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と――、帰ろうとしたその道の途中で、はしなくも右門の第十一番てがらとなるべき事件の発端が、突如として
「そこのだんなさま! おふたり連れのだんなさま!」
振り返ってみると、呼び手は先ほど右門に丸帯を見せてくれた生島屋のあの店員でしたから、いぶかって待っていると、店の者は息せき切りながら追いついて、遠慮深げにきき尋ねました。
「先刻店先でこちらのかたがおっしゃいましたようでしたが、そちらのだんなさまは、八丁堀の右門様でござんすね」
「そうじゃよ」
「では、あの、うちの大だんなさまが、大至急で、ご内聞にちょっとお目にかかりたいと申してでござりますゆえ、ご足労ながらお立ち寄り願えないでござりましょうか」
「用は何でござる」
「詳しゅうは存じませぬが、いましがただんなさまがたが店先にお越しのさいちゅう、奥でなにやら妙なことが起きたそうでござります」
いるさいちゅうに事が起きたといったものでしたから、事件のいかんを問わず聞きずてならじと思いまして、ただちに右門は伝六に目くばせしながら生島屋へ引きかえしてまいりました。
「どうぞ、こちらから――」
言いつつ先にたって内玄関のほうへ案内しましたので、通されるままに上がっていくと、いかさま何か珍事が勃発したとみえまして、そこにうろうろしていたものは、生島屋の大だんな
「何ぞ
「あっ、ご苦労さまに存じます。あの、妙なことをしちくどく念押しするようでござりまするが、ほんとうに右門のだんなさまでござんしょうか」
すると、奇妙なことには、七郎兵衛がまた、右門であるかどうか、改まって念押ししたものでしたから、いぶかしく思って尋ねました。
「先ほど、お店のかたも念を押されたようじゃが、もしてまえが右門でなかったならば、なんと召さる?」
「おふたりさまを前にして、変なことを申すようでござりまするが、もし右門のだんなさまでござりませなんだら、なまじ事を荒だててもどうかと存じますので、差し控えようかと思うているのでござります」
「すると、なんじゃな、右門なら事をまかしても安心じゃというのじゃな」
「へえい、ま、いってみればさようでござります」
「いや、なかなか味のありそうな話じゃ。いかにも拙者が右門でござるよ」
「あっ、さようでござりまするか。では、ちとご内聞に申し上げとうござりますので、そちらのかたをお人払いを願いとうござりまするが、いかがなものでござりましょう」
「だいじょうぶ、ご心配無用じゃ。これはてまえの一心同体のごとき配下じゃから、なんでも申されよ」
「さようでござりまするか。では申し上げまするが、実は今これなる座敷で、ふいっと軸が紛失いたしましてな」
「軸と申すと、書画のあの軸でござるか」
「へえい」
「品物は何でござる」
「雪舟の絹本でござりました」
「雪舟と申すとなかなか得がたい品じゃが、家宝ででもござったか」
「へえい。代々家に伝わりました、二幅とない逸品でござりますので、かくうろたえているしだいでござります」
「いつごろでござった」
「ほんのただいま、それもまだだんなさまがたがお買い物中のことでござります」
「聞き捨てならぬことじゃな。場所はどこでござった」
「その床の間に掛けてあったのでござりまする」
「でも、この床には現在なにやらめでたそうな新画が掛かっているではないか」
「いいえ、それが不思議の種なんでござりまするよ。実は、いましがた出入りの
「ほほう。では、その間だれもこのへやへははいらなかったというのじゃな」
「ええ、もうはいるどころではござんせぬ。てまえと鳶頭がちゃんとここについていましたのに、あとで気がつきましたら、雪舟だけがなくなっていたのでござります」
「なに、あと……? あとと申すと、鳶頭が帰ってからのことじゃな」
「へえい。いつも気ぜわしげな男で、すぐに帰りましたゆえ、うちのものに玄関まで送らせまして、ふと気がつくと、もう雪舟が消えてなくなったのでござります」
