ往った。府では韓大尹が李幕事の出訴を聞いて、銀を一見したところで、確に盗まれた銀錠であるから、時を移さず捕卒をやって許宣を捉えさし、それを庁前に引据えて詮議をした。 「李幕事の訴えによって、その方が邵大尉の庫の中の金を偸んだ盗賊と定まった、後の四十九錠の金はどこへ隠した、包まずに白状するが宜かろう」 捕卒がふみこんで来た時から、もう気が顛倒して物の判別を失くしていた許宣は、邵大尉庫中の盗賊と云われて、はじめて己に重大な嫌疑がかかっていることを悟った。 「私は、決して、人の物を盗むような者ではありません、それは人違いです」 許宣は一生懸命になって弁解をした。 「いつわるな、その方が邵大尉の庫の中の金を偸んだと云うことは、その方が姐に預けた、五十両の金が証拠だ、あの金はどこにあったのじゃ」 「あの金は、荐橋双茶坊巷の秀王墻対面に住んでおります、白と云う女からもらいました」 許宣はそこで白娘子と近づきになったことから、結婚の約束をするようになったいきさつを精しく話した。その許宣の詞には詐りがないようであるから、韓大尹は捕卒をやって白娘子を捉えさした。 捕卒は縄つきのままで許宣を道案内にして双茶坊へ往って、秀王墻の前になった、高い墻に囲まれた黒い楼房の前へ往った。それはもう古い古い家で、人が住んでいそうには思われなかった。許宣は不思議に思って眼をっていた。捕卒の一人は隣家へ走って往ってその家の事情を聞いて来た。それは毛巡税と云う者の住んでいた家で、五六年前に瘟疫で一家の者が死絶えて、今では住んでいる者は無いはずであるが、それでも時どき小供が出て来て東西を買うのを見たことがあるから、何人かが住んでいるだろうが、しかし、この地方には白と云う姓の者は無いと云うことであった。 捕卒は家の前に立って手筈を定め、門を開いて入って往った。扉は無くなり簷は傾き、磚の間からは草が生え茂って庭内は荒涼としていて、二三日前に見た家屋の色彩はすこしもなかった。許宣は驚くばかりであった。 捕卒は別れわかれになって室の中へ入った。荒れ崩れて陰々として見える室の中には、人の跫音を聞いて逃げる鼠の姿があるばかりで、どこにも人の影はなかった。別れていた捕卒はいつの間にかいっしょになって、最後の奥まった離屋へ往った。そこは一段高い室になって、一人の色の白い女が坐っていた。衣服の赤や青のな色彩が見えた。その女は牀の上に坐っているらしかった。捕卒は不審しながら進んで往った。 「われわれは、府庁からまいった者だが、その方は何者だ、白氏なら韓大爺の牌票がある、その方が許宣にやった銀のことに就いて尋ねることがあるから、いっしょに伴れて往く」 女はじっと顔をあげたが、何も云わなければ驚いた容子もなかった。 「あのおちつきすましたところは、曲者だ、捉えろ」 捕卒は一斉に走りかかっていった。と、同時に雷のような一大音響がした。捕卒はびっくりしてそこへ立ちすくんだ。そして、気が注いて女の方を見た。女の姿はもう見えなかった。捕卒は逃がしてはならないと思って、今度は腹を定めて室の中へ飛びこんで往った。女の姿は依然として見えなかったが、牀の傍には銀の包を積みあげてあった。それは紛失していた彼の四十九個の銀錠であった。 捕卒は銀錠を扛って臨安府の堂上へ搬んで来た。許宣はそこで盗賊の嫌疑は晴れたが、素性の判らない者から、私に金をもらったと云うかどで、蘇州へ配流せられることになった。 一方邵大尉の方では、約束の通り懸賞金五十両を出してそれを李幕事に与えたが、李幕事は義弟に苦痛を見せることによって得た金であるから、心苦しくてたまらない。で、牢屋の内にいる許宣に面会して、その金を旅費に与え、李将仕と相談して、二つの手簡を持って往かすことにした。その手簡の一つは、蘇州の押司の范院長と云う者に与えたもので、一つは吉利橋下に旅館をやっている王と云う者に与えたものであった。 その日になると許宣は二人の護送人に伴れられて牢屋を出た。府庁の門口には李幕事夫婦をはじめ李将仕などが来て待っていた。許宣は涙を滴してその人びとに別れの詞をかわして出発した。 三日ばかりして蘇州府へ着いた。李将仕の手簡を見た范院長と王主人は、金を使って奔走したので、許宣は王主人の許に預けられることになった。
