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時刻はすでに四ツを回って、普通ならばとっくに寝ついているべきはずでしたが、昼の大売り出しの勘定がつかないとみえて、まだ生島屋ではいずれもが起きていましたので、右門はかって知った内玄関のほうへ駕籠を乗りつけると、案内も請わずにずかずかと門内へはいっていきました。
と……そのときはしなくも耳を打ったものは、そこの勝手わきの井戸ばたで、じゃぶじゃぶと洗い物をでもしているらしい水の音でした。昼のせんたくならばけっして右門とて不審はいだかなかったが、この夜ふけにないしょがましい洗いすすぎは、いかなる微細なことをも見のがし聞きのがしたことのない捕物名人にふと不審をわかしましたので、突然襲い入るように井戸ばたへ回っていきました。
見ると、洗いすすぎをやっていたものは生島屋の下女でしたから、右門はのぞき込むようにしてきびしく尋ねました。
「品物はなんじゃ」
「えッ、た、たびでございますよ」
「なに、たび……! だれのたびじゃ」
「若だんなさまがたのたびでございます」
「どれ、みせろ」
取りあげてみると奇怪です。男のはくべき黒のほうがわずか八文七分で、女のはくべき白のほうが、なんとばかでかい足のことには十文半もありましたものでしたから、
「そら、のぞみの品じゃ。よく改めろ」
「あっ、たしかに見覚えの雪舟でござりまするが、この変わり方はどうしたのでござります」
「どうしてこんなになったかは、そちの胸に思い当たることがあるはずじゃ。ちと一見いたしたきことがあるから、職分をもって申しつくる。せがれの陽吉夫婦をすぐさまこれへ呼びよせろッ」
「えッ……!」
案の定、七郎兵衛はぎくりとなりましたが、右門のことばは間をおかないで、
「八丁堀同心近藤右門が、役儀の名によって申しつくるのじゃ、そうそうに呼びよせろッ」
七郎兵衛がしぶしぶと手を鳴らしながら陽吉夫婦を呼び招きましたので、右門は
と――いまにしてはじめてみる、若主人陽吉夫婦は、いかにもいぶかしき一対でありました。夫たるべき陽吉が内輪に歩行を運び、妻たるべき
そのとたん! まことそれは伝六ならずとも見てならぬ目の毒でしたが、ちらりとすそ前下からさしのぞかれたものは、表こそ男のなりをよそうといえども、やはり
早くもふたりの珍奇な秘密を看破するや、右門の口から鋭いののしりが発せられました。
「バカ者ッ。茶番狂言ではあるまいし、一生それで押し通すつもりじゃったか! ――さ、伝六ッ。
伝六がまるくなって駆けだしましたものでしたから、右門はそのまに七郎兵衛の口からいっさいの秘密を自白させました。果然、事実は鳶頭金助の陳述したとおり、生島屋の奇妙な家憲に事を発し、七郎兵衛の設けた子どもも、兄の八郎兵衛の子どもと同様女でしたが、根が小欲に深い拝金宗の七郎兵衛はここに悪才を働かし、かく娘を男に仕立てて、名も陽吉と男名まえをつけながら、巧みに生島屋の六万両という大身代を私していたのでありました。
けれども、性の秘密はかく別ぶろをしつらえるほどの苦心をやって、うまうまと男に見せかけることができたにしても、偽りきれぬものは芽ぐみゆく人の春のこころです。女男の陽吉は、肉体の秘密をかくしながらも、自然の理法に従ってその円満な発育をとげましたので、妻ならぬ夫を選ぶことにたちいたりましたが、事は初めから不自然をあえて行なっていたんですから、選ぶべき配偶者にはたと行き詰まって、ついにおろかにも書画気違い長兵衛のせがれを女に仕立てて、かく十日まえに世人のまなこを
さればこそ、見破られた本人たちの、まっかになって恥じ入ったことはむろんのことで、穴あらば穴にでもはいりたいといいたげに、ふたりともえり首までももみじを散らして、じっとそこにちぢこまったままでした。
かくするところへ、伝六がふうふう息を切りながら、鳶頭金助と兄の八郎兵衛を伴って駆け帰ったものでしたから、右門は
「さすがは年の功じゃ。陽吉夫婦は、そちのにらんだとおりじゃぞ」
「えッ、じゃ、やっぱりご亭主が嫁さんで、お嫁さんがご亭主だったんですかい」
「そのとおりじゃ」
「いくら欲の皮がつっ張っていたからのことにしたって、あきれたものだね。この先、もし赤ん坊が生まれるようなことになったら、どうするつもりだったんでしょうね。男で通っていたご亭主の陽吉さんが岩田帯をするなんてことになったら、天下の一大事ですぜ」
金助のこのうえもない急所をついた痛いことばに、男と女と入れ替わっていた若夫婦たちは、さらに首筋までもまっかにしながら、消えてでもなくなりたいといったような様子でしたが、それよりも急ぐことは事件のあとのさばきでしたから、右門はやおらことばを改めると、おごそかに申し渡しました。
「七郎兵衛の罪は良俗を乱し、美風を損じたる点において軽からざるものがあるが、右門特別の慈悲により、お公儀への上申は差し控えてつかわすによって、ありがたく心得ろ。そのかわり、生島屋の身代六万両はこんにちかぎり二分いたし、その一半はこれなるお兄人八郎兵衛どのにつかわせよ。どうじゃ、よいか」
「えッ。では、三万両もの大金をただくれてやるんでござりまするか」
握り屋の握り屋らしい面目を遺憾なく発揮いたしまして、七郎兵衛が不服そうに申し立てたものでしたから、右門のいつにない初雷がその頭上に落下いたしました。
「控えろッ、控えろッ。ただくれてやるとはなにごとじゃッ。そのほうこそ、ただもらっているではないかッ。それとも、六万両みんな八郎兵衛どのにつかわすようお公儀に上申してもさしつかえないかッ」
「め、めっそうもございませぬ。では、三万両さしあげるでござります。さしあげますでござります」
六万両みなつかわそうかといったことばに、ことごとく震え上がりながら、手もなくそこにひれふしましたので、右門は微笑をふくみながら、いとここちよげに立ち上がると、だが、かえりしなに右門らしい
「もうそのほうたちも、
ふたりはむろんまっかになって、両ほおはいっぱいのもみじでありました。ことに、男となっている陽吉はひとしおの赤らみ方で、それゆえいっそう
――しかし、表は年の瀬まえのこがらし吹きつのる冷たい