「すると、なんじゃな、もし疑いをかけるなら、その鳶頭とやらが怪しいわけじゃな」
「ところが、それが大違いでござります。に組の金助といや古顔の鳶頭でござんすから、だんながたもご存じだろうと思いまするが、てまえの家はもう先代からの出入りで、今年七十になるまでただの一度も人からうしろ指さされたことのないっていうりちぎ一方の江戸っ子なんでござりますから、疑うどころか、怪しい節一つないんでござりまするよ。それに、てまえがその間座をはずしたとか、ご不浄にでも立ったとか申しますなら、鳶頭にも疑いがかかるんでござりますが、なんしろ来るから帰るまで、ちゃんとてまえがこの二つの目で見張っていましたのに、雪舟だけが消えてなくなったんでござんすから、どうにも解せないのでござります」
――事実としたら、いかにもこれは奇怪至極な盗難事件というべきでした。紛失した雪舟の名画が、まるめてふところにでもはいる品だとか、あるいはちょいとたもとの中へでも失敬できるような小さな品でしたら、ずいぶんとまだ疑いようもあるわけなんですが、なにをいうにも、たった今しがたまで床に掛けてあった幅物の、いたってかさばる品なんですから、いかさまこれは不思議千万な話というべきでした。しかも、唯一の容疑者というべきそれなる鳶頭の金助なる者が、いうとおりのりちぎ一方な江戸っ子で、あまつさえ先代からの古い出入りだったというにおいては、だれかキリシタン・バテレンの密法でも使う者が忍び込んで持ち出さないかぎり、あるいは雪舟の名画に足がはえて、自分からひとりでにどこかへ姿をかくしてしまわないかぎり、まことに奇怪至極、不思議千万な盗難事件というべきでした。
けれども、このくらいな盗難事件に出会って、たわいなくあわを吹くようなむっつり右門だったら、だいいち伝六の、おらのだんな、おらのだんなと称して、ああも人に自慢するはずはないわけです。さればこそ、右門は例の秀麗きわまりない
「見れば、この新画の落款には栄湖としてあるようじゃが、栄湖というのはあの四条派の久和島栄湖であろうな」
「へえい。新画番付では三役どころの画工だそうにござります」
「すると、相当な値ごろのものじゃな」
「へえい。よそから祝儀にいただいて値ぶみをするのも変なものでござりまするが、安い品ではござりませぬ」
「では、箱ぐらいついていそうなものじゃが、どうしたことか、これは無箱のようではないか」
「いいえ、無箱ではござりませぬ。ちゃんと箱に入れて持ってきてくれたのでござりまするが、途中でまにあわせに買いととのえたもので、まだ箱書きがしてございませんからと申しまして、鳶頭が箱だけを――持ち帰ったのでござりまするよ」
と、――聞くや同時に、右門のまなこが、期したる答えに接したもののごとく、きらきらと輝きを帯びてまいりました。いや、ただにまなこが輝きを帯びてきたばかりではなく、すでにいっさいの解法がついたかのごとくに、
「盗まれた雪舟は、たぶん尺二でござったろうな」
「へえい、そ、そうでござりまするが、どうしてまた、そんなことがおわかりでござりまするか」
ぎょっとなったように七郎兵衛がきき返しましたので、右門はふたたび
「おれの名は、二度も三度も念を押して聞いているじゃねえか。むっつり右門はただのできあいじゃねえや、知恵の出どころがちっと違わあ。――さ、伝六、また少し忙しくなったぜ」
のみならず、ゆうゆうとして
「では、あの、雪舟の行くえはもうおわかりになったのでござりまするか」
「わかったからこそ、こうして帰りじたくをしているんじゃねえか。ねこごたつにでもはいって、金の勘定でもしていなよ」
言い捨てるや、迫らずに表へ出ていったようでしたが、ふと伝六をかえりみると、述懐するようにいいました。
「思うに、あのおやじ、少し握り屋らしいな」
伝六にはその突然な述懐がよくわからなかったとみえて、ぼけぼけしながら、いぶかしそうにきき返しました。
「とおっしゃると、だんなは、あのおやじの握り屋らしいところに、なんかこの
「あたりめえよ。ひと口にいや、小欲が深すぎるんだよ。だから、あの軸物をもらったんで、もらうものならなんでもござれとばかり、ほくほくもので有頂天になっているすきを、ちょろりと雪舟に逃げられてしまったんだ」
