打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

藁草履(わらぞうり)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-11 9:22:38 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


    壱

爺(おやじ)、己(おれ)もお前(めえ)も此頃(こないだ)馬を買った覚がある。どうだい、この馬は何程(どのくれえ)の評価(ねぶみ)をする――え、背骨の具合は浅間号に彷彿(そっくり)だ。今日この原へ集った中で、この程(くれえ)良い馬は少なかろう」
 と一人の馬喰(ばくろう)が手を隠して袖(そで)口を差出す。連の男は笑いながらその内(なか)へ手を入れて、
「こうだ」
「ふふ、そうさ」
 と傍に手綱を控えて立っている若者に会釈して、
「若い衆、怒っちゃいけやせん。少々私(わし)にこの馬を撫(な)でさして御くんなんしょ」
 光沢(つや)を帯びた栗毛の腰の辺を撫下し、やがて急に尻毛(しりお)を掴んで、うんと持上げて見ました。
「まあ私が買えばこの馬だ」
 若者は馬喰の言葉に、したたか世辞を言われたという様子で、厚い口唇(くちびる)に自慢らしい微笑(ほほえみ)を湛(たた)えました。
 源吉というのがこの若者の名で、それを山家(やまが)の習慣(ならわし)では頭字ばかり呼んで、源で通る。海の口村の若い農夫には、いずれも綽名(あだな)があって、源のは「藁草履(わらぞうり)」というのでした。それは山家の者が手造(てづくり)にする不恰好(ぶかっこう)な平常穿(ふだんばき)を指したもので、醜男子(ぶおとこ)という意味をあらわしたものです。いかさま、日に焼けたその顔は――鼻付の醜(まず)さから、目の細さ加減、口唇の恰好、土にまみれた藁草履を思出させる。しかし、源も血気盛(けっきざかり)な年頃ですから、若々しい頬(ほお)の色なぞには、万更(まんざら)人を引きつけるところが無いでもない。それに筋骨の逞(たくま)しさ、腕力の勝(すぐ)れていること、まあ野獣と格闘(たたかい)をするにも堪(た)えると言いたい位で、容貌(かおつき)は醜いと言いましても、強い健(すこやか)な農夫とは見えるのでした。
 功名心の深い源は、その日の競馬の催に野辺山が原附近の村々から集る強敵を相手にして、晴の勝負を争う意気込でした。最後の勝利、無上の栄誉などを考えて、昨夜はおちおち眠りません。馬には、大豆、馬鈴薯(じゃがいも)、藁(わら)、麦殻(むぎがら)の外に糯米(もちごめ)を宛てがって、枯草の中で鳴く声がすれば、夜中に幾度か起きて馬小屋を見廻りました。しかし、この野辺山が原へ上って来て、冷々(ひやひや)とした清(すず)しい秋の空気を吸うと、もう蘇生(いきかえ)ったようになりましたのです。高原の朝風はどの位心地(こころもち)のよいものでしょう。源は直にゆうべの疲労(つかれ)を回復(とりかえ)して了いました。それに、人の気を悪くするような誇張(みてくれ)をやりたがるのが、この男の性分で、そこここと馬を引廻して、碌々(ろくろく)観相(みよう)も弁(わきま)えない者が「そいッたっても、まあ良い馬だいなあ」とでも褒(ほ)めようものなら、それこそ源は人を見下げた目付をして、肩を動(ゆす)って歩く。ところへ、馬喰の言草があれでしょう――源が微笑(にっこり)する訳なんです。
