自分は外へ出てみたくなる。藤さんは一人で座敷で縫物をしている。いっしょに浜の方へでも出てみぬかと誘うと、 「そうですね」と、にっこりしたが、何だか躊躇の色が見える。二人で行ったとて誰が咎めるものかと思う。 「だってあんまりですから」と、ややあって言う。 「何が」 「でもたった今これを始めたばかりですから」 「ついでに仕上げてしまいたいのですか」 「いいえ、そうじゃないのですけど、何だか小母さんにすまないから。――あたし行きたいんですけれど」 「では行けばいいじゃありませんか」 「そんなことはかまわないんですけどね、あたしこちらへまいってから、いつも鬱いでばかりいて、何一つろくにお手伝いしたこともないんでしょう」 自分は立膝をして、物尺を持って針山の針をこつこつ叩いて、順々に少しずつ引っこませていたが、ふと叩きすぎて、一本の針を頭も見えないようにしてしまう。幸にそれにはちょっとした糸がついていたので、ぐいとその糸を引くと、針はすらりと抜ける。 「もう一と月からになるのですのに、ずっと私そんなでしたものですから、今日は気分はいいし、私の方からそう言って、これを言いつかったのですのに」 「かまわないや、そんなことは」 「だって女はそうも……」と、針に糸を通す。 自分は素直に立って、独りで玄関へ下りたが、何だか張合が抜けたようでしばらくぼんやりと敷居に立っている。 と、 「兄さん」と藤さんが出てくる。 「あそこに水天宮さまが見えてるでしょう。あそこの浜辺に綺麗な貝殻がたくさんありますから、拾っていらっしゃいな」という。そんなに勢まないのだけれど、もうよそうとも言えないので、干し列べた平茎の中をぶらぶらと出て行く。 五六歩すると藤さんがまた呼びかける。 「あなたお背に綿屑かしら喰っついていますよ」 「どこに?」 「もっと下」 「このへんですか」 「いいえ」 「大きいのですか」 「あ、もうちょっと上」と言い言い出てきて取ってくれる。真綿の切れに赤い絹糸の絡んだのが喰っついていたのである。藤さんはそれを手で揉みながら、 「いいお天気ですね」という。いっしょに行ってみたいという念がそぶりに表われている。門を出しなに振り返ると、藤さんはまだうろうろと立っている。 「お早くお帰りなさいましな」 「ええ」と自分は後の事は何んにも知らずに、ステッキを振り廻しながらとことこと出て行ったけれど、二人はついにこれが永き別れとなったのである。 もちろんこの時には、借りた着物はもう着換えていた。着換えるまで自分は何の気もなしにいたけれど、こうして島の宿りに客となって、女の人の着物を借りて着たのかと思うと、脱ぐ段になって一種の艶な感じが起った。何だかもう少し着ていたいようにも思われた。そして、しばらく羽織の赤い裏の裏返ったのを見守った。自分の家なぞでは、こんな花やかな着物を脱ぎ捨ててあることはついに見られない。姉は十一で死んだ。その後家じゅうに赤い切れなぞは切れっ端もあったことはない。自分の家は冬枯れの野のようだとつくづくそう思う。そのうちにふと蛇の脱殻が念頭に浮んだ。蛇は自分の皮を脱いで、脱いだ皮を何と見るであろうかと、とんでもないことを考えだした時、初やがやってきて、着換えた着物を持って行った。 今自分は、その蛇が皿を巻いたような丘の小道をぐるぐると下りて行く。一曲りずつ下りるにつれて、女の歌っているのがおいおいに鮮かに聞き取れる。 「ねんねしなされ、おやすみなされ。鶏がないたら起きなされ」と歌う。艶やかな声である。 「おきて往なんせ、東が白む。館々の鶏が啼く」と丘を下りてしまうと、歌うのは角の豆腐屋のお仙である。すべてこの島の女はよく唄を歌う。機を織るにも畠を打つにも、舟を漕ぐにも馬を曳くにも、働く時にはいつも歌う。朝から晩まで歌っている。行くところに歌の揚らぬことがあれば、そこには若い女がいないのである。若い女はみんな歌う。そしてお仙なぞは一番うまい組のようである。 