五十九
久「えゝお抱えに成りましたと云うのは、宇陀の浅間山に北條彦五郎という泥坊が隠れていて、是は二十五人も手下の者が有るので、合力という名を附けて居廻りの豪家や寺院へ強談に歩き、沢山な金を奪い取るので、何うもこりゃア水戸笠間辺までも暴すから助けて置いては成らぬと云うので、城中の者が評議をした、ところが何うも八州は役に立たぬから早川様が押えようという事になって、就きましては凡そ二百人も人数が押出しました押出して浅間山を十分に取巻いて見た所が、北條彦五郎は岩穴の中に住んでいる、その穴の入口が小さくて、中へ這入るとずっと広くて、其処に家を拵えて住居として居り、また筑波口の方にも小さい岩穴が有って、これから是れへ脱けるように成って居るから、此方の方を固めて居ても、此方の方から谷に下りて水を汲んだり、或は百姓家で挽割を窃み、米其の外の食物を運んで隠れて居ります、さ、これでは成らぬと槍鉄砲を持って向った所が穴の中が斯う成ってゝ鉄砲丸が通らぬから、何様な事をしてもいかぬ、所でもう是りゃア水攻めにするより外に仕方が無いと云って、どん/\水を入れて見ると、下へ脱けて落る処が有るから遂々水攻も無駄になって、何うしたら宜かろうと只浅間山を多勢で取巻いて居るだけじゃが、肝腎の彦五郎は裏穴から脱けて、相変らず人を殺したり追剥を為るので、これには殆ど重役が困っている所に、一人の修行者が来て、あなた方は幾ら此処を取巻いて居ても北條彦五郎を取押える事は出来ません、殊に北條彦五郎は大力無双で、二十五人力も有るという事だから、兎てもいけぬに依ってお引揚げなさいと云うから、引揚げたら何うすると云うと、私一人に盗賊取押え方を仰付けられゝば有難いと云うので、然らば修行者は何のくらいな力が有るかと云うと、私は力が有ります、何うか盗賊取押えを仰付けられたいと云うから、段々評議をした所が、何せ今までのように頑張っていても出るか出ないか知れぬから、当人が取押えると云うなら遣らして見ろという仰しゃり付けで、これから其の修行者に取押えを言い付けた所が、其奴のいうには手前の脊負った笈に目方が無くては成らぬから、鉄の棒を入れるだけの手当を呉れと云うから、多分の手当を遣ると全く金を取って逃げる者でも無く、それから手当の金で鉄の重い棒を買い、笈の中へ入れて、彼の北條彦五郎の隠れて居るという穴の側へ行って、其処へ笈を放り出して、労れた振をして修行者が寝て居ると、ある月夜の晩に彦五郎の手下が穴の側へ見張に出て見ると、修行者が居るから、「これ何うした」「私は歩けません」「何ういう訳で歩けぬ」「道に労れて歩けませんから、寝て居ります」と云うと、「此処に居ては成らぬから行け」「行くにも行かないにも荷物が脊負えません」「脊負えぬなら脊負わせて遣ろう」と云うので手下の奴が動かそうとしたが中々動かぬから、こりゃア何ういう重い物だか、是を脊負うのは剛い者だといって手下の者が皆寄ったが持てぬから「手前これを脊負って歩くか」「歩けますが、此の通り足を腫らしたから仕様が有りません」と云うので足を出して見せると、巧く拵えて膏薬を貼って居て「これだから担げません」と云うから「手前は何のくらい力がある」「私は五十人力ある」と云うと、手下の奴が「そりゃア嘘だろう」「なに嘘じゃアない」「いや嘘だ、嘘は泥坊の初まりだが、こりゃア手前が嘘だ」「いや決して嘘でない」という争いになると、北條彦五郎が、なに此の位の物を脊負って動けぬことが有るものかと云うので、連尺を附けて脊負って立ちやアがった、大力無双の奴だから、脊負って立ちは立った所が歩けないで、やっとよじ/\五六足歩くと、修行者