 殿下の行啓と聞いて、四千人余の男女(おとこおんな)が野辺山が原に集りました。馬も三百頭ではききますまい。それは源が生れて始めての壮観(ながめ)です。御仮屋(おかりや)は新しい平張(ひらばり)で、正面に紫の幕、緑の机掛、うしろは白い幕を引廻し、特別席につづいて北向に厩(うまや)、南が馬場でした。川上道(かわかみみち)の尽きて原へ出るところに、松の樹蔭から白く煙の上るのは商人(あきんど)が巣を作ったので、そこでは山葡萄(ぶどう)、柿などの店を出しておりました。中には玉蜀黍(とうもろこし)を焼いて出すもあり、握飯の菜には昆布(こぶ)に鮒(ふな)の煮付を突出(つきだし)に載せて売りました。
 源の功名を貪(むさぼ)る情熱は群集の多くなるにつれて、胸中に燃上りましたのです。源の馬というのは「アルゼリィ」の血を享(う)けた雑種の一つで、高く首を揚げながら眼前(めのまえ)に人馬の群の往ったり来たりするのを眺(なが)めると、さあ、多年の間潜んでいた戦好(いくさずき)な本性を顕(あらわ)して来ました。頻(しきり)と耳を振って、露深い秋草を踏散して、嘶(いなな)く声の男らしさ。私(ひそか)に勝利を願うかのよう。清仏(しんふつ)戦争に砲烟(ほうえん)弾雨の間を駆廻った祖(おや)の血潮は、たしかにこの馬の胸を流れておりました。その日に限っては、主人の源ですら御しきれません――ところどころの松蔭に集る娘の群、紫絹の美しい深張(ふかばり)を翳(さ)した女連なぞは、叫んで逃げ廻りました。
 急に花火の音がする。それは海の口村で殿下の御着(おちゃく)を報せるのでした。物売る店の辺(あたり)から岡つづきの谷の人は北をさして走ってまいります。川上から来た小学生徒の一隊は土塵(つちぼこり)を起てて、馳走(かけあし)で源の前を通過ぎました。
 御仮屋(おかりや)の前の厩(うまや)には二百四十頭の牝馬(めうま)が繋(つな)いでありましたが、わけても殿下の亜剌比亜(アラビア)産に配(めあわ)せた三十四頭の牝馬と駒とは人目を引きました。この厩を四方から取囲(とりま)いて、見物が人山を築く。源も馬を競馬場の溜(たまり)へ繋いで置いて、御仮屋の北側へ廻って拝見すると、郡長、郡書記なども「フロック・コォト」の折目正しく、特別席へ来て腰を掛ける。双眼鏡を肩に掛け、白いしなやかな手を振って、柔かな靴音をさせる紳士は参事官でした。俄然(にわかに)、喇叭(らっぱ)の音が谿底(たにそこ)から起る。次第にその音が近く聞えて来て、終(しまい)には澄み渡った秋の空に鳴り響きました。
 十輌(りょう)ばかりの人力車(くるま)が静粛な群集の中を通って、御仮屋の前まで進みました。真先には年若な武官、次に御附の人々、大佐、知事、馬博士、殿下は騎兵大佐の礼服で、御迎の御車に召させられました。御車は無紋の黒塗、海老染(えびぞめ)模様の厚毛布(あつげっと)を掛けて、蹴込(けこみ)には緋(ひ)の毛皮を敷き、五人の車夫は大縫紋の半被(はっぴ)を着まして、前後に随(したが)いました。殿下は知事の御案内で御仮屋へ召させられ、大佐の物申上(ものもうしあぐ)る度に微笑(ほほえみ)を泄(もら)させられるのでした。群集の視線はいずれも殿下に注(あつま)る。御年は若い盛におわしまし、軍帽を戴かせられる御姿は、どこやらに国のみかどの雄々しい御面影も拝まれるのでした。まのあたり皇族の権威を仰ぎましたのは、農夫の源にとって生れて始めてのことです。殿下は大佐と馬博士とから「ファラリイス」の駒の批評を聞召(きこしめ)され、やがて長靴のまま静々と御仮屋を下りて、親馬と駒とを御覧になる。勇しい御気象にわたらせられるのですから、もう静息(じっと)していらせられることの出来ないという御有様。花火は時々一団の白い煙を空に残して、やがてそれが浮び飄(ただよ)う雲の断片(ちぎれ)のように、風に送られて群集の頭上を通る時には、あちこちに小供の歓呼が起る。殿下もたまには青空を仰がせられて、限(はて)も無い秋の光のなかに煙の消え行く様を眺めさせられました。