「じゃ、やっぱり、あの鳶頭の金助とやらが怪しいとおっしゃるんですね」
「決まってらあ。あのおり、ほかにだれもあの座敷へ来たものがねえとすりゃ、雪舟の絵に足がはえてでも逃げ出さねえかぎり、金助よりほかに盗んだやつあねえじゃねえか」
「でも、先代からのお出入りで、評判の正直者だといったじゃござんせんか」
「だから、なおのこと、あのおやじ小欲が深すぎるにちげえねえっていうんだよ。相手が正直者だから安心しきって、もらいものに有頂天となっているすきを、ちょろりと細工されちまったんだ。また、鳶頭のほうからいや、日ごろ正直者として信用されているのをさいわい、そこをつけ込んで裏かいたのさ」
「いかにもね。そうすると、やっぱり、箱書きをするといって、あの箱を持ちけえったことがなんか細工の種ですかね」
「ほほう。じゃ、おまえもやっぱり箱書きが怪しいとにらんだかい」
「だって、考えてみりゃおかしいじゃござんせんか。お祝儀の進物に持ってくるくれえなら、箱書きなんぞまえからちゃんと用意してくるのがあたりめえなんだからね。しかも、きいてみりゃ、盗まれた雪舟がやっぱり尺二で、さっきあそこに掛かっていた新画のほうも同じ尺二じゃござんせんか。だから、思うに、あれと雪舟とを掛け替えるとき、うまいこと目をちょろまかして、持ってきた箱の中へ雪舟を盗み入れたうえで、箱書きを口実に、まんまと持ち帰ったんじゃござんせんかね」
「偉い! そのとおりだよ。そのとおりだよ。きさまもだいぶこのごろ修業が積んだな」
「ちぇッ、つまらないことを、めったにほめてもらいますまいよ。あっしだって、三年たちゃ三つになりますからね。それに、でえいち、盗まれた品物が品物ですからね。あんなかさばるものを、おやじの見ている前でどうして持ち出したろうと不審をうっているとき、ひょっくりとだんなが箱のことを尋ねなすったものだから、さてはそいつが急所だなと思って、いっしょうけんめい聞いていたところへ、箱書きうんぬんのことを申し立てたので、こいつ鳶頭が細工したなと気がついたまでのことでさ」
「いや、偉いよ。どっちにしても、それを気がつくようじゃ、きさまもめっきり腕をあげたよ。――だが、こいつ、ぞうさなさそうに見えて、存外根が深いかもしれねえぜ」
「とおっしゃいますと、なんですかい。盗み手のめぼしはついたが、肝心の雪舟はちょっくらちょいとめっからないとでもおっしゃるんですかい」
「いいや、そんなものの行くえやありかは、このおれが出馬するとなりゃまたたくまだがね。とかくこういうふうにぞうさがなさそうに見える
「だって、雪舟が人の見ている前で、ひゅうどろどろと消えてなくなるなんて、ちっとも小さかねえじゃござんせんか」
「そりゃ、きさまが雪舟という絵の値うちに目がくらんでいるからだよ。そいつをとりのけてみりゃ、ただの盗難さ。けれども、その盗んだやつが七十近い老人のりちぎ者だっていうんだからな。根が深いかもしれねえっていうなあ、そのりちぎ者のとったってことそのことさ」
「大きにね。だんなの目のつけどころは、いつも人と違うからね」
「それに、あの生島屋のおやじが、二度も三度もおれに右門だかどうだか念を押したのが、ちっと気に入らねえじゃねえか」
「いかにもさよう。あっしもあの一条がいまだに気持ちがわるいんですがね。右門のだんなならお頼みするが、ほかの八丁堀衆なら頼むまいっていわんばかりのことを、変に気を持たせてぬかしゃがったからね」
「だから、こいつちっと大物かと思っているのさ。それに、時が時だからな……おっと、いけねえ、いけねえ。話に夢中になっているうちに、とんでもねえほうへ来ていらあ。ここをいっちゃ深川へ出てしまうじゃねえか。に組っていや、たしか神田だったろ」
「へえい、さようでござんす。
「じゃ、めんどうくせえや。ひと飛びにまた例の
「そらッ、おいでなすった。もう出るか、もう出るかと待っていましたっけが、だんなの口から駕籠っていうお声がかかりゃ、
この