が後から突飛したから、ぐしゃッと彦五郎が倒れると、恐ろしい目方の物が上へ載ったから動きも引きも出来ない、すると修行者に首領が打たれたと云うから、そりゃアと鉦太鼓で捕人が行って、手下の奴を押えて吟味すると何処から這入って何処から脱けるという事まですっぱり白状に及んだから、よう/\の事で浅間山の盗賊を掃除したと云うので、是れから其の修行者は剣術も心得て居るだろうから当家へ抱えろという事になって、これまで桜川の庵室に居ったから苗字を櫻川と云って五十石にお抱えに成ったが、知慧もあり剣術も出来て余程賢い奴だ、其の荷を拵えた工合は旨いもので、動けない様にする工夫が巧いものじゃアないか」 山「へえ、それは全く修行者で、六部でげすか」 久「いや段々聞いたら何でも尋常の奴でない、人の噂でも何うも尋常漢でない、大かた長脇差では無いかという評判を立てたら、当人がそんならお話をいたしますが、実は私は元は侍で、榊原藩でございますと云ったそうだが、面部に疵を受けた、総髪の剛い奴で」 山「それは何でげすか、名はなんと」 久「名は櫻川という処に居った者で、櫻川又市と云う」 山「へえ桜川という処の者で」 久「いゝえ桜川の庵室に居ったから、それを姓として櫻川又市というので、面部に疵があり、えゝ年は四十一二で、立派な逞ましい骨太の剛い奴で」 山「左様でげすか、そりゃア立派な者でげすなア、何うもその才智もえらい者だが、私は何卒して其の方を見たいものでげすな」 久「なに、時々下屋敷へも来ますよ」 山「只今は何方に」 久「今は小川町の上屋敷に居ります」 山「若しお下屋敷へお出でになったら一寸教えて下さいませんか、何れそりゃア尋常漢では有りませんなア、こりゃア見たいな、何ういう男か一度は見て置きたいが何うか一寸ねえ」 久「そりゃア造作もない事だから知らせましょう」 山「じゃア一寸知らせて下さい、別にお礼の致し方は無いが、あなたの非番の時に無代療治をして、好い茶を煎れて菓子を上げる位の事は致しますから」 久「それははや、そんな旨い事は無い、こりゃア有難いが、それは茶と菓子ばかりで療治の代を取らぬと云うこたア有りません、今度来たら屹度知らせますが、滅多に此方へは来ません」 山「何うか知らせて」 久「えゝ宜しい」 山「さア御療治」 と云うので療治を致して、旨い菓子などを食わせて帰しました。跡で山平は、 山「屹度それに相違ない、何うかして見顕わして遣りたいもの」 と、中村に頼んで櫻川の来るのを待って居ると、天命免れ難く、十月十五日に猿子橋でお繼が水司又市と出遇いますると云う、これから愈々巡礼敵討のお話でございます。
六十
さて図らずも白島山平が敵の手掛りを聞きましたから、お繼が帰って来るのを待って話を致すと、飛立つ程に悦び、 繼「少しも早く土屋様のお屋敷へ参って」 と云うを、 山「いや未だ確と認めも付かぬうち、先の様に人違いをしては成らぬ、人には随分似た者もあり、顔に疵のある者も有るから、先達ての人違いに懲りて、これからは善く/\心を落着け、確と面体を認めてから静かに討たんければ成らぬ、殊に汝は剣術が出来てもまだ年功がなし年も往かぬから其の痩腕では迚も又市には及ばぬ、私も共に討たんでは成らぬ、殊にお照の為にはお兄様の仇であり、年頃心に掛けて居る事ゆえ、お前一人で討つわけには往かぬに依って、宜く心を静めて又市が下屋敷へ参る時に認めて、私が討たせるから」 と言聞けて置きましたが、お繼は是を聞いてからは何卒早く又市を見出したいと心得、土屋様の長屋下を御詠歌を唄って日々に窓から首を出す者の様子を窺います所が、ちょうど十月の十五日の日でございます、浅草の観音へ参詣を致して、彼れから下谷へ出まして本郷へ上り、それから白山へ出て、白山を流して御殿坂を下り、小石川極楽水自証院の和尚に逢って、丁度親父の祥月命日、聊か志を出して、何うかお経を上げて下さいと云う。