 背後(うしろ)から押される苦痛(くるしさ)に、源は人を分けて特別席の幕外へ出ました。殿下はまた熱心に馬を見給う御様子。参事官なぞは最早(もう)飽果てて、八つが岳の裾に展がる西原の牧場を望んでおりました。源は御茶番の側を通りぬけて、秣小屋(まぐさごや)の蔭まで参りますと、そこには男女(おとこおんな)の群の中に、母親、叔母、外に身内の者も居る。源の若い妻――お隅も草を藉(し)いて。
「よっぽど良い馬が来た」
 と源は佇立(たたず)みながら独語(ひとりごと)のように。叔母は振り返って、
「道理だぞよ。そいッたってもなあ」
「叔母さん、宮様を拝まッしたか」
私(わし)はなあ、橋の傍で拝みやした」
 母親(おふくろ)は源の横顔を熟視(みまも)って、
「源、お前(めえ)も握飯(むすび)はどうだい。たべろよ。沢山(たんと)あって残っても困るに」
「ああ」と源は夢中の返事、胸の中には勝負のことが往ったり来たりするばかり。名誉心の為に駆られて、饑渇(うえかわ)いて、唯もうそわそわとしておりました。
「これさ。たべろよ」
 という母親(おふくろ)の言葉に、お隅は握飯(むすび)を取って、源の手に握らせました。源は夢中で、一口それを頬張って、ぷいと厩の方へ駆出して行って了いました。
 御茶番から羽織袴(はかま)で出て来た赤ら顔の農夫は源の父(おやじ)です。そこここと見廻して、
「源は来やせんか」と母親(おふくろ)に皺枯声(しゃがれごえ)で尋ねる。
「今、爰(ここ)に居たが、どこかへ駆走(とっぱし)っちゃった」
彼奴(あいつ)にも困っちまう。今日は恰(まる)で狂人(きちがい)みたよう。私(わし)が、宮様へ上(あげ)る玉露の御相伴をさしたい、御茶菓子の麦落雁(むぎらくがん)も頂かせたい、と思って先刻(さっき)から探しているんだけど」
 叔母は引取って、
「源さの大(いか)くなったには、私(わし)魂消(たまげ)た。全然(まるで)、見違えるように。しかし、お前(めえ)には少許(ちっと)も肖(に)ていねえだに」
私(わし)にかえ。彼奴は私に肖ねえで、亡くなった祖父(じじい)に肖(に)たと見える。私は彼奴を見ると、祖父を思出さずにはおられやせん」
 と楽しそうに話しておりますと「ファラリイス」の駒も大概(あらかた)御覧済になりましたので、御仮屋の北側に記念の小松を植えさせられました。人々は倦(う)んで了(しま)って、特別席にかしこまる官吏の影も見えません。宮は御休息もなく四列の厩を一々案内させて、二時問余も大佐、馬博士を御相手に、二百頭の馬匹の性質、血統、遺伝などを聞召(きこしめ)され、すこしも御疲労の体(てい)に見えさせ給わないのです。花やかに熱い秋の日が照りつけるので、色白な文官の群は幕の蔭に隠れ、互に膝頭(ひざがしら)を揉(も)みました。
 功名を急ぐ源にとりましては、この二時間の長さが堪えられない程の苦痛でした。いよいよ競馬の催が始まるということになりましたので、四千の群集は塵(ほこり)を揚げて、馬場の埒際(らちぎわ)へ吾先にと馳(か)けて参ります。源は黄色い土烟を嗅(か)いで噎返(むせかえ)りました。大波のように押寄る男女の雑沓(ざっとう)、子供の叫び声――とても巡査の力で制しきれるものでは有ません。「さあ、退(ど)いた、退いた」と、源は肩と肩との擦合(すれあ)う中へ割込んで、漸(やっと)のことで溜(たまり)へ参りますと、馬は悦(うれ)しそうに嘶(いなな)いて、大な首を源の身(からだ)へ擦付けました。
