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さて、引き揚げてしまってからの右門が、そろそろとまたむっつり右門の右門たるところを遠慮なく発揮しだしましたので、毛抜きを取り出しながらあごひげの捜索を始めたのもその一つですが、それよりもっと変なことは、ときどきにやりとひとりで思い出し笑いをやりながら、
「もう来そうなものだな。まだかえらんのかな」
そういっては、だれかを待ちでもするかのように、しきりとひとりごとをつぶやきつづけましたものでしたから、伝六がまた伝六の本来に返って、右門を右門とも思わぬ、粗略な言を無遠慮に
「ちえッ、うすっ気味がわるい! 思い出し笑いなんぞおよしなせえよ。どなたさまをお待ちかねか知らねえが、あっしにないしょでそんな隠し女をこしらえたりなんかすりゃ、だんなにおぼしめしのある江戸じゅうの女を狩りたててきて、娘
しかるに、右門は依然あごひげをまさぐりながら、にたりにたりとやっては、その日一日、まだ来ないか、まだ帰らんかをつぶやきつづけたのみならず、それが翌朝にまでも及びましたものでしたから、伝六がさらに右門をそまつにした言を弄しました。
「あきれちまうな、きのうくさやの干物で奈良づけをたべるまでは、とても調子のいいだんなでしたが、あれからこっち、また少し気が変のようじゃござんせんか。奈良づけの
ところが、お昼ちょっとまえでありました。ぶつぶつと言い通しだった伝六が、真に意外なる来訪者を取り次ぐことになりました。ほかでもなく、それは、きのう意気揚々と
「ね、だんなだんな! なにか知らぬが、あばたの野郎がまっさおな顔つきで、目をまっかにしながら、しょんぼりとしてたずねてきましたぜ」
「そうか! やっといま来たか」
すると、右門は、やっといま来たかといって、何を隠そう、きのうからの待ち人こそはその敬四郎であったことを裏書きしながら、自身玄関まで出迎えにいって、あまつさえ丁重に上座へ直すと、伝六が目をぱちくりするほどのいんぎんさをもって、大海のごとき虚心
「さぞ暑かったでござりましょう。昨日来、拙者は心してご貴殿の帰来をお待ちうけしていたところでござりますから、お気安くおくつろぎくださるように――」
導かれてきたときは、すっかり青ざめて、なにかまだおどおどしながら、警戒している節がみえましたが、右門の
「いや、おことば、いまさらのごとくてまえも恥じ入ってござる。貴殿にそう淡泊に出られると、てまえも大いに勇気づいてお願いができるしだいじゃが、どうでござろう。今度という今度は、ほとほとてまえも肝に銘じてござるから、今までの失礼暴言はさらりと水にお流しくだすって、てまえの命をお助けくださるわけにはいくまいかな。このとおり、手をついての願いでござるが……」
「もったいない。お手をあげくだされませ。もうじゅうぶんにてまえには、こうやってご貴殿のお越しなさることまでもわかってでござりますによって、どうぞもうそれ以上はおっしゃらずに――、中仙道はどこまでお越しでござったか存じませぬが、暑い中を、ひどいめにお会いでござりましたな」
「そう申さるるところをみると、では破牢罪人の行く先、ご貴殿にはもうわかってでござるか!」
「さようにござります。中仙道へ参ろうと、東海道へ参ろうと、ことによったら
「さようか、ありがたい! では、敬四郎一期のお願いじゃ。なにとぞ、お力をお貸しくださらぬか。貴殿のことだからもうご存じでござろうが、あいつめをてまえが逃がすと、切腹ものでござるからな」
「ええ、ようわかってでござります。ひょっとしたら、へびといっしょに
いうと、いよいよ右門の右門たるところをお目にかけましょうといわんばかりに、
「どこか、ご近所のお組屋敷に
「えッ? 槍……? 槍というと、あの人を突く槍ですかい」
「あたりめえだ。槍に幾色もはねえはずじゃねえか、なるべく長いやつがよいぞ」
めんくらいながら駆けだしていって、伝六がどこで見つけたものか長槍を借り出してきたものでしたから、右門はそれを高々とかつがせると、意表をつかれて目をぱちくりしている敬四郎に、ごくさばさばとしながらいいました。
「さ、参りましょうよ。おひろいではちっとまだ暑うござるが、小者に槍をかつがせておひざもとの町中を歩くのも、にわか大名のようで近ごろおつな道中でござりますからな。ゆっくりと楽しみ楽しみ参りまするかな」
そして、みずから先にたちながら、行き向かったところは、きのうことさら安心させるようなことばを残したままで引き揚げたあの道灌山裏の恒藤権右衛門宅でした。
むろん、敬四郎も伝六も鼻をつままれたような面持ちでしたが、それよりぎょっとなったのは恒藤夫人で、おそるべき右門がみたび案内も請わずに、ぬうとまた訪れたばかりでなく、そこには長いやつを一本伝六にかつがせていたものでしたから、青ざおと青ざめて、震えるくちびるに虚勢を張っているもののごとく、とがめだていたしました。
「白昼許しもなく女こどもばかりの住まいに長物持参で押しかけ、なにごとにござりまするか!」