和尚も巡礼の身上で聊かでも銭を出して、仏の回向をして呉れと云うのは感心な志と思いましたから、懇ろに仏様へ回向を致します。お経の間待って居りますると、和尚が茶を点れたり菓子を出したり、また精進料理で旨くはないが、有合で馳走に成りまして、是から極楽水を出まして、彼れから壱岐殿坂の下へ出て参り、水道橋を渡って小川町へ来て、土屋様の下屋敷の長屋下を御詠歌を唄って、ひょっとして窓から報謝をと首を出す者が又市で有ったら何ういたそうと、八方へ眼を着けて窓下を歩くと、十月十五日の小春凪で暖かいのに、すっぱり頭巾で面を隠した侍と、外に二人都合三人連の侍が通用門を出まして小川町へかゝるから、顔を隠しては居るが、ひょっとしたら彼れが又市ではないかと、段々見え隠れに跡を追って参ります、なれども頓と様子が分りません。すると伊賀裏まで来ると一人の侍は別れ、後は二人になりまして、 侍「あゝ大きに熱うございました」 と云う。これは成程熱い訳で、気候がぽか/\暖かいに、頭巾を冠っていては堪らん訳でございます。やがて頭巾を取ると総髪の撫付で、額には斯う疵がある、色黒く丈高く、頬から頤へ一抔に髯が生えている逞しい顔色は、紛れもない水司又市でございますから、親の敵と直に討掛かろうと思ったが、まだ連の侍が一人居りまするから、段々見え隠れに付いて参ると、浜町へ出まして、彼れから大橋を渡りますると、また一人の侍は挨拶をいたして別れ、御船蔵前へ掛って六間堀の方へ曲りますと、水司又市は一人になりまして、深川の元町へ掛って来たから最う我慢は出来ません。先へ通り抜けると、御案内の通り片側は籾倉で片側町になって居りまして、竹細工屋、瀬戸物屋、烟草屋が軒を並べて居り、その頃田月堂という菓子屋があり、前町を出抜けて猿子橋にかゝりますると、此方は猿子橋の際に汚い足代を掛けて、苫が掛っていて、籾倉の塗直し、其の下に粘土が有って、一方には寸莎が切ってあり、職人も大勢這入って居るが、もう日が西に傾きましたから職人も仕事をしまいかけて居ります、なれども夕日は一ぱいに映す。其の中に空は時雨で曇って、少し暗くなりました所で、笠を取って刎除け、小刀を引抜きながら、 繼「親の敵」 と名告りながらぴったり振冠った時は、水司又市も驚いたの驚かないの、恟り致して少し後へ退る。往来の者も驚きました。人中で始まったから、はあと皆後へ下りました。ちょうど此の時白島山平は少しも心得ませんから療治を致して一人の客を帰した後で、茶を点れて一服遣って居りますると、入口から年四十二三の色の浅黒い女が、半纒を着て居りましたが、暖かいから脱ぎまして、包へ入れて喘々して、 女「少しお頼みでございますがお手水場を拝借致しとうございます」 照「はい其処は汚のうございますが、何ならお上りなすって」 女「いゝえ、汚ない処が心配が無くって宜しゅうございます」 とつか/\と雪隠へ這入り頓て出て参って、 女「あの少しお冷水を頂き度いもんでございます、此処に有るのを頂いても宜しゅうございましょうか」 照「其処にも有りますが、汚のうございますから、是れで……さア水を」 と柄杓で水を出すから、 女「有難うございます」 と手に水を受けながら顔を見て、 女「おや」 照「おやまアお前はきんかえ」 きん「あら誠にお嬢様」 照「なにお嬢様どころではないお婆様だよ」 きん「誠に暫く」 