許宣が王主人の許に世話になってから半年ばかりになった。彼はそこで毎日無聊に苦しめられていた。と、ある日王主人が室へ入って来た。 「轎に乗った女が来て、お前さんを尋ねている、鬟も一人伴れている」 許宣は心当りはなかったが、好奇に門口へ出てみた。門口には彼の白娘子と青い上衣を着た小婢が立っていた。許宣は驚きと怒がいっしょになって出た。 「この盗人、俺をこんな目に逢わしておいて、またここへ何しに来たのだ」 「私は、決して、そんな悪いものではありません、それをあなたに弁解したくてまいりました」 白娘子は心持ちな首を傾けて、さも困ったと云うようにした。 「いくら俺をだまそうとしたって、もうその手に乗るものかい、この妖怪」 許宣の後からやって来た王主人は、許宣が門前でやかましく云っていて人に聞かれても面白くないと思ったので、その傍へ往った。 「遠くからいらした方らしいじゃないか、まあ内へ入れて話をしたら宜いじゃないか」 王主人はそう云ってから白娘子の方を見て云った。 「さあ、どうかお入りください」 白娘子は体を動かそうとした。許宣がその前に立ち塞がった。 「こいつを家の中に入れては駄目です、こいつが私を苦しめた妖怪です」 白娘子は小婢の方を見て微笑した。王主人は女のそうしたなやさしい顔を見て疑わなかった。 「こんな妖怪があるものかね、まあ宜い、後で話をすれば判る、さあお入りなさい」 許宣は王主人がそう云うものを己独りで邪魔をするわけにもゆかないので、己で前に入って往った。白娘子は小婢を伴れて王主人に随いて内へ入った。家の内では王主人の媽々が入って来る白娘子のしとやかな女ぶりに眼を注けていた。白娘子は媽々におっとりした挨拶をした後に、傍に怒った顔をして立っている許宣を見た。 「私は、あなたにこの身を許しているじゃありませんか、どうして、あなたを悪いようにいたしましょう、あの銀は、今考えてみますと、私の前の夫です、私はすこしも知らないものですから、あなたにさしあげてあんなことになりました、私はこれを云いたくてあがりました」 許宣にはまだ一つ不思議に思われることがあった。 「臨安府の捕卒が往った時、あなたは牀の上にいて、大きな音がするとともに、いなくなったじゃありませんか、あれはどうしたのです、おかしいじゃないか」 白娘子は笑い声を出した。 「あれは婢に云いつけて、板壁を叩かしたのですよ、その音で捕卒がまごまごしてよりつかなかったから、その隙に逃げて、華蔵寺前の姨娘の家にかくれていたのです、あなたはちっとも、私のことなんか考えてくださらないで、あべこべに私を妖怪だなんて云うのですもの、でも、私はあなたの疑いさえ解けるなら宜いのです、これで失礼いたします」 白娘子は小走りに走って外へ出ようとした。王主人の媽々があわてて走って往って止めた。 「まあ、遠い所をいらしたのですから、二三日お休みになって、もっとお話しするが宜いじゃありませんか」 白娘子は引返しそうにしなかった。小婢がそばから云った。 「奥さん、御親切にあんなに云ってくださいますから、もすこしお考えなすったら如何です」 白娘子は小婢の方を見た。 「でも、あの方は、もう私なんかのことは思ってくださらないのですもの」 王主人の媽々は白娘子を放そうとはしなかった。 「もうすっかり事情も判ったのですから、許宣さんだっていつまでも判らないことは云わないですよ」 許宣はもう白娘子に対する疑念が解けていた。王主人の媽々は白娘子を許宣の室へ伴れて往った。許宣と白娘子はその夜から夫婦となった。
