蓑虫
1
空は藍色に澄んでいる。陶器のそれを思わせるような静かで、新鮮な、冷い藍色だ。 庭の梅の木の枝に蓑虫が一つぶら下っている。有合せの枯っ葉を縫いつづくった草庵とでもいうべきお粗末な住家で、庵の主人は印度人のような鳶色の体を少しばかし、まだ開けっ放しの入口の孔から突き出したまま、ひょくりひょくりと頭をふっている。何一つする仕事はなし、退屈でたまらないから、閑つぶしに頭でもふってみようかといった風の振方である。 そっと指さきで触ってみると、虫は急に頭をすくめて、すぽりと巣のなかに潜り込んでしまうが、しばらくすると、のっそりと這い上って来て、またしてもひょくりひょくりと頭をふっている。
2
むかし、支那の河南に武億という学者があった。ある歳の冬、友人の家に泊っていて除夜を過ごしたことがあった。その日の夕方宿の主人がこんなことをいい出した。 「旅に出て歳を送るのは、さだめし心細いものだろうと思うな。その心細さを紛らせるのに何かいいものがあったら、遠慮なくいってくれたまえ。」 すると、武億は答えた。 「有難う。じゃ酒を貰おうかな。酔ってさえいれば除夜も何もあったものではない。」 主人は客の好みに応じて蒙古酒一瓶に、豕肉と、鶏と、家鴨と、その外にもいろんな珍らしい食物を見つくろって武億をもてなした。客はその席に持ち出されたものはみんな飲みつくし、食べつくして、いい機嫌になっていたが、何となくまだ物足りなさそうにも見えるので、主人が気をきかせて、 「まだ欲しいものがあるなら、何なりともいってくれたまえ。」 というと、武億はとろんこの眼を睡そうに瞬きながら、 「何もない。ただ泣きたいばかりだ。」 といいも終らず、いきなり声をあげて小児のようにおいおい泣き出したそうだ。
武億が声をあげて泣き出したのは、したたか酒に食べ酔った後の所在なさ、やるせなさからで、蓑虫がひょくりひょくりと円い頭をふり立てているのも、同じ所在なさやるせなさの気持からだ。虫は春からこの方、ずっと青葉に食べ飽きて、今はもう秋冬の長い静かな眠りを待つのみの身の上だ。ところが、気紛れな秋は、この小さな虫に順調な安眠を与えようとはしないで、時ももう十月半ばだというのに、どうかすると夏のような日光の直射と、晴れきった空の藍色とで、虫の好奇心を誘惑しようとする。木の葉を食うにはもう遅すぎ、ぐっすり寝込むにはまだ早過ぎる中途半端な今の「出来心」を思うと、虫は退屈しのぎの所在なさから、小坊主のような円い頭をひょくりひょくりと振ってでもいるより外に仕方がなかったのだ。
3
むかしの人は、虫と名のつくものは、どんなものでも歌をうたうものと思っていたらしく、蚯蚓や蓑虫をも鳴く虫の仲間に数え入れて、なかにも蓑虫は 「父こいし。父こいし。……」 と親を慕って鳴くのが哀れだといい伝えられているが、ほんとうのことをいうと、蚯蚓と蓑虫とは性来のむっつりやで、今日まで一度だって歌などうたったことはないはずだ。蚯蚓が詩人と間違えられたのは、たまさかその巣に潜り込んで鳴いている螻蛄のせいで、地下労働者の蚯蚓は決して歌をうたおうとしない。黙りこくってせっせと地を掘るのが彼の仕事である。 それと違って、蓑虫が歌をうたわないのは、彼がほんとうの詩人だからだ。むかしの人もいったように、ほんとうに詩を知ることの深いものは、詩を作ろうとはしないものだ。声に出して歌うと、自分の内部が痩ることを知っているものは、唯沈黙を守るより外には仕方がない。――だから蓑虫は黙っているのだ。
支那の周櫟園の父はなかなかの洒落者で、老年になってから自分のために棺を一つ作らせて、それを邸内に置いていた。天気のいい日などに酒に酔っぱらうと、 「いい気持だ。こんな気持をなくしないうちに、今日は一つ死んでのけよう。」 といいいい、ごそごそその棺のなかに潜り込んで、ぐっすり寝入ったものだ。そして眠りから覚めると、多くの孫たちを呼び集め、懐中に忍ばせておいたいろんな果物を投げてやって、孫たちがそれを争い拾うのを眺めて悦んでいたということだ。――死の家から、若い生命の伸びてゆくのを見る娯しみである。
枯っ葉でつづくった蓑虫の草庵は、やがてまたその棺であり、墓である。そのなかで頭をふりふり世間を観じている蓑虫の心は、むかし周氏の父が味ったような遊びに近いものではなかろうか。 私にはそんなことが考えられる。
