3
徳富氏が最初の聖地巡礼に出かけるときのことだった。私と懇意なK書店の主人は、見送のためわざわざ神戸から門司まで同船することにした。 船が門司近くの海に来ると、書店の主人は今まで興じていた世間話を急に切上げにかかった。 「先生。私に一つのお願があるんですが……。」 「願い。――」徳富氏は急に更まった相手の容子に眼を光らせた。 「実は今度の御紀行の出版は、是非私どもの方に……。」 その言葉を押えつけるように、徳富氏は大きな掌面を相手の鼻さきでふった。 「待って下さい、その話は。私暫く考えて返事しますから。」 徳富氏はこういい捨てておいて、大跨に船室の方へあるいて行った。 ものの一時間も経つと、徳富氏はのっそりとK氏の待っている室へ入って来た。 「Kさん。あなたさっき門司からの帰りには、薄田君を訪ねるといってましたね。」 「ええ、訪ねます。何か御用でもおありでしたら……。」 「じゃ、御面倒ですが、これをお渡し下さい。」徳富氏はふところから手紙を一通取出した。「それから、あなたには……。」 K氏は何かを待設けるもののように胸を躍らせた。 「あなたにはいいものを上げます。私の原稿よりかもずっといい……。」 「何でしょう。原稿よりかもいいものというと……。」 K氏は顔一ぱいに微笑をたたえた。それを見下すように前に立ちはだかった徳富氏は、宣教師のようにもの静かな、どこかに力のこもった声でいった。 「神をお信じなさい。ただそれだけです。」 「神を……。」書店の主人は、その神をさがすもののように空虚な眼をしてそこらを見廻した。 船は門司の沖に来かかったらしく、汽笛がぼうと鳴った。 海近い備中の郷里の家で、私がK氏の口からこんな話を聞きながら、受取った徳富氏の手紙には、次のような文句があった。
不図思ひ立ちてキリストの踏みし土を踏み、またヤスナヤポリヤナにトルストイ翁を訪はむと巡礼の途に上り申候。神許し玉はば、一年の後には帰り来り、或は御目にかかるの機会ある可く候。 大兄願はくば金玉に躯を大切に、渾ての点において弥々御精進あらんことを切に祈上候。 一九〇六、仏誕の日関門海峡春雨の朝
徳富健次郎
4
私は一度K書店の主人と道づれになって、今の粕谷の家に徳富氏を訪ねたことがあった。門を入って黄ばんだ庭木の下をくぐって往くと、そこに井戸があった。K氏はその前を通りかかるとき、小声で独語のように、 「そうだ。労働は神聖だったな。」 と、口のなかでつぶやいたらしかった。私はそれを聞きのがさなかった。 「何だね、それ。」 K氏は何とも答えなかった。二人は原っぱのような前栽のなかに立っている一軒家に通された。日あたりのいい縁側に座蒲団を持ち出してそれに座ると、K氏はにやにや笑い出した。 「さっき井戸端を通るとき、私が何か言ったでしょう。あれはね、以前私がこちらにお伺いしたとき、先生が、自分の代りに風呂の水を汲んでくれるなら、面会してもいいとおっしゃるので、仕方がなく汲みにかかりました。こちらの井戸は湯殿とは大分遠いところにあるので、なかなか容易な仕事じゃありません。やっと汲み終えて、客間へ通ると、先生が汗みずくになった私の顔を見られて、 「Kさん。労働は神聖ですな。」 と言って笑われましたっけ。今あすこを通りかかって、それを思い出したものですから……。」 「いつぞやの「神を信ぜよ。」と同じ筆法だ。徳富君一流の教訓だよ。」 私がそういって笑っているところへ、主人がのっそりと入って来た。そしてそこらを眺め廻しながら、 「この家いいでしょう。土地の賭博打がもてあましていたのを、七十円で買い取ったのです。時々勝負のことから、子分のものの喧嘩が初まるので、そんなときの用意に、戸棚なぞあんなに頑丈に作ってありますよ。」 といって、家の説明などしたりした。 その日はいろんなことを話合った。夕方になって帰ろうとすると、徳富氏は、 「あなた方にさつまいもを進ぜましょう。私が作ったのです。これ、こんなに大きいのがありますよ。」 と言って、縁の下から小犬のような大きさのさつまいもを、幾つも幾つも掘り出して、それを風呂敷に包もうとした。私達は帰り途の難渋さを思って、幾度か辞退したが、頑固な主人はどうしても承知しなかった。
