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「伝六よ」 「へ」 「捕物ア、こうしてなぞの穴をせばめていくもんだ。もう五十年もすりゃ、おまえも一人まえに働かなくちゃならねえから、よくこつを覚えておきなよ」 「ああいうことをいってらあ。五十年だきゃ余分ですよ。珍しくだんな、上きげんだね」 「そうさ。おいら、腹が減ったんでね、早くおまんまが食べたいんだよ」 「じきにそれだ。何かといやすぐに食いけを出すんだからな。秋口だって恋風が吹かねえともかぎらねえ。たまにゃ女の子の気のほうもお出しなせえよ。――よっと! 駕籠が止まったな。わけえの、もう来たのかい」 「へえ。参りました。ここが松長の親分のうちでござんす。外で待つんでござんすかい」 「そうだとも! うちのだんなが駕籠に乗りだしたとなりゃ、一両や五両じゃきかねえ。夜通し昼通し三日五日と乗りつづけることがあるんだからな、大いばりで待っていな」 伝六こそもう一人まえになったつもりで大いばりなのです。 つかつかと松長の住まいへはいろうとしたのを、 「あわてるな!」 小声で鋭く名人がしかりました。 「少し甘口なことをいってやると、じきにおまえはうれしくなるからいけないよ。相手はあまり筋のいい顔役じゃねえ。見せ物小屋のなわ張り株を持っているとすりゃ、切った張ったの凶状ぐれえ持っているかもしれねえから、もっと相手を見て踏ん込みなよ。ふらふらはいって逃げでもされたらどうするんだ。こっちへ来な」 そこの庭口のくぐりからはいって、こっそりと内庭へ回りました。 とっつきにごろったべやがあって、若い者のごろごろとした影が見える。 ポーン、ポーンとつぼを伏せる音がきこえるのです。 ひらりと上がって不意にそのへやへ押し入ると、静かに浴びせました。 「朝っぱらからいたずらしているな。松長はどこにいるんだ」 「…………?」 「パチクリしなくともいいんだよ。おまえらの親分はどこにいるんだ。うちか、るすか」 答えないで、若い者たちは、あっち、あっちというようにあごをしゃくりました。 「どこだよ。奥か!」 そうです、そうですというように、やはり答えないで、またあごをしゃくりました。 「変なやつらだな、まるで唖屋敷へでも来たようじゃねえか。どのへやだ。松長はここか!」 がらりとあけて、ひょいと見ると、松長がまったく案外でした。 年はもう九十くらい、くりくり頭に剃髪して、十徳を着て、まだ少し季節が早いのに、大きな火ばちへ火をかんかんとおこしながら、いかにも寒そうにちぢかんで両手をかざしているのです。 「おまえが松長だろうな」 「…………?」 「返事をしろ! おまえは松長じゃねえのか?」 「…………?」 きょとんとしながら、気の抜けた顔をしてまじまじと見あげたきり、返事はないのでした。 「とぼけたまねをしても目が光ってるぞ、耳はねえのか!」 「いいえ、だんな、いくらしかってもだめですよ」 そのとき、隣のへやから若い者のひとりが飛んでくると、うそうそと笑いかけました。 「親分を相手に晩までどなったって、らちはあきませんよ」 「なんだ。おまえら口がきけるじゃねえか。なぜ、さっき黙ってたんだ」 「このうちじゃ、ものをいっても通じねえ人がひとりあるんでね。ついみんな手まねで話をする癖がついちまったんです。親分少々――」 「耳が遠いか」 「遠い段じゃねえ、このとおり耳のねえ人も同然なんです。御用があるなら、筆で話しておくんなせえまし」 「なんでえ。それならそうと早くいやいいじゃねえか。すずりを出しな」 「七ツ道具の一つなんだから、火ばちの陰にちゃんと用意してありますよ」 なるほど、筆に紙、ちゃんとしたくがそろっているのです。 名人の筆はさらさらと走りました。
「八丁堀右門なり。
神妙に応答すべし。 神田、米屋増屋弥五右衛門方へ後妻を世話せしはそのほうなる由、いかなる縁にてかたづけしや。 かの女につき何か知れることなきや。 ありていに申し立つるべし」
差しつけたのを見て、にやりと笑うと、松長がじつに達筆にさらさらと書きしたためました。
「よくお越しくだされそうろう。
お尋ねの女はマキと申し、吉原にて女郎五年あい勤めそうろう女にござそうろう。 年あけたるのち、居所を定めず女衒なぞいたしおりしとか聞き及びそうろうも、つまびらかには存じ申さずそうろう。 てまえ年ごろ世話好きにそうらえば、昨冬とつぜん尋ねまいり、どこぞへ嫁入り口世話いたしくれと申しそうらえば、増弥五こと、家内を失い、不自由いたしおると聞き及びそうろうをさいわい、のち添えにかたづかせそうろうものにござそうろう。縁と申すはただそれだけのことにて、生国も存ぜず、身もとも知れ申さずそうろう。 そうそう、いま一つ思い出しそうろう――」