照「まア思掛けない……あの旦那様きんが」 山「なに」 照「あのそれ団子屋のきんが」 きん「おや/\あの山平様、誠に何うもまア貴方何う遊ばしたかと存じて居りましたが、宜くまアそれでも……私は何うもお見掛け申したお方だと考えて居りましたが、貴方の方がお忘れ遊ばさずにきんと仰しゃって下すった」 照「私は彼の時は元服前で見忘れたろうが、私は何うも見た様だと思い、お前が口を利く声柄で早く知れましたよ」 きん「誠に何うも思掛けない、まア/\旦那様御機嫌宜しゅう、何うしてね此処に入らッしゃるのでございますえ」 山「はい長い間旅をして、久しく播州の方へ参って、少しの間世帯を持って居たり、種々様々に流浪致し、眼病に成ってから故郷懐かしく、実は去年から此処へ来て世帯を持って居る」 きん「何うも些とも存じませんよ、尤も此方の方へは滅多には参りませんけれどもねえお嬢様、あらついお嬢様と云って、あの御新造様え、私の亭主の傳次と申します者は旅魚屋でございますが、商売に出ても賭博が好きで道楽ばかりして、女房を置去り同様音も沙汰もしずに居ましたが、旅魚屋の仲間の者が帰って来て聞きましたら、三年前に信州の葉広山とか村とかいう処で悪い事をして斬殺されたと聞きましたが、それとは知らず一旦亭主にしましたから、私は馬鹿が夫を待つという譬の通り、もう帰るかと待って居りましたが、三年経っても音沙汰がない所へ、それを聞いてから、日は分りませんが私もまア出た日を命日としまして、猿江のお寺へ今日お墓参りをして、其処に埋めた訳でも有りませんけれども、まア志のお経を上げて帰って来る道で、あなたにお目に懸るとは本当にまア思掛けない事でねえ」 照「本当にねえ、だがお前は矢張あの上野町に居るのかえ」
六十一
きん「はい上野町に居りましたが、彼の近辺は家がごちゃ/\して居ていけませんし、ちょうど白山に懇意なものが居りまして、あちらの方はあの団子坂の方から染井や王子へ行く人で人通りも有りますし……それに店賃も安いと申すことでございますから、只今では白山へ引越しまして、やっぱり団子茶屋をして居りますがねえ、何うも何でございますね、何うもつい此方の方へは参りませんで」 山「じゃア何か屋敷の様子はお前御存じだろうが、武田や何か無事かえ」 照「あ、お父様やお母様はお達者かえ…今以て帰る事も出来ない身の上で」 きん「あの御新造様も大旦那様もお逝去になりました、それに御養子はいまだにお独身で御新造も持たず、貴方がお出遊ばしてから後で、書置が御新造様の手箱の引出から出ましたので、是は親不孝だ、仮令兄の敵を討つと云っても、女一人で討てるもんじゃ無い、殊に亭主を置いて家出をしては養子の重二郎に済まない、飛んだことだと云って御新造は一層御心配遊ばして、お神鬮を取ったり御祈祷をなすったりしましたが、それから二年半ばかり経ちまして、御新造がお逝去になり、それから丁度四年ほど経って大旦那様もお逝去」 照「おやまア然うかえ、心得違いとは云いながら親の死目にも逢われないのは皆な不孝の罰だね……私も家を出る時には身重だったが、翌年正月生れたんだよ」 きん「そう/\お懐妊でしたね」 照「それが女の子で、旅で難儀をしながらも子供を楽みに何うかしてと思って、播州の知己の処へ行って身を隠し、少しの内職をして世帯を持っていた所が、其処も思う様に行かず、それから又長い旅をして、その娘も十五歳まで育てたが亡なったよ」 きん「へえお十五まで、それは嘸まア落胆遊ばしたでございましょう、お力落しでございましょう御丹誠甲斐もない事でねえ」 照「まア種々話も聞きたいから少し……」 山「何だか表が騒がしいが何だ」 