 その日の競馬は五組に分れて、抽籤(くじびき)の結果、源は最後へ廻ることになっておりました。誰しもこの最後の勝負を予想する、贔顧(ひいき)々々につれて盛に賭(かけ)が行われる。わけても源の呼声は非常なもので、あそこでも藁草履、ここでも藁草履、源の得意は思いやられました。最初(のっけ)から四番目まで、湧くような歓呼の裡(うち)に勝負が定まって、さていよいよお鉢(はち)が廻って来ると、源は栗毛(くりげ)に跨(またが)って馬場へ出ました。御仮屋の北にあたる埒(らち)の際(きわ)に、源の家族が見物していたのですが、両親の顔も、叔母の顔も、若い妻の顔すらも、源の目には入りません。馬上から眺めると群集の視線は自己(おのれ)一人に注(あつま)る、とばかりで、乾燥(はしゃ)いだ高原の空気を呼吸する度(たび)に、源の胸の鼓動は波打つようになりました。烈しい秋の光は源の頬を掠(かす)めて馬の鼻面(はなづら)に触(あた)りましたから、馬の鼻面は燃えるように見えました。
 五人の乗手の中で、源が心に懼(おそ)れたのは樺(かば)を冠った男です。白、紫、赤などは、さして恐るべき敵とも見えませんのでした。源は青です。樺は一見神経質らしい、それでいやに沈着(おちつ)きすました若い男で、馬も敏捷(びんしょう)な相好(そうごう)の、足腰の締(しま)った、雑種らしい灰色なんです。樺が場を踏んだ証拠は、馬の扱いが柔かで、ゆったりとしていて、加(おまけ)に捜りを入れるような目付をして、他の四人の呼吸を図っているのでも分る。それにこの男の静な、冷い態度(ようす)と言ったら――それは底の知れないような用心深いところがあって、一歩(ひとあし)でも馬に無駄を踏ませまいと、たくらんでいるらしい。源は大違です。あまり心が激(あせ)り過ぎて、乗出さぬ先から手綱を持(もつ)手が震えました。
 相図を聞くが早いか、五人の乗手はもう出発の線を離れる。真先に乗進んだのが源の青、次が紫、白、赤でした、樺は乗後(おく)れて見えました。「青、青」の叫び声は埒の四方から起る。殿下は御仮屋の紫の幕のかげに立たせられ、熱心に眺入らせ給うのでした。大佐は幾度馬博士の肩を叩(たた)いたか知れません。知事も、郡長も、御附の人々も総立です。参事官は白いしなやかな手を振りました。五人の乗手は丁度乗出した時と同じ順で、五十間ばかりの距離を波打つように乗進んで行った。源が紫に先んじたことは、樺が赤に後れたと同じ程の距離です。ですから源が振返って後を見た時は、舞揚る黄色い土烟(つちけむり)の中に、紫と白とがすれすれに並び進んで、乗迫って来たのを認めたばかり。懼(おそ)るべき灰色の馬頭は塵埃(ほこり)に隠れて見えませんのでした。驚破(すわや)、白は紫を後に残して、真先に進む源をも抜かんとする気勢(けはい)を示して、背後に肉薄して来た。「青」、「白」の声は盛に四方から起る。源も、白も、馬に鞭(むちう)って進みました。競馬好きな馬博士は、「そこだ、そこだ」とばかりで、身を悶(もだ)えて、左の手に持った山高帽子の上へ頻(しきり)と握拳(にぎりこぶし)の鞭をくれる。大佐は薄鬚(うすひげ)を掻※(かきむし)りました。今、源は百間ばかりも進んだのでしょう。馬は泡立つ汗をびっしょり発(かい)て、それが湯滝のように顔を伝う、流れて目にも入る。白い鼻息は荒くなるばかりで、烈しく吹出す時の呼吸に、やや気勢の尽きて来たことが知れる。