筆をおいた松長がにたりとさらに笑うと、ふたたびさらさらと書きしたためました。
「マキこと増弥五へかたづきそうろう節、身付き金七百両ほどをひそかにたくわえおりそうろうとのことにござそうろう。
人のうわさによれば右七百両、あまりよろしからざる金子とかにて、女衒のかたわら、おりおりいとけなき子ども等かどわかしそうろうてためあげたる不義の金子とか申す由にそうろう」
「なにッ」 名人の眼がぴかりと光った。 女衒! かどわかし! 女衒は人を買って人を売る公然の稼業です。かどわかしは法網をくぐりながら、人を盗み、人をさらって売る暗い稼業です。女衒とても、もとより芳しい稼業ではないが、女の前身にかどわかしの暗い影があるというにいたっては、じつに聞きのがしがたいことでした。しかも、盗んでさらって売ったものは、頑是ない子どもだというのでした。 名人の手は久方ぶりで、そろりそろりといつのまにかあごのあたりをさまよいはじめました。 子どものかどわかし!――どういう子どもをどこへ売ったか、大きななぞの雲が忽焉として目の前に舞い下がってきたのです。 女の前身には暗い影があった。 かどわかしという人の恨みを買うにじゅうぶんな陰があった。 その女がふろおけの中で絞め殺された。 死体には子どものつめ跡がある。 ふろ場の羽目にも跡がある。 やはり、子どもの手の跡なのだ。 忍び込んだところは、高い窓なのだ。 その高い窓から苦もなくはいったとすると、よくよく身の軽い子どもにちがいないのです。 身軽な子ども……? 身軽な少年…? なぞを解くかぎはそれ一つである。女は子どもをさらって、どういうところへ売ったか。身軽な子どもと売った先との間のつながりを見つけ出したら、このあやしき疑雲はおのずから解けてくるのです。 名人の手は、しきりとあごのあたりを去来しつづけました。 「うれしいね。それが出ると、峠はもう八合めまで登ったも同然なんだからな。え? ちょっと。伝六もてつだって、あごをなでてあげましょうかい」 「…………」 「やい、やい、松長。そんなにきょとんとした顔をして、不思議そうにだんなのあごをのぞき込まなくともいいんだよ。だんなは今お産をしているんだ、お産をな。気が散っちゃ産めるもんじゃねえ。じゃまにならねえように、その顔をそっちへもっと引っ込めていな!」 しかし、そうたやすく推断がつくはずはない。ともかくも生きている子どもを盗んで売るのであるから、いずれ売った先も明るい日の照る世界ではないのです。 「旅芸人か、曲芸師……?」 「身の軽い子どもとすれば曲芸師?」 ポーン、ポーンと隣のへやから、松長の子分たちのもてあそんでいるさえたつぼ音が聞こえました。耳にするや、むっつりと立ち上がって、つかつかとはいっていくと、不意にいったものです。 「ばくちかい。おいらに貸しな」 「こいつを? あの、だんなが……?」 「そうさ。びっくりせんでもいいよ。さいころの音はどんな音か聞くんだ。こうしてつぼを伏せるのかい」 ごろりと腹ばいになると、あざやかな手つきで、ガラガラポーンと伏せました。 おどろいたのは伝六です。 「冗、冗、冗談じゃねえや、あごはどうしたんですかよ、あごは! いくらばくちはお上がお目こぼしのわるさにしたって、お番所勤めをしている者が手にするってえ法はねえですよ。場合が違うんだ、場合が! 何をゆうちょうなまねをしているんですかよ!」 聞き流しながら名人は、無心にガラガラポーンと伏せて、さえたそのつぼ音を無心に聞き入りながら、心気の澄んだその無心の中から何か思いつこうとでもするかのように、しきりともてあそびつづけました。 ポーンと伏せてあけると、コロコロところがって、ピョコンと賽が起き上がるのです。 せつな。 むくりと立ち上がると、莞爾とした笑みのなかからさわやかな声が飛びました。 「なアんでえ。さあ、駕籠だ。表のやつらにしたくさせな」 「ありがてえ、眼がつきましたかい」 「大つきだ。いたずらもしてみるものさ。このさいころをよく見ろよ。ころころところがってはぴょこんと起きるじゃねえか。ふいっと今それで思いついたんだ。ホシは角兵衛獅子だよ」 「カクベエジシ?」 「ぴょこんと起き上がる角兵衛獅子さ。身の軽い子どもだからただの曲芸師かと思ったが、まさしく角兵衛のお獅子さんにちげえねえよ。かどわかされて売られた子どもが、恨みのあまりやった細工に相違ねえ。一年ぶりであいつらがまた江戸へ流れ込んだきのうきょうじゃねえかよ。あっちこっち流して歩くうちに、かどわかしたおマキを見つけて、いちずの恨みにぎゅうとやりました、といったところがまずこのなぞの落ちだ。急がなくちゃならねえ、早くついてきな」 ひたひたと駕籠はその場に走りだしました。
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