と云って聞いて居ると、ばら/\/\/\と人通りがして、 甲乙「なに今敵討が始まった、巡礼の娘と大きな侍と切合が始まった、わーッ/\」 と云って人が駈けて通るから山平は驚きまして、 山「これ何を、それ大小を出しな」 きん「何でございますえ」 山「何でも宜しいから大小を……きんやお前此処に居て…お前居ておくれ、二人往かなければならんから留守居をして」 金「何うなすったんでございますえ」 山「何うなすった所じゃア無い何うでも宜しいから早く」 と是れから裾を端折って飛出したが、此方は余程刻限が遅れて居ります。お話は元へ戻りまして、お繼が親の敵と切りかけました時は水司又市も驚いて、一間ばかり飛退って長いのを引抜き、 又「狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]め」 と云うと往来の者はどやどや後へ逃げる、商人家ではどか/\ッと奥に居たものが店の鼻ッ先へは駈出して見たが、少し怖いから事に依ったら再び奥へ遁込もうと云うので、丁度臆病な犬が魚を狙うようにして見ている。四辺は粛然として水を撒いたよう。お繼は鉄切声、親の敵と呼んで振冠ったなり、面体も唇の色も変って来る。然うなると女でも男でも変りは無いもので、 繼「私を見忘れはすまい、藤屋七兵衞の娘お繼だ、汝は永禪和尚で、今は櫻川又市と云おうがな」 と云う其の声がぴんと響く。その時に少し後へ下って又市が、 又「何だ覚えはないわ、左様な者でない」 とは云っても覚えが有るものでございますから、其所は相手が女ながらも心に怯れが来て段々後へ下る。すると段々見物の人が群って、 甲「何でげす」 乙「今私は瀬戸物屋へ買物に来て見ていると、だしぬけに親の敵と云うから、はッと跡へ下ろうと思うと、はッと土瓶を放したから、あの通り石の上へ落ちて毀れてしまいました、あゝ驚きました、何うも彼の娘でげすな」 甲「へえ彼の娘が敵討だと云って立派な侍を狙うのですか、感心な娘で、まだ十七八で美い女だ、今は一生懸命に成ってるから[#「成ってるから」は底本では「成ってるらか」]顔つきが怖いが、彼れが笑えば美い女だ」 乙「へえ、それは感心、あゝ云う巡礼の姿に成って居るが、やっぱり旗下のお嬢様か何かで、剣術を知らんでは彼の大きな侍に切掛けられアしない、だが女一人じゃア危ないなア、誰か出れば宜いなア」 丙「危ないから無闇に出る奴は有りやアしません」 甲「だって向うは大きな侍、此方はか弱い娘で……あゝけんのんだ」 と見物がわい/\と云う。 丙「おい早く差配人さんへ知らせろ」 丁「おれの差配人さんでは間に合わない、何処の差配人さんへ然う云うのだ」 丙「差配人さんが間に合わぬなら自身番へ知らせろ……あッあー…危ねえ/\敵討は何とか云いましたか」 乙「何と云ったか聞えやアしない」 乙[#「乙」はママ]「何とか云ったッけ、汝を討たんと十八年」 甲「何を云やアがる騒々しい喋っちゃアいけねえ」 丙「あゝ危ねえ/\」 と拳を握って見ている、人は人情でございますから、何うぞして娘に勝せたい、娘に怪我をさしたくないと見ず知らずの者も心配して、橋の袂に一抔人が溜って居りますが、中々助太刀に出る者は有りません。 甲「向うに侍が二人立って見ているが、彼奴が助太刀に出そうなもんだ、何だ覗いて居やアがる、本当に不人情な侍だ、あの畜生打擲れ」 とわい/\云う中に、 繼「親の敵思い知ったか」 と一足踏込んで切下すのを、ちゃり/\と二三度合せたが、一足下って相上段に成りました。