許宣の許へ白娘子が来てからまた半年ばかりになった。ある日、それは二月の中旬のことであった。許宣は二三人の朋友と散策して臥仏寺へ往った。その日は風の暖かな佳い日であったから参詣人が多かった。許宣の一行は、その参詣人に交って臥仏寺の前に往き、それから引返して門の外へ出た。そこには売卜者や物売る人達が店を並べていた。その人びとの間に交って一人の道人が薬を売り符水を施していた。道人は許宣の顔を見ると驚いて叫んだ。 「あなたの頭の上には、一すじの邪気が立っている、あなたの体には、怪しい物が纏うている。用心しなくては命があぶない」 許宣は非常に体が衰弱して気分がすぐれなかった。それに白娘子に対して抱いている疑念もあった。彼はそれを聞くと恐ろしくなった。地べたに頭をすりつけるようにして云った。 「どうか私を助けてください」 道人は頷いて符を二枚出した。 「これをあげるから、何人にも知らさずに、一枚は髪の中に挟み、一枚は今晩三更に焼くが宜い」 許宣はそれをもらうと朋友に別れて家へ帰り、一枚は頭の髪に挟み、一枚は三更になって焼こうと思って、白娘子に知らさずに時刻の来るのを待っていた。 「あなたは、また私を疑って、符を焼こうとしていらっしゃるのですね、こうして、もう長い間、いっしょにいるのにどこが怪しいのです、あんまりじゃありませんか」 傍にいた白娘子が不意に怒りだした。許宣はどぎまぎした。 「いや、そんなことはない、そんなことがあるものか」 白娘子の手が延びて許宣の袖の中に入れてあった符にかかった。白娘子はその符を傍の灯の火に持っていって焼いた。符はめらめらと燃えてしまった。 「どう、これでも私が怪しいのですの」 白娘子は笑った。許宣はしかたなしに弁解した。 「臥仏寺前の道人がそう云ったものだから、彼奴俺をからかったな」 「ほんとに道人がそんなことを云ったなら、明日二人で往ってみようじゃありませんか、怪しいか怪しくないか、すぐ判るじゃありませんか」 翌日許宣と白娘子の二人は、伴れ立って臥仏寺の前へ往った。その日も参詣人で寺の内外が賑わっていた。彼の道人の店頭にも一簇の人が立っていた。白娘子はその道人だと云うことを教えられると、そのまま走って往った。 「この妖道士、人をたぶらかすと承知しないよ」 符水を参詣人の一人にやろうとしていた道人はびっくりした顔をあげた。そして、白娘子の顔をじっと見た。 「この妖怪、わしは五雷天心正法を知っておるぞ、わしのこの符水を飲んでみるか、正体がすぐ現われるが」 白娘子は嘲るように笑った。 「ちょうど宜い、ここに皆さんが見ていらっしゃる、私が怪しい者で、お前さんの符水がほんとうに利いて、私の正体が現れると云うなら飲みましょうよ、さあください、飲みますよ」 「よし飲め、飲んでみよ」 道人は盃に入れた水を白娘子の前へ出した。白娘子はこれを一息に飲んで盃を返して笑った。 「さあ、そろそろ正体が現れるのでしょうよ」 許宣をはじめ傍にいた者は、またたきもせずに白娘子のきれいな顔を見ていたが、依然としてすこしも変らなかった。 「さあ、妖道士、どこに怪しい証拠がある、どこが私が怪しいのだ」 道人は眼をって呆れていた。
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