さあ、源は激(あせ)らずにおられません。こうなると気を苛(いら)って妄(やたら)に鞭を加えたくなる。馬は怒の為に狂うばかりになって、出足が反(かえっ)て固くなりました。遽(にわか)に「樺、樺」と呼ぶ声が起る。樺はたしかに最後の筈(はず)。しかし、その樺が今まで加え惜んでいた鞭を烈しくくれて、衰えて来た前駆の隙(すき)を狙(ねら)ったから堪りません。見る見る赤を抜き、紫を抜きました。馬博士は帽子を掴潰(つかみつぶ)して狂人(きちがい)のように振回す。樺は奮進の勢に乗って、凄(すさま)じく土塵(つちぼこり)を蹴立てました。それと覚った源が満身の怒気は、一時に頭へ衝きかかる。如何(いかん)せん、樺は驀地(まっしぐら)。馬に翼、翼に声とはこれでしょう。忽(たちま)ち閃電(いなずま)のように源の側を駆抜けて了いました。
 必勝を期していた源の失望も思いやられます。勝利の旗は樺の手に落ちました。それは文字を白く染抜いた紫の旗で、外に記念の賞を添えまして、殿下の御前(おんまえ)、群集の喝采(かっさい)の裡(なか)で、大佐から賜ったのでした。源の目は嫉妬(しっと)の為に輝いて、口唇は冷嘲(あざわら)ったように引歪(ゆが)みました。今は誰一人源を振返って見るものがないのです。殿下は御機嫌(きげん)麗しく、人々に丁寧な御言葉を賜りまして、御車に召させられました。御通路の左右に集る農夫の群にすら、白の御手套(おてぶくろ)を挙げて一々御挨拶が有りました。御附の人々、大佐、知事、馬博士などは車、参事官、郡長、郡書記、その他の官吏は徒歩(かち)、つづいて「ファラリイス」の駒三十四頭、牝馬二百四十頭、牡馬の群は最後に随(したが)いました。三百頭余の馬匹が列をつくって、こうして通りますのは人目を驚かす程の盛観でした。紫の旗をかざして、凱歌(がいか)を揚げて帰る樺の得意は、どんなでしたろう。さもさも勿体振(もったいぶ)って、いやに反身(そりみ)になって、人を軽蔑(けいべつ)したような目付をしながら、意気揚々と灰色の馬に跨った様は――いやもう小癪(こしゃく)に触って、二目と見られたものじゃない、とまあ、源は思うのでした。拝むような娘の群の視線はこの若者の横顔に注(あつま)りました。全く、源は業(ごう)が沸(に)えて、この男の通るのを見ていられません。嫉妬は一種の苦痛です。源は自分の馬の側に仆(たお)れて、恥かいた額を草の中に埋(うず)めました。
 疲労と失望とで悶え苦んでいた源が、むっくと起上った頃は――もう人々も帰って了った。居残る人足は腰を曲(こご)めて御仮屋を取片付ける最中。幕は畳み、旗は下して、遽(にわか)に四辺(そこいら)が寂しくなった。細々と白い煙の上る松蔭には、店を仕舞って帰って行く商人の群も見える。馬は主人を置去にして、そこここと手綱を引摺(ひきず)りながら、「かしばみ」の葉でも猟(あさ)っているらしい。今は、なにもかも源を見下げたり、笑ったりしてる――小鳥ですら人を軽蔑したような声で鳴いて通る、と源には思われるのでした。忌々しいものです。源は腹愈(はらいせ)のつもりで、路傍(みちばた)の石を足蹴(あしげ)にしてやった。尊大な源の生命(いのち)は名誉です。その名誉が身を離れたとすれば、残る源は――何でしょう。自分で自分を思いやると、急に胸が込上げて来て、涙は醜い顔を流れるのでした。やがて、思いついたように馬の傍へ馳寄(かけよ)って、力任せに手綱を引手繰(ひったく)りましたんです。
「こんな目に逢ったのも汝(うぬ)のお蔭だ」