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松茸
1
西日のあたった台所の板敷に、五、六本の松茸が裸のままでころがっている。その一つを取り上げてみると、この菌特有の高い香気がひえびえと手のひらにしみとおるようだ。 ものの香気ほど聯想を生むものはない。松茸の香気を嗅いですぐに想い浮べられるものは、十月の高い空のもとに起伏する緑青色の松並木の山また丘である。馬には馬の毛皮の汗ばんだ臭みがあり、女には女の肌の白粉くさい匂いがあるように、秋の松山にはまた松山みずからの体臭がある。日光と霧と松脂のしずくとが細かく降注ぐ山土の傾斜、ふやけた落葉の堆積のなかから踊り出して来たこの頭の円い菌こそは、松山の赤肌に嗅がれる体臭を、遺伝的にたっぷりと持ち伝えた、ちゃきちゃきの秋の小伜である。
2
私たちの母国ほど、松の樹にめぐまれている土地は少かろう。高い山、低い山、高原、平野、畷道、または波うち際の砂浜に至るまで、どこにでも、松の樹の存在は見出される。遠いむかしに生きていたという蛟龍のような、鱗だらけの脊をして、偶に一人ぽっちで立っていないこともないが、多くの場合互に手を取り肩を並べて群生している。それも杉や樅などと異って、群生したからといって、同じ高さで同じ恰好に成長するのではなく、集団的生活を営みながらも、持って生れた自分の本性を損わないで、めいめい勝手にわが欲するがままに背を伸ばし、手を振りかざしている。全体として緑青と代赭との塊りとしか見えない松木立も、そのなかに入ってよく見ると、それぞれの樹が性向と姿態とを異にしているのに驚くことがよくある。多くの樹木が女の顔立と同じように、老齢の重みに圧されると、唯もう醜くなるのみなのに較べて、松の樹は男の容貌と同じように、歳とともに鍛錬せられゆく性格の重みを加え、環境との争闘から生じた痛ましい創痕を、雄々しくもむき出しに見せつけている。 松はこうした際立った性格のために、人間に愛敬せられるとともに、また松脂くさいその葉の呼吸で、あたりの大気に新鮮さを放散し、人間の気分に一味の健かさを与えている。私はこれまで自分の心に憂鬱の雲がかかると、いつもきまったように松木立のなかに入って行くことにしているが、松脂の香気に充ちた空気を胸一杯に吸い込むと、憂鬱は影もなく消えてゆき、心はいつのまにか気力と新鮮さとを取り返している。 むかし、足利尊氏は洛西等持院の境内にあった一本の松をこの上もなく愛していた。それはほととぎすの松といって、ほととぎすが巣をかけたことのある名木だった。実をいうと、この鳥はどんな場合にも、自分では巣を組まないで、鶯の家へこっそり卵を産み落し、雛をかえさせるので知られているほどだから、ほととぎすの巣だというのも、詮じてみれば鶯のそれだったかも知れないが、そんな詮索はどうでもいいとして、尊氏は愛賞のあまり、鎌倉へ下向の折にも、この樹のみはわざわざ持ち運ばせるのを忘れなかった。すると、鎌倉滞在中は樹に何となく生気がぬけていたが、主人の上洛とともに等持院に帰って来ると、急にまた元気づいて、葉の色も若やいで来たということだ。 私が松木立のなかに立って、持病の憂鬱がとみに軽くなるのを覚えるのは、ちょうどこのほととぎすの松が、寺の境内に帰って来て、生気を回復するのと同じように、ここに一つの郷土を感ずるからなのではあるまいか。ともかくも、それほどまでに松脂のにおいは、私たちの生活の奥深く滲み透っているように思われる。
3
松茸の蒸すようなにおいは、私をしてこんなことまでも聯想させた。だが、私は今病をいだいて、起居さえ不自由な境涯にある。松木立のなかで感じられる大気の辛辣さ新鮮さが、どんなに私を誘惑して、軽い動悸をさえ覚えさせるものがあろうとも、さしあたって私はどうするわけにもゆかない。 近江の石山寺に持ち伝えられた古文書を見た人の話によると、そのむかし、京都のある公卿が、一度ほととぎすを聞こうとは思うが、どうしても聞かれないので、霊験のあらたかな観世音に願って、都の空でこの鳥を鳴かせてほしいと、所望して来たことがそれに載っているそうだ。観世音に祈って、居ながらほととぎすが聞かれるものなら、病に居ても松木立のそぞろ歩きが出来ないこともなかろう。だが、それが出来ないというなら、そこにはまた想像と幻想というものがある。私はその自由な翼に乗って、どことなく松脂の匂いのする私の郷土へ飛ぶことが出来ようというものだ。