よく上段に構えるとか正眼につけるとか申しますが、中々剣術の稽古とは違って真剣で敵を討とうという時になると、只斬ろうという念より外はございませんから、決して正眼だの中段などという事はない、唯双方相上段に振上げて斬ろう/\と云う心で隙を覘う、水司又市も眼は血走って、此の小娘只一撃と思いましたが、一心凝った孝女の太刀筋、此の年四月から十月まで習ったのだが一生懸命と云うものは強いもので、少しも斬込む隙がないから、此奴中々剣術が出来る奴だなと思い、又市も油断をしませんで隙が有ったら逃げようかなんと云う横着な根生が出まして、後へ段々下る、此方も油断はないけれども年功がないのはいかぬもので、段々呼吸遣いが荒くなって労れて来るから最早死物狂いで、 繼「思い知ったか又市」 と飛込んで切込むのを丁と受け、引く所を附け入って来るから、一足二足後へ下ると傍の粘土に片足踏みかけたから危ういかな仰向にお繼が粘土の上へ倒れる所を、得たりと又市が振冠って一打に切ろうとする時大勢の見物の顔色が変って、 見物「あゝ」 と思わず声を上げました。
六十二
見物「あゝ危ねえ、誰か助太刀が出そうなものだ」 と云って居るが、誰も出る者はない。すると側に立って居たのは左官の宰取で、筒袖の長い半纏を片端折にして、二重廻りの三尺を締め、洗い晒した盲縞の股引をたくし上げて、跣足で泥だらけの宰取棒を持って、怖いから後へ下って居たが、今鼻の先へ巡礼が倒れ、大の侍が振冠って切ろうとするから、人情で怖いのを忘れて、宰取棒で水司又市の横っ面をぽんと打った。 見物「あゝそら出た/\助太刀が出た、誰か出ずには居ないて、何うも有難うございます、いゝえ中々一人では討てる訳がない、あれは姿を※[#「窶」の「穴かんむり」に代えて「うかんむり」、「窶」の俗字、514-11]して居ても、屹度旗下の殿様だ、有難い/\」 と喜び、わア/\と云う。又市は横面を打たれるとべったり顔に泥が付いたが、よもや斯ういう者が出ようとは思わぬ所だから、是れに転動したと見え、ばら/\/\/\と横手へ駈出した。すると宰取は追掛けて行って足を一つ打払うと、ぱたーり倒れましたが、直ぐに起上ろうとする処を又た打ちますと、眉間先からどっと血が流れる。すると見物は尚わい/\云う。 見物「そら逃げた殴れ/\」 と云う奴があり、又石を投げる弥次馬が有るので、又市は眼が眩んで、田月堂という菓子屋へ駈込んだから菓子屋では驚きました。店の端先へ出て旦那もお内儀も見ている処へ抜身を提げた泥だらけの侍が駈込んだから、わッと驚いて奥へ逃込もうとする途端に、蒸したての饅頭の蒸籠を転覆す、煎餅の壺が落ちる、今坂が転がり出すという大騒ぎ。商人の店先は揚板になって居て薄縁が敷いてある、それへ踏掛けると天命とは云いながら、何う云う機みか揚板が外れ、踏外して薄縁を天窓の上から冠ったなりどんと又市は揚板の下へ落ちる、処へ得たりとお繼は、 繼「天命思い知ったか」 と上から力に任して抉ったから、うーんと苦しむ。すると嬉しがって左官の宰取が来まして 宰取「この野郎/\」 と無闇に殴る処へ、人を分けて駈けて来たのは白島山平。 山「巡礼の娘お繼と申す娘は何処に居りますか」 繼「あゝお父様」 山「おゝ/\/\討ったか」 繼「お父様宜く来て下すった」 山「それだから申さぬ事じゃア無い一人で……怪我は無いか」 繼「いゝえ怪我は致しませぬ、首尾好く仕留めました」 山「あゝそれは感服、敵の又市は何処にいる」 繼「縁の下に居ります」 山「縁の下に……じゃア縁の下へ隠れたか」 繼「いゝえ只今落ちましたから其処を上から突きましたので」 山「うん然うか、やい出ろ」 と髻を取ってずる/\と引出しますと、今こじられたのは急所の深手、 又「うーん」 と云うと田月堂の主人はべた/\と腰が抜けて奥へ逃げる事も出来ません。