 凡夫の悲しさ、源はその日のことを馬の過失(せい)にして、さんざんに当り散した。丁度、罪人を撻(むちう)つ獄卒のように、残酷な性質を顕したのです。馬に何の罪があろう。しかし畜生ながらに賢いもので、その日の失敗(しくじり)を口惜(くちお)しく思うものと見え、ただ悄々(しおしお)として、首を垂れておりました。二重※(ふたえまぶち)の大な眼は紫色に潤んで来る。幽(かすか)に泄(もら)す声は深い歎息(ためいき)のようにも聞える。人間の苦痛(くるしみ)ですら知られずに済む世の中に、誰が畜生の苦痛を思いやろう。生活(いき)て、労苦(はたら)いて、鞭撻(むちう)たれる――それが畜生の運なんです。馬は不平な主人の後に随(つ)いて、とぼとぼと馬小屋の方へ帰って行きました。好な飼料(かいば)をあてがわれても、大麦の香を嗅(か)いで見たばかりで、口をつけようとはしませんでした。
 むしゃくしゃ腹で馬小屋を出まして、源は物置伝いに裏庭へ廻って見ますと、家には誰も居りません。楢(なら)の枯枝にからみつく青々とした夕顔の蔓(つる)の下には、二尺ばかりもあろうかと思われるのがいくつか生(な)り下(さが)って、白い花も咲き残っている。黄ばんだ秋の光が葉越しにさしこんだので、深い影は地に落ちておりました。丁度、そこへ手桶(ておけ)を提げて、水を汲んで帰って来たのが妻のお隅です。源は、いきなり、熱湯(にえゆ)のような言葉を浴せかけました。
「何故、お前(めえ)は己(おれ)に断りもしねえで、先に帰った」
私(わし)かえ」とお隅は手桶を夕顔棚(だな)の蔭に置いて、「だっても父(とっ)さんが帰れと言いなさるから、皆(みんな)と一緒に帰りやしたよ」
「人の気を知らねえにも程がある」と源は怒気を含んで、舌なめずりをして、「何が可笑(おか)しい。気の毒に思うのが至当(あたりまえ)じゃねえか」
「あれ、そんな貴方(あんた)のような無理な――私は笑いもどうもしやせんよ」
 とお隅は呆(あき)れて夫の顔を見つめました。源は紅く顔を泣腫(は)らして、口唇を震わせている様子。尋常(ただ)ではない、とお隅も思いましたものの、夕飯の仕度に心は急(せ)くし、それに、なまじっか原のことを言い出して慰めて見たところで、反て気を悪くさせるようなもの、当らず触らずに越したことはない、と秋の日脚(ひあし)を眺めまして、手桶を提げて立とうとする。源は前後(あとさき)の考があるじゃなし、不平と怨恨(うらみ)とですこし目も眩(くら)んで、有合う天秤棒(てんびんぼう)を振上げたから堪(たま)りません――お隅はそこへ什(たお)れました。垣根の傍に花を啄(つ)んでいた鶏は、この物音に驚いて舞起つもあれば、鳴いて垣根の下を潜(もぐ)るもあり、手桶の水は葱畠(ねぎばたけ)の方へ流れて行きました。
「ちょッ、勿体(もったい)をつけやがって」
 と叱るように言って、ややしばらく源は、お隅の悶え苦しむ様を見ておりました。やがて、愚しい目付をしながら、
「どこがそんなに痛いよ。どれ……見せろ」
 源の手がお隅の右の足に触るか触らないに、女は悲鳴を揚げて顔色を変えました。
大袈裟(おおげさ)な真似(まね)をするない――狸(たぬき)め」
 父親(おやじ)の影が見えたので、源は窃(そっ)と表の方へ抜出しました。何処へ行くという目的(めあて)もなく、ぶらりと出掛けて、やがて二三町も歩いてまいりますと、さ、足は不思議に前へ進まなくなりました。源は恐怖(おそれ)を抱くようになったのです。

上一页  [1] [2] [3] [4]  下一页 尾页




打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口