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――むっつり右門第二番てがらです。
前回の南蛮幽霊騒動において、事のあらましをお話ししましたとおり、天下無類の黙り虫の変わり者にかかわらず、おどろくべき才腕を現わして、一世を驚倒させたあの
「ちえッ。だんなにかかっちゃかなわねえな。このあったけえのにどてらなんぞ着ていたひにゃ、おへそにきのこがはえますぜ」
しかし、右門はすましたものです。金看板のむっつり屋をきめこみながら、じろりと伝六に流し目をくれただけで、依然あごひげを抜いては探り、探ってはまた抜いていましたので、伝六はますますじれ上がって、いっそうつんけんといいました。
「だから、今までだっても顔を見るたびいわねえこっちゃねえんだ。だんなほどの男まえなら、女房の来てなんぞ掃くほどあるから、早くひとり者に見切りをつけなせえといっているのに、ちったあいろけもお出しなせえよ。色消しにもほどがごわさあ、芋虫みたいに寝っころがって、その図はなんですかい。きのこどころか、うじがわきますぜ」
と――少し意外でした。ほんとうに芋虫のごとく寝ころがって無精ひげをまさぐっていた右門が、むっくり起き上がると、きまじめな顔でぽつりと伝六にいいました。
「では、今からその女房二、三人掃きよせに参ろうか」
「え? ほんとうですかい? 正気でおっしゃったのでげすかい?」
いつにも口にしたことのないいきなことばを、きわめて真顔で右門がいったものでしたから、おもわず伝六が正気でげすかいと念を押したのも無理からぬことでしたが、すると右門はいよいよ意外でした。
「この天気ならば、
さらにいきなことを言いながら、やおらのっそりと立ち上がると、どてらを
「ちえっ、ありがてえな。だから、憎まれ口もきくもんさね。おいらのだんなにかぎって女の子の話なんざ耳を貸すめえて思ってましたが、急に目色をお変えなすったところをみると、その
しかし、右門はいかにも伝六の額をたたいて喜んだとおりりゅうとした身なりを整え、まちがいもなく表へやってまいるにはまいりましたが、出がけにふと庭すみの物置きへ立ち寄ると、袋入りのつりざおにすすけきった
「こいつだ。だんなのやるこたあ、いつでもこの手なんだからね。ほんとうに人をぬか喜びさせるにもほどがあるじゃごわせんか。なんでげすかい。春先にゃ辰巳の方角につりざおへひっかかる女の子がいるんですかい?」
けれども、これは不平をいう伝六が無理でした。美丈夫なること右門のごとく、道心堅固なることまた右門のごとき、男でさえもほれぼれとするようなその人がらを、よく知っていながら、早まって早がてんをしたほうが悪いので、むろん右門は最初から気晴らしに、すすきでもつりに行こうというつもりでしたから、にこりともせずに伝六の不平をうしろへ聞き流しておくと、さっさと門を外へ出ていきました。
と、その出会いがしらに、ぱったりとぶつかった男がある。ほんとうに、文字どおりぱったりとぶつかった男がありました。だれか?――だれでもない、あばたの敬四郎です。そして、真にその一瞬でありましたが、いや一瞬というよりもそのとたんといったほうが正しい。行きずれに、なにやらあわてふためいてお組屋敷へ駆け込んでいった敬四郎の姿をちらり右門が認めたかと思うと、まことに不思議な変わり方だった。ぴたり――右門の足が突然そこへくぎづけにされてしまいました。同時に、鋭い声で――。
「伝六!」
「え? てんかんでも起きたんでござんすか?」
「バカ! どうやら大きなさかながかかりそうだぞ」
「どこです? どこに泳いでいます?」
「あいかわらず、きさまはひょうきん者だな、敬四郎どのの様子が尋常でない。今からすぐお奉行所までひとっ走り行ってこい!」
「またあれだ。やぶからぼうに変なことをおっしゃって、このうえあっしをかつぐ気でござんすかい?」
これは無理もないので。ひとことも訳は語らないで、ほんとうにやぶからぼうに右門の空もようががらりと変わりましたものでしたから、なにがなにやらふにおちかねて伝六が二の足を踏んだのはまことに無理からぬことでしたが、しかし、名犬はよくそのにおいによって獲物の大小をかぎ分く――実はそれが右門の右門たるところで、早くもかれは、その全身にみなぎりあふれている名同心のたぐいまれな
「きさまだって、あばたの敬四郎がこのごろおれと功名争いしているくらいなことは知ってるだろう」
「え! あっ! そうでしたかい。じゃ、今のあいつの様子で、事起こるとにらんだのですね」
ひょうきん者のおしゃべり屋ではありましたが、そこはやはり職業本能で、右門のそのひとことで、ぴりっと胸にこたえたものがあったのでしょう。ところへ、さながらおあつらえ向きのように、今あわてふためいて自分のお小屋のほうへ駆け込んでいった相手の敬四郎が、大急ぎで狩り集めたらしく、配下の手下小者を引き具して、どやどやと血相変えながら出てまいりましたので、いよいよ伝六にも事の容易ならぬけはいが感得できたものか、もうあとはいっさいが目まぜと目まぜと、それからましらのごときすばしっこさのみでした。むしろ、こうなると、がってんの伝六とでもいうほうが適当なくらいですが、しかし右門は反対に、もうそのときは林のごとく静かでした。面の清らかなることはまた天上の星のごとくに清澄で、騒がずにおのがお小屋に帰っていくと、ごろり横になりながら、自信そのもののごとくに、すぐと毛抜きを取り出したものでした。