やっと上高井戸の停留所についた頃には、私達の手は棒のようになっていた。
[#改ページ]
芥川龍之介氏の事
今は亡き芥川龍之介氏が、大阪毎日新聞に入社したのは、たしか大正八年の二月末だったと思う。話がまとまると、氏は早速入社の辞を書いてよこした。原稿はすぐに植字場へ廻されて活字に組まれたが、ちょうど政治季節で、おもしろくもない議会の記事が、大手をふって紙面にのさばっている頃なので、その文章はなかなか容易に組み入れられようとしなかった。あまり日数が経つので、私はとうとう気を腐らして、頑固な編輯整理に対する面当から、芥川氏の同意を得て、その原稿を未掲載のまま撤回することにした。そのゲラ刷が一枚残って手もとにあったのを、今日はからずも見つけた。読みかえしてみると、皮肉好きな故人の面目が、ありありと文字の間にうかがわれる。それをここに掲げるのは、故人を愛する人達のために、一つでも多くの思い出を供したい微意に外ならぬ。
入社の辞
芥川龍之介
予は過去二年間、海軍機関学校で英語を教えた。この二年間は、予にとって決して不快な二年間ではない。何故と云えば予は従来、公務の余暇を以て創作に従事し得る――或は創作の余暇を以て公務に従事し得る恩典に浴していたからである。 予の寡聞を以てしても、甲教師は超人哲学の紹介を試みたが為に、文部当局の忌諱に触れたとか聞いた。乙教師は恋愛問題の創作に耽ったが為に、陸軍当局の譴責を蒙ったそうである。それらの諸先生に比べれば、従来予が官立学校教師として小説家を兼業する事が出来たのは、確に比類稀なる御上の御待遇として、難有く感銘すべきものであろう。尤もこれは甲先生や乙先生が堂々たる本官教授だったのに反して、予は一介の嘱托教授に過ぎなかったから、予の呼吸し得た自由の空気の如きも、実は海軍当局が予に厚かった結果と云うよりも、或は単に予の存在があれどもなきが如くだった為かも知れない。が、そう解釈する事は独り礼を昨日の上官に失するばかりでなく、予に教師の口を世話してくれた諸先生に対しても甚だ御気の毒の至だと思う。だから予は外に差支えのない限り、正に海軍当局の海の如き大度量に感泣して、あの横須賀工廠の恐る可き煤煙を肺の底まで吸いこみながら、永久に「それは犬である」と講釈を繰返して行ってもよかったのである。 が、不幸にして二年間の経験によれば、予は教育家として、殊に未来の海軍将校を陶鋳すべき教育家として、いくら己惚れて見た所が、到底然るべき人物ではない。少くとも現代日本の官許教育方針を丸薬の如く服膺出来ない点だけでも、明に即刻放逐さるべき不良教師である。勿論これだけの自覚があったにしても、一家眷属の口が乾上る惧がある以上、予は怪しげな語学の資本を運転させて、どこまでも教育家らしい店構えを張りつづける覚悟でいた。いや、たとい米塩の資に窮さないにしても、下手は下手なりに創作で押して行こうと云う気が出なかったなら、予は何時までも名誉ある海軍教授の看板を謹んでぶら下げていたかも知れない。しかし現在の予は、既に過去の予と違って、全精力を創作に費さない限り人生に対しても又予自身に対しても、済まないような気がしているのである。それには単に時間の上から云っても、一週五日間、午前八時から午後三時まで機械の如く学校に出頭している訳に行くものではない。そこで予は遺憾ながら、当局並びに同僚たる文武教官各位の愛顧に反いて、とうとう大阪毎日新聞へ入社する事になった。 新聞は予に人並の給料をくれる。