お仙は外に背中を向けて豆を挽いている。野袴をつけた若者が二人、畠の道具を門口へ転がしたまま、黒燻りの竈の前に踞んで煙草を喫んでいる。破れた唐紙の陰には、大黒頭巾を着た爺さんが、火鉢を抱えこんで、人形のように坐っている。真っ白い長い顎髯は、豆腐屋の爺さんには洒落すぎたものである。 「おかしかしかし樫の葉は白い。今の娘の歯は白い」 お仙は若い者がいるので得意になって歌っている。家について曲ると、 「青木さんよう」と、呼び止める。人並よりよほど広い額に頭痛膏をべたべたと貼り塞いでいる。昨夕の干潟の烏のようである。 「昨日来なんしたげなの。わしゃちょうど馬を換えに行っとりましての」と、手を休めて、 「乗りなんせい。今度のもおとなしゅうがんすわいの」と言ったかと思うと、またすぐに歌になる。 「親が二十で子が二十一。どこで算用が違たやら」 「ようい、よい」と野袴の一人が囃す。 横の馬小屋を覗いてみたが、中に馬はいなかった。馬小屋のはずれから、道の片側を無花果の木が長く続いている。自分はその影を踏んで行く。両方は一段低くなった麦畠である。お仙の歌はおいおいに聞えなくなる。ふと藤さんの事が胸に浮んでくる。藤さんはもう一と月も逗留しているのだと言った。そして毎日鬱いでばかりいたと言った。何か訳があるのであろう。昨夜小母さんがにわかに黙ってしまったのは、眠いからばかりではなかったらしい。どういうことなのであろうかとしきりに考えてみる。 後から鈴の音が来る。自分はわが考えの中で鳴るのかと思う。前から藁を背負った男が来る。後で、 「ごめんなんせ」という。振り向くと、馬の鼻が肩のところに覗いている。小走りに百姓家の軒下へ避ける。そこには土間で機を織っている。小声で歌を謡っている。 「おおい」と言って馬を曳いた男が立ちどまる。藁の男は足早に同じ軒下へ避ける。馬は通り抜ける。蜜柑を積んでいる。 と、 「まあ誰ぞいの」と機を織っていた女が甲走った声を立てる。藁の男が入口に立ち塞って、自分を見て笑いながら、じりじりとあとしざりをして、背中の藁を中へ押しこめているのである。 「暗いわいの」と女がいうと、 「ふふふ」と男は笑っている。打とけた仲かもしれない。 ふたたび藤さんの事を考えつつ行く。初やは事情を知っているかもしれぬ。あれに喋らせてみようかしらと思う。 このあたりはすべて漁師の住居である。赤ん坊を竹籠へ入れて、軒へぶらぶら釣り下げて、時々手を挙げて突きながら、網の破れをかがっている女房がある。縁先の蓆に広げた切芋へ、蠅が真っ黒に集って、まるで蠅を干したようになっているのがある。だけれど、初やに聞くというのは、何だか、小母さんが言わないでいることを蔭へ廻って探るようで変である。聞くまい。知れる時には知れるのだ。自分はなぜこんなに藤さんの事を気にするのであろう。たんに好奇心というにすぎないのであろうか。 この時自分は、浜の堤の両側に背丈よりも高い枯薄が透間もなく生え続いた中を行く。浪がひたひたと石崖に当る。ほど経て横手からお長が白馬を曳いて上ってきた。何やら丸い物を運ぶのだと手真似で言って、いっしょに行かぬかと言うのである。自分はついて行く気になる。馬の腹がざわざわと薄の葉を撫でる。 そこを出ると水天宮の社である。あとで考えると、このへんで引き返しさえしたらよかったのに、自分はいつまでも馬の臀について、山畠を五つも六つも越えて、とうとお長の行くところまで行ったのであった。谷合いの畠にお長の双た親と兄の常吉がいた。二三寸延びた麦の間の馬鈴薯を掘っていたのである。 「まあ、よう来てくれなんしたいの」と言ってみんなで喜ぶ。爺さんは顔じゅうを皺にして、 「わしらはあんたが往んなんしたあと、いつまでもあんたの事ばかり話していたんぞ」とにこにこする。
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