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道のりにして四町とはない。小さな米屋だが、米屋に相違ないのです。騒ぎを聞きつけたか、店の表は駆け集まった町内の者たちがわいわいとひしめき合っているさいちゅうでした。
その人込みをかき分けて、少年は鉄砲玉のように家の中へ駆け込むと、けたたましく叫びました。
「
声のあとからむっつりとはいっていった名人がひょいとのぞくと、不思議な光景が目にうつりました。綾ちゃんと呼ばれたその子が妹にちがいない。八つか九つになるかならずの愛くるしいその小娘が、ふろおけの上に乗っかって、しっかりとふたを押えながら、かめの子のようにばたばたと足を動かしているのです。そのかたわらに敬四郎が父親のなわじりとって、目をむきながら、手下の直九、
「そんな小娘ひとりもてあまして、なんのこった! おろせ! おろせ! 早くおろさんか」
「口でいうようにそうたやすくは降りんですよ、なんしろ、死に物狂いになってるんだからね。こら! 早くおりんか! いうことをきかんと、痛いめにあうぞ!」
足を持とうとすれば足でけとばし、手を持とうとすれば手でひっかいて、小娘は必死の抵抗をしているのです。
右門のまなこが、事の不審に当然のごとく光りました。
「さかんにおやりじゃな」
「なにッ。でしゃばり者が参ったな。せっかくだが、このアナは敬四郎がひと足先じゃ。指一本触れさせぬぞ。じゃまじゃ。どかっしゃい」
「おじゃまなら、どきもいたしましょうが、これはいったいなんのまねでござる」
「いらぬおせっかいじゃわい!」
「いいえ、いらぬおせっかいじゃござんせんよ。綾坊、右門のおじさんがお越しじゃ。もうどきな」
聞いて、横から口を入れたのは、いましめをうけている父親です。
「ようお越しくださいました。子どもはいじらしいものでござんす。あっしが下手人でもないのに下手人だと、このとおりおなわにされましたんで、だんなさまを呼んでくるまでは手をつけさせぬ、始末もさせぬと、敬四郎だんなをてこずらせているんでござります。そのふろおけの中が――」
「
「そうでござんす。家内めが変わり果てた姿になっております……よくお見調べくださいまし」
近寄るまえに小娘はさかしくもおけの上からはいおりると、右門の狂わぬ検証を一刻も早く待ちのぞむかのように、重いふたをけんめいに取りのけました。
「かしこいことでありますのう。では、見せてもらいましょう」
歩みよって、静かにのぞいてみると、なるほど、女の死体がまだ湯気のたちのぼっているおけの中に、ぐったりと沈んでいるのです。
そのぶきみさ! 気味のわるさ! 血は一滴もない。死因のわからぬあぶらぎった中太りの女の死体が、ぶよんとしたなま白い色をたたえて、湯の中に沈んでいるのです。
年は三十ぐらい。
乳がある。
しかし、乳首は黒くない。処女のようにひきしまっているのです。子どもを産んだことのない証拠でした。
首におしろいが見える。
洗ったはずなのに落ちきっていないところをみると、厚化粧していたに相違ない。おめかしずきの女だった証拠なのです。
ぎろり、ぎろりと目を光らして、首から胸、腰、と隠されている秘密をあばき出そうとするように見しらべていたが、何か動かしがたい断案の確証を発見したとみえて、ほのかな
「お尋ねつかまつる。早手まわしにもう父親をおなわにされておいでじゃが、この者が下手人とのたしかな証拠あってのことでござるか」
「決まっておるわい。殺された女房は後妻じゃ。そのきょうだいはまま子じゃ。店をようみい。米屋というは名ばかり、米俵もろくにない貧乏店じゃ。そのうえに、女房は七百両という身金つきで後妻に来たものじゃ。おやじめ、女房がいのちよりたいせつにしてしまっておったその七百両の小判がほしゅうて殺したものに相違ないわい」
「なるほど、後妻でまま子でござったか。道理でのう。それならば、娘のような乳首をしているはずじゃ。しかし、それだけではちと証拠固めが不足のように思われまするな」
「何が不足じゃ。まだいくらでも不審なことがあるわい。このおやじ、ゆうべからけさまで、どこへうせたか店をるすにしておるわ。いかほどきいても行く先白状せぬが不審じゃ。いいや、そればかりではないわい。これをみろ、これを! 女房がたいせつにいたしておった小判の包みじゃ。おやじめ、この七百両を背中にいたして、ゆうべのそのそとどこかへ出かけておるわ。いかほど締めてもいわぬが、うしろ暗い証拠じゃわい」
「ほほう。なるほど、小判の包みを背中にいたして家をるすにしましたとのう。――おやじ、それはほんとうか!」
「ほんとうでござります……」
「何しに、どこへいった?」
「そればっかりは……」
「白状できぬというか。疑いが濃くなるばかりだのにのう。子どもたち、おまえら知っておるだろう。ちゃんはどこへいった?」
「あの、あの……」
言いかけたのを、横から父親がけわしくねめつけました。
何か深い秘密があるらしいまなざしなのです。
「みろ! おやじめ、七百両に目がくらんで、なんぞ細工したに相違ないわい。この敬四郎に授かったてがらじゃ、指一本触れてもらいとうない。直九! じゃまされぬうちに、この死骸も早く取りかたづけろ」
「いや、おてがらはけっこうじゃが、まだ少々お早いようじゃ。待てッ、直九!」
得意顔に命じて敬四郎が手下の者たちに始末させようとしたのを、にこやかに微笑して制すると、名人がやんわりと右門流をほのめかしはじめました。
「おりおりは、目ものう、すす払いをするものじゃ。では、いま一つ承るが、敬どの、これなる女の死因をお見破りかな」
「死因? 死因なぞ、死因なぞは、このおやじを締めたらわかるわい。いらぬじゃまだてせずと、どかっしゃい!」
「アハハ。弱りましたな。それゆえ、ときおりは目のすす払いしたらどうかと申すのじゃ。まさしくこれは絞め殺したものでござるぞ。しかし、下手人は子どもじゃ」
「なに、子ども! 子どもが、子どもがこんな大女を絞め殺せるものか、バカな」
「さよう、ひとりならばむずかしいかもしれぬが、下手人はふたりでござる。論より証拠、この二カ所のつめ跡をよく見られよ」
なるほど、二カ所ともに、はっきりとつめの跡が見えるのです。ぐいと両手で力まかせにひとりが首を絞めたらしく、首筋にふたところ、ひとりが急所の乳ぶさを押えつけていたらしく、むっちりとした左右のそのふくらみの上に、ぶきみな五本のつめ跡がはっきりと見えました。
しかも、小さい。いずれもそのつめ跡は、ひと目に子どもの指と思われるほど小さいのです。
「そうか! 子どもか! さては――」
当然のごとく疑いのかかったのは、ふたりのきょうだいでした。まっさおになって震えていたふたりをにらめつけると、敬四郎の声と手がいっしょに飛びかかりました。
「うぬらだ。うぬらだ。うぬらがまま子根性でやったにちがいない! 直九! なわ打てッ」
「バカな! まだ早い! 手荒なことをされるな! 待たれよッ」
「じゃまするなッ。敬四郎が手がけたあなじゃ! どかっしゃい! つじ番所のやつら! 早くこの死骸をかたづけろ」
名人の制止も聞かばこそ、敬四郎はわめき叫ぶふたりの子どもになわを打たせて、父親ともども、群衆のどよめきを押し分けながら、揚々としてひったてました。