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影
1
閉てきった障子に、午後三時頃の陽があかるくあたって、庭さきの木芙蓉の影が黒くはっきりと映っている。 枝のたたずまい。花のさかずき。ぎざぎざの入ったもみじ形の葉。――そういうものが、くっきりと浮び出したように、白い障子のおもてにその横顔を投げている。 かまきりが一つ、高脚を踏ん張って、葉の裏にすがりついている。 雀が一羽、どこからか飛んで来て枝にとまると、そのはずみに枝が揺れ、葉が揺れ幹がかすかに揺れている。 小さな蜜蜂が、矢のように真っすぐに来て、蕊の高い花びらのなかに隠れたかと思うと、すぐにまた飛び出して往ってしまう。 いそがしい生活の動きだ。 木芙蓉がだしぬけに顔を、肩を、胸を、――、身体じゅうを皺くちゃにして笑い出した。風が吹いて来たのだ。 一瞬の間もじっとしていない自然の動きは、絶えず障子の影絵にその脈搏を伝え、影は刻々にその以前の姿態と心持とを塗抹し、忘却し、喪失して、それに更る新しい姿態と心持とを生み出している。その一刹那の影を捉えて、それにふさわしい形を与えることは、とても無駄な思いつきだろうか。
むかし、前蜀のなにがし夫人は、秋の夜長のつれづれに、ひとり室に籠って考え事に耽っていたが、ふと何かを見つけると、声に出して叫んだ。 「まあ、竹があんなところに……」 平素夫人が愛していた庭さきの竹が、仙女のような瘠せた清らかな影を、紙窓にうつしていた。いつのまにか空には月があがっていたのだ。 絵心の深かった夫人は、早速筆をとって窓の影そのままを一気に墨に染めた。かりそめの出来心がさせた戯れとのみ軽く思っていたこの竹の画は、後でよく見ると、幹も、枝も、葉も、溌溂として生意に富んだ、すばらしい出来だったそうだ。
夫人のこの画こそ、墨竹の初まりのようにいう人もあるが、そんなことはどうでもよい。忘れてはならないのは、夫人が少しの躊躇もなく、自然の一刹那の姿態を捉えたことによって、はちきれるばかり豊富に生意を画面に盛り得たことだ。
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自分の姿を見て満足を覚える人は、世間にざらにあるだろうが、自分の影を見て限りもない楽みを感ずる人は滅多にあるまい。 明末四公子の一人として、風流の名をほしいままにした冒巣民の愛妾小苑のごときは、その僅なうちの一人に相違なかった。 小苑が紅熟した桜桃をつまんで食べる時には、桜桃と唇との見わけがつかなかったというほどだから、どんなに美しい女だったかはほぼ想像することが出来る。二十七の若盛りで亡くなったので、冒氏は哀惜のあまり、自分の手でこの女の思い出を書き残しているが、それによると、小苑は自分の影を見ることが好きで、月夜には、ああか、こうかといろんな立姿を月あかりにうつして、興に入っていたものだそうだ。 あるとき、菊を贈ってよこした人があった、花のひかり、葉のつや、枝のたたずまいなど、見るから眼のさめるようなうつくしい花だった。そのおり小苑は病気で床に臥っていたが、やおら起きあがって、白地の六面屏風に花の三方をとりまかせた。そして自分も花の側に座を設けて、灯火が屏風へ投げる二つの影をいろいろと試み直していたが、いくらか疲れが出たらしくぐたりとなって、誰にいうともなく、 「菊の花はほんとうによく出来ているんだが、人間の方がこんなに痩っちまって……」 と悲しそうにつぶやいたということだ。
自分の姿態と、影と、心持とを、花のもつそれらと交錯させ、諧和させようとする試みは、多くの人が花を自分の好みにねじ曲げるようにするそれとは異って、確におもしろい行き方だと思う。
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さすらい蟹
1