山平が是を見ると、地面まで買ってくれた田月堂の主人が鼻の先に居るから、 山「これは何うもお店を汚しまして何とも、御迷惑でございましょうが、これは手前娘で、先達て鳥渡お話をいたした、な、が全く親の仇討に相違ございません、委しい事は後でお話を致しますが、決して御迷惑は懸けませんから御心配なく」 と云ったが田月堂の主人は中々口が利けません。 田月の主「え…あ…うん…うんお立派な事でございます」 と泣声を出してやっと云いました。 山「さア是れへ出ろ、これへ参れ……これ見忘れはせぬ、大分に汝も年を取ったが此の不届者め、汝が今まで活きているのは神仏がないかと思って居た、この悪人め、汝は宜くも己の娘のおやまを、先年信州白島村に於て殺害して逐電致したな、それに汝は屋敷を出る時七軒町の曲り角で中根善之進を討って立退いたるは汝に相違ない、其の方の常々持って居た落書の扇子が落ちて居たから、確に其の方と知っては居れど、なれども確かな証がないから其の儘打捨ておかれたのであるが、少女に討たれるくらいの事だから、最早どうせ其の方助かりはしない、さア汝も武士だから隠さず善之進を討ったら討ったと云え、云わぬ時に於ては五分試しにしても云わせる、さア云わんか」 と面を土に摺付けられ苦しいから、 又「手前殺したに相違ござらん」 と云うのが漸と云えた。 山「繼、予て一人で手出しをしては成らぬと云って置いたが、お前一人で此奴を宜く討ったな」 繼「はい此処においでなさいますお方様が、私が転びまして、もう殺されるばかりの処へ助太刀をなすって下すったので、何卒此のお方様にお父様お礼を仰しゃって」 山「うん此のお方が……何うもまあ」 宰取「はアまことに何うもお芽出度うございます、なに私は側に立っていて見兼たもんですから、ぽかり一つ極ると、驚いて逃げる所を又打殴ったんだか、まア宜い塩梅で……お前さんは此の方のお父さんで」 山「えゝ何うも恐入りました、只今は然ういうお身形だが、前々は然るべきお身の上のお方と存じます、左もなくて腕がなければ中々又市を一撃にお打ちなさる事は出来ぬ事でな、えゝ御尊名は何と仰しゃるか必ず然るべきお方でございましょう」 宰取「うーん、なに私は弥次馬で」 山「矢島様と仰しゃいますか」 宰取「うん、なに矢島様じゃアねえ、只私は見兼たからぽかり極めたので……お前さん親の敵だって親が在るじゃアねえか」 山「いやこれは手前養女でござる、実父は湯島六丁目の糸問屋藤屋七兵衞と申す、その親が討たれた故に親の敵と申すので、只今では手前の娘に致して居ります」 宰取「えゝ藤屋七兵衞、おい、それじゃア何か、妹のお繼か」 繼「あれまア何うも、お前は兄さんの正太郎さんでございますか」
六十三
正「おゝ正太郎だ……何うも大きくなりやアがった此畜生、親父は殺されたか……えゝなに高岡で、然うか、己ア九才の時別れてしまったから、顔も碌そっぽう覚えやしねえくれえだから、手前は猶覚えやアしねえが、己が此処へ仕事に来ていると前へ転んだから、真の弥次馬に殴ったのが、丁度親父を殺した奴を打殴ると云うなア是が本当に仏様の引合せで、敵討をするてえのは……何う云う訳なんです」 山「訳を申せば長いことでござる、予て噂に聞ましたがお前が正太郎様で、葛西の文吉殿の方に御厄介に成っていらしった」 