のみならず毎日出社すべき義務さえも強いようとはしない。これは官等の高下をも明かにしない予にとって、白頭と共に勅任官を賜るよりは遥に居心の好い位置である。この意味に於て、予は予自身の為に心から予の入社を祝したいと思う。と同時に又我帝国海軍の為にも、予の如き不良教師が部内に跡を絶った事を同じく心から祝したいと思う。 昔の支那人は「帰らなんいざ、田園将に蕪せんとす」とか謡った。予はまだそれほど道情を得た人間だとは思わない。が、昨の非を悔い今の是を悟っている上から云えば、予も亦同じ帰去来の人である。春風は既に予が草堂の簷を吹いた。これから予も軽燕と共に、そろそろ征途へ上ろうと思っている。
同じ年の五月上旬、芥川氏は氏の入社と同時に、東京日々の方へ迎えられた菊池寛氏と連立って、初めて大阪に来たことがあった。新聞社へ来訪したのが、ちょうど編輯会議の例会のある十日の夕方だったので、私は二氏に会議の席へ顔出しして、何かちょっとした演説でもしてもらおうとした。演説と聞いて、菊池氏は急に京都へ行かなければならない用事を思い出したりしたので、芥川氏は不承不精に会議に出席しなければならなくなった。 その晩、芥川氏が何を喋舌ったかは、すっかり忘れてしまったが、唯いくらか前屈みに演壇に立って、蒼白い額に垂れかかる長い髪の毛をうるさそうに払いのけながら、開口一番、 「私は今晩初めてこの演壇に立つことを、義理にも光栄と心得なければならぬかも知れませんが、ほんとうは決して光栄と思うものでないことをまず申上げておきます……」 と氏一流の皮肉を放ったことだけは、いまだに覚えている。この演説にはさすがの芥川氏も閉口したと見えて、東京へ帰ってから初めての手紙に、 「しかし演説には辟易しました。演説をしなくてもいいという条件がないと、ちょいと編輯会議にも出席出来ませんな。」 といってよこしていた。
[#改ページ]
哲人の晩年
三十年間、The Ladies' Home Journal の記者として名声を馳せた Edward Bok が、小新聞の速記者として働いていたのは、まだ十五、六歳の少年の頃だった。その頃彼は思い立って、ボストンへ名士の訪問に出かけて往ったことがあった。 彼はそこで、詩人の Oliver Wendell Holmes や、Longfellow や、宗教家の Phillips Brooks などに会った。これらの名士たちは、幾分のものずきも手伝って、みんな親切にこの少年をもてなした。そしていろいろ有益な談話をしてくれたり、少年の差出した帳面に、それぞれ署名をしてくれたりした。こんなことで、少年のボストンにおける滞在は、譬えようもない楽しいものだった。 少年は、最後に Emerson を訪問しようとした。この文豪こそは、少年が最も尊敬もし、また一番会いたくも思っている人だった。
少年は途中で、Emerson の家近く棲んでいる女流文学者の Louise Alcott を訪ねて、あたたかい煖炉の傍で、いろんなお饒舌を取換わした。少年の口からその日の予定を聞いた女史は、気づかわしそうに言った。 「さあ、あの方を訪ねたところで、会ってもらえるかしら。この頃は滅多にお客さまにお会いにならないんですからね。どうもお弱くてお気の毒なんですわ。――でも、折角ですからお宅までぶらぶら御一緒に出かけてみましょうよ。」 女流文学者は、外套と帽子とを身につけて、気軽に先へ立って案内した。 長い間、コンコオドの哲人として、中外の人から崇められていたこの老文豪が、ちょうど死ぬる前の年のことであった。 Emerson の家に着くと、入口に老文豪の娘さんが立って迎えていた。Alcott 女史が少年の希望を述べると、娘さんはつよく頭を掉った。 「父はこの頃どなたにもお目にかかりません。