今日蛤を食べていると、貝のなかから小さな蟹が出た。貝隠れといって、蛤や鳥貝の貝のなかに潜り込み、つつましやかな生活を送っている小さな食客だ。蟹という蟹が持って生れた争闘性から、身分不相応な資本を入れて、大きな親爪や堅い甲羅をしょい込み、何ぞといっては、すぐにそれを相手の鼻さきに突きつけようとする無頼漢揃いのなかにあって、これはまた何という無力な、無抵抗な弱者であろう。 そうした弱者であるだけに、こっそりとそこらの蛤の家に潜り込み、宿の主人といがみあいもしないで、仲よく同じ屋根の下で、それぞれの本性に合った、異った生活を営むことも出来るので、こんな貧しい、しかしまたむつまじい生活を与えてくれる自然の意志と慈愛とは、感嘆に値いするものがある。 この小さな蟹の第二指と第五指とが、人間のそれと同じように、第三指や第四指に比べて少し短いのは、どうした訳であろうか。自然はこんな目で測られないような小さなものにまで、細かい意匠の変化を見せて、同じものになるのを嫌っているのではなかろうか。
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他人の軒さきを借りて生活をする貝隠れとは打って変って、広い海の上を漂泊することの好きな蟹に「おきぐらぷすす」がある。胆の太い航海者が小さなぼろ船に乗って、平気で海のただ中に遠出をするように、この蟹はそこらに有合せの流れ木につかまって、静かな海の上を波のまにまにところ定めず漂泊するのが、何よりも好きらしい。この小さな冒険者に不思議がられるのは、彼が広い海の上を乗り歩く娯しみとともに、また新しい港に船がかりする悦びをも知っているらしいことだ。磯打つ波と一緒に流れ木がそこらの砂浜に打ちあげられると、蟹は元気よく波に濡れた砂の上におり立ち、まるで自分が新しい大陸の発見者ででもあるように、気取った足どりでそこらを歩き廻るそうだ。
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漂泊好きなこの蟹のことを考えるたびに思い出されるのは、年若くして亡くなった詩人増野三良氏のことだ。増野氏は生前オマア・カイヤムやタゴオルの訳者として知られていたが、そんな飜訳よりも彼自身のものを書いた方がよかりそうに思われるほど、詩人の気稟に富んだ男だった。 増野氏が大阪にいる頃、私は梅田駅の附近でたびたび彼を見かけたので、あるときこんなことを訊いたことがあった。 「よく出逢うじゃないか。君のうちはこの近くなの。」 増野氏の答は意外だった。 「いや、違います。僕は毎日少くとも一度はこの停車場にやって来るんです。自分が人生の旅人であることを忘れまいとするためにね。」 私は笑いながらいった。 「それはいいことだ。少くとも大阪のような土地では、旅人で暮されたら、その方が一等幸福らしいね。」 「僕は時々駅前の料理屋へ入って食事をしますが、そこの店のものに旅人あつかいをされると、僕自身もいつの間にかその気になって、この煤煙と雑音との都会に対して旅人としての自由な気持をとり返すことが出来るんです。僕はどんな土地にも、人生そのものにも、土着民であることを好みません。旅人であるのが性に合ってるんですよ。」 増野氏はこういって、女にしてみたいような美しい大きな眼を輝かせた。私はその眼のなかに、一片の雲のような漂泊好きな感情がちらと通り過ぎるのを見た。
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それから二、三日して、私は友人を見送りに、梅田駅の構内に立っていた。下りの特急列車が今着いたばかりで、プラットフォオムは多数の乗客で混雑していた。 ふと見ると、そのなかに増野氏が交って、白い入場券を帽子の鍔に、細身のステッキを小腋に抱込んだまま、ひとごみをかき分けかき分け、気取った歩きぶりで、そこらをぶらぶらしているのが眼についた。その姿を見ると、長い汽車旅行に飽きて、停車時間の暫くをそこらに降り立っている旅人の気持がありありと感じられた。 「人生の旅人か。」 私は増野氏のいった言葉を思い出して、この若い、おしゃれな「おきぐらぷすす」の後姿をいつまでも眼で追っていた。