正「え……彼れは叔父で……お繼、何か小岩井のお婆さんの処え行きてえから、お婆さんに己の詫言して呉んねえ、父の敵を討つ助太刀をしたと云う廉で詫言をして呉んねえ、己アもう腹一抔借尽して、婆さんも愛想が尽きて寄せ附けねえと云うので、己も行ける義理は無えからなア、土浦へ行って燻ぶって居たが、その中に瘡は吹出す、帰る事も出来ず、それからまア漸との事て因幡町の棟梁の処え転がり込んだが、一人前出来た仕事も身体が利かねえから宰取をして、今日始めて手伝に出て、然うして妹に遇うと云うなア不思議だ、こりゃア神様のお引合せに違え無え、何うも大きく成りやアがったなア此畜生、幼せえ時分別れて知れやアしねえ、本当に藤屋の娘か、おい立って見や……これをお前さんのとこの子にしたのか……一廻り廻れ」 などと云う。 山「誠に是れは思掛けないことで、何うもその死んだ七兵衞殿のお引合せと仰しゃるは御尤もなこと、実は私の忰山之助と申す者と三年前から巡礼を致して、長い間旅寝の憂苦労を重ね、漸く今日仇を討ちましたが、山之助は先達て仔細有って亡なりました、それ故に手前忰の嫁故引取り娘に致して、手前が剣術を仕込みまして、何うやら斯うやら小太刀の持ち様も覚える次第、まことに思掛けないことで、葛西の文吉様にもお世話に成りましたから、手前同道致してお詫言に参りましょうが、まア兎も角も敵の……えゝ人が立って成らぬなア」 正「私が一太刀」 山「いや、お前はお兄様でも初太刀は成りません、お繼は七年このかた親の仇を討ちたいと心に掛けましたから、お繼が初太刀で、お前は兄様でも後ですよ」 正「兄でもからもう面目次第もねえ、じゃア後で遣っ付けやしょう、此様な嬉しい事アござえやせん……何でえ然う立って見やアがんな、彼方へ行け、何だ篦棒めえ己は弱虫で泣くのじゃアねえ此ん畜生……早く遣付けて」 山「なアに早く遣っ付けろと仰しゃっても、長く苦痛をさして緩りと殺すが宜い」 繼「これ又市見忘れはすまい、お繼だ、よくも私のお父様を薪割で打殺して本堂の縁の下へ隠し、剰え継母を連れて立退き、また其の前に私を殺そうとして追掛けたな」 と続けて切ります。 山「さア/\照やお前も」 照「はい、兄の敵又市覚悟をしろ」 と切る。 山「さア/\今度は私に遣らしてくれ、可愛い忰が不便の死を遂げたも此奴の為、また娘を斬殺したのも此奴の業、此奴め/\」 と四つ角で鮪を屠すようで。 山「さア兄様だ」 正「今度ア私の番だ、此ん畜生め親父を殺しやアがって此ん畜生め」 と鏝で以て竈の繕い直しをするようにさん/″\殴ってこれから立派に止めを刺す。其の中に諸方から人が出て捨てゝも置かれぬから、お繼と山平は直様自身番へ参りまして、それより細やかに町奉行へ訴えに成りましたが、全く親の敵討と云う事が分りまして、殊に悪事を重ねましたる水司又市でございますから、別段にお咎も無く此の事が榊原様のお屋敷へ聞えました所から、白島山平並にお照は召返しの上、彼のお繼は白島の家の養女になり、後に養子を致して白島の名跡を立てますと云う。また左官の正太郎は白島山平の手蔓から正道の者で有ると榊原様へお抱えになり、後には立派な棟梁となり、正太郎左官と云われて、下谷茅町の横町池の端へ出ようと云う処に、つい十一二年前まで家も残って居りました。目出たく親の仇を討ちまして家栄えますると云う、巡礼敵討の物語は是が結局でございます。
(拠小相英太郎速記)
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
- この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。
「窶」の「穴かんむり」に代えて「うかんむり」、「窶」の俗字 |
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