「いや、どらねこ退治に参ってな」
しかし、右門は相手にもせずに、にやにやとうち笑みながら、伝六からくだんの長槍をうけとると、さッと石突きをふるって
「さ! 恒藤権右衛門、降りてこぬと、右門の槍先がこのとおり見舞っていくぞ!」
伝六のおどろいたことはもちろんでしたが、それよりも妻女の青ざめたことはいっそうのもので、へたへたとそこにうずくまってしまったのをみると、右門はさらに勢い鋭く天井を突き刺してまわりながら、ふたたび大音声で叫びました。
「さ! 権右衛門! 男らしく正体を現わさぬか! 降りてこぬと、ほんとうに突き刺すぞ!」
すると、まことに意外でありました。右門のその
「恐れ入りました。いかにも正体は現わしまするによって、どうぞ気味のわるい穂先だけはもうお控えくださいまし」
つづいて、みしみしという音とともに、押し入れの中の出入り口を伝わって、果然そこに姿を見せたものは、二日の天井裏
「拙者の尋ねるものは、恒藤某なぞではござらぬよ。破牢罪人の源内でござるよ」
すると、右門が
「その源内とやら申す破牢罪人は、こやつが殺して、おのれの身代わりとなし、もうきのう土の下へうずめてしまいましたよ」
「なに 殺した 殺した なぜ、てまえのたいせつな罪人をかってに殺しおったか、さ! 子細を申せ! 申さぬか!」
あまりな意外のために、つい本性が出たものか、あばたの敬四郎が権右衛門に飛びかかって、その首筋を締めあげながら、いまにも悪い癖の痛め吟味を始めようとしたものでしたから、右門はあわててさえぎると、痛いところを一本刺していいました。
「いや、お待ちめされ! 拷問ばかりが吟味の手ではござらぬ。物には順序と道理があるはずじゃから、理詰めに調べたてれば、実を吐かぬというはずはござらぬ。てまえが代わって吟味つかまつろう。――さ、権右衛門、上には目のある者も、慈悲を持つ者もあるゆえ、ありていに申すがよいぞ。何がゆえに、なんじは源内を一昨夜かようにむごたらしき死に落とし、おのれの
敬四郎ならば一言も自白しまいとするかのように見えた恒藤権右衛門も、右門の慈悲あるらしい様子とことばに隠すことの愚を知ったものか、神妙に恐れ入って尋ねました。
「おことば身にしみてござります。いかにも白状いたしましょうが、それより、どうしてだんなは、あの死体がてまえの替え玉であるとおにらみでござりましたか」
「いうまでもないことじゃ。きのうあのような愚かしき手紙を持たしてよこしたによって、不審がわいたのじゃ。それも、日本橋にさらした立て札と手紙とは別々に、どちらか妻女にでも代筆させたら、まだ不審はわかなかったかもしれぬが、両方ともにそのほうが書くとは、りこうそうにみえても愚かなやつじゃ」
「なるほど、とんだしくじりでござりましたが、でも、てまえが天井裏に潜みおること、よくおにらみでござりましたな」
「あれなるねこに焼きざかなを取られたことが、そちの運のつきじゃったわい。人間がいなくば、天井裏に食べごろの焼きざかななぞあるはずはないからな」
「さようでござりましたか。いや、かさねがさね
長い自白の陳述をようやく終わると、子ゆえに一味の者すらも売り、子の愛ゆえに今はまた死体の替え玉すらも思い決し行なった
「情状
「えッ! 遠島――あの、遠島でござりまするか!」
「不服か」
「でも、てまえの密貿易の
「囚人とはいいじょう、許しなくして人をむごたらしくあやめた罪じゃ」
「でも、それは、それは、わが身を守ったがための科でござります。そのうえ、てまえは今こそ浪々の身でござりまするが、れっきとした士籍にある身ではござりませぬか!」
「愚かなやつじゃな。これほどいうても、まだわしの慈悲がわからぬか。そちは今なんと申した、子のかわいさゆえに人も切ったと申したではないか。さればこそ、その子ゆえに、そちの命の長かるべきよう慈悲をたれて、縛り首打ち首にもすべきところを遠島に上申すると申すのじゃ。それも、島流しすべきものはそちひとりではない。それなる妻女も、夫の罪業を手助けいたした罪により、同罪の遠島じゃ。せがれは――上の席にあるものとして教ゆることはならぬが、係り役人なぞに用いてはならぬそでの下を使って、手荷物なぞに装い、うまいこと船に積み込んだりしてはあいならぬぞ。どうじゃ、まだそれでもわしの慈悲がわからぬか」
「はッ……よくわかってござります。せがれの手荷物のことも、よく胸におちてござります。ありがとうござりました。ありがとうござりました」
なぞの手荷物のことすらもわかったごとく、権右衛門夫婦がひれふしましたものでしたから、右門はかたわらの敬四郎を顧みると、さわやかな面持ちでいいました。
「これでてまえの八番てがらは、九分どおりかたづいてござる。知恵をお貸し申すといったのでは失礼にござるが、ついでに卍組残りの三人をもめしとられるよう、てまえがちょっと一しばい書いてしんぜますから、それをご貴殿のてがらになされい」
そして、伝六に立て札を五枚ほど急場にこしらえるよう命じていましたが、ほど経てできあがったのを受け取ると、さらさらと次のごとき文言をその五枚の表に書きつけました。