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糸瓜
1
「これは驚いた。糸瓜の奴め、いかにもぶらりと下っていますね。のびのびと何の屈託もなさそうなあの姿を見ると、全くもって羨ましい。」 今日訪ねて来た医者のM氏は、応接室の窓越しに菜園の高棚にぶら下っている糸瓜を見つけて、さも感心したようにいった。 「全く苦労知らずの奴ですね。」 私がいうと、M氏は大きく頷いて、 「そうですよ。ほんとうに苦労知らずですよ。私もこの頃病院の仕事があまり多過ぎるので、過労のせいか、身体が思わしくないものですから、自宅に帰っているうちだけでも、仕事を忘れて暢気に暮したい。それには糸瓜でも眺めて、そののんびりした気持を娯んだらよかろうと思って、今年の夏は裏の空地へ糸瓜の種を蒔いてみました。ところが……」 「どうでした。出来ばえは。」 「お話になりません。生る糸瓜も、生る糸瓜も、小指のように細い、おまけに寸の伸びない、まるで胡瓜のような奴ばかりなんです。毎日糸瓜でも見て、その暢気そうな気持を味いたいと楽しんでいただけに、栄養不良の瘠っぴいを見ると、どうも気が気でなく、毎日いらいらさせられるばかりなので、何事も予期通りにはゆかないものだと思いました。」 「どうしたわけでしょう。土でも合わなかったかな。」 「土が合わない。あんな暢気な奴でも、そんな選り好みをしますか。」 M氏は不思議そうにいった。 「するでしょうな。それからまた糸瓜を長めに作ろうとするには、根を深く耕さなければならぬといいますが、ほんとうのことのようですね。」 「根を深く。なるほどそんなものかも知れませんな。ところで、お宅のあの糸瓜ですが……」M氏は椅子から少し腰を浮けて、窓外を覗き込むようにした。「あれは随分長いようじゃありませんか。どれほど寸がありましょうな。」 「さあ、どれほどありますかな。一向測ってみないもんですから……」 「へえ、折角あんなに伸びてるものを、それでは少し無関心に過ぎるじゃありませんか。しかし、ほんとうのことをいうと、糸瓜を植えて楽しもうという心は、寸を測るなどは、無用の沙汰とするかも知れませんね。」 M氏の言葉には、自然物に親んで、自分の心を癒そうとするもののみが知る愛と抛擲とがあった。
2
私が糸瓜の長さを測ってみようともしないのは、今年のものは去年のに較べて、一体に出来が悪く、寸が短いからでもあった。 去年のものはすべて出来がよく、おまけに素直で、どれ一つ意地くね悪く曲りくねろうとはしないで、七尺豊なものが背筋を並べて、すくすくと棚からぶら下っていた。 なかに一番長いのは、尖った尻のさきが土にとどきそうになっていたので、まさかの時の用意に、家のものが摺鉢形に地べたを掘窪めていたことがあった。 ある日、たずねて来た若い英文学者のI氏は、それをみるとにやにや笑い出した。 「ほう。糸瓜の下が円く掘下げられていますね。あれを見ると、僕うちの親父が上野の動物園にいた時分のことを思い出しますよ。」 「おとうさんは、動物園にもいられたんですか。」 I氏の父は名高い老博士で、日本で誰よりも先にダアウィニズムを紹介した動物学者であった。私も二、三度会ったことがあって、学者らしい学者として尊敬の念を抱いていた。 「それはずっと以前のことで、こんなことがありました。――」 といって、I氏は次のようなことを話し出した。
I博士が動物園をあずかっていた頃、世間に何か目出度いことがあって、その記念として、動物園では夫婦者の麒麟を購うことに決めた。人も知っているように、麒麟は多くの動物のうちでも、とりわけ首と脚とが長く、有合せの檻で辛抱させる訳にもゆかないので、どうしても新しいものを新調する必要があった。その設計書と経費の明細書とが、博士の上役にあたる博物館長あてに差出された。館長は生物のことなど少しも知らないKという老人だったので、経費は無雑作に半分方削られてしまった。 「いくら麒麟だって、こんなに費用をかけるのは勿体ない。第一、檻の高さがべら棒に高いじゃないか。」 老館長は眼鏡越しに年若な博士の顔を見ていった。 「いえ、それだけの高さのものが是非とも必要なんです。一体麒麟という獣は……」 博士はこの獣について事細かに述べ立てようとした。 