お目にかかりましたところで、かえって気難しさを御覧に入れるようなものですから。」 少年は熱心に自分の渇仰を訴えた。その純真さは相手を動かさないではおかなかった。 「じゃ、暫く待ってて下さい。私訊いてみますから。」 娘さんは奥へ入った。Alcott 女史も後について往った。暫くすると、女史はそっと帰って来た。見ると、眼は涙に濡れていた。 「お上り。」 女史の言葉は短かかった。少年はその後について、室を二つ通りぬけた。三つ目の室の入口に、先刻の娘さんが立っていたが、眼は同じように潤んでいた。 「お父さま――」彼女は一言いった。見ると、机によりかかって Emerson がいた。娘の言葉に、彼は驚くばかり落着き払った態度で、やおら立上ってその手を伸した。そして少年の手を受取ると、俯むき加減につくづくとこの珍らしい来客に見入った。それは悲しい柔和な眼つきだったが、好意といっては少しも感じられなかった。 彼は少年を机に近い椅子に坐らせた。そして自分は腰を下そうともしないで、窓際近く歩いて往って、そこに衝立ったまま口笛を吹いていた。少年は腑に落ちなさそうに、老文豪のこうした素振に見とれていたが、ふと微かな啜泣きの声を聞きつけて、あたりを見廻すと、それは娘さんのせいだとわかった。娘さんはそっと室から滑り出た。少年は救いを求めるように Alcott 女史の方を見た。女史は脣に指を押しあてて、じっとこちらを見つめていた。黙っていよという合図なのだ。少年はすっかり弱らされた。 暫くすると、老文豪は静かに窓際を離れた。そして前を通るとき、ちょっと少年に会釈をして自分の椅子に腰を下した。二つの悲しそうな眼は、おのずと前にいる少年の顔に注がれた。さきがたからつき穂がなくて困りきっていたこの小さな客人は、もう黙っていられなくなったように思った。 少年はここの主人の親友 Carlyle のことを語り出した。そしてこの人の手紙があったら、一通いただけないかと言った。 Carlyle の名を聞くと、主人は不思議そうに眼をあげた。そしてゆっくりした調子で、 「Carlyle かね。そう、あの男は今朝ここにいましたよ。あすの朝もまたやって来るでしょう。」 と、まるで子供のように他愛もなく言っていたが、急に言葉を改めて、 「何でしたかね、君の御用というのは――」 少年は自分の願いを繰返した。 「そうか。それじゃ捜してあげよう。」主人は打って変って快活になった。「この机の抽斗には、あの男の手紙がどっさりあるはずだから。」 それを聞くと、Alcott 女史の潤んだ眼は喜びに輝いた。口もとには抑えきれぬ微笑の影さえ漂った。 室の容子ががらりと変って来た。老文豪は手紙と書類とが一杯詰っている机の抽斗をあけて、中を捜し出した。そしてときどき眼を上げて少年の顔を見たが、その眼はやさしい情味に溢れていた。少年がわざわざそのために紐育から出かけて来たことを話すと、「そうか。」と言って、明るく笑っていた。 老文豪は、少年が期待したような何物をも捜し出さないで、そろそろ机の抽斗を閉めにかかった。そしてまた低声で口笛を吹きながら、不思議そうにじろじろと二人の顔を見まわした。 少年はこの上長くはもう居られまいと思った。のちのちの記念になるものが何か一つ欲しかった。彼はポケットから帳面を取出した。 「先生。これに一つお名前を書いていただけませんでしょうか。」 「名前。」 「ええ、どうぞ。」少年は言った。「先生のお名前の Ralph Waldo Emerson ってえのを。」 その名前を聞いても、文豪は何とも感じないらしかった。 「書いて欲しいと思う名前を書きつけて御覧。すれば、私がそれを見て写すから。」 少年は自分の耳を信ずることが出来なかった。だが、彼はペンを取上げて書いた。―― Ralph Waldo Emerson, Concord; November 22, 1881 ――と。 