「わかっとる。わかっとる。麒麟は生草を踏まず、生物を食わずといって、世にも有難い獣じゃ。」 館長は麒麟をアフリカ産のジラフだと知ろうはずがなく、名前を訊いただけで、すぐに支那人の想像から生れた霊獣を思い出しているらしかった。 「そんな霊獣でいて、おまけに背が高いんですから……」 「まあ、待ちなさい。君にいいことを教える。檻はこの設計書の半分の高さにこしらえなさい。」館長は大切な内証事を話すので、出し惜みをするらしく、一語一語金貨を数えるように、ゆっくりした調子でいった。「そして麒麟の頭が天井につかえるなら、床の地べたを幾らでも掘下げるんだ。いいかえ、天井を低くこしらえる代りに、地べたを深く掘下げるんだよ。」 博士はそれを聞いて苦笑するより外に仕方がなかった。
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茶の花
1
茶の花が白く咲いた。 茶は華美好きの多い草木のなかにあって、ひとり隠遁の志の深い出世間者である。裏庭の塀際か、垣根つづきに植えられて、自分の天地といっては、僅に方丈の空間に過ぎないことが多いが、唯いたずらに幹を伸し、枝を拡げるのは、自分の性分に合わないことを知っているこの灌木は、いかにも隠遁者らしい恰好で、まるまると背を円めて地べたにかいつくばっている。春から夏へかけて、多くの草木が太陽の「青春」と「情熱」とに飽酔しようとして、てんでに大きな、底の深い花の盃を高く持ち上げている頃には、彼は心静かに日向ぼっこをして、微笑を続けているばかしだ。そしてその騒々しい草木が、花を閉じ、葉を振い落してしまうと、この謙遜な隠遁者はやっと自分の番が来たように、厚ぼったい葉の蔭から小さな盃を持ち出して来る。それは白磁作りの古風なもので、彼はそれでもって初冬の太陽から水の滴りのような「孤寒」と「静思」とをそっと汲み取るのである。 渡鳥は毎日のように寒空を横切って、思い思いの方角へ飛び往くのが見られるが、みんな自分の旅にかまけていて、誰ひとり途の通りがかりに空地に下りて来て、この隠遁者を見舞おうとはしない。訪いもせず、訪われもせぬ閑寂な日が二、三日続いて、あるうすら寒い日の夕ぐれ前、灰色の着付をした小さな旅人がひょっくりと訪ねて来る。長めの尻尾を思いきり脊に反しているので、誰の眼にもすぐにそれがみそさざいであることが分ろうというものだ。 みそさざいは灰色の翼を持っていながら、空高く飛ぶことを心がけないで、絶えず物かげから物かげへと、孤独をもとめてさすらい歩くひとり者である。このひとり者はさびしい裏庭の茶の木が目につくと、自分の好みにそっくりな好い友だちが見つかったように、いきなり飛んでいって、厚ぼったい葉なみを潜りぬけたり、小枝につかまってとんぼ返りをうったりする。
2
画禅室随筆の著者董其昌は、茶を論じてこういったことがあった。 「茶は眼にとっては色である。鼻にとっては香である。身にとっては触である。舌にとっては味である。この四のものは皆茶の正性ではない。これを合せばあるが、これを離せばなくなってしまう。ありというのは種々法生で、なしというのは種々法滅である。色は眼をもっては観えない。香は鼻をもっては嗅げない。触は身をもっては覚れない。味は舌をもっては知れない。法界の茶三昧とはこれである。」 随分と気取った物のいいようであるが、それにしても茶を味わう場合には、この灌木の閑寂な生活を心頭より忘却しないようにしなければならぬ。
3
むかし、宋の書家として聞えた蔡襄が、その友歐陽修のために頼まれて、集古目録の序に筆を揮ったことがあった。その返礼として鼠鬚筆数本と、銅緑の筆架と、好物の茶と、恵山泉の名水幾瓶とを歐陽修から贈って来たものだ。蔡襄はそれを見て、 「潤筆料としては、少しあっさりし過ぎてるようだ。しかし、俗でなくて何よりだ。」 といって笑ったそうだが、その恵山泉の水で茶を煮ると、すっかりいい気になって、
此泉何以珍 適与真茶遇 在物両清純 於予独得趣 ………… …………
と詩を作って歌ったということだ。
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