老文豪は、それを見て悲しそうに言った。 「いや、有難う。」 それから彼はペンを取上げて、一字ずつゆっくりとお手本通りに自分の名前を書き写した。そして所書きの辺まで来ると、仕事が余り難しいので、もじもじするらしく見えたが、それでもまた一字一字ぼつぼつと写し出した。所書きには、書き誤りが一つ消してあった。やっと書き写してしまうと、老文豪は疲れたようにペンを下において、帳面を持主に返した。 少年はそれをポケットに蔵い込んだ。老文豪の眼が、机の上に取り残された先刻少年が書いたお手本の紙片に落ると、急に晴やかな笑がその顔に浮んで来た。 「私の名前が書いて欲しいのだね。承知した。何か帳面でもお持ちかい。」 びっくりさせられた少年は、機械的にも一度ポケットから帳面を取出した。文豪は手ばやく器用に紙をめくって、ペンを取上げたかと思うと、紙片を側におしのけたまま、一気にさっと註文通りの文句を書き上げてしまった。 二人が礼を言って、暇乞いをしようとすると、主人の老文豪はにこにこしながら立ち上って、 「まだ早いじゃないか。こちらにいるうちに、も一度訪ねて来ないかね。」 と、愛想を言った。そして少年の手を取って握手したが、それは心からの温い力の籠ったものだった。 「往くときと、来たときと、こんなに気持の違うのは初めてだ。」 少年は子供心にそう思った。
[#改ページ]
盗まれぬように
1
世のなかに茶人ほど器物を尚ぶものはあるまい。利休は茶の精神は佗と寂との二つにある。価の高い器物を愛するのは、その心が利慾を思うからだ。「欠けたる摺鉢にても、時の間に合ふを、茶道の本意。」だといった。本阿弥光悦は、器物の貴いものは、過って取毀したときに、誰でもが気持よく思わないものだ。それを思うと、器は粗末な方がいいようだといって、老年になって鷹ケ峰に閑居するときには、茶器の立派なものは、それぞれ知人に分けて、自分には粗末なもののみを持って往ったということだ。また徳川光圀は、数奇な道に遊ぶと、器物の慾が出るものだといって、折角好きな茶の湯をも、晩年になってふっつりと思いとまったということだ。こんな人達がいったことに寸分間違いはないとしても、器物はやはり立派な方がよかった。器がすぐれていると、それに接するものの心までが、おのずと潤いを帯びて、明るくなってくるものだ。
2
天明三年、松平不昧は稀代の茶入油屋肩衝を自分の手に入れた。その当時の取沙汰では、この名器の価が一万両ということだったが、事実は天明の大饑饉の際だったので、一千五百両で取引が出来たのだそうだ。一国の国守ともある身分で、皆が饑饉で困っている場合に、茶入を需めるなどの風流沙汰は、実はどうかとも思われるが、不昧はもう夙くにそれを購ってしまったのだし、おまけに彼自らももう亡くなっているので、今更咎め立てしようにも仕方がない。――だが、これにつけても真実だと思われるのは、骨董物は饑饉年に買いとり、娘は箪笥の安いときに嫁入させるということである。 不昧はこの肩衝の茶入に、円悟の墨蹟をとりあわせて、家宝第一ということにした。そして参勤交代の折には、それを笈に収めて輿側を歩かせたものだ。その愛撫の大袈裟なのに驚いたある人が、試しに訊いたことがあった。 「そんなに御大切な品を、もしか将軍家が御所望になりました場合には……」 不昧は即座に答えた。 「その代りには、領土一箇国を拝領いたしたいもので。」
あるとき、某の老中がその茶入の一見を懇望したことがあった。不昧は承知して、早速その老中を江戸屋敷に招いた。座が定ると、不昧は自分の手で笈の蓋を開き、幾重にもなった革袋や箱包をほどいた。中から取出されたのは、胴に珠のような潤いをもった肩衝の茶入だった。不昧はそれを若狭盆に載せて、ずっと客の前に押し進めた。 老中は手に取りあげて、ほれぼれと茶入に見入った。口の捻り、肩の張り、胴から裾へかけての円み、畳附のしずかさ。どこに一つの非の打ちどころもない、すばらしい出来だった。老中はそれをそっと盆の上に返しながら、いかにも感に堪えたようにいった。 「まったく天下一と拝見いたしました。」 その言葉が終るか、終らないかするうちに、不昧は早口に、 「もはやおよろしいでしょうか。」 といいざま、ひったくるように若狭盆を手もとに引寄せた。まるで老中が力ずくで、その茶入を横取しはしないかと気づかうかのように。
3
The Ladies' Home Journal の記者として、三十年も働いていた Edward Bok が、まだ十五、六の少年の頃だった。名士訪問を志して、ボストンに牧師として名高い Phillips Brooks を訪ねたことがあった。牧師はその当時蔵書家として聞えた一人だった。 訪問の前日、この牧師の友人である Wendell Phillips に会った。少年の口から明日の予定を聞いたこの雄弁家は、笑い笑い言ってきかせた。 「明日は Brooks を訪ねるんだって。あの男の書斎にはぎっしり本がつまっていて、それにはみんな記号と書入れとがしてあるんだよ。訪ねて往ったら、是非その本を見せてもらいなさい。そしてあの男がよそ見をしているときに、二冊ばかりポケットに失敬するがいい。何よりもいい記念になるからな。なに、どっさり持合せがあるんだ。発見られる心配なんかありゃしないよ。」
少年は Brooks に会うと、すぐにこの話をした。牧師は声を立てて笑った。 「子供に与える大人の助言としては、随分思い切ったことをいったものだな。」 Brooks はこの幼い珍客を、自分の書斎に案内することを忘れなかった。そこには世間の評判通りに、沢山の書物がぎっしり書棚に詰っていた。 「ここにある書物には、それぞれ書入がしてあって、中にはそのために頁が真黒になっているのもある。世間にはこの書入を嫌がる人もあるようだが、しかし、書物が俺に話しかけるのに、俺の方で返事をしないわけに往かんじゃないか。」 こういって、牧師は書棚から一冊のバイブルを引出して見せた。それは使い古して、表紙などくたくたになっている本だった。 「俺のところにはバイブルは幾冊もあるよ。説教用、儀式用とそれぞれ別になっているが、この本は俺の自家用というわけさ。見なさい、こんなに書入がしてある。これはみんな使徒パウロと俺との議論だよ。随分はげしい議論だったが……さあ、どちらが勝ったか、それは俺にもわからない。」 少年の眼が、どうかすると細々した書入よりも、夥しい書棚に牽きつけられようとするのを見てとった Brooks は、 「お前さんも、本が好きだと見えるな。何ならボストンへやって来たときには、いつでも家へ来て、勝手にそこらの本を取出して見てもかまわないよ。」 と、お愛想を言ったが、最後に笑いながらこう言ってつけ足すのを忘れなかったそうだ。 「俺はお前の正直なのを信じているよ。まさか Wendell Phillips の言ったようなことはしまいね。」
[#改ページ]
女流音楽家
プリマ・ドンナの Tetrazzini 夫人が演奏旅行をして、アメリカの Buffalo 市に来たことがあった。夫人の支配人は、土地で聞えた Statler ホテルへやって来て、夫人のために三室続きの部屋を註文した。その当時、ホテルには二室続きの部屋は幾つかあったが、註文通りの部屋といっては、一つも持合せがなかった。だが、ホテルの主人は、この名高い女流音楽家をほかの宿屋にとられることが、どれだけ自分の店の估券にかかわるかをよく承知しているので、平気でそれを引受けた。 「承知仕りました。夫人はいつ頃当地にお着になりますお見込で……」 「今晩の五時には、間違いなく乗込んで来るはずです。」 主人は時計を見た。ちょうど午前十時だった。 「よろしうございます。それまでにはちゃんとお部屋を用意いたして、皆様のお着をお待ちうけ申すでございましょう。」 支配人の後姿が見えなくなると、ホテルの主人は大急ぎで出入の大工を二、三人呼びよせた。そして二室続きの部屋と第三の室とを仕切っている壁板をぶち抜いて、そこに入口の扉をつけた。削り立ての板には乾きの速い塗料を塗り、緑色の帷を引張って眼に立たぬようにした。汚れたり傷がついたりしていた床の上には、派手な絨氈を敷いて、やっと註文通りの三室続きの部屋が出来上った。それは約束の午後五時に五分前のことだった。 それから暫くすると、支配人を先に、美しく着飾った Tetrazzini が入って来た。そしてホテルの主人から新しく出来上った部屋のいきさつを聞くと、満足そうにほほ笑んだ。 「まあ、そんなにまでして下すったの。ほんとうにお気の毒ですわ。」
だが、Tetrazzini よ。そんなに己惚れるものではない。女という女は、どうかすると相手の男の胸に、第二第三の新しい部屋をこしらえさせるもので、男がその鍵を滅多に女に手渡ししないから、女がそれに気づかないまでのことだ。――唯それだけのことなのだ。
[#改ページ]
演説つかい
バアナアド・ショウは、その脚本の一つで、英雄シイザアの禿頭を、若いクレオパトラの口でもって思う存分に冷かしたり、からかったりしている。どんな偉い英雄でも、クレオパトラのような美しい女に、折角隠していた頭の禿を見つけられて冷かされたのでは、少々参るに相違ない。 アメリカの法律家で、長いこと下院の雄弁家として聞えた男に Thomas Reed というのがあった。この男があるとき、まだ馴染のない理髪床へ鬚を剃りに入って往ったことがあった。 黒ん坊の鬚剃り職人は、髪の毛の薄くなった客の頭を見遁さなかった。そしてあわよくば発毛剤の一罎を客に押しつけようとした。 「旦那。ここんところが少し薄いようだが、こんなになったのは、随分前からのことでがすか。」 「禿げとるというのかね。」法律家は石鹸の泡だらけの頤を動かした。「わしが産れ落ちた時には、やはりこんな頭だったよ。その後人が見てうらやましがるような、美しい髪の毛がふさふさと生えよったが、それもほんの暫くの間で、すぐにまた以前のように禿げかかって来たよ。」 黒ん坊はそれを聞くと、鼻さきに皺をよせて笑っていたが、発毛剤のことはもうあきらめたらしく、黙りこくって剃刀を動かしていた。 客が帰って往った後で、そこに待合せていた男の一人が、今までそこで顔を剃らせていた客は、議院きっての雄弁家だということを話した。すると、黒ん坊は厚い唇を尖らせて、喚くようにいった。 「雄弁家だって。そんなこと知らねえでどうするものか。わしら誰よりもよくあの旦那が演説遣いだってえことを知ってるだよ。」
[#改ページ]
名前
1
劇場監督として聞えた Charles Frohman が、あるとき友人の劇作家 J. M. Barrie と連れ立って、自分の関係しているある劇場の楽屋口から入ろうとしたことがあった。 そこに立っていた門番の老人は、胡散そうな眼つきをして、先きに立った Frohman の胸を突いた。 「ここはあんた方の入る所じゃござりません。」 それを聞いた劇場監督は、すなおに頷いて後へ引き返した。 その場の様子を見た Barrie は、腑に落ちなさそうに訊いた。 「何だって君、あの爺さんに君の名前を打ち明けないんだね。」 「とんでもない。」劇場監督はびっくりしたように言った。「そんなことでもしてみたまえ。爺さん、おっ魂消て死ぬかも知れないぞ。あれは御覧の通りの善人で、唯もう仕事大事に勤